28 avril 2010

4月26日~4月27日 du 26 avril et 27 avril 10

Le 26 avril 2010, lundi
うす曇。霧雨が降っているではないか。肌寒い。午後4時頃、日がさしてきた。

朝11時から停電。珍しい。19時回復。でも、これは長い停電だ。冷蔵庫のアイスクリームが半ば溶けていた。残り少なかったので全部食べてしまった。

Le 27 avril 2010, mardi
HP「日本カタンガ協会」を久しぶりに更新した。actualな情報提供はブログ「日本カタンガ協会」でしているので、HP更新は頻繁には行わない。「活動方針」ページを追加したのである。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~davidyt/katanga/activites.htm
ちょっと慌てているのでデザインの統一性が他のページととれていない。それは追って修正するつもり。

今日も結構寒い。もっともランニングとショートパンツでいるから余計に肌寒く感じるのだろう。

建具やmenuisierのセバスチャンがやってきて、洋箪笥の中に棚を追加、本棚の脚の修理、僕の部屋の窓に網戸を設置した。

サレジア会ドン・ボスコで車の燃料を補給することにしているが、そこで仔猫ちゃんをみつけた。少年が箱に入れて持ってきたのである。雄と雌。こんどは雄だけを選んだ。雌はチカのイメージが強すぎて遠慮した。ペルシャかアンゴラが欲しかったが、サレジア会に住んでいたころ(今年1月)、親猫を知っているから、雑種としても可愛いいので手をうった。
仔猫の名前はチコである。Chico、スペイン語で少年という意味だ。初代チコはサハラ砂漠のキツネだった。アルジェリアのオアシス、エル・ウェドで買った。全くの野生でちっとも慣れなかった。カルメンが手提げバッグに入れてマヨルカの家に持っていった。しかし、そこで、ロッキー(ボクサー犬)に追われてプールに飛び込み溺れてしまったという。可哀想な運命だった。
一ヶ月のチカをもらって、スイスはルガノの家に初めて連れてきたとき、彼女はかくれんぼをした。どこに隠れたのか全く分からなかった。当時4階のアパルトマンに住んでいたが、ベランダから飛び降りたのかと思って、外も探し回った。結局ベッドの下の抽斗にもぐりこんでいただけだった。こんどのチコも慣れない家で、やはりかくれんぼしている。台所に行ったり、自分の居場所を探している。今は、僕の部屋の洋箪笥の裏にいる。
街でトイレの砂を探したがない。箱トイレも売っていない。ここでは、ダンボール箱に本物の砂を入れておくのだそうである。スイスや日本のネコちゃんとは待遇が大分違う。ヨーロッパ人の家で飼われているネコ以外、ここでは野良同然だ。

ルブンバシ市から仙台市と姉妹都市関係を結びたいとラブ・レターが「日本カタンガ協会」あてにきた。並木の多い緑のルブンバシと「杜の都」仙台とがもし結ばれれば本当に嬉しい。さて、これからどのようにしてこの恋の物語を進めていったらいいだろう。仙台はアフリカの都市とまだ姉妹都市になったことがない。父でもいきていれば、今の仙台の都市計画に学者として参加していたのだから、なんとかコネもあるだろうが、今は雲をつかむような半紙である。仙台市の国際協力センターに3週間前にメイルをだしているが、ナシの礫である。

昼過ぎ、Biac銀行のATMで200ドル引き出した。「日本カタンガ協会」担当の行員がたまたま傍をとおりかかり、「日本から入金があったよ」とひとこと。送金のメイルを誰からも受け取っていなかったので、一体誰からと気になった。
帰宅後メイル・ボックスに以前カタンガ州ムソシ町(Sodimiza現Sodimicoの鉱山がある)にいらっしたM氏から連絡があった。コンゴのことを懐かしんでくださっている。感激である。キンシャサに駐在していた僕の友人である商社マンはコンゴにいい印象を抱いていなかった。カタンガはやはり違う。しかし、日本からの送金が極めて難しいことが判った。僕の書いたホームページの送金方法も不親切すぎる。早速明朝訂正しよう。しかし手数料が高い。とてつもなく高い。スイスの僕の口座から送金の場合、電話で担当者に依頼するだけでいい。手数料は日本よりずっと安い。なにかもっとよい日本からの送金方法を考えなければいけない。元バンカーUさんにきいてみよう。

水の出がいい。水のあるときはともかく風呂にはいる。僕は風呂がそんなに好きではない。シャワーで十分。でもここではシャワーができるほど水圧があること自体が珍しい。ま、1000Lのタンクを用意するまでは現状せっせと風呂に入るか。

実は今日も停電があった。また何か直しているらしい。帰宅後19時、昨日と同様に回復。

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