25 avril 2015

4月25日 RDCコンゴ:MAGの活動家が誘拐された militants de la MAG enlevés

Le samedi 25 avril 2015
7時半、晴れ。

ネットでプリンターを買った。昨日新宿のヨドバシ・カメラで見たHPの簡単なプリンターが6560円だった。ネットでも同じ値段。かつ宅配料金が只。アマゾンで昨日本を買ったが、今日は名刺用の印刷用紙も注文した。

24日時点の下記の記事では国連が契約している民間企業の従業員3名がどうも誘拐されたようだとある。
実は地雷除去を北キヴ州でしていた国際NPOであるMAGの活動家が誘拐された模様だ。MAGは北キヴだけでなく、カタンガ州でも地雷除去活動をしているし、日本政府が億単位の援助をMAGにしている。
NPOの従業員を反政府軍(実はギャング集団)が狙った犯行とすると彼らの新しい犯罪行動といえる。誘拐されたと思われる従業員はコンゴ人2名とジンバブウェ人1名らしい。はやく情報を収集して人質を解放して欲しいと思う。場合によって身代金を要求するような事件に発展するやもしれない。
RDCコンゴに於けるMagの活動
ONU : trois personnes enlevées en RDC
24 avril 2015
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Avec plus de 20 000 employés, la Monusco est l'une des plus grandes missions de l'ONU.
Jeudi, trois « agents privés » travaillant pour la mission de l’ONU en République Démocratique du Congo (Monusco) ont été enlevés au Nord-Kivu, à la frontière avec le Rwanda.
Les Nations Unies ont précisé vendredi qu’il s’agit de trois employés d’une société privée travaillant en sous-traitance pour l'ONU dans la provine du Nord-Kivu.
Deux d’entre eux seraient Congolais, le troisième serait Zimbabwéen.
Selon des témoins locaux, leur véhicule a été retrouvé abandonné, mais avec le moteur toujours en train de tourner.
La cause de l’enlèvement et l’identité des kidnappeurs sont encore inconnues.
Selon la correspondante de la BBC en RDC Maude Jullien, ils ont disparu jeudi après-midi près de Kibumba, à 19 km au nord de Goma, principale ville de la province du Nord-Kivu.
La Monusco compte plus de 20 000 personnes. C’est une des missions de l’ONU les plus importantes.

En 2013, la Monusco a travaillé en partenariat avec l’armée congolaise pour repousser les rebelles du M-23 hors de la région du Nord-Kivu.

4月21日~24日 下北沢「雷や」 au bar-restaurant japonais "Kaminariya" de Shimokitazawa

Le mardi 21 avril 2015
7時半、晴れ。

12時、赤坂でM氏と打ち合わせ。そこに懐かしいN氏も元気な姿を見せた。N氏はメイルで多々病気を抱えているとのことだったが、たいへん元気だったので安心。

このあと六本木に出た。六本木ヒルズで映画をみた。ハリウッド映画『バードマン』。テネシー・ウィリアム風の物語。アメリカ映画の一つの潮流に違いない。勿論シナリオはシンプルで、結末は僕の想像通りだった。ちょっと退屈。
六本木ヒルズの美術館は改修工事中で閉鎖されていた。52Fの展望台も閉鎖。

18時半の約束がキャンセルになったので、帰り道の押上で妹と食事をとることになった。スカイ・ツリーはライトアップされていたが趣がない。スカイ・ツリー隣のビルの30階でフランス料理。「オ・ザミAux amis」。常陸牛。フランス人の給仕、フィリップはカレ出身だった。料理の質は悪くはなかったが大変な散財。

Le mercredi 22 avril 2015
7時半、晴れ。

名刺をつくろうと思ったがユーカリが丘には印刷所がない。隣の志津駅まで自転車で行った。自転車に乗ったのは久しぶり。名刺100枚が40ドルだというので注文しなかった。自分でPCを駆使して作るか、キンコーズで印刷するか。

Le jeudi 23 avril 2015
7時、晴れ。

10時、日大附属板橋病院の外来。M先生。

夜、妹さつきの助けを借りて名刺印刷。とりあえず20枚作った。名刺作成ソフトは「ラベル屋さん9」である。僕がDLしたソフトのフォントとさつきのもっているフォントが不思議なことに会わず、さつきはBroadwayをもっていなかった。致し方ない。外注するよりも思い通りの名刺が作れる。

