10 juin 2019

5月1日~5月31日 du 1er mai au 31 mai 2019


le mercredi 1er mai 2019
6時半、快晴、2460。メーデー。

朝方が寒いので毛布を虫干した。タンスの上に置いておいたので、チーコちゃんがよく潜って寝ていた毛布である。

le jeudi 2 mai 2019
6時半、快晴、2460

le vendredi 3 mai 2019
6時半、快晴、2460。日本国憲法記念日。母の誕生日。

母の誕生日。電話(Viber)で話をしたが、「はぁ、ありがとうございます」などと誰と電話しているのか認識していない。仕方ない。96歳。食欲がないとは妹の言。

内田樹(うちだ たつる)という仏文学者の憲法論をネットで読んだ。曖昧さを「大人」というのはどうかなぁ。天皇制継続と戦争放棄がバーターだったというのは面白い。かもしれない。他界した父健一は天皇といわず「天天(てんてん)」と裕仁天皇のことを呼んでいた。死んだときに勲等を受けたが、国立大学の教員をしていたからだろう。生前なら断ったと思う。戦争拒否というよりも、負ける戦争に駆り出されるのを嫌って徴兵検査で合格しない算段をした。体重を落としたのである。旧制浦和高等学校でサッカーの選手をしていたのだから、もともとは極端にはやせ細ってはいなかったはずだ。お陰で戦線に出なかった。甲種で合格して応召、帝大出身のインテリとして俄か将校なんぞになるよりもよかったと思う。僕が小学校の時は、クラスの仲間の父親たちは皆中国や東南アジアに戦争にいった経験者で、僕としてはちょっと肩身が狭かったが、今は充分彼の姿勢を理解できる。父が正しかった。戦争に行って体験を敗戦後沈黙したよりもずっといい。

le samedi 4 mai 2019
6時半、快晴、2360

Ocean’s 8Gary Ross監督、米国、2018。面白かった。女性チームによる宝石泥棒のはなし。痛快。

le dimanche 5 mai 2019 子どもの日。
6時半、快晴、2460%。

le lundi 6 mai 2019
6時半、快晴、2460%。

le mardi 7 mai 2019
6時半、快晴、2457.5

電力会社Snelの料金を払った。46500フラン(3200円)。

帰りに肉屋によった。いつも行く「ビッキー」には牛肉がなくなったので、新しいところを探した。バイクタクシーが連れて行ってくれた店には主婦たちが沢山来ていた。大抵はトムソンという魚を買っていた。トムソンはナミビアからの輸入。キロ2800フラン(194円)。僕は牛肉を買ったのだが10000フラン(693円)。どの部位の肉が不明。その肉を秤にかけてくれたのはいいが、素手で肉をプラスチックの袋に入れた。その手、今、札を受け取った手だ。コンゴの札は世界でも最も汚い札だ。ま、100以上で煮るから黴菌は死ぬだろうがねぇ。

不要と思われるウィルスチェックのソフトを削除したらGoogleが機能しなくなった。おかしいな。メイルにもBBCにもアクセスできない。
12時、いや、どうもネットが不通なのだ。またか。
 
少年時代の鴎外
『青年』を読んでいる。
芸者も、未亡人も、学生も、みんな名刺を持っている。氏名だけが書いてある。住所は書いていない。そういう名刺もあったのだ。

純一(主人公)は「象牙の紙切り小刀」を持っているのか。僕がまだ持っている紙切り小刀(ペーパーナイフ)は、仙台の玉虫塗のもの、樋口先生が還暦か何かで友人に配ったナイフだ。特別注文。その小刀と彼の私家版の随筆本をもらったのだ。天が閉じてあった。貴族趣味である。悪い意味ではない。
純一はまたワニ革のがま口も持っている。ブルジョワだね。

