Le vendredi 13 ~le dimanche 22 novembre 2015
庭の百日紅の花が満開になった。この木が百日紅だと教えてくれたのりちゃんはもういない。2013年3月25日だった。手前のハイビスカスと違って、百日紅は毎年この時期にしか咲かない。後ろの夾竹桃はやはり亡くなった親友S君の奥さんが名前を教えてくれた。
13日(金)東京から、『世界ナゼそこに?日本人』というテレビ東京の番組の方が2名取材にみえた。
僕はこの番組を殆ど知らない。日本で見たような気もするが記憶にない。エンタテイメントのようだ。ザンビアで取材を受けた方がいて、出演料がいただけると云うので引き受けた。貧乏な僕としては臨時収入はありがたい。僕のNPO「日本カタンガ協会」にも貢献できるかもしれない、そう思った。
ただ、RDCコンゴという特殊な国で取材が難しいだろう、思わぬ事件が起こるのが心配だった。事件は起こらぬでもなかったが無事取材を終えた。
レンタルしてもらった僕の四駆三菱L200がトラブルで、運営しているミニバス(ハイエース)に乗ってもらったりと取材陣にはご迷惑をおかけした。
どんな編集がされてTV放映となるかは定かではない。しかし、「俎板の鯉」だ。僕の人生は波乱万丈などというものではない。平凡だと思ってきた。ただ住むところ(国)はいつも僕が選んだ。
ともかく疲れた。昨夜は皿洗いも放り出して寝てしまった。フェイスブックでコメントしてくれた妹によれば、車のタイヤを交換したときに肋骨が折れているいうのだが、今は息を深く吸い込んでも痛みがなくなってきた。Tant mieux ¡ (よかった!)。疲労困憊の所為は歳だけじゃなくて精神的な負担もあったかもしれない。
息子クリスチャンもよく対応してくれた。周りの奇異な目にさらされて可哀想だった。僕が買ってあげられないナイキの高級サッカーシューズやサッカーウェアーを東京で買ってプレゼントしてもらったので我慢したのかな。
この取材、明日(月)、担当のEさんをルブンバシ空港に送って終わる。
なんとか番組が「日本カタンガ協会」の活動、特に父親を日本人として生まれたコンゴの子どもたちと日本人の孫たちの役にたって欲しいと望む。なにしろ子どもたちは50人前後だが、孫たちは200人を超えてしまった。一部を除いて酷く貧しい、全くの赤貧の中にいる。お金を彼らに配りたいのではない。教育を受けさせたいのである。
13日金曜日という日を選んだパリのテロ事件、一週間後の金曜日にはバマコ(マリ国首都)のホテルで人質事件があった週、多くの命が奪われた。テロの標的が一般に及んだわけで、何故彼女が彼が殺されたのかと思う。それはまさに不条理(「absurdité」の翻訳語で難しすぎる。実は「馬鹿らしい、ナンセンス」だ)、ナンセンスそのもので、理由がないのだが、いたましい限りである。
家の中でもそろそろと身体をいたわって歩いている。大袈裟かなぁ。
昼近く11時40分、雷が鳴って停電。12時20分、回復。ところが、停電の所為か断水。英仏通訳の学生が来るので昼飯でも作るか。KTOでフランチェスコ教皇のミサを聴きながらパスタを煮た。
パスタを作ったのが間違いだった。この学生、ファルファルラを知らなかったし、生クリームもハムも知らなかった。国際外交を勉強しているって? 国際性ゼロじゃないか。クリスチャンなら、僕の作ったパスタを喜んで食べる。欠食児童だからかなぁ。
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