31 mars 2010

3月20日~3月31日まで du 20 mars au 31 mars 10

Le 20 mars 2010, samedi
6時に起床。お湯を浴びてから、洗濯。昨日の疲れは癒えた。

ルブンバシでモイーズが建設した小さなGecamines地区にある競技場を見た。バスケット・ボールのコートが3面とレストランがある。よく整備されている。夜間照明とスタンド(見物席)があり、ボクシングのリングもあった。

国鉄のルブンバシ本社の中にテニスコートがある。3面。メンバーになるとプレーができる。Feeは40ドル/月。年間だと420ドル。現在のメンバー数は27名。中国人を含め東洋人はいない。しかし何処でラケットやボールを売っているのだろう。
その裏に柔道場があるそうだ。今日は休みで見学できなかった。

シスター・アスンタさんのところで久しぶりにコーヒーをいただいた。これまで、コーヒー豆を挽く器械(コーヒー・ミル)が壊れてしまったけれど、街中でこのミルがみつからなかった。やっとQuinMartに入荷したものを買い求めたのだ。そこで久しぶりの本物のコーヒーとなった。フランシスコ会がもっている農園でとれた豆を乾燥させ、炒って轢くのである。このコーヒーは世界一美味しい。是非いつか日本の業者にもコンゴの豆を買って欲しい。

Le 21 mars 2010, dimanche
このブログは『アフリカの星』。姉妹ブログ『日本カタンガ協会』も併せてご訪問切にお願いします。そして両方のブログのメンバーになってください。更新があるごとにメイルでお知らせがいきます。
http://associationkatanga-japon.blogspot.com/

蚊帳の修理をした。マドンナが僕の部屋に入れた頃、ずたずたにしてくれた蚊帳の修理である。
そして車の掃除。疲れてしまった。

僕の部屋と風呂場に鏡をつけた。鏡はザンビアに出る前に買っておいた。ドリルはアスンタさんに借りた。一応真直ぐに掛けられたようだ。台所で歯磨きをするのを止め、バス・ルームでするようにしよう。またひとつノーマルな生活ができる。

Le 22 mars 2010, lundi
風呂場の鏡に付くはずの棚は付けられないだろう。店で飾ってある鏡と比べると金具が足りない。マドンナが悪戯して鏡が入れてあった箱をずたずたにして中から金具が外に出ていたから。納品されたときに不足だったのかどうか分からない。もし、マドンナが金具を食べてしまっていたらどうしよう。レントゲンでみてもらうか。昨日今日と下痢気味なのはその所為か。まさか。

浄水器を買った。18リットル用。50ドル。ミネラル・ウォータで米をといだり、パスタを茹でるのはもったいない。浄水器にPradeep water filterと書いてある。ネットで調べてみると、Pradeepはインドのマドラス工科大学の教授で、ナノテクノロジーの権威だそうだ。インドも水が汚そうだから、画期的な技術開発をしたと評価が高い。僕が買ったフィルタが本当にPradeep教授の開発したものかどうか。確かに箱にはそう書いてあるが。一種のセラミック・フィルターと思われる。しかし、一定時間使用後フィルタを交換しなければならないとは何処にも書いていない。フィルタを掃除するブラシが付属品として箱に入っていただけである。怪しいなぁ。しかし、ともかく試してみよう。

SNCC(国鉄)を訪問。朝行ったときは、営業部のオノココ人物が偉そうに午後で直して来いと追い返された。午後、たまたま彼の上司Fabien Mutomb氏と廊下ですれ違い、アラン君が既知であったところから、彼が話を聞いてくれた。
駄目だ駄目だと思っていたSNCCも一所懸命浮上しようと足掻いているようだ。先代から国鉄総裁にコンゴ人ではなくベルギー人を採用している。
非公式にFabienさんは時間を作ってくれたが、更に詳しい資料などの情報提供は正式に本社に手紙を書いてくれというので、そうすることにした。
なお、Fabienさんはモブツに反抗したほぼ唯一の政治家チセケディの政党の幹部だそうだ。カタンガ州知事モイーズ批判もちらりとしていたのだから大したものだ。
夜、手紙を書いたので明日一応総裁秘書官に手渡すこととする。

Le 23 mars 2010, mardi
今日から4日間キンシャサの日本大使館の方が出張でルブンバシに来る。おそらく大使館としては久方の当地訪問である。「日本カタンガ協会」としては、お金がないので接待などできないが、労働力提供、サーヴィス提供で歓迎しなければならない。カタンガにいい印象を持っていただきたい。

