01 mai 2007

Tiddis, une ruine ruinée

le 1er mai 2007
fête natinale des travailleurs

RDC(コンゴ民主共和国)の記事をAlerte Googleで読んでいるが、今日の記事の中に『キンシャサでは水/電気が贅沢品』と出ていた。その通りだろう。ルブンバシでの生活体験でも水や電気は貴重品だった。ここConstantineでは少なくとも僕の今住んできる住宅地で水なり電気なりが贅沢品というわけではない。キンシャサのことを考えると心が痛む。全ては内戦に続く内戦の所為なのだが何とか早く解決して欲しいものだ。しかし、破壊されたインフラをもとに戻すのは至難の業なのである。

http://www.algerieautrefois.com/Ressources/Constantine/FichiersConstantine/ConstRegPict.php
このサイトを参考に午前中Constantineから十数キロ北にあるHammam Bouzianeに行った。サイトには『Hammam Bouziane, avec ses nombreuses sources thermales, verdure, fraîcheur』(新鮮な空気と緑に囲まれた温泉の村)とある。ところが行ってみると、ハマン・ブジィアヌはConstantineの衛星都市と化していた。確かに1980年代まで温泉らしきものがあったそうであるけれども現在は家内工業的家具屋が目立つぐらいで、村とはいえない雑踏の町になっている。この町の裏手に出れば果樹園が昔の面影を忍ばせないではない。しかしそれもところどころ建設中の住宅に侵食されている。Taxiは約2時間貸切りで500DAであった。運転手君はなかなか愛想のよい青年だったので携帯番号を控えた。

昼食をSNTV ouest(西バスターミナル駅)隣にあるレストラン『Mizania』でとった。今のところConstantineでベスト。破顔しつつ入り口で迎えてくれたのがアセンAhcen氏で、ドアマンと思いきやこのレストランが入っている建物(スーパーなどもある)のオーナーであった。メニューはクラシックであったがサーヴィスもいい。やはりサーヴィス業は民間が受け持つセクターである。パトロンに中華料理や日本料理の店を開くように勧めておいた。土地として高い店なので昼の客はあまりいなかった。サラダ、ステーキ、デザートと飲み物はガス入りのミネラルで1250DA(2000円)は悪くない値段。

午後熱湯の滝Hammam Meskoutineに出かけたかったが114kmと遠いのでローマ遺跡ティディスTiddisに向かった。ローマ遺跡はConstantineのまわりにいくつかある。僕はこの遺跡を知らなかったので行ってみることにした。Jijelに行く国道を左に折れて数キロいった丘陵地帯の一角に遺跡があった。遺跡の前の駐車場にはバスが数台ならんでいた。休日の所為で見学者が多いのかと思ったら、そうではなく、地元のNPO:Association Tiddis(電話054-18-39-54) が文化祭を遺跡の中の空き地で催していたのであった。踊りあり、音楽あり、空手のデモありと多彩なお祭りであったが、ただ祭りというだけではなく、電気がまだ来ていない村Tiddis、道が狭く、遺跡の放置され忘れ去られていることを県に訴える意味もあるのだと村長も兼ねているNPO会長から聞かされた。珍しい日本人だということで、マイクを持たされ会場をとりまく観衆の前で演説を要請されてしまった。致し方ない。民間日本大使くらいのつもりで、ひとくさり外交辞令を述べた。明日の新聞の一面を飾るようなことはないだろうが開発の裏で取り残された村のために一役かうことができれば望外である。遺跡自体は破壊されつくしていた。残念なことだ。いつか再生できることを祈るばかりである。歴史を葬る者は自らを葬るものである。
TaxiはConstantineから数十キロあるので、3時間貸切りで2.500DA。運転手はその道22年のベテランであった。


(その他の画像は追って掲載予定です)。

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