19 mai 2010

5月17日 le lundi 16 mai 2010 ロラン・デズィレ・カビラ Laurent Désiré Kabila

Le 17 mai 2010, lundi
快晴。風あり。

今日は現大統領JosephKabilaの父親、前大統領Laurent Désiré Kabilaが首都キンシャサに入城した日として旗日である。モブツ独裁時代の終焉である。Laurent Désiré Kabilaは、政治家、革命家というより商売人と云われたことがある(チェ・ゲバラはコンゴで革命運動に参加したことがあるが、LDカビラを称して「反逆者というよりは密輸業者だ」と云ったという)。けれども、今振返ると、なかなか厳しい政策、公平な政策でモブツと対照的であったようである。「あのときコンゴに光が射した」という国民も少なくない。2001年1月に暗殺されて、元の木阿弥というわけである。
LD Kabilaはカタンガ州出身である。生まれは1939年。モブツに反抗すること30有余年。しかし、モブツを追い出すのに隣国ルワンダ、ウガンダ、アンゴラ、ジンバブウェ等の力を借りた。政権奪取後、これら外国の影響を払拭するのに懸命だった。LD Kabilaの暗殺の背景に誰がいたのか不明である。
はっきりしているのは、LD Kabilaの跡を継いだのが、その息子Joseph Kabilaであることだ。大統領職を継いだが、家長ではないらしい。Josephが確かにLDの息子であるのかどうか、それまた不明な要素である。ともかくJosephは2006年の大統領選挙で選出されて国内外での禊は済んだ。
それにしても、この国の独立は、僕にいわせれば、未だない。Josephの裏にいるのはIMFと世銀と考える。何故なら、国の財政を真に握っているのは、これら国際機関だから。コンゴ中央銀行は発券銀行に違いないが、500フラン(50円)以上の札を印刷できない。米ドルが流通通貨である。株式市場もない。
息子Joseph Kabilaと2006年に大統領選挙を争い、落選してJosephの副大統領におさまり、今はハーグ国際刑事裁判所で審理中のベンバは、非人道的戦争犯罪者として有罪判決を受けるかも知れないが、Josephの父Laurent Désiréも五十歩百歩である。
LD Kabilaの歴史的評価にはまだまだ時間がかかろう。

一昨日、ベッドから落ちた。初めてのことである。狭いベッドにチコが潜り込んできて、寝返りをうつのに、潰してはいけないとチコを避けて失敗したのである。怪我はない。

Twitterを始めた。どうもまだどう利用したらいいか検討がつかない。僕のブログに誘導するようなメッセージを発信したとして、それからどうなるのだろう。鳩山首相がTwitterに登録しているのは確認したが、では彼にメッセージが出せるのか。

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