23 mai 2010

5月21日 le vendredi 21 mai 2010 ウラン鉱山シンコロブウェ他 mine d'uranium Shinkolobwe, etc

Le 21 mai 2010, vendredi
快晴。風やや強し。

昨日買い求めたジャージを洗濯。買ったばかりのものを洗濯したのは、店で埃をかぶっていたからである。一体ここの店、専門店に限らずスーパーでも、商品に埃がたかっていても気にしない。鷹揚というよりは怠惰である。もっともそれはコンゴだけではない。セネガルでもタンザニア、アルジェリアでも同じことだ。

昨日ADRAに行っている。一昨日「Reach Italia」の項で書いたアドヴェンチスト教会の慈善団体である。Adventist Development & Relief Agency。手広く活動している。学校運営、食料・医療援助、教育養子縁組、井戸掘り等々。資金はアメリカから豊富に送られてくるようだ。彼らの詳しい資料を来週火曜日にもらうことにしたが、「Adra日本」以外のパートナーを仕事をするには不適切かもしれない。

「雲は天才である」という言葉を思い出して、チコをみながら「仔猫は天才である」と思った。そこで、石川啄木の「雲は天才である」を青空文庫(ネットで無料で読める図書館、基本的に著作権の切れた作品)で読んだ。前半の方が面白い。漱石の『坊ちゃん』のような仕立てで代用教員が「校歌」を作った話。後半は、父親が他界し乞食をして故郷にいる母の元に返る青年の話で、展開が前半ほどなく、涙なみだで、表現が直截的過ぎてよい出来とはいいがたい。ついでに『我等の一團と彼』という小説も読んだ。旧仮名遣いは苦労にならないが、要は啄木が新聞記者の時代の話だ。別の云い方をすればサラリーマンの呟きだ。僕の好きな小説ではない。私小説というジャンルはどうもいただけない。
加藤周一は啄木が長く生きていたら無政府主義者に近づいたかもしれないと云うが、『A letter from prison』(大逆事件で殺された幸徳秋水の獄中で書いた「陳弁書」に啄木が感想を書き加えたもの)を書いたからといって彼が、もう一人の大杉栄となっていたとは考えすぎだと思う。

Global Witnessの『Ruée et ruine』という2004年9月のレポートを読んだ。意訳すると『廃墟に殺到する者たち』。副題として『コンゴ民主共和国カタンガ州南部の鉱物資源を荒廃させる貿易』(Le commerce dévastateur des ressources minières dans le Sud du Katanga en République démocratique du Congo)とある。
Global Witnessはワシントンに本部があるNGOである。2003年のノーベル平和賞を受けている。受賞対象ワークは『ダイアモンド戦争』(アンゴラ、シェラレオーネそしてコンゴから産出されたダイアモンドが如何にこれらの国の内戦の戦費になっているのかをレポートしたもの)である。レポートは一回出されたきりではない。よくフォローされている。
http://www.globalwitness.org/index.php
『廃墟に殺到する者たち』の廃墟とは閉山した鉱山である。しかし、閉山と云っても鉱物資源が枯れたわけではない。手掘りの採掘exploitation artisanaleは続いている。このことは児童労働の項で書いた(5月13日)。レポートの格調は極めて高い。援助国、世銀、IMFおよびコンゴ(RDC)政府に対してリコメンデイションを発信している。当然のことながら日本政府もきく耳を持たねばならない。このレポートに特に日本にとって無関心でいてはならないことがレポートされている。それはシンコロブウェShinkolobwe鉱山である。この鉱山で採掘されたウランが広島・長崎の原爆製造に使用されたことは余りにも有名である。Shinkolobwe鉱山は1960年に閉鎖された。しかしながら、それは建前である。いかなる鉱山会社もその後採掘事業をShinkolobweで行っていない。けれども2004年7月、二つの竪坑が落盤事故を起こしている。誰もいないのに? 冗談ではない。7 000から13 000人の手掘り労働者が毎日ひしめいていたのである。その中には7歳の子どもたちもいた。少なくとも9名の犠牲者が出たというが詳しいことは明らかにされていない。その後、鉱山に入る監視が厳しくなったという。それも建前である。確かに軍隊や警察が監視しているだろう。しかし、その監視員に多少、たとえば10ドルも握らせれば、簡単に入山できることは間違いない。
Shinkolobwe鉱山で1939年、従ってコンゴがベルギーの植民地だった当時、鉱山の持ち主であったUnion Minière社(現Gecamines社)から12 000トンのウランがUSAに売却された。その頃、採掘した労働者、また閉山後営々と手彫りで、違法とはいえ労働していた人々が、放射能で汚染されたことも事実だが、ベルギーもコンゴも口を閉ざしている。広島・長崎の原爆は単なる新型爆弾、恐ろしい破壊力をもった爆弾ではなかった。被爆者、その子、その孫までが放射能radioactivitéの犠牲者である。日本は原爆の最初の犠牲者である。多くの苦く深刻な経験を持っている。その日本がコンゴの犠牲者に経験を生かすことができないのか。被爆者の発見、治療に手を貸せないのか。60年以上前のことはベルギーの責任、不法採掘は自己責任またはコンゴの責任だから知らない、さらにコンゴ(RDC)政府から要請がないから知らない、と決め込んでいていいのか。

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