02 décembre 2010

11月23日 le 23 novembre 2010 ルサカへ(4) vers Lusaka (4)

Le 23 novembre 2010, mardi
晴れたり曇ったり。勤労感謝の日。

いよいよ熱が収まらないので、大使館の医務官に見てもらうことにした。ブースのお手伝いを休日にもかかわらずされていた大使館のEさんが親切に段取りしてくれた。感謝。お医者さんは若いひとだった。専門は呼吸器だそうだ。僕が普段いる場所が場所なのでマラリアの検査もしましょうとおっしゃって左手の指から血を採った。マラリアはもっと高熱ときいているのでちょっと痛そうな検査を辞退したかったが、よい機会でもあると思いなおし保険のために受けた。結果は陰性。やはりマラリアではなさそうだ。一週間分のお薬をいただいた。風邪薬PLとビタミンC。実はこの薬が全然効かなかった。逆に、出張者のY氏に戴いたバファリンは解熱剤として効果覿面だった。Y氏に御礼申し上げる。

14時過ぎに総務省山川審議官とボツワナ大使松山氏がホテルに到着。ところが部屋に入れない。ホテル側の準備ができていないからだ。世界的チェーンホテル、5つ星のインタコンチネンタル・ホテルとこれで云えるのか。入れ物だけが5つ星なのだ。部屋が空くのを待ちながら顔合わせ。江川在ザンビア大使も見えられた。
山川審議官は旧郵政省でいえば次官に相当される地位の方だろう。官僚のトップである。総務省は郵政省、自治省、総務庁が合併してできた省。
松山大使は、三井物産出身。外務省の目玉人事の一人。僕がいた丸紅からはブルキナファソ大使が出ている。丸紅や物産には剛毅で行動力があり、決断の早い人が多い。松山氏は商社マンである。 外務省はこうした適材適所の気の利いたをこれからもどしどし推し進めて欲しい。次は金融界野村證券あたりからDRCコンゴ大使はどうだろう。 (画像は松山大使、ネットからひろったが雰囲気が良く出ている)。
江川大使は、僕の世話になった総理府内閣調査室のひとに似ていてどきりとしたが、名刺をいただいてご子息でもないとわかり、なにか安心した。外務省海外安全情報でRDCコンゴがカタンガ州を含めて低く評価されているため、日本の企業がカタンガ州に出張者を出し難い、投資も控えてしまうと訂正して欲しいとお願いした。隣国のことで、彼が直接本省にかけあうこともできないけれども、なにかの機会に北澤DRC大使に話していただけるとありがたい。

24日のプレゼンテイションが揺れている。当初のSADCのプログラムにはプレゼンが書いてあるのに昨日夕方になって、次官会議でプログラム修正を受けプレゼンしないことになったと事務局がいいだしたのだ。会議のプログラムをみていると、昨日も今日もスケジュールが守られていない。臨機応変といえば聞こえがいいが、要は滅茶苦茶なのである。会議場にはいれないから、入り口でうろうろするだけだ。それもおかしい。日本はプレゼンに少なくとも当初招待されているのだから、勿論日本はSADCのメンバーではないとしても、会議の進行を知るべく会議場に入る権利があるはずだ。

夜は、ビーフが美味しいというステーキ・ハウス「ルサカ・クラブ」。500gのTボーン。ペッパー・ソース。確かに美味しい。

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