空港で靴磨き。200FC。この少年は去年の6月にもいた。身体の不自由な子。でも性格は明るい。チップを入れて300FCとした。30円。生活は苦しいな。
車も洗った。3000FC。これも子供たちの仕事。大人は何をしているのだ。

ホテル・ルブンバシにチェック・イン。シングルで119ドルの部屋を予約し且つホテル側のサインをとりつけていたのに149ドルの部屋しかないという。このホテルは新しくて、僕も去年の6月に泊まっているが、従業員の訓練が悪く、とてもサーヴィス業とは思えない。ホテルのホールに喫茶コーナーができたり、美容室が設けられたりと工夫をし始めて入るが、まだまだ100ドルを越す料金をとるホテルらしくない。

初めのアポイントは大学でルバラ教授。話は既に前にあったことの繰り返しで新しいことはなかった。昨日から休暇に入っているというのに大学に出てきてくれたのはありがたい。また、東京理科大学の先生と、僕の恩師に招待状を予定通り用意してくれていた。

15時半、Auguy(コンサルタント、Augustin Mwamba)さんとホテルで会談。具体的に鉱山開発、採掘のプロセスを説明してもらった。予想通り実務的で、「使える」相手だと思う。とくにソフト「Mapinfo」でカタンガだけでなくコンゴ全体の開発権、採掘権の詳細情報が得られることが分かった。調べてみると「Mapinfo」はネットでdownload(有料)できそうだが、問題はデータ。鉱業登記所(cadastre minier, 通称CAMI)で販売しているとの事だが、ルブンバシ登記所では不可、キンシャサで入手可能。しかし、料金は不明確。データは4半期ごとに更新されるというが、最新データがそう簡単に入力されているとは思えない。それでも、なんとか大使館または当地に来るという高山関係者には最低限必要なデータとして持っていてもらいたい。いや、日本企業は多分データを既に入手しているかもしれない。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Syst%C3%A8me_d%27information_g%C3%A9ographique#Les_donn.C3.A9es

Auguyさんの紹介で中国企業Kuntai上海のYoyoさんと面談。コンゴで鉱山 探索調査をしている。「ともかく予想外の金がかかる」、裏はやはりcorruptionであろう。とても協力的であった。
BYDがマンガン鉱のために近くコンゴ(RDC)に来ると。BYDは電池、自動車バッテリーなどの世界最大の中国メーカ。
Yoyoさんは、山崎豊子『大地の子』と同じ境遇の親の子なので日本人の血が流れていると語っていた。パリ留学組。

20時帰宅。

Le 24 mars 2010, mercredi
カタンガCAMIの責任者Kitingwa氏に面談。事務所はビール工場BraSmba向い。PCなし。勿論Mapinfoのテータもなし。美辞麗句ばかりで実態がここにはない。
鉱山法で規定された鉱区割当てた仕事だが、既にカタンガの殆どは割当て済だから仕事がないとみた。
リサーチ割当ては貴金属が4年、銅、コバルト、マンガン、鉄などは5年で切れる。更新は当初割当ての50%のみ可能。割り当て契約更新をしない場合、また更新できない地区50%はキンシャサの鉱山賞が取上げる。従って去年あたりから新規割当て地区が増加している。日本がリサーチ(recherche、exploration)から入る余地は十分にある。

La Briocheで軽食。

SodimicoサイトであるMusoshi見学。日本企業が1983年に引き上げてからその後の進展なし。カナダもポーランドもお手上げ。竪穴を掘り、それを中心として横穴を掘っていく方式。日立製作所の巻き上げ機などが健在のようだが、28年使われていない。ここ8年間採掘もしていない。竪穴470mのうち120mまで水が出て水中に没している。排水から仕事を再開しなければならない。生産がないのに従業員がいっぱいいる。他の場所での採掘があるにしても、借金で会社が運営されているに違いない。しかし、どうも鉱山資産を担保に借金をしている国営企業しかRDCにはないのではないか。Gecaminesしかり、国鉄(SNC)しかり、EMKしかり。
Sodimicoのトップは日本が運営していた時代に直接この会社にかかわっていなかったが、その下、Songasonga氏以降、日本時代を知っている従業員たちは「日本がまた来てくれる以外Socdimicoが再生する道はない」といって憚らない。その通りだろう。しかし、思い出や感傷で日本が再度この会社の運営に携わるとは思えない。