Le vendredi 24 avril 2015
7時半、晴れ。

昼、品川でアルジェ時代にお世話になったAさんとお会いした。僕より10歳年上だがお元気な様子で安心した。

新宿郵便局の近くにあった本屋「フランス図書」を探したがみつからなかった。場所を間違えたのかと思ったが、そうではなく、閉鎖してしまったのだ。コンデの小説を買いたいと思ったけれど致し方ない。


17時半、下北沢の「雷や」にパリ時代からの友人Sさん、アルジェのM社仲間のOさん、World Visionに寄付をしてコンゴの子どもたちの教育を助けている若いAさん、それにルブンバシに2010年に来られたことのある世田谷ママさんバレーチームのTさん、Iさん、Yさん、Kさんに集まっていただいてワインを飲んだ。ママさんたちはルブンバシからの帰路、ナイロビ(ケニア)で遠いアイスランドの火山灰の所為で足止めを食うという全く不意の経験をされた。
下北は小田急の電車が地下駅に入るようになったが、工事はまだまだ続くようだ。

「雷や」は居酒屋だが割と和洋折衷な料理がでてくるので、15年来贔屓にしている。Iさんとは、2013年4月にバレーチームの方々とお会いしたときに、不都合でいらっしゃらなかったので5年ぶりの再会。

チームの方々からキプシのフォステム校の塀建設に寄付をいただいた。コンゴに帰国したら塀を作らねばならない。不足額が出たらAKJ(日本カタンガ協会)から多少なら補えるかもしれない。塀がないので近所の子どもたちや大人たちが学校の敷地に入り、窓ガラスをわったり、勝手にトイレをつかったりと悪さをしていると校長先生から聞いた。ありがたい寄付である。

4月20日 エチオピア人がISの犠牲者に L’EI aurait exécuté 30 Ethiopiens

Le lundi 20 avril 2015
7時半、曇り。

15時、泉岳寺。U氏のオフィスでM氏から炭素循環農法の説明を受けた。それを同席したコンゴ人Pさんにフランス語に訳すことになった。16時から20時半まで通訳をして疲れ果ててしまった。バスで新橋に出てJR山手線で日暮里に出て京成に乗り換えた。
https://www.facebook.com/pages/%E7%82%AD%E7%B4%A0%E5%BE%AA%E7%92%B0%E8%BE%B2%E6%B3%95/428598817177653
(炭素循環農法のfacebook)

リビアでEI(イスラム国)の活動家にエチオピア人30名が殺されたようだ。これらエチオピア人もキリスト教徒(コプト)の信者だ。2月にはエジプト人コプト信者が21名斬首されている。
このシーンは以前にも見た
EI(英:IS)の演出だ

L’EI aurait exécuté 30 Ethiopiens
19 avril 2015 BBC Afrique

Une image parue dans la vidéo diffusée ce dimanche 19 avril 2015 par l'EI.
L’EI a diffusé dimanche une vidéo montrant comment 30 personnes présentées comme des chrétiens venus d’Ethiopie auraient été tuées par ses membres.
La vidéo montre un groupe de jeunes égorgés sur une plage et d’autres personnes tuées par balles tirées à bout portant.
Les victimes seraient des chrétiens originaires d’Ethiopie, qui auraient été arrêtés en Libye par des militants de l’EI.
Le logo du groupe djihadiste est visible sur les images de la vidéo d’une durée de 29 minutes. Son authenticité n’a pas encore été prouvée.
Un homme portant un masque, armé d’un fusil, brandit des menaces contre les détenus et exigent d’eux le paiement d’une amende à défaut de leur conversion à l’islam.
Le groupe Etat islamique a déjà diffusé des vidéos similaires. L’une d’elles montrait en février dernier ce qui était considéré comme la décapitation de 21 chrétiens coptes égyptiens.
Le groupe Etat islamique contrôle certaines parties de l’Irak et de la Syrie, où il a instauré un califat, un Etat basé sur la loi musulmane.
Ses militants sont actifs au Moyen-Orient et dans plusieurs pays d’Afrique du Nord, dont la Libye.

En Ethiopie, le gouvernement est en train de vérifier si les personnes montrées dans la vidéo sont des ressortissants du pays, selon le ministre éthiopien de l’Information, Redwan Hussein.

