08 janvier 2014

12月24日 マンデラの家 house of Mandela

Le mardi 24 décembre 2013
6時、曇り。ヨハネスバーグ。
クリスマス・イヴ

ヨハネスバーグもルブンバシ同様高地である。海抜1750メーター以上ある。ルブンバシよりも500メーター高いところに位置する。僕には涼しいどころか年中寒いところといっていい。以前冬(6月から9月)に出張で来たときは震え上がった覚えがある。今は夏なのだけれども暑くない。

朝方ツアで「ライオン公園」に行こうと宿舎と出たが、運転手のクリスさんに、明日ソウェトに行きたいというと、マンデラ・ハウスもアハルトヘイト。ミュージアムも明日明後日と休館だという。そこで今日急遽ソウェト地区に行き、「ライオン・パーク」は明日に伸ばすことにした。
ソウェト地区に行く前に、ヨハネスバーグの中心にあるカールトン・タワーに上って上から街の様子を見ることになった。アフリカ一高い建物だそうだ。展望台に殆ど全く見学者がいなかった。このタワーのある場所が街の中心とはいえ、バス・ターミナルや中央駅があるところであまり安全な場所には見えなかった。

ソウェト地区はアパルトヘイト時代の黒人居住区である。いや、その時代から20年経過した現在も黒人居住区あることには違いがない。その一角にマンデラ・ハウスがある。マンデラが逮捕される1963年まで住んでいた家は小さなしかしレンガ造りの家であった。初めは最初の妻エリエンヌさんと、離婚後は2番目の妻ウィニーさんといた家だ。ガイドをしてくれたのはかなりお歳のマドンナさん。彼女が話す内容をクリスチャンにフランス語で同時通訳した。かなり長い話なので疲れてし合った。まぁ、彼が理解してくれればいい。マドンナさんはマンデラと同じ地方の出身でコサ語ができる。非常に面白い発音がある。舌をクリックする音だ。マンデラの名前を発音してくれたが、先ずカタカナには直せない。アルファベットで綴ってあるのだが意味をなさない。舌の先で上歯茎を激しく叩くのだと思うが、チェという音でもなし、馬の足音を出すときの音でもない。彼女に何回も聞きなおした。
House of Mandelaはミュージアム化している
塀の柵は監獄の鉄格子をイメージしているのだそうだ
家はかなり小さい
弾痕や焼け焦げもあった
ソウェト地区はかなり広いようだが、マンデラと同じくノーベル平和賞に輝いたツツ司教の家が同じ通りにあったし、2番目の奥さんのウィニーさんの邸宅も割りと近くにあった。貧しい黒人の住まいが立ち並ぶスラム街がソウェトにもあるのだろうが、そうした地域には立ち入らなかった。
アパルトヘイト・ミュージアムは極めてモダンな建物だがソウェトのオルランド地区を越えてFNBスタジアムの先の方にある。となりにジェット・コースターのある遊園地があった。
オルランドのサッカー・チーム「オルランド海賊軍」に今年ルブンバシのTPマゼンベが破れてアフリカ・トップの座を狙えなかった。そのオルランドもエジプトのチーム「アル・アハリ」にあっさり負けてしまった。今年の結果である。
閑話休題。ミュージアムは詳しくマンデラの足跡を追うが、それならば、マンデラの自伝なり、南アの現政権政党ANCの本を読めばいいのではないかと思った。AudioVisuelが各所に使われたミュージアムで、マンデラは国家の英雄となっている。しかし、アパルトヘイトに反対した活動家は彼だけでない。亡くなった活動家も数知れない。マンデラは運がいい方なのだ。たとえば、1976年の学生による言語アフリカーンスの強制に反対する運動に始まり、アパルトヘイト反対におよんだ全国運動で殺された少年ヘクトール・ピーターソンも英雄だ。マンデラは彼の名を冠したミュージアムをソウェトに建設する。
掘り起こせばまだまだ英雄が出てくるかもししれない。しかし、アパルトヘイト廃止後の現実問題をもっと見据えなければならないのではないか。マンデラ批判をタブー化するのは正しいことではない。マンデラを英雄にして現実を隠したい向きがどこかにあるのではないかと僕は危惧するものである。

ツアを終えた午後、宿舎から歩いて中華街に行った。中華街といってもレストランばかりではなく雑貨商、八百屋等々の店が道の両脇を占めている。それほど大きい街ではないが中国パワーを感じさせるには十分であった。南アの中国人は他のアフリカ諸国、特にフランス語圏に進出している中国人たちと違って古くから南アに殖民している。インド人、ユダヤ人とともに南アの重要な構成員である。

中華街をさらに東に進むとオリエンタル・シティがあったが。このアメ横のようなショッピング・センタは16時前に既に閉め始めていた。ここでDellのパワー・ケーブルを探した。Dell用はなくユニバーサルな変圧器を買うことになった。

オリエンタル・シティーからイースト・ゲイト・ショッピングセンタへ足を伸ばした。大きなショッピング・センタだが、ヨハネスバーグには幾つもあるショッピングセンターのひとつである。夜出歩くのは危険が伴うというから、イヴの食事は部屋でとることにする。しかし、食事を作るのは面倒だから、出来合いの料理を買いたいと思ったのだ。ショッピングセンタには何でもあった。サラダもデザートのケーキも。メインは寿司になった。純日本式の寿司ではないが見た目は悪くなさそうだ。スパークリング・ワインも買った。


夜中1時頃、脚がつって目が覚めた。痛かった。この脚の攣りが心臓まで行けば死んでしまうのだろうなと考えた。それはいいが、痛いのは敵わない。クリスチャンを起こして足の指を内側に強く押してもらった。悲鳴を上げる痛さがやっと遠のくのに30分もかかったろうか。

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