26 janvier 2010

引越まで jusqu'au déménagement (1)

頌春2010年
引越すまでの経緯を一挙に掲載予定でしたが、意外とのびのびになっているので、途中経過をお伝えします。

Le 1er janvier 2010, vendredi
7時15分に下におりて(僕の部屋は2階)、食堂にむかったがドアに鍵がかかっている。普通朝食は7時10分からなのだが、昨日大晦日Saint Sylvestreの夜、かなり酒が遅くにでたようだから、朝食が遅く始まるのかもしれない。
隣の教会Eglise Imaraで8時から新年のミサがあった。8時すぎにいってみるといつものように信者でいっぱい。Saint Paulよりも静かなミサ。しかしスワヒリ語中心。フランス語は次回のミサ、9時半からのようだ。

昼食に骨付きのヤギ肉。ポークかと思ったが骨が細い。よく焼けていたのでヤギ特有の臭(にお)いと味がしなかったのは幸い。鶏肉は2種、ポテト、ほうれん草などバランスよくできている。ま、ここの食事に飽きることもあろう。

昼間、車で土地勘を得るために街中(まちなか)をドライヴ。ゴルフ地区にトライ。行けるにはいけたが、数回道をきいた。後で地図で確認。
そう、3年前にはなかったルブンバシ市街地図ができていた。Alain君が僕にくれた。Forrest社などスポンサーをつけて市当局が2年前に作ったのだそうだ。

Le 2 janvier 2010, samedi
食堂に通じる廊下のドアが閉まっていたが、鍵がかけてあるわけではなく単にドアの具合が悪く取っ手を数回上下して引っ張れば開くことが分かった。
朝食はコンチネンタル。コーヒーがポットにいれてあった。薄いアメリカンだが、インスタントではない。よかった。パンは四角いブレッドではなく、petit pain。ジャム、ピーナツ・バタその他+サラミ。軽い朝食としては十分だ。

インタネットの部屋がまだあいていない。はやくネットに接続したい。

部屋にTVがないから、携帯電話に組み込まれているラジオを聞く。FM局が少なくとも20局以上とらえられた。国連の運営するOkapi放送、スポーツ、宗教団体の局、BBC英語放送もある。

ナンバプレートを今朝車につけよう。そうすれば警官、兵隊に気兼ねなく路上を運転できる。昨日は元旦で店が休みだった。泊まっているサレジア会のホテルの受付をしているHubert君が教会の運転手に電話かけてくれて、その運転手が道具箱をもって昼ごろ現れた。それからプレートをつけるのに2時間。工具の不具合があったり、なかなか手際よくとはいかなかったが、ともかく形がついた。車後部のナンバプレートが曲がっているのは愛嬌。手間賃をはらおうとしたら、いくらでもいいという。これが困る。5ドルにしておいた。

昨日はゴルフ地区で婦人警官が、いきなり「コーラ」という。免許証をみせろというわけでもない。分からない振りをして「中国語ができるか」ときいて、車の窓を閉めてしまった。「コーラ」といえば誰だって意図していることは分かる。500か1 000フラン、つまり50円か100円せしめたいだけなのだ。それなら「新年おめでとう!悪いけど、コーラ分のお小遣いくれない?」とでもいえばいいのに、ぶっきらぼうに「コーラ」というからこちらが憮然としてしまうのだ。前にいた車はなにがしか払っていたが、多分保険証がなかったのだろう。保険を払っていない車がたくさん走っている。そんな車と事故をおこしたら堪らない。保険を払わないのは、検問されるたびに100円払っていたほうが安いからだ。ここに年間400ドルも払えるひとはそういない。保険に加えて納税証明vignetteをフロント・ガラスに貼っておく。アスンタさんによれば、納税証明vignetteは一昨年導入されたばかりだけれど、古い車は2005年から遡って払えといわれていて現在教会が当局と交渉中だそうだ。納税が遡及するとは。

今日は朝から雨。スコールのような短時間の雨と違って、しとしとと降っている。珍しい。

アスンタさんに北原亜以子「おひで 慶次郎縁側日記」を借りた。これまで北原の作品を読んだことはない。名前も知らなかった。僕が活字に飢えていることは確かだ。日本語で持っている本は加藤周一「日本文学史(下)」だけだ。「おひで」は読みやすい。現代を江戸時代を借りて表現する。その手法は山本周五郎に似る。北原は直木賞をとった作家とカバーにか書いてある。山本は直木賞、いや一切の賞を拒否した。しかし、何故直木賞が大衆文学で、芥川賞が純文学と色分けするのだろうが、文学を純文学と大衆文学に分け上下関係に置くのは間違いである。

携帯電話(Zain社)が通じなくなった。かけもできなければ受けることもできない。SMSはかろうじて出せる。原因は、携帯電話契約をしていないことと分かった。SIMは何処でも手に入る。SIMを買ったときに契約の必要がない。無秩序だと思ったが、SIMを買ってからできるだけ速やかに契約をしろということらしい。Appel interdit(通話禁止)と画面に出てきて、誰にも電話できなくなって初めて気付いた。

Le 3 janvier 2010, dimanche
ルブンバシは赤とんぼが飛び、鈴虫が鳴く季節である。日本の初秋のようだが、カタンガ州の雨季ということである。去年の師走から始まった今年の雨季は例年になく雨が多いという。今日は晴れ。日差しは流石に強い。しかし、ルブンバシは高原地帯にある。海抜1 500M2だ。こんな高原地帯がカタンガ州には4箇所ある。カタンガ州は日本より少し大きい。