4月18、19日 40年後に受け取った手紙 lettre venue de mon ami défunt, écrite il y a 40 ans et reçue aujourd'hui

Le samedi 18 avril 2015
7時半、快晴。

Iさん邸近くの「哲学の道」を散歩。ソメイヨシノは終わっていたが八重桜が満開。

午後3時半、遊行寺(ゆぎょうじ)に立ち寄ってから藤沢の待ち合わせ場所に。遊行寺に行ったのはI氏のfacebookの記事にしばしば登場してくるからである。
小田原からK氏が退院祝いに来てくれた。ありがたい。
K氏を交えてIさん夫妻と居酒屋で大いに飲んでから帰宅。

Le dimanche 19 avril 2015
7時半、晴れ。

中央林間までIさん夫妻に車で送ってもらった。
11時、高校時代からの友人TS君の夫人NさんとT君の墓に行った。彼は一昨年秋に他界した。そのとき僕は青春を失った。彼は僕の青春そのものだったのである。

田園調布本町にあるTS君の家でお茶をいただいた。奥さまから亡くなったT君の机の抽斗(ひきだし)から発見されたという僕宛ての手紙を3通いただいた。
一通は僕たちが21歳の時に書かれた手紙(1966年)、
二通目は27歳のとき、僕が会社を辞めてパリにいたころの手紙(197212月末)、
最後の一通は1997年、僕がスペインのカナリアにいた時にしたためられた手紙である。
いずれも当時僕は受け取っていない
理由はわからないが出状されなかった手紙だ。
高校2年生のときの僕たちは『チボー家の人々Les Thibault』の「灰色のノートLe Cahier gris」にあるジャックとダニエルさながらの友情を交わした仲だった。その密な交流は、特に僕がパリに出てしまうまで続いた。

僕のパリ出発は19727月のことだったが、TS君にとって衝撃的な事件だったようだ。しかし、如何にも僕らしい選択だったと197212月末の手紙に書いている。しかも、その選択をした僕は、その10年前、僕たちの友情が生まれた一六七才当時の僕を思わせるというのだ。僕は仙台の高校に624月に転校してTSに遭遇したのである。運命の出会いであった。


72年の手紙では伊藤整の詩『林檎園の月』および自伝『若い詩人の肖像』がリファーされていた。僕は伊藤整もその作品も知らない。本屋で探したがない。早速、Amazonで注文した。
伊藤 整

4月17日 ストロマエのアフリカ公演 Stromae en Afrique

Le vendredi 17 avril 2015
7時、晴れ。

940分、藤沢の友人Iさんの家にむかう。3年振り。
3時間半で無事にIさん邸に到着。
奥さまの手料理で、僕の大好きな揚げ出し豆腐をいただいた。
夜はすき焼きとご馳走続き。ビールをいただいた。
初孫のSちゃんが来ていた。6か月。

ベルギーの歌手ストロマエStromaeがサハラ以南の8か国でコンサートをすることになった。アフリカ大陸のフランス語圏(24カ国)で絶大な人気を誇る。20代前半、ヒット曲を出しベルギー国境をこえ、フランス、マグレブそしてブラック・アフリカで人気を得た。ルワンダ人を父とし、ベルギー人の母との間に生まれたが、今回の訪問国セネガル、コート・ジボワール、カーボ・ベルデ、カメルーン、ガボン、コンゴ・ブラザビル、コンゴ・キンシャサ、ルワンダ公演は初めてのことだ。
10年選手になるストロマエ、アフリカの聴衆を大事にして欲しいと思う。

StromaeはMae-stroから来ている
既に30歳
若さだけが売りでは忘れられる
しかし、「Papaoutai(Papa où t'es)パパ、何処にいるの」や
「Allors on danse ? 踊るかい」といった
シアリアスな内容が身についてきたストロマエである

Rwanda, Côte d'Ivoire, RDC... : Stromae annonce une grande tournée africaine avec 8 dates de concert dans 8 pays
17/04/2015 à 12:30 Par Jeune Afrique

