30 août 2014

8月30日 レッシングの蔵書がハラレ市立図書館に遺贈 3 000 livres de Doris Lessing pour le Zimbabwe

Le samedi 30 août 2014
5時、快晴、23℃、35%。

エボラ出血熱で世界中が神経質になっている。メディアが大騒ぎをしている。セネガルでは初めてエボラ患者が出た。ギニアから入国した青年患者である。 RDCコンゴの赤道州でエボラ発生が確認されたが、キンシャサやカタンガ州のカミナ市(ルブンバシの北北西500kmでも熱があって鼻血がでたなどでエボラが疑われて精密検査の結果エボラは否定された。
ジンバブウェはコンゴ人の入国を制限した。
日本大使館からは「葬式に参列するな、病院に見舞いに行くな」などの注意喚起メイルが僕にも届いた。

リビアはアブダラ・アル・セニ首相が辞任した。挙国一致内閣を作るためだというが、トリポリを反政府軍に占領され、エジプト国境近くの港町トブルクTobroukに政府を移転させている中である。ここも独裁者なしには回らない国とみえる。

大湖諸国(特にRDCコンゴ、ウガンダ、ルワンダ、ブルンディ)担当国連特使が元アイルランド首相のマリー・ロビンソン氏からアルジェリア人サイド・ジニトSaid Jinnit氏に代わった。ジニト氏は西アフリカ担当だった。
ジニト氏はアルジェ大学卒業後フランスのENA(行政学院)を出たエリート外交官僚である。アルジェリアの外務省で欧州の在外公館に勤めたこともあるが、アフリカ連合から国連の高級官僚になっている。アフリカの国々の紛争解決に尽力してきたといえるが、別にいえば、どの紛争も解決していないわけで、官僚の域を出ない。
政治家ロビンソン氏からの交代は、大湖周辺諸国とりわけRDCコンゴ東部の紛争が国連、その総長にとって最重要課題ではなくなってきたことを示すように思う。ウエイトが軽くなったのである。これは歓迎すべきことかどうか、僕は多いに疑問視する。国連初の実戦部隊がコンゴに駐在し戦闘を展開しているとはいえ、まだまだ根本的解決、すなわちウガンダやルワンダの反政府軍を解散させたわけでなく、紛争そのものが続いているし、その根が絶やされていないからである。ロビンソン氏は地球環境担当になってしまった。彼女にもう数年この地域を担当して欲しかったと考えるのは僕だけだろうか。

南アフリカに亡命しているルワンダのカガメ大統領の元側近(ニャンワザ将軍)を2010年に暗殺(未遂)したとして起訴された6名のうち4名が有罪判決を29日(金)南ア裁判所から受けた。カガメ大統領ならやりそうなことであるが勿論ルワンダ側は否定している。

英国のノーベル賞作家ドリス・レッシング女史は去年94歳で亡くなったが、彼女の遺志をついで彼女の蔵書3000冊がジンバブエの首都ハラレの市立図書館に遺贈された。
レッシングはトルストイなどのロシア文学、スタンダールなどの仏文学に影響されて小説家になったというから、彼女の蔵書は広く世界の文学を味あわせてくれるに違いない。
しかし、ジンバブウェ人の誰がそれを本当に享受するのだろうか。
レッシングはローデシア時代にジンバブウェで育った白人である。英国に戻ったあともしばしばアフリカに来ている。ムガベ大統領に期待を寄せたり、批判したりしている。南アのアパルトヘイト政策に積極的に反対した運動家でもある。時代の証人だった。ジンバブウェ人がレッシングの作品を含めて彼女の蔵書を手にして愛読するときが近いことを祈る。僕も彼女の処女作『草は歌っているThe Grass is Singing』(仏訳は『Vaincue par la Brousse』)を読みたいと思う。
1960年に出版された『The Golden Notebook』に
使われた画像、多分30代の写真
やはりノーベル賞受賞時の80代の写真
よりもこの若い彼女がいい

3 000 livres pour le Zimbabwe
Dernière mise à jour: 27 août, 2014 - 15:30 GMT

Plus de 3 000 livres issus de la bibliothèque privée de l’écrivain Doris Lessing ont été offerts à la bibliothèque municipale de la capitale du Zimbabwe Hararé. "C’est très valorisant pour nous d’avoir été à ce point important dans sa vie. Nous sommes ravis et reconnaissants, toutes les villes le seraient !" Bernard Manyenyeni, maire de Hararé Mots-clésZimbabweSelon le journal Zimbabwe Herald, à la suite du décès de la lauréate du prix Nobel de littérature en novembre 2013, ses bénéficiaires ont décidé que les livres qui n’étaient pas nécessaires à la constitution d’une collection spéciale à l’Université d’East Anglia devraient être donnés au Zimbabwe. Le maire de Hararé, Bernard Manyenyeni, a déclaré au journal zimbabwéen que cette donation était "un geste magnifique" de la part de quelqu’un "aimant ce pays même depuis l’au-delà". Book Aid International, une ONG que l’écrivain soutenait, va aider à transporter ces quelques 3 000 livres. De son vivant, Doris Lessing a soutenu plusieurs programmes d’alphabétisation au Zimbabwe. Elle y a elle-même vécu de 1924 à 1949, alors que c’était encore la Rhodésie du Sud. Doris Lessing est retournée au Zimbabwe en 1956, où le gouvernement a décrété qu’elle était une "migrante illégale" du fait de ses opinions anti-colons et de ses idées de gauche.

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