23 juin 2011

6月22日 ルブンバシ・カサパ刑務所 prison centrale Kasapa de Lubumbashi

Le mercredi 22 juin 2011
快晴。7時、19℃、50%。

ルブンバシ刑務所(正式名は「カサパ中央刑務所(prison centrale de Kasapa)でCに面会した。Cの亡くなった母親の女友達Zさんと一緒。C
は未決囚である。

東京には葛飾区小菅に拘置所がある。裁判で判決が言い渡されるまで未決囚としてここに収容される。刑務所ではない。ルブンバシに拘置所はない。判決がでるまで無罪推定ということもない。検察で起訴が決まると刑務所に身柄が移管される。刑務所がルブンバシ大学の奥の方にあることは知っていたが行ったことがなかった。
面会日と時間が決まっている。週3回、水金日曜日のみ。朝9時から16時まで。「入場料」を取られる。コンゴ人は200フラン。僕は500フラン(50円)だった。

高い塀の中に入る。面会をする場所は、玄関ホールのようなところで、入る前に、ここでも入場料500フランを請求された。。特に面会人と被告や受刑者があう部屋はない。ボデーーチェックが厳しい。ポケットにまで手を突っ込まれたのは生まれて始めてのことだ。武器や麻薬を探しているのではなくて、金を探しているのだ。5000フラン(500円以上持っていると没収されてしまう。、Cを連れて来てもらうのにまた500フラン。征服を着た看守の姿は見えない。囚人が小遣い稼ぎのためにホー
ルでうろうろしている。囚人はサンダルをはいているので、面会人と区別できる。靴を履いてきてよかった。収容されている部屋は、40~50人も入る大部屋から独房まで、金次第で選べるのだそうだ。Cは大部屋。入り口から遠いところにある建物にいるらしく、15分以上待たされた。

やつれた顔でぼろぼろのTシャツとだぶだぶの青いパンツをはいたCが部屋のチーフと称する男ジョンと一緒に現れた。囚人服はない。刑務所の中にあるNPOが古着を支給する。
チーフというと聞こえがいいが、要は牢名主(ろうなぬし)である。牢名主はさらに各棟にもいる。そしてここの刑務所全体の名主もいる。彼らは金で動く。大名主となれば見入りがいい。リンチを受けたくなければ上納金を出せというわけだ。下手に脱獄したり、恩赦があったりして外に出て失業者になるよりも、刑務所内で稼いだ方がどれほど儲かるか。この無秩序な刑務所では、タバコもアルコールも麻薬でさえ手に入る。

新入りのCは「奴隷」にされる。食事もろくに与えられず、刑務所の中にある畑で農作業をし、「先輩」や「牢名主」の命令に従わなければならない。

面会に来た人たちは、トウモロコシの粉や炭、油などを牢名主に差し出して、入所している親兄弟や友人の待遇を改善してもらう。そうしなければ、食事もとれない。面会する囚人に物品を渡しても牢名主に取り上げられてしまう。

Cは小さな声で「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰返す。仏の顔も3度という。今回ばかりは許せなかったから告訴したのだった。結果、ここの警察や検察のいい加減さが良くわかった。全て金次第。しかも金をだしたからといってそれに見合う仕事を警察も検察もしない。裁判所も同様。正義は存在しない。

Cに「イマラ校にいたことも、青年村Cié des jeunesにいたこともないことは確かめた。正直に西カサイ州からの足取りをいえ」と詰問し、2002~2003年にかけてバカンジャ・センターにいたことをつきとめた。

バカンジャとはイジドール・バカンジャIsidore Bakanja(1885-1909)のことだ。トラピスト派に帰依して洗礼を受け、建築現場で働きながら仲間たちにキリストの教えを伝道していたが、これを嫌ったベルギー人の親方に打擲(ちょうちゃく)されたあげく殺されてしまう。ローマ教会から殉教者として福人bienheureuxに列せられた。彼の名を冠したセンターがルブンバシに2ヵ所ある。街中と「青年村」の横である。ストリート・チルドレンや恵まれない子供たちに宿舎を与え基礎教育を施している。運営はトラピストではなく「青年村」やイマラ校と同じサレジア会。

刑務所をでてからバカランジャを訪問。責任者のフィデル神父は生憎不在だったが、修道士パスカルさんがCのことを覚えていた。「大人しいがサッカーがとても上手い少年だった。兄がきて雑貨店を開くといってつれていったままその後を知らない。フランス語をよく勉強していた」。なるほど。事情を話すと、それならマゴメ・ハウスMaison Magomeの方がよかろうということになった。マゴメもサレジア会の施設だが、少年院など犯罪歴のある少年たちを対象に教科や職業の実地訓練をする施設である。さっそくマゴメのセルジュ神父に会いに行った。施設は「青年村」とバカンジャ・センタの中間にある。
セルジュ神父は僕の訪問を喜んでくれて、次の日曜日に一緒にCに会うため刑務所に行ってくれることになった。面接してCの意思を確かめようというのだ。

Cの告訴は最終的に取り下げようと思う。刑務所で何年が過ごしたとしても、更生できるとは思えない。むしろ悪い仲間が増えて、犯罪街道をまっしぐら、また刑務所に戻ってくるのがオチだ。そうした一生を送りたいか、はた、まともな人生を歩みたいか、じっくりCに考えてもらおう。


18時、外出から帰ってきたら停電していた。いつ停電が始まったのかは不明だが、回復したのは20時。

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