Stromae à Karlsruhe, en Allemagne, le 14 mai 2014. Stromae à Karlsruhe, en Allemagne, le 14 mai 2014. © Vincent Fournier/J.A.
Stromae a annoncé vendredi les dates de sa première tournée africaine. Le chanteur de "Papaoutai" se rendra au Sénégal, en Côte d'Ivoire, au Cap Vert au Cameroun, au Gabon, au Congo en RDC et au Rwanda, pays dont son père est originaire et où il se rend pour la première fois de sa vie.
Préparez-vous, Stromae débarque bientôt en Afrique, peut-être à côté de chez vous. Le chanteur belge d'origine rwandaise a annoncé vendredi 17 avril avril sur sa page Facebook les dates de sa tournée sur le continent. Fils d'un père rwandais et d'une mère flamande, Stromae se rendra à Dakar, Praia (Cap Vert), Douala, Abidjan les 13, 16, 19 et 23 mai, puis à Libreville, Brazzaville, Kinshasa et Kigali les 6, 10, 13 et 20 juin. En 2014, l'artiste s'était déjà produit au Maghreb, à Alger, Rabat et Tunis. Mais c'est la première fois qu'il organise une série de concerts en Afrique subsaharienne.
>> Lire l'interview de Stromae à J.A. : "La jeunesse d'Afrique n'a pas besoin de mes leçons pour croire en elle"
Actuellement en tournée en Amérique du Nord, Stromae s'est livré dans son dernier clip à une attaque en règle des réseaux sociaux et en particulier de Twitter. Succès immédiat, puisque la vidéo totalise près de 6 millions vues depuis le 1er avril sur YouTube.
Les dates de la tournée de Stromae :
Le 13/05, au Monument de la Renaissance à Dakar.
Le 16/05, au Gamboa Festival de Prala.
Le 19/05, à la maison du parti de Bonanjo à Douala.
Le 23/05, à l'open Air Heden Golf Hotel d'Adibjan.
Le 06/06, au stade de Libreville.
Le 10/06, au palais des Congrès de Brazzaville.
Le 13/06, au théâtre de Verdure de Kinshasa.
Le 20/06, au stade Amahoro de Kigali.

4月13日~16日 退院 sortir de l’hôpital

4月3日(金)に入院。手術は6日(月)8h45。全身麻酔だったので、12時半に目が覚めたら生検も手術も終わっていた。
その後の経過を書いた日誌ファイルを失ったので、割愛して13日(月)から書く。

Le lundi 13 avril 2015
6時、雨。

今日以前のファイルが消えた。どこに行ったのかわからない。見つからない。43日(金)からの入院の記録がなくなったのである。どうも今日の記事を書きながら、過去、但し今月3日からすべて消してしまった、今日の記事で上書き保存してしまったようだ バカなことを、bétisesさ!

昨夜も発汗。朝1時、シャツを取替えた。体温は発汗で下がっている。

845分、医者が来て、カテーテルを抜いてくれた。抗生物質の点滴はまだ続くようだが今朝の点滴は終わっている。カテーテルを入れていない状態は3月初めルブンバシでロジェ看護師に抜いてもらって以来だ。その時は夜20時にはまたカテーテルをいれなければならなかった。今回はその必要がない筈だ。
カテーテルを入れたり、外したりするのは医者なのだそうだ。看護師はこの作業が出来ない。ダーバンでカテーテルをいれてくれたのはズールーの男性看護師だった。ルブンバシでカテーテルを外してくれたのも男性看護師。日本では医者がしなければならないそうだ。

これで普通に排尿が出来れば手術は成功である。医者は、尿意をもよおして立ち上がったときなどに尿漏れがあったり、血尿が出たり、痛みがあったりする可能性があるとコメントしてくれた。
売店で尿とりパッドを買った。その必要性、効果のほどはまだ尿意がないので不明だが、備えあれば憂いなし、と思ったので。

12時半、自分で排尿できることを確認した。大いなる希望がでてきた。

昨日は統一地方選挙の投票日だった。NHK20時から開票速報を伝えていた。政党の数は増えているが、自民党の圧倒的優位に変化はなかった。
共産党が議席を伸ばしたというけれども、党の存在感はない。この党の主張は聞く前からわかっているものばかり。

3日から今日までの記事を書きなおす気力がなかなか出て来ない。
『クローズアップ現代』のボコハラム、『日曜美術館』の光琳、『花燃ゆ』の松蔭について書いた。
松蔭については、松下村塾のテロ扇動者ではないか、イスラミストと変わらないとは知らなかった、と。
ボコハラム問題をテーマにしてくれたNHKに感謝。しかし、ボコハラムの資金問題にまで斬りこんで欲しかったと注文。
光琳および琳派の装飾美に感嘆。
地上ディジタルTVを今回初めて見た僕はその画面の解像力に感心。

