07 février 2016

2月7日 アフリカの国がアフリカ人に査証を要求する Il est plus facile pour les Américains de voyager en Afrique, que pour les Africains eux-mêmes

Le dimanche 7 février 2016
6時、曇り、22℃、72.5%。
10時半、晴れ、12時、快晴、カタンガ晴れ。

11時から日光浴。天気がいいと日を浴びたくなる。この姿は11月のテレビ東京の取材ではみせなかった。入浴して背中をクリスチャンに洗ってもらているシーンはでるかもしれない。321日(春分の日)放映と決まった。
太陽は熱く、じりじりと焦げるように熱い。南半球の夏至から春分にかけての太陽の位置だから当然だろう。
クリスチャンは今期末試験の最中。10日(火)に終わるが、11日は「灰の水曜日」で午前中ミサがある。午後には寮から家に帰る。試験後に休みが数日ある。お金があればモンバサに行きたいなぁ。ま、ゲルピンだから家で家にいて普段食えないものを食わしてやろう。

DVDieri, oggi, domani昨日、今日、明日』(デ・シーカ監督)。
ナポリが懐かしい。初めてナポリに行ったのは19746月だと思う。パリから列車でローマ経由ナポリに着いた。デ・シーカの映画を日本で観たからナポリに行きたかったのだ。アルジェのカスバにはパリ大学の冬休みに行っている。ナポリでも映画でソフィア・ローレンが外国たばこを闇売りしているごみごみした庶民の街を体験したかったのだ。まだ闇の屋台があった。光と闇の強烈な対照、頭の上に洗濯物がぶら下がる狭い通り、物売りの叫び声、一抱えもある大きなピッツァ、独特なナポリ訛り、なにもかにも夢に見ていたナポリそのものだった。感激。

そんな街で小さな床屋に入った。床屋のオヤジが、僕を座らせると、くるっと椅子を回転させて、通りにむけると「Giappone,Giappone!日本人だよ、日本人」と通りの人々に大声を発した。日本人の客が珍しかったのだろう。

ナポリでスパゲッティ・ナポリタンを注文した。日本とはまるで違った。なにしろ単純にトマトソースとパスタだけなのだ。具はなにもない。その後イタリアで何回もナポリタンを注文したが、いつもソースはポマドーロ(トマト)だけだ。

7812月、車でチュニジアからフェリーでパレルモに行き、やはりナポリを目指した。ようやく着いたナポリは寒かった。カーラジオを盗まれたり、ちょっと掠った車の相手に金をせびられたりして怖い目にあった。カモーラのナポリだ。大好きなナポリの表裏である。神戸も似たようなことがある。布引から春日野道への変化は出色だった。
ナポリにはイタリア語を習う学校がなかった。仕方なく、ローマのダンテ・アルギエリに行くことにした。

1979年、マジョルカ島で会ったカルメン(後の妻)を誘って9月に初めて一緒に旅行したのもナポリ(ソレント)だった。

CCTVフランス語版をみていたら、新年公演として中国国立バレエ団が出てきた。日本では既に北京や上海国立バレエ団がなじみのようだ。僕はフランス・バレエよりダイナミックなロシア(ソ連)バレエが好きだが、コンゴでは到底観ることができないだろう。大都会ルブンバシにもバレエ団がない。

中国国立バレエ団の力量に驚いた。しかも、西欧バレエのしっかりした基本に加えて中国独自のコレグラフィーが出来ている。『胡桃割り人形』のさわりを観て感心した。舞台装置も、衣装も、振り付けも中国化しながらちゃんとバレエになっている。
中国は変わったのだな、と実感する。