Sodimicoに向かう途中、Kasumbalesaの有料道路でスピード違反でつかまった。しかし、制限速度の表示はあっても速度制限が切れる場所の表示が一切ない。村や部落の前に制限速度40kmの表示があるところでは、全て徐行、40kmという理不尽な速度に落としていた。ある部落を過ぎたところで、速度を上げた途端に捕まった。携帯電話が通じない場所である。あとでクンダ大佐に連絡したところ、「何故連絡してこない、払う必要などない」と云ったけれど、連絡のしようがなかったのである。大使館の方に100ドル払っていただいた。無念。もうしわけない。次回こんなことがあった場合は、携帯の通じるところまで警官を乗せてでも大佐に連絡することにしよう。協会会長も同行していたが、クンダ大佐に連絡するのも彼は躊躇する。押しのない男。

20時半帰宅。

Le 25 mars 2010, jeudi
Tenke訪問。空振り。ManagersはFungurumeに行っていて不在。週末のみルブンバシに帰ってくるようだ。

GecaminesのSecrétaire Generalと面談。文句の多い奴。なかなか会えなかったところをAlain君が秘書たちに手を回して努力。

カタンガ州鉱山省大臣Juvenal Kitungwa氏。外交辞令に終始。小便臭い廊下。大臣だとて気がつかないのか。背広は一流でも中身はゼロ。取巻きも胡散臭い。

コンゴ生まれのインド人、元事業家、石鹸製造業のPrahalad氏。年寄りによくあるタイプ。正論には違いないが、現実には何もしない。手を打たない。漫談をきいているようなもの。

国鉄(SNCC)の技術部次長Malandala氏。世銀と政府予算で来年から鉄道整備が出来るという。聞いていると全てpositiveだが、裏づけがない。本音と現実はどうなのだ。今作ろうとしている州の5ヵ年計画との整合性は如何。

夜、大使館のご招待でイタリア料理。シスター・アスンタさんと僕だけ。あと3方日本人がカタンガにいる。一人は帰国中、一人は男性でメキシコ出張中。いま一人の不都合は聞き逃した。僕はニョッキ、コルドン・ブルー、ティラミズ。美味しかった。ありがとうございました。

22時帰宅。夜道は怖い。物騒ということではなく、道が悪く凸凹がよく見えないからである。この道をODAで直してくれたらなぁ。Kipushiには鉱山もあるし、国境もある。でも舗装されたら有料道路になってしまうのだろうか。

Le 26 mars 2010, vendredi
9時。マンガン鉱の国営企業EMK社長Tshawila Kahilu Koji氏。アンゴラがコンゴ国境まで鉄道を回復させるのは2012年。RDC側は既に国境Diloloまで国鉄が行っているという。これは実態調査をしてみなければなんとも云えない。マンガンに付加価値をつけて電池の材料工場を建設して輸出を始めたいというが、既に2010年、今から工場を建設して完成した頃にはアンゴラ鉄道がLobitoまで復旧していることになるではないか。マンガン鉱の在庫が40万トンあるというが、売れていないのだから、一体どうして会社が成り立っているのだろう。借金か。そんなに魅力のある会社ならもうパートナーなり身売りが出来ていて当然。そうならないのは何故か。30年間殆ど輸出できていない。アンゴラ側の実地調査はしたのか。

カタンガ州インフラ省参事官。外交辞令。時間がなくそうそうに会談を切り上げた。

日本大使館の企業投資調査担当F氏、セキュリティー担当K氏はMonuc(国連)の飛行機でキンシャサに帰られた。近くまた再来ルブンバシされることを切に願う。

大使館のF氏に空港の駐車料金(2回で20ドル)、車の燃料(80ドル)をご負担いただいた。さらに23日昼、25日昼とご馳走になったが、それが全て個人負担であることが最終日にわかった。出張費はホテル代の一部にしかならないという。天下の外務省職員が身銭をきってしか出張できないとは。Fさん、すみませんでした。これに懲りずまた是非いらっしてください。

携帯の充電ができなくなった。充電器の問題ではなく、本体の接続部の不具合らしい。汎用充電器2500FC(250円)を購入。しかし、これだと携帯電池をいちいち携帯から外さなければならない。面倒。しかし、それ以外方法がない。ところが、家に帰ってから携帯からPCへのUSBデータ伝送を試みると、伝送が出来た。接続部に問題がない。且つ携帯電池の充電もPCからやっているようだ。これは助かる。