Le mardi 14 avril 2015
6時、雨。

昨夜から点滴なし。抗生物質も錠剤になった。ありがたい。

排尿好調。尿意があると長く我慢できないのがまだ難か。ともかく、勢いよく排尿できる。奇跡のようだ。30年若返った、といってもいい。けれど、尿の勢いについていえば、僕は小さい時から勢いがなかった。だからこんなに勢いがいいのは実は生まれて初めての経験である。
日本の医学の、直接的には執刀したS先生のおかげである。

11時、シャワー。
気持ちよかった。

入院中、これまで読んだことのない新聞も読んだ。東京新聞、讀賣新聞、産経新聞である。朝日、毎日、日経も読んだ。どの新聞も政治、経済、社会、文化等々の記事が満載で一日で読み切れない。各紙の特色が分からない。みな同じように見える。
日経が中では最もバランスがとれているように思う。

Le mercredi 15 avril 2015
6時、快晴。

まだ入院している。早く退院したいなぁ。
昨日午後尿の勢いの検査で、十分に尿が溜まっていない状態でテストを受け、尿に勢いがあることを証明出来なかった。残尿もエコグラフィーでみると100ml位あって退院の話がでなかった。
今日、勢い検査を再トライ。

13h45分、昨日の尿流量テストを再び試みた。今日はまし。残量が52mlと昨日の半分だが、理想値が50以下らしい。ま、一応の基準なのだろう。これで退院にポジティヴになるといいのだがなぁ。

消えたファイルでは天皇のパラオ訪問についても書いた。
多くの貴い命が先の戦争で失われて「深い悲しみ」を覚え、平和の希求して祈るのはいいけれど、父親が戦争責任をとらず逝ってしまったことはどう考えているのだろうか。
天皇がどう考えているかだけではなく、遺族、生き残った少数の兵隊、一般国民の考えは?

Le jeudi 16 avril 2015
6時、快晴。

今日退院できないのかなぁ。ネックは何なんだろう。
CRP値(細菌の感染状態を示す数値らしい)は正常値0.3以下に近い0.4まで下がったようなのに。

845分、きょう退院に決定。Bravissimo !


1120分、支払いを済ませて病院を出た。バス+JR+京成+モノレールと乗り継いでユーカリが丘の家に14時前に着いた。車で帰るよりも早い。

02 avril 2015

4月2日 エボラ:キューバ医師団帰国へ Ebola en Sierra Leone: départ des derniers médecins cubains

Le jeudi 2 avril 2015
7時、晴れ。

明日3日(金)、日大板橋病院に入院。これまで入院したのはルブンバシの眼科で手術後24時間があっただけ。このときの食事は自分で用意して持ち込んだ。2日以上の入院は生まれて初めてのこと。病院で泊まるというイメージが湧かない。寒かったら適わないなぁ。
ネット環境が分からないので、ブログ更新が出来ないかもしれない。

オバマ米大統領が31日(火)カビラRDCコンゴ大統領と電話会談をした。オバマ大統領が申し入れた会談だろう。要はカビラ大統領に3選禁止の圧力をかけることと、RDCコンゴ東部における反政府軍(実はギャング)掃討作戦で国連軍と協同せよということだ。

キューバと米国が国交回復しようとしている。今月にも大使館が両国に開設されそうだ。国交がなかったといっても、米国大使館業務はスイスが代行しており、キューバ人の米国入国査証なども実際には発行されていたと思われる。僕のアルジェリア時代にあっては米国がアルジェの大使館を閉鎖していたが、業務をここでもスイスが代行していた。大使館員の大部分は米国人であったし、国交回復したとたん同じ大使館がスイスの旗を下し星条旗をはためかせた。こういう「裏技」を米国やスイスが使う。
キューバの医師団が西アフリカで対エボラ救急援助をしていた。シェラ・レオーネに派遣されていたキューバ医師団が41日本国に引き上げた。エボラの流行が一応終息したとの判断だ。彼らはWHOの要請で西アフリカはリベリア、シェラ・レオーネ、ギニアに256名も送られて活躍していた。
キューバの医者団
Ebola en Sierra Leone: départ des derniers médecins cubains
le 1er avril 2015

Les derniers médecins et personnels de santé cubains dépêchés en Sierra Leone en octobre 2014 pour aider à lutter contre Ebola ont quitté mercredi ce pays, un des plus affectés par l'épidémie avec la Guinée et le Liberia voisins, selon des sources officielles.

