12 avril 2013

4月12日 南ア:クリス・ハニを偲ぶ Hommage à Chris Hani


Le vendredi 12 avril 2013
8時、晴れ、24℃、55%

カタンガ州知事で2011年世界2位になったサッカー・チーム「TPマゼンベ」のオーナーであるモイーズ・カトンビMoise Katumbiに関するドキュメンタリー映画が完成した。監督はベルギー人ティエリ・ミシェルThierry Michel。ミシェル監督は既にRDCコンゴでいくつかのドキュメンタリー映画をとっている。『ザイールの王様モブツ』(1999年)、『カタンガ・ビジネス』(2009)、『チェベヤ事件、国家の犯罪か』(2012年)等である。何れも話題作であるが、RDCコンゴでの上映は難しい作品ばかりだ。『カタンガ・ビジネス』はベルギーの友人Dさんが持ってきてくれた。この映画の中に既にモイーズが何回も登場してきていた。映画『モイーズ・カトンビ』(2013年)は今月ブラッセルで、9月にはパリで公開になる。モイーズはアフリカ専門誌『Jeune Afrique』で「裏をとっていない情報」や「意図的操作」があると批判した。ミシェルの映画は、モイーズの政敵のように偏見と嫉妬で満ちた映画とは思えないが、モイーズにとって極めて迷惑な映画であろうことは間違いない。なぜなら、良きにつけ悪しきにつけモイーズが話題をさらうのは、嫉妬を引き起こすからである。モイーズの足を引っ張りたい筋はいくらもある。暗殺されてしまう危険だってある。それをミシェル監督も考えないと、たとえ客観的な分析だとしても、モイーズを危険にさらすことになるのである。

外交は難しい。4月第1週フランス大統領オランド氏はモロッコを訪問した。モロッコの国王モハメドVI世は前任のサルコジ大統領と大変仲がよかった。オランドはそれを意識しただけでなく国内の景気回復のための重要なパートナーとしてモロッコを持ち上げた。モロッコがアルジェリアと争っている西サハラ独立については、大幅な自治を西サハラ住民に与えることで独立を言い出さなかった。そしてアルジェリアに国境閉鎖を解いたらどうだと持ちかけたのである。アルジェリアのメディアは驚いた。マグレブの重点をモロッコに置くフランスに反発した。
西サハラ問題は在職中に亡くなったブームディエンヌ大統領の「負の遺産」である。西サハラ独立を主張しているポリサリオを政治的に利用した結果モロッコとの国境を閉鎖したのである。今も空路は別にして陸路の国境は通れない。この遺産をアルジェリアは巧く解決せねばならない。しかし、僕はアルジェリアの大統領がブームディエンヌの盟友だった現ブートフリカから新しい世代に交代しない限り解決が難しいと思う。アルジェリアにとって西サハラ問題は面子の問題で、別にポリサリオに道義的、政治的、経済的に味方せねばならない理由はない。

マラウィの学校を訪ねた
マドンナさん
マドンナ(僕の家のマドンナちゃんではなく歌手のマドンナ)はマラウィの子を二人養子にしている。マラウィはタンザニアの南西、ジンバブウェとモザンビークに挟まれた小さな国である。マドンナは彼女の基金を通じてマラウィに学校を建てている。そのマドンナがマラウィ政府(大統領は女性)を批判した。資金が正当に使われていない。学校運営がなっていない。その所為か出国の際空港でVIP扱いを外された。それに抗議するとマラウィ政府から逆に非難された。マラウィは誇り高いところを示したかったのだろうが、そうさせたのはマドンナ側のマネイジャであるネルソンTrevor Neilson氏ではないのか。僕はそんな気がする。

ジンバブウェ、あの独裁者ムガベ大統領の国ジンバブウェでは地元のNPOがこの2月から禁止された。国際NPOだけが活動を許されている。何故か。理由は地元NPOは政治的野心を助長するからだという。要するに結社の自由を国民から奪ったのである。政党は国際的監視があるから致し方ないが、NPOは政府に批判的で好ましくないということだろう。その影響をもろに蒙ったのが学齢の子供たちである。

英国の元首相マーガレット・サッチャーが8日(月)に亡くなったが、彼女とアフリカの関係はあまりよくない。しかし、1965年の独立以来南ローデシア続いてローデシアとして元宗主国英国をも揺るがせたローデシア問題をジンバブウェとして独立させることで英国の問題から外したのはサッチャーであった(「ランカスター・ハウス合意」)。
南アのアパルトヘイトについては支持容認する立場であったので多くのアフリカ諸国から避難された。南アのズマ大統領は極めて外交的に慇懃に「冥福を祈る」としたが、他の指導者たちはサッチャーの死を無視するか嫌悪感をあらわにした。

クリス・ハニは南アの共産党員であった。白人支配のアパルトヘイトに反対し武力闘争を南ア国内で実践しただけでなく、ジンバブウェ、ザンビア、アンゴラでも武器をとった。一言でいえば、南アのチェ・ゲバラといったところだ。大学でラテン語と英語の学位をとり、アパルトヘイトがない時代であったなら学校の先生として平穏無事な人生を送ったかもしれない。しかし、アパルトヘイトが廃止され、ネルソン・マンデラが釈放された1993410日反共主義者のポーランド人移民(1953年生)の手にかかって暗殺されてしまうのだ。暗殺者の裏には右翼議員がいた。二人とも裁判では死刑宣告がなされたが、95年の死刑廃止法によって死刑を免れ、2013年の今も刑務所の中で存命である。
2013410日(水)クリス・ハニ暗殺20年を記念してズマ大統領が式典に臨んだ。ズマは南アの今日がどれほどクリス・ハニに負うところが大きいかと彼の生涯をかけた運動を称えた。暗殺当時、南アは市街戦が始まるかとさえ思われる空気であった。マンデラは冷静さを訴えて国民的和解へと導いていったのである。
クリス・ハニ氏
共産主義はインタナショナルだった。
Hommage à Chris Hani
le 10 avril 2013, BBC Afrique

Les Sud-africains ont rendu un hommage à Chris Hani, militant de la lutte anti-apartheid et ancien leader du Parti Communiste sud-africain, assassiné il y a 20 ans jour pour jour.
Abattu par un tireur d’extrême-droite, sa mort avait plongé le pays dans une crise, entraînant des émeutes.
Lors d’une cérémonie mercredi à Johannesburg, en présence de la veuve de Chris Hani, Limpho et sa fille Lindiwe, le président sud-africain Jacob Zuma a déclaré que le pays avait une dette envers Chris Hani.
暗殺20年式典のズマ大統領と
クリス・ハニの遺族(夫人と娘)
"Nous devons nous dépêcher de créer le type de société pour laquelle Chris a vécu et est mort”.
Hani avait été assassiné par un immigrant polonais, Janusz Walus, le 10 avril 1993 devant la porte de sa maison dans la banlieue de la ville ouvrière et afrikaner de Boksburg.
Le meurtrier et son commanditaire, le député anglophone du Parti conservateur d’Afrique du Sud, Clive Derby-Lewis, seront condamnés à mort, peine commuée par la suite à la perpétuité.
La mort de Chris Hani avait déclenché des émeutes, et fait planer le spectre d’une guerre civile, poussant Nelson Mandela, qui n'était pas encore président, à appeler au calme.
“Ce soir je m’adresse à chaque Sud-africain, noir et blanc, du plus profond de mon être”, avait déclaré Mandela lors une allocution télévisée.
“Un homme blanc, plein de préjudice et de haine, est venu dans notre pays et a commis un acte si vil que toute notre nation vacille au bord du désastre”

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