19 septembre 2015

9月16日 ムセベニ(ウガンダ)、ハルツーム(スーダン)入り Visite historique de Museveni au Soudan

Le mercredi 16 jseptembre 2015
6時、快晴、22℃、40%。

断水が続く。6時に栓をひねったら水が出て来ない。こりゃ、今日もダメか。8時に庭にでたら庭師が水撒きをしている。「なに、水があるのか」。さっそく2日分の食器を洗いに台所に飛んで行った。ところが、15分で断水。仕方ないから大きな桶に汲みおいた水に二酸化マンガン溶液permanganateを放り込んで滅菌、皿洗いを続けていたら、また水が出だした。そわ、洗濯もするか。一昨日(おとつい)から石鹸液につけておいたバスタオルを洗い、下帯を洗った。万歳。水は続けて出ている。
庭師に効いたら昨夜23時ころ水が出始めたという。何が起こるか分からない国にいて、うっかり今夜も断水だと決めつけていた。一昨夜は24時まで起きて水が出るのを待っていたというのに。
しかし、僕はこうして水の「ありがたみ」を肌で感じることができるのである。

日本では安保関連法案が参議院を通過しようとしている。通貨すれば法案成立。世論調査によると過半数がこの法案に反対しているようだ。しかし、代表民主主義制度下では世論調査は参考にしかならない。議会解散をして、国民の声を、政府が聞くわけがない。制度の欠陥を改善しないかぎり、この手の政府による「強行」は続くだろう。

ジンバブウェのムガベ大統領(91歳)が、15日(火)国会で8月に行ったと全く同じ演説原稿を堂々と読み上げた。大統領府はミスだと認めたが、本人は気にとめていないようだ。耄碌(もうろく)したのかな。25分に亘った演説を、前回ヤジを飛ばした議員もおとなしく聞いていたそうである。

ウガンダ大統領ムセベニ氏が15日(火)スーダンの首都ハルツームに飛んだ。これはかなり歴史的な事件である。というのも、ここ10年間、ムセベニはスーダンに足を踏み入れていなかったからである。
ウガンダはスーダンから南スーダンが独立するのを応援した。一方スーダンはウガンダの反政府軍「神の抵抗軍LRA」を助けている。だから国交を閉ざしていた。南アなどでの国際会議で両首脳は顔を合わせているはずである。しかし、直接話し合うことがなかった。
話し合いの中心テーマは大統領派と副大統領派の民族争いで内戦が続いている南スーダン国についてだ。
ウガンダは南スーダンの大統領派を軍事援助、派兵しているが、南スーダンとは北部国境を広く接している。南スーダンから難民がウガンダ側に来ている。LRAは南スーダンという緩衝ができてスーダンの直接支援が難しくなった。
要は南スーダンがウガンダの負担になってきたという事情がありそうだ。何回も休戦協定が結ばれた南スーダン内戦であるが、8月の休戦協定でなんとか南スーダンからウガンダは引き上げたいのだ。
(追補:そのご17日(木)ハルツームに南スーダンの両派が呼ばれてムセベニと新たな平和協定が結ばれた)。
ではスーダンとウガンダの関係はどうなったのだろう。記事は触れていない。しかし、ムセベニをアル・バシールが受け入れたということは、ただ場所を提供しただけではなかろう。両国関係にポジティヴは進展があったにたいがいない。

これは、ウガンダの反政府軍LRAがオリエンタル州に入り込んでいるコンゴにとってもよいニュースだ。また、RDCコンゴも南スーダンと国境を接している。
ウガンダのムセベニ大統領(左)と
スーダンのアル・バシール大統領
Visite historique de Museveni au Soudan
15 septembre 2015

Kampala a soutenu la lutte pour l'indépendance du Soudan du Sud.
Les relations entre le Soudan et l’Ouganda sont tendues depuis des décennies.
Les deux pays s'accusant mutuellement de soutenir les groupes rebelles opposés à leurs gouvernements.
Le président ougandais ne s'était pas rendu au Soudan depuis 2005.
Les entretiens entre M. Museveni et Béchir seront dominés par la guerre civile au Soudan du Sud.
Selon les experts, Kampala a soutenu la lutte pour l'indépendance du Soudan du Sud alors que Khartoum soutenait les rebelles ougandais de l'Armée de résistance du Seigneur (LRA).
L'Ouganda a souvent déclaré que le leader de la LRA, Joseph Kony se cache dans la région de Kafia Kingi, une zone contrôlée par le Soudan, à la frontière avec le Soudan du Sud.

L'année dernière, Khartoum a rappelé son ambassadeur à Kampala accusant l'Ouganda d'abriter des rebelles soudanais.

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