昨日夕方家の候補を3軒回った。ルブンバシに不動産屋の看板を掲げた店はない。しかし仲介をする連中がたくさんいる。一癖も二癖もあるような連中である。どこの国でも不動産屋には気が障る。商売に倫理がなさすぎる。勝手に家賃の高くとれる物件を押し付けてくる。Patrick君のいっていたKipushiの家をみたいのだが、彼と連絡がうまくとれない。

Le 4 janvier 2010, lundi
祭日。独立運動の犠牲者martyrsを記念する日。

北原「おひで」を読み終えた。山本周五郎との違いは、北原の場合、森口慶次郎というある種スーパーマンのヒーローがいること。北原によれば主人公はスーパーマンではないというけれど、北原の理想の男であり、東映でいえば、母の世代が夢中になったいい男、大川橋蔵のような美男、剣術が強く、家柄も悪くなく、人情家で、勘がいい。しかし、問題の解決が超法規的であり、裁判沙汰を好まず、事件をうやむやにしてしまうのは如何であろう。いわゆる腹芸だ。伝説的大岡裁判とは根本的に違う。

昨日に引き続きアパート見にいった。湖の近くでアメリカのNGOやUNの職員が住んでいるところを見た。700ドル/月。ちょっと高いな。場所はいいところだけど、500ドルなら何とかなるかもしれないけれど。700は無理と思う。やはりKipushi に期待してしまうなぁ。明日Patrick君とKipushiに行く。そこでいい物件があれば、ルブンバシから30kmと多少遠いけど車の燃料を勘定しても割りに合う。

ネットが通じた。僕のプロヴァイダである東京のDTIに溜まっていた3 000通もあった迷惑メイルを吐き出した。接続はWifi。ところが、吐き出されたのは去年の年末までの分で、溜まりすぎたメイルのため受信箱がブロックされていて、新規のメイルは全く入っていなかった。これはDTIに連絡、Webメイルとしてサイトにアクセスし、受信箱を本当に全部空にしてしまい、やっと解決した。

Le 5 janvier 2010, mardi
ルブンバシに隣接するKipushi市でPatrick君と家探し。四五軒みて一日が暮れた。疲れた。案内してくれたのは携帯電話会社に勤めるEric君、そしてまたまた図図しい不動産屋。1軒目が一番よかったが既に貸されていた。しかし、家賃を既に未払いで保証金を食いつぶしているということで来月には空くかもしれない。今週の土曜日にもっとはっきりすると。
Zainとの契約を朝提出したが直ぐには回復しない。KipushiでVodacomと契約した。ついでに安い携帯を買った(25ドル)。Vodaphone。こちらにZainのSimを入れて、使い慣れたSamsunにVodacomを入れた。

Le 6 janvier 2010, mercredi
Zainは未だに通じない。致し方ない。SIMを買ったはいいが、携帯会社と契約していない連中が沢山いるからなぁ。

Kyungu氏と話をして、やっと明日入国管理局に明日朝行くことになった。

日本大使館に在留届をネットで今日出すことにする。アルジェリアでは在留届をしていない。Cojaal(2007年4月から2009年10月中旬まで僕が働いていたアルジェリアの高速道路建設コンソーシアム)が、または各キャンプが届出をしてくれていたかどうか疑わしい。新年会の招待状も大使館から一度ももらったことがない。70年代の下田大使のときは、ことある毎に大使館に呼んでくれた。スイスでも公邸に招かれた。カナリアの領事館も気をつかってくれていた。アルジェリアは全く音沙汰なし。キャンプに大使館員が時折来ていたようだが会ったこともない。

Le 7 janvier 2010, jeudi
入国管理局で居住許可申請の説明をきいた。1年も2年も同じ料金だという。2年を申請することにする。申請用紙が35ドル。申請番号取得がやはり35ドル。これはその場で払った。さらに許可が下りたら650ドルいる。引越した場合、引越し先の町村当局へは届出だけでいいそうだ。

Kyungu氏の奥さんはKikushi(ルブンバシから南西に30km、ザンビアとの国境)出身だそうだ。そこで、昨日家を探して欲しいと頼んだところ、早速今朝いい物件があると連絡があった。14時発で車をとばすことにする。
ところが行ってみると、既に一昨日見てしまった物件だった。しかも酷く荒れていて手入れをするのに時間も金もかかろうというところで、無駄骨を折らされた結果になった。

それどころか、Kipushi市の入り口の検問で、今度は「駐車許可証がない、罰金50 000フランを払え」と署に連れて行かれて調書に署名を迫られた。間一髪、僕が「そんな許可証の存在を知らなかった、それがないと路上を走れないなら、通関業者に請求するから領収書を出してくれ、その前に今通関業者の責任者に電話するのでちょっと待て」と、例のマフィア的親分Ben Tchimengaに連絡した。幸い一昨日通じなかったVodacomの携帯が通じた。Benが「何も払うな、署名もするな、俺が処理する」といい、結局警察の責任者と彼が直接話をつけた。Kyungu氏はKipushiの司令官に電話したというが、効果はBenの方がdirectで絶大だった。Benの押しの強さに警察の責任者は怒っていたが、何もなかったことにしようというのだから、嫌なBenだけれどこれからも付き合っておいた方がいいのだろうか。ちょいと無念だね。本を糾せば、この男のいい加減さで、書類が不備だったのに、その男に助けられたのだからなぁ。

今村昌平「楢山節考」を僕のPCの中にみつけて、夜、全篇をみた。以前見た筈だが、そのときは木下恵介と比較して面白くないと書いたと思う。今村の作品らしくはあり、今村リアリスムは確かにあった。でも木下に比べて哀歓が足りないのではないか。

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