07 août 2016

8月4日 『残心』(笹川陽平著)を読んで un livre de Yohei Sasakawa, lutte contre la maladie de Hansen

Lw jeudi 4 août 2016
6時半、快晴、20℃、40%。16時、22℃、30%、乾いている。

少し歩くと息切れがする。これはいかん。タバコの所為だろう。1日に1箱も吸わないのに。また止め時かな。

母の足が弱っていたのには驚いた。デイサービスには迎えの車でいっている。お遊戯のような体操では筋肉が衰えるのかなぁ。90歳ころまで足が速く僕が追い付くのに苦労したのに。それに「おはようございます」なんて、朝起きしなに1年ぶりに会った僕に挨拶したのも参った。息子だと分かっていたのだろうか。相変わらず、探し物を一日中しているのは仕方ないとして。

『残心』(笹川陽平著、幻冬舎)を読了した。陽平氏は毀誉褒貶相半ばする良一氏の三男である。
毀誉褒貶相半ばすると書いたが、僕にとっては、笹川良一といえば、やはり「右翼のドン」、「戦犯」、「競艇の元締め」であった。しかし、実際の良一氏の経歴も知らなければ、戦前戦中の発言も行動も知らなかった。日本船舶振興会(現日本財団)のトップが良一氏で、亡くなった後に曽野綾子が会長をしていたことは知っていた。

『残心』を読み始めて、だからとても驚いた。僕の無知を恥じたのである。「ひとを決めつける」のは、とんでもない間違いだと反省した。
陽平氏は『残心』を書いた理由の一つに、父親の汚名を雪ぐことを挙げている。
巣鴨プリズンに良一は3年近くいたけれども、米国の政策転換もあって、無罪放免になっている。「戦犯」として処罰を受けていない。
右翼ファシストだったけれども、東条の政策に反対していた。念頭にあったのは日本国民大衆であった。利己心ではなさそうだ。
競艇で良一が私財を築いてはいない。私財は株式取引で形成したのである。競艇も運営主体はあくまで地方自治体である。日本船舶振興会は日本の造船産業に寄与し、また慈善事業をしている。良一も、陽平も「振興会」から一銭も給与を受け取っていない。
『残心』の核心は、ハンセン病制圧・撲滅に賭ける笹川親子、とりわけ陽一氏の行動記録である。

ハンセン病は癩病と呼ばれていた。癩、フランス語ではlèpreである。映画『ベン・ハー』に出てくる。不治の病、業病といわれていた。
ハンセン病は現在治療可能であり、ワクチンもある。ワクチンは1987年に開発された。そのワクチンを史上初めてジュネーヴで接種したのが笹川良一である。人体実験を自ら申し出たのである。パフォーマンスといってしまえばそれまでだ。しかし、それ以上の意志がある。

その遺志を継いでいる陽平氏はいう。
1 1  ハンセン病は完治できる。(早期に治療すれば肉体の変形を避けられる)
2 2 薬は無料である。(日本財団の支援で世界中どこでも無料になった)
3 3   社会的差物は許されない。(患者は隔離され、回復者は社会復帰が現在でも困難)
これらメッセージを携えて陽平氏は世界を飛び回っている。文字通りハンセン病撲滅のために世界を駆け巡っている。インド、ネパール、モザンビーク、ブラジル等々100カ国をはるかに上回る、そして我がRDCコンゴだ。

RDCコンゴにも何回も足を運んでいる。最初のコンゴ入りは2005年にさかのぼる。しかも、首都キンシャサで保健大臣等と会ってハンセン病制圧の話をしているだけではなく、赤道州、オリエンタル州、そしてカタンガ州の現場の患者たち、回復者たちに会い、握手しハグし、一緒に踊ったりしているのだ。僕のいるカタンガ州がコンゴのまた世界の中で最もハンセン病患者が多いところだとは全く知らなかった。

陽平氏はここでもルブンバシから北に120㎞、カタンガ第3の鉱山都市リカシのやや北東のカポロエ村にもいっている。検索でカポロエとはKapoloweであること、今年58日ルブンバシのカトリック教会及びサレジオ会の若者たちがカポロエ村のハンセン病患者たちを見舞っていることを知った。

RDCコンゴのハンセン病については、ダミアン基金Action Damienが有名である。ダミアン神父を記念したカトリック系NPOだ。ダミアン神父はベルギー人宣教師でハワイにわたって伝道する中、ハンセン病をケアするものが誰もいないことを知り、隔離された患者が住むモロカイ島に渡った。それから生涯をハンセン病患者につくしたのである。自らもハンセン病に罹り亡くなっている。19世紀の神父さんである。

現在、ハンセン病はRDCコンゴではなお新しいケースがみつかる。コンゴ在住30年以上になるフランシスコ会のシスター、アスンタ佐野さんは上記カポロエ村の療養所で訓練を受け、ハンセン病患者にも接している。

薬は無料だ。ここにもアクション・ダミアンだけでなく日本財団の貢献があると思う。患者が隔離されることがなくなり、マラリアやチフスなどと同じように在宅で治療できるようになっている。

陽平氏にはまたカタンガに来ていただきたいと願う。


かくして、『残心』には、je suis convaincu(納得させられた)である。『残心』は機会があって著者ご自身から東京でいただいた。

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