愚かな文化大革命や天安門事件の傷痕はもうないのだろう。日本の知識人、左翼で文化大革命の最中に中国を批判した仁を僕は知らない。中国人は今も文化大革命の責任者毛沢東を徹底的には批判していない。天安門事件は無視している。そうしながら、市場経済に移行して、中産階級の層を厚くしている。
共産党一党独裁とはいうものの、国民の多様なニーズをうまく吸い上げているように見える。北京は公害で世界的に有名になっているが、やがて解決するだろう。僕は中国には更なる革命が必要だし、地方から革命が起こると考えていたが、少数民族も経済発展の恩恵に浴し始めているようだ。言論統制などまだまだ自由な国ではなさそうだが、それもソフトランディングするかもしれない。
しかし、ルブンバシの中国人たちをみると、文化の香りもしないなぁ。中国も文化使節をコンゴには送ってこないし、映画も空手しか知られていない。それはコンゴに文化がないからだろうか。それをベルギー植民地統治の所為にしているばかりではいけないのだが、これからどうするのだろう。独立56年、先が見えて来ない。

ケニア国境でクリスチャンの旅券をみた警察官が云った、「ふーむ、南ア、ザンビア、タンザニア、マラウィ、ジンバブウェか、随分いろいろ行ってるな、何しに行ったんだ」。「観光です」と答えると、、「コンゴ人が観光?」とへらへらと笑った。

コンゴ人はアフリカのどこの国に行くにもビザがいる。これまで例外はジンバブウェだけだった。南アのビザは厳しいし、欧州シェンゲン査証取得は若いコンゴ人には殆ど不可能だ。

アフリカ各国を旅行するのにアフリカ人よりもアメリカ人の方が査証がなかったり、査証が国境で取得出来たり簡単に行き来できる、とSlate Afrique が書いている。その通りで各国の国境の壁が高い。西アフリカ諸国経済共同体のメンバー国間を除いて、いずれの国も外国人に査証を要求する。査証が国の、あるいは領事館職員の重要な収入源になっている。
RDCコンゴは南部アフリカ開発共同体のメンバーだが、ジンバブウェ以外、ボツワナも南ア、タンザニア、ザンビア等々みんな査証を要求する。関税については交渉が進んでいるが、人の往来は物資よりも自由ではない。

アフリカの諸国がお互いに査証なしで往来できるようになるべきである。パンアフリカの理想は遠い。
クリスチャンが取得した南アフリカ共和国のビザ
Il est plus facile pour les Américains de voyager en Afrique, que pour les Africains eux-mêmes
Et c'est très embêtant d'un point de vue économique.


Les chiffres sont implacables. En moyenne, un citoyen africain a besoin d'un visa pour se rendre dans 55% des pays du continents, selon un tout récent rapport de la Banque africaine de développement. En comparaison, seuls 45% des Etats africains vont exiger un visa aux ressortissants américains qui se présentent à leurs frontières. Une conclusion limpide s'impose: il est plus facile de voyager en Afrique pour un Américain que pour un habitant d'un pays africain – même si certains citoyens africains sont plus privilégiés que d'autres de ce point de vue.

«Si les pays regroupés au sein de la Communauté économique des États de l’Afrique de l’Ouest (Cedeao) permettent à leurs ressortissants de circuler librement dans les pays de leur zone, ce n’est pas encore tout à fait le cas pour les autres régions du continent. Souvent, ce sont des accords bilatéraux qui règlent la question. À deux exceptions près: les États des Seychelles et de Sao Tomé et Principe. Le premier accueille tout le monde sans visa, le second n’en dispense personne», explique le magazine Jeune Afrique dans un article sur le sujet.

Cette politique assez stricte du visa en Afrique a plusieurs conséquences, outre d'obilger les touristes africains à se vider les poches pour voyager dans un pays voisin.

«À une époque où les investissements étrangers directs déclinent sur le continent, le commerce transfrontalier entre pays africains pourrait être un facteur crucial de croissance», explique le site Quartz. Mais une accélération des échanges commerciaux régionaux n'est possible qu'avec une libre circulation accrue des biens et des personnes.

Comme le note Jeune Afrique, on peut encore voir dans de trop nombreux aéroports africains un panneau avec l"avertissement suivant, très courant en Afrique de l'Ouest:

«Un passager n’ayant aucun papier d’identité [du pays] – passeport ou carte d’identité -, qu’il soit noir, parle une langue nationale ou encore qu’il soit cousin avec un bagagiste de l’aéroport est un passager étranger et à ce titre, il doit être muni d’un visa».

Slate Afrique


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