archaïsmeのふりがな「アルシャイスム」はどうみても誤りで「アルカイスム」ですよ、鴎外さん。発音例外。編集者が間違えたのかもしれない。

東京北区王子は神田、本郷、上野からそう遠くないがもう田舎だったのだ。
僕の母方の祖父が北区十条に家を構えた。母は青山生まれだが十条に小学校の時に移っている。僕が小学生だったとき、十条の家の下の低地は田圃だった。赤羽まで歩いて映画を見に行った。家の裏手から野間公園(現稲付公園)が見えた。野間は講談社創設者。彼の別邸跡だ。今はどこもかしこも家が建っている。祖父の家の敷地は3つくらいに分割された。
純一は親友大村に「王子はあまりに近すぎるね。大宮にしよう」と大宮に行く。

鴎外が『青年』を発表したのが1910年。当時の日本はすでに青森まで鉄道を敷いていた。凄いスピードだ。コンゴの独立は1960年。今年独立59年にもなる。国鉄SNCCはレールがくにゃくにゃ曲がっていて20km以上のスピードを出せまい。脱線事故も頻繁で、鉄道に乗る人はいない。貨物列車もトラック輸送に置き換えられている。
電気もしかり。明治末期、停電の話が出てこない。ルブンバシは毎日10時間以上停電している。

『青年』の映画化はされていない。フジテレビでドラマ化したようだが、主演の清水邦彦という俳優ではイメージに合わない。小泉純一は女性が放っておかない美青年である。「雲のない黒い瞳」の持ち主だ。男にも持てる。しかも頭脳明晰、大学生に負けない教養がある。そんな俳優がいるかなぁ。
友人大村との会話は映画に出来ないだろう。それでも映画を作れる監督はだれだろうか。

純一は山口の聖公会の宣教師からフランス語を習ったことになっている。しかし、聖公会はローマカトリックから16世紀に別れた英国のキリスト教会である。聖公会が山口にあったかどうか知らないが、聖公会の牧師にフランス人がいたというのは考えにくい。カトリック教会のイエズス会やフランシスコ会ならわかる。宣教師の名前ベルタンBertinはフランス人らしい名前ではある。

漱石らしい人物が呼ばれる会の名が「Didaskalia」という。これはギリシャ語でドクトリンdoctrine、インストラクション、教育のこと。フランスにはDidaskaliaという雑誌があったとネットにでていた。ちょっと難しい名前だなぁ。
僕が学生のとき「Sermo」という雑誌を仲間と作ったことがある。ガリ版。セルモとはギリシャ語で言葉paroleだと思ったが、今調べてみるとラテン語sero(握る、結ぶ、云う、誓う)の名詞形らしい。セルモという名を提案したのはセロ演奏家だったN君だったはず。ドイツ語が得意で商事会社のドイツ会社社長をした。デュッセルドルフまでジュネーヴから行って会ったことがある。今は横浜でコンサート団員。元気かな。

le mercredi 8 mai 2019
6時半、快晴、2252.5%。

『青年』(続き)
純一の友人大村は学生で、学生服の襟にMの字をつけている。医学部ということだ。僕は法学部だからJMMedicus(複数Medicis)、JJurisprudentiaである。ラテン語。今時、学生服を着ている大学生は稀だろう。僕は学生服が嫌いだった。みな一律だからである。特に、MJはエリート意識丸出しで恥ずかしいではないか。背広の襟に社章をつけるのも同じだ。新入社員の時は、怒られるのでつけざるを得なかったのは残念だった。国会議員なぞは、国民主権を無視して、議員バッジを誇示する。愚かしい。

