Le
lundi 21 mars 2016
6時、小雨、26℃、6%。
次の記事をブログに乗せるために急いで16日からの分を更新した。
今日放映になったテレビ東京の「世界ナゼそこに? 日本人」という番組の取材を去年2015年11月に受けた。
番組紹介の記事をサイトで読んだ。
「世界の秘境・コンゴ民主共和国」だって! 日本から遠いのは承知だが「秘境」とはね。秘境というにふさわしい国がこの地球上にまだあるのかいな、と思う。ま、コンゴの赤道州やオリエンタル州のジャングル地帯ならわからないでもないけど。
「人生の歯車が大きく狂い」と続けている。RDCコンゴに来たのは偶然2006年に一度仕事できたけれども、滞在が短く数か月しかいなかったので、もう一度来るためアルジェリアでお金を貯めて2009年12月末にその決意を実現しただけだ。人生の歯車が狂ったことはない。常に自分が住むところを自分で決めてきただけである。サハラ以南の黒人国を経験したかったのは確かで、セネガル、コートジボワール、ベナン、マダガスカル、何処でもよかった。
番組の録画をDVDで送ってくれるそうだが、僕が最も重要だと思い、そのため取材を引き受けたムソシ鉱山の村で日本人とコンゴ人女性の間で生まれた子どもたちとその孫たちのこと、僕のNPO「日本カタンガ協会」の活動の一環は、取材してくれたもののカットしたと18日(金)になって番組担当の方から聞いた。
赤貧に喘ぐ彼ら彼女らの現状を知ってもらいたかった。
取材された場所は、子どもたちが経営する食堂である。
日本のある財団のトップの方が、ムソシの子どもたちの話を日本大使閣下から聞き、ポケットマネーを出してくれた。その資金が食堂開店のベースになっている。去年8月に開店したが経営はまだ軌道に乗っていない。
取材当日は子どもたちが集まり、カメラにむかって日本の見知らぬ父親にメッセージを語りかけた。子どもたちは、母親から聞いた日本名をそれぞれ名乗っている。日本の父親が見てくれるもしれない、そう期待しての父親への呼びかけである。
子どもたちの会の会長はケイコ Fさん、乾物屋の手伝いをしているSさん、ブルース・リーが流行っていたころにブルースと名付けられた子、チーちゃんは店に寝泊まり、ユキさんは調理担当等々。まともに職があるひとはすくない。
ムソシ村に行けば、その生活はもっと深刻である。
生活のことだけではない。父親がいないという、アイデンティティーを失った子どもたちだ。国籍をくれなどとはいっていない。自分たちが日本人のこどもたということを認めて欲しいだけだ。
この子どもたちのことがずっぽりカットされてしまった。
なんとも云いようがない。
文です。
RépondreSupprimer昨日、韓国で田辺さんの出た放送を見ました。
田辺さんが告知してくれてから、期待して待っていました。
ところが、放送を見ながら、田辺さんの一回生のザラザラした生が、何千倍にも希釈され、まったく別の、口当たりのよい、理解されるために存在する生として提供されていたたことに、ぼくは驚きと悲しみを感じていました。
でも、この文章を読み、期待にまったく沿わない内容の貧困さの原因がわかりました。
まるで、在日韓国人の僕の生が、記号とかせられた時のような悲しみです。
でも、
田辺さんの元気なお姿を拝見出来て、とても良かったです。
息子のクリスチャンくんの元気な姿も見れて。
体に気をつけてください。
韓国より 文光憲
je l'ai vu au Japon.
RépondreSupprimerC'est dommage, mais C'est la TV.
Tant pis comme tout le monde, comme toujours.
On ne peut pas pas faire confiance aux TVs