15 mai 2010

5月12日 le mercredi 12 mai 2010 日焼け他 bronzage

Le 12 mai 2010, mercedi
快晴。

僕が大学卒業後初めて就職した会社(本社神戸)の同期生にして友人O君がメイル・アドレスを変更したので、僕の旧アドレス…@saturn.dti.ne.jpにお知らせメイルが入った。お陰でまたメイルのやりとりが出来るようになった。彼はコント(笑話)と近況を配信している。元気でなによりだ。

教育里親制度スキームの詳細をつめなければならない。『日本カタンガ協会』の事業ページにこの制度を追加した。支援を受けたい子どもたちはいくらでもいる。しかし教育里親との契約書、また会計を「日本カタンガ協会」の会費、寄付とは別にしなければならない。その公開報告も別途にしなければ混同してしまう。先ず一人、二人を例として学校を決める必要がある。サレジア会の運営するイマラ校Imaraやフランシスコ会の全寮制ルイシャ校Lwishaは一流。学費、入学手続きを調べよう。イマラ校はアラン君の出身校だ。僕が教育里親になる子にはイマラ校に行かせたいなぁ。でもそれは自宅との距離も関係する。ちょっとエリート意識の高いところだから嫌がるかもしれない。

僕は日焼けが好きだ。コンゴに今回来る前、車のことでドバイに11月4日から12日、タンザニアのDar es Salaamにはなんと12月17日まで一ヶ月以上とどまったが、ドバイのホテルの屋上には小さなプールがあり、Darのホテルは海岸のリゾートだったから毎日のように日焼けしていた。それが、Lubumbashiについてから、雨季の所為もあるがsun bathingが出来なかった。キプシの家に来て初めて日光浴を再スタートできたが、ドバイ、ダルでの日焼けを取り戻すには相当日数が必要だった。アフリカだからといって、ほっておいて日焼けするわけではない。最近は日本に限らず日焼けを避ける傾向にある。いわく、紫外線は発ガン、皮膚癌になる云々。そうかもしれない。しかし、個人差が大きいと思う。太陽が好きな僕はスイスにいるときも毎年春から初秋まで週末はラゴ・マジョーレの湖畔で肌を焼いていたし、カナリア島に3年いたが、そのときもweekendは海岸だった。日光浴しながら本を読む。それが僕の楽しみだ。太陽光線が危険だというのは化粧品会社の宣伝だと思っている。
日焼けしたいという僕の願望は、しかし、深層心理として、小さいときに海にいけなかった反動ではないか。仙台では、野蒜海岸が有名だったが、家では連れて行ってもらえなかった。小学校の夏休みは上京して母方の親戚のところに行くのが毎年だった。上京しても湘南海岸に行くことはなかった。僕の当時の性格としては、親に何かをせがむことは常に憚られた。「腹が減った」などとは云った試しがない。武士は食わねど高楊枝。武家の出身では決してないが、そういう環境だった。

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