17 janvier 2013

1月17日 RDC東部北キヴ州に観光したドイツ人たち RDC: deux otages allemand et autrichien libérés par des soldats de l'ONU

Le jeudi 17 janvier 2013
7時、快晴、24℃、70%

昨日に続いて旗日。初代首相ルムンバがカタンガ州に連行されて殺された日。

『金色夜叉』(尾崎紅葉)を青空文庫で読了。今日117日は貫一お宮が熱海の海岸で別れた日である。Facebookの友人T氏の誕生日。僕の父母の結婚記念日。
『金色夜叉』は通俗小説であるとしてこれまで読まなかった。その影響は高校のときの国語のK先生かもしれない。『金色夜叉』は新聞小説だった。そいうことは新聞の読者を飽きさせないための工夫が凝らしてあるということだ。文章は美文調だが平易である。難しいことはなにも書いていない。声を出して読んでみるとわかるが、講談や落語のテンポである。内容も「新派大悲劇」(誇張)が多く、大いに笑いを誘う。その意味で「古典落語」をきいているようで面白い。小説を新聞連載中に作者が亡くなってしまうので未完成の作品である。しかし、どの場面も先の予測が出来るストーリーであり、意外性は登場人物間の関係だけだが、それもこの作者の手法として一旦理解すれば意外性はない。主人公たちのエゴの吐露である。しかも冗長。この小説は精々貫一が手代になっていた高利貸の家が焼失したあたりで終了するべきで、心中しようとする男女を貫一が助けるなどという場面は既に『夜叉』ではなく全くくだらない茶番劇である。
1954年映画『金色夜叉』
貫一:根岸淳 お宮:山本富士子
これ以降の映画はないがTVドラマには何回もなっている

拉致されたドイツ人とオーストリア人の観光客がRDCコンゴに駐留する国連平和維持軍Monuscoによって救助されたというのである。場所はルチュルRutshuru市(RDCコンゴの北キヴ州)。ウガンダから4駆で入ったようだ。ルワンダにも近い。回りは火山地帯で温泉や滝が多い。戦争がなければ観光地である。拉致したのはM23ではなくて、M23とは政治的には正反対の「ルワンダ開放民主戦線FDLR」である。拉致は15日のことであったが、ドイツ人がMonuscoに電話をいれ、近くにいたMonuscoが開放を交渉して助け出されたという次第。オーストリアの新聞が開放劇を17日になって報道し、同外務省が確認した。
ま、危ないところに観光で出掛けたものである。FDLRM23も端的にいえば、「武装強盗集団」であり、この二人の観光客は現金やクレジット・カード、PC、旅券等を取上げられている。記事では「没収confisquer」となっているが、要は「強奪pillage」である。
ルチュルのあたりはM23が拠点としておりM23に制圧されていると思ったが、FDLRもウロウロしているのだ。さらにマイ・マイも出没しているだろう。

RDC: deux otages allemand et autrichien libérés par des soldats de l'ONU
Slate Afrique avec l'AFP

Un Allemand et un Autrichien, brièvement pris en otages le 5 janvier par des rebelles en République démocratique du Congo, ont été libérés par des "casques bleus" de l'Organisation des Nations unies (ONU), indique le ministère autrichien des Affaires étrangères.

Les deux hommes, des touristes qui étaient auparavant en Ouganda, avaient été interceptés dans la province de Rutshuru à bord de leur véhicule 4x4 par des miliciens armés du Front démocratique pour la libération du Rwanda (FDLR). L'otage allemand a réussi par téléphone portable à alerter les soldats de la force de paix Monusco, stationnés tout près, et ceux-ci ont obtenu des rebelles la libération des deux otages dans le village de Kisheguru. Ils les ont ensuite amenés dans la localité de Beni d'où ils ont pu poursuivre librement leur périple touristique.

Toutefois, les miliciens leur ont confisqué 4.000 dollars en liquide, leurs cartes de crédit, leurs papiers d'identité et leurs consoles portables, ainsi que leur véhicule.

Le ministère autrichien des Affaires étrangères a ainsi confirmé des informations divulguées par le quotidien autrichien Krone Zeitung à paraître jeudi.

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