Dans le même temps, le président sierra-léonais Ernest Bai Koroma a rétabli des restrictions de mouvements pour le week-end de Pâques, afin de réduire les risques de propagation du virus Ebola, quelques jours après un confinement général de la population du 27 au 29 mars.

Toutes les restrictions de déplacements décidées dans le cadre de la lutte contre Ebola "demeureront en vigueur durant la période pascale et seront renforcées par les autorités", a affirmé M. Koroma dans une déclaration diffusée par les radio et télévision nationales.

"Ces restrictions incluent l'interdiction de rassemblement et d'activités commerciales de 18H00 (locales et GMT) samedi 4 avril et durant toute la journée du dimanche 5 avril", a-t-il dit.

Mecredi, les 66 derniers membres du contingent médical cubain ont quitté la Sierra Leone, près de six mois après y avoir été envoyés d'urgence dans le pays, répondant à un appel de l'OMS, selon des sources au sein du gouvernement et du bureau de l'Organisation mondiale de la Santé (OMS) à Freetown. 

Un premier groupe, composé de 98 personnes, est parti de Sierra Leone le 22 mars, a-t-on indiqué. Il a été mis fin à leur mission en raison d'une baisse notable des nouveaux cas d'Ebola de manière générale depuis plusieurs semaines.

Le porte-parole du gouvernement sierra-léonais, Abdulai Bayraytay a salué l'expertise des Cubains qui ont, "sans surprise", jeté leurs forces dans la bataille contre le virus Ebola, a-t-il dit à l'AFP.

"Nous serons toujours reconnaissants envers nos amis, et les Cubains s'inscrivent dans cette ligne", a-t-il affirmé.

- "Des signes de victoire" -

Joint par l'AFP par téléphone peu avant son départ, le chef de la délégation cubaine, Dr Jorge Delgado Butillo, a estimé que la mission médicale avait permis de "renforcer les liens" entre Cuba et la Sierra Leone, où ils ont "contribué à sauver la vie de nombreux malades d'Ebola". "Nous sommes ravis que la Sierra Leone montre des signes de victoire à la fin", a-t-il dit.

Le docteur Anshu Banerjee, représentant de l'OMS à Freetown, a aussi rendu hommage à la mission médicale cubaine, arrivée sur le terrain "au moment où l'épidémie était à son sommet, et le besoin en ressources humaines pour lutter contre la maladie très élevée".

Au total, 256 médecins et personnels de santé cubains avaient été déployés en octobre en Sierra Leone, au Liberia et en Guinée. Ces trois pays comptent l'essentiel des plus de 10.400 décès identifiés sur près de 25.200 cas depuis fin décembre 2013, selon le dernier bilan de l'OMS publié mercredi et arrêté au 29 mars.

La semaine dernière, le quotidien officiel cubain Granma avait rapporté que 52 Cubains étaient déjà rentrés du Liberia - la totalité du contingent dans ce pays. Aucune indication n'a été fournie sur les personnels présents en Guinée.

Par ailleurs, le Centre national de lutte contre Ebola (Nerc) a communiqué mercredi à Freetown le premier bilan du confinement général du 27 au 29 mars, ayant mobilisé près de 26.000 volontaires à travers le pays pour du porte-à-porte, en plus des habituels personnels de santé.

Durant ces trois jours, les efforts ont été concentrés sur les foyers actuels d'épidémie, situés dans quatre zones: la région de l'Ouest abritant Freetown, les districts de Port Kolo, Bombali et Kambia (nord), près de la frontière avec la Guinée, a expliqué le chef du Nerc, Palo Conteh, lors d'une conférence de presse.


"Environ 50% de l'ensemble des cas de transmission" est recensé dans la région de l'Ouest, où "263 malades ont été évacués de leur domicile vers les centres de santé" pour traitement et diagnostic. "Sur ce total, jusqu'à présent, 10 ont été confirmés positifs" au virus, a précisé M. Conteh.