08 mai 2015

4月30日、5月1日 コンゴに帰国 retour au Congo (RDC)

Le jeudi 30 avril 2015
7時半、晴れ。

14時、タクシーでユーカリが丘駅までスーツケースとプリンターをもって家を出た。まもなく53日に92才になる母が手をふっていた。アルツハイマーの初期らしい母は次に会う時に僕のことを覚えているだろうか。
今回は妹の家に寄留していた。彼女には大変世話になった。芝居の稽古の間をぬって板橋の病院まで車で送ってくれた。5月、6月と公演がある。いつまでも元気に芝居を続けてほしいものだ。

成田空港にはカートがあったので荷物運びも楽になった。日本に帰国の時は車椅子を頼んだが、コンゴへの帰りは自分で歩ける。ありがたいことだ。

香港で飛行機を乗り換えた。トランジットの時間は3時間もない。SAAのガイドがついた。2012年に一時帰国したときはナイロビ経由香港だったが、往復とも8時間以上の待ち時間があった。600ドルの節約のために乗り継ぎ便の間があいていたのだ。今回は南ア航空でスムーズなトランジットだった。
SAAのルートマップ
成田乗り入れが出ていないが
多分去年香港からANAと協同運行が開始されている

Le vendredi 1er mail 2015
6時、晴れ。飛行機の中。Johannesburg到着1時間前。

6時半、朝ヨハネスバーグに着きルブンバシ行きの小さな飛行機に乗り換えた。成田と香港の間はANASAAの共同運航。香港からヨハネスバーグはSAA。乗務員の質は断然ANAが良かった。南アはアフリカトップの先進国だが「Still Africa」としか言いようがない。ルブンバシ線に乗っていたエアホステスたちはコンゴ人並で、サービスの「サ」の字も知らない御嬢さんたちだった。南アさんよ、しっかりせにゃいかんで。

1145分、ほぼ時間通りにルブンバシ空港についた。
空港のチェックは極めてスムーズ。空港警察や検疫官によるしつこい小遣い請求がまったくなかった。スーツケースもスムーズに到着した。税関チェックなし。ルムンバ君が迎えにきていたお蔭もある。礼金10ドル。

13時半、シスター・アスンタ佐野さんのところに寄った。家の鍵を預けていた。
修道院ではシスターたちに帰国を祝福された。健康を回復して若返ったとも言われた。日本で確かに5㎏も体重が増えた。60㎏を超えていた体重が今回の病気で53まで減っていたのである。
16時に帰宅。庭木が剪定されていたのはいいが、切りすぎ。通りや隣の学校から中がまるみえだ。アラン君がスーツケースを家まで運んでくれたので助かった。PCとプリンターは飛行機を乗り継ぐごとに苦労したが、なんとか家まで持ち込めた。

クリスチャンはいない。今回の一時帰国前に「勘当」したのである。この事情は追って書くことにする。聖書のルカ伝第15章「放蕩息子le fils prodigue」のことが何時も頭にある。でも致し方なかった。

家ではものが無くなっていたり、クリスチャンの部屋のドアが壊されていたりと異変があった。おいおい原因をつきとめる。

「イタリアはいいところだ、イタリア人さえいなければ」といわれる、それに必ずしも僕は賛成しないが、「コンゴはいいところだ、コンゴ人さえいなければ」というのは実感する。勿論コンゴ人でも素晴らしい奴もいる。だが、危険を冒して一般化すればそういうことだ。

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