Le 27 mars 2010, samedi
僕の計算では、先月ネットが1週間繋がらなかったので今月28日、即ち明日までネットが通じても不思議はなかった。事実、3月22日でネットが切断されず、無事今朝までネットで通信ができた。そこで今朝次の30日分をKipushiのVodashopで支払った。それからだ、またネットが先月同様通じなくなってしまった。

今日は昼間も勢い良く水が出た。奇蹟のようだ。15時から1時間日光浴をした。12月22日にコンゴに入ってから始めての日光浴である。サンデッキをやっと使えた。これでなくっちゃ、コンゴじゃない。これまでは出来なかったのは雨の所為ばかりではない。マドンナは庭に出られてご機嫌。
16時、バスタブに半分湯を溜めても湯が切れなかった。泡立ち石鹸を使った。こんな日が続くといいなぁ。そうしたら、シャワーを修理しようという気になる。
洗濯を2回した。乾きもいい。

Le 28 mars 2010, dimanche
今朝もネットが通じない。日曜日なのでクレームのしようもない。

昼間も昨日に続いて勢いのいい水が水道から迸る。全日サーヴィスになったのかな。気紛れなのかまだ不明。

Le 29 mars 2010, lundi
ネットは、朝Vodashop KipushiのOliviaさんにクレームし、夕方帰宅後再びクレーム。その結果、やっと17時になって回復。先月に続いて支払いごとにネット接続ができなくなるのはシステムの欠陥。次は来月末の支払いだが、前払いをやめて本当にネットが通じなくなるまで待って支払いをするようにしてみよう。

アラン君に名刺を用意した。「日本カタンガ協会」の会計主任trésorier généralなんだから名刺ぐらい持っていないといけない。僕の名刺ソフトで作った。

ACIDH(Action Contre l’Impunité pour les Droits Humains)訪問。Rwashi Miningの公害問題をとりあげている記事を読んだことからコンタクトをしてみたいと思った。このNGOの名称は、当初の活動、「人権侵害犯罪に対する免罪に反対する行動」からきている。弁護士等法律に親しんだ人々が中心。会の代表Prince Kumwambaさんたちと話した。
「この国で正義を主張するのはむずかしい。当初、戦争犯罪等について国際刑事裁判所(ハーグ、オランダ)提訴する道をRDC(コンゴ民主共和国)で拓いた。どこの政党にも属していないし、政治的活動ではなく正義をRDCにもたらすためである。しかし、これまで逮捕・監禁を含めて様々の圧力を受けてきている。2006年から公害問題も積極的に取り組んでいる。公害に対する市民の意識は低く、また当局も無視している。州や市当局というよりも現場を知らないキンシャサ中央政府当局の無視が目にあまる。州か工場閉鎖を決めても中央政府が工場継続を決めてしまう。ルブンバシ郊外にあるSomica社が一例である。またインド系Chemaf社も同様。米系Tenke-Fungrume社(Freeport-McMoRa Copper & Gold Inc, USA傘下)は例外中の例外で米国企業は海外子会社でも本国の公害法に縛られるので、公害対策部を置いて公害対策をしている。2003年に制定された鉱山法に公害規定があり、企業は当局にレポートを提出する義務を負っているが、今まで第三者が調査したレポートを出したのはオーストラリア・カナダ系Anvil Miningだけである。中国系企業は全くレポートを無視している。企業が開発採掘しているのではなく、労働者個人が露天掘りをしているサイト(exploitation artisanale)がいくつもあり、国はそうした採掘を認めてしまったが、そこには公害対策が全然ない。
ACIDHの資金源は、企業からの献金を一切断り、海外の基金、たとえばオランダ政府やフォード基金等から援助を受けている。Amnesty International FanceやUKの支援も頂いている」。
なかなかしっかりしたNGOである。具体的案件があれば「日本カタンガ協会」としても応援したい。

Le 30 mars 2010, mardi
市の秘書官Muya氏に、「5ヵ年計画」の入手と姉妹都市担当参事官とのアポイントを頼んだ。木曜日午前にそれぞれの担当に会うことになった。

マドンナに狂犬病の予防注射をした。ジステンパ予防注射をしたと同じ病院。Ilunga博士。朝食を与えないで病院にいったので、車の中で吐かなかった。悪路の車の揺れはマドンナには辛かったろう。これで来年まで予防注射はない。Rottweillerは強い犬だけれども、狂犬病の予防注射が20ド、。これを受けない、受けることができない犬がコンゴには多いと考えられるから、マドンナ保護のためには、やっと安心である。

Le 31 mars 2010, mercredi
ルブンバシに出ず、家でブログ更新等の仕事をすることにする。

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