漱石をモデルとした拊石という人物がでて来る。僕が漱石を読んだのは高校時代である。受験勉強を始める3年生の夏休み前まで、集中して読んだ。『三四郎』から『明暗』、日記、漢詩まで。とても好きだった。しかし、大学生になって再度読んだとき、漱石の文章には論理性がなく感性だけで書かれていると思った。そうしてフランス文学に傾いていったのである。漱石はいかにも日本人で、英国女性を魅了出来なかった、つまり「かっこいい」(cool)とはいえない、神経質らしいのが嫌になったのである。『坊ちゃん』や『吾輩は猫である』は面白い。だがそれだけのことだ。

le jeudi 9 mai 2019
6時半、快晴、2252.5%。

『三四郎』を読む。苦笑するところあり。でも、面白くない。三四郎には教養がない。普通の大学生だ。だから一般の共感を呼んだのだろう。『青年』の純一は、反対に教養が高すぎる。純一は旧制中学(山口)しか出ていないから17歳。三四郎は23歳だ。ま、純一は有閑階級の少年で、旧制五高(熊本)を出た三四郎は農家の出身となっている。
純一には、東京に対する、新しい時代の女性に対するコンプレックスがない。

le vendredi 10 mai 2019
6時半、快晴、2250。肌寒い。

ネット不通。プロバイダーAfricelの不具合。コンゴのプロバイダーVaodacomAirtelと経験したが、いずれもネットが切れることがあり、サービスの質はいずれも同等に悪い。

『青年』(続き)
拊石が「漢語で新人とは花 (はなよめ)のことだ」と云ったとあるが、現代の中国語では正に新人は新人nouveau venuで、花嫁は新娘la mariéeである。漢時代か20世紀初めの中国と現代では翻訳が違うかもしれないが。

le samedi 11 mai 2019
6時半、うす曇り、2260%。

『青年』(続き)
ワトAntoine Watteau18世紀の画家。ロココ。彼の絵を下画にしたゴブランね。鑑賞眼が見事だ。ワト、僕は知らなかった。

オオドAude(オード)という名がでて来るが、誰なのか分からに。女性の名で、絵に描かれているようである。大変魅惑的な瞳を持った女性のようなのだが。

ゴティエThéophile Gautierの小説『Mademoiselle de Maupin』がでて来る。これは『Mademoiselle Maupin』ではない。deが抜けている。その小説「にある少年のように女を求めているのに気がついて」と純一が云う。だが、筋を読むとこの小説に少年は出てこない。出て来るのだが、実はテオドールという少年に変装したド・モパン嬢である。。その男に化けた少女のことをいっているのだろうと思う。

Huysmansが出てきて、引用している小説の題名が出てこないが『En route』(田辺貞之助訳は『出発』)と思われる。

le dimanche 12 mai 2019
6時半、曇り、2260.5%。曇りだが、雨は降らない乾季の曇りである。
9時、快晴。

『青年』(続き)
AlrustiqueEgoistiqueがでて来るが、ArtruismeArtruisteの間違いだろう。利己的なに対する利他的なという意味にとれる。AltruisteにしてもAtruistiqueというフランス語はない。英語にAltruisticというのはあるが、その訳語はAltruisteである。鴎外の思い違いなのか、編集者の間違いなのか分からない。

23歳で自殺してしまったOtto Weiningerという哲学者がでて来る。大村が読んだのは『Geschlecht und Character (Sexe et caractère)』だと思われるが、今でいえばセクシストの主張で、かつ、ワイニンガー自身がユダヤ系にも拘わらず反ユダヤ主義に貫かれた作品のようだ。ワイニンガーなんか持ち出さない方がいいのにと思う。まぁ、純一も大村もワイニンガーに必ずしも賛成しているわけではなくて分析しているのみなのは幸いである。

前述したAudeについて、『青年』の後の章で、「Lemonnierの書いたAude」と作者名を書いている。ベルギーのCamille Lemonnierと分かった。『Aude』という作品はなさそうだが、Audeという女性についてはルモニエは、どこかに書いているようだ。何人もの致命的女性femmes fatalesに言及しているらしいから、Audeという女性が極めて神秘的魅惑的はたまた娼婦的目をもった美しい女性として表現されていたのだろう。ならば、『青年』作中の坂井夫人にAudeをなぞらえるのもわかる。

Contantin Guysはリトグラフ及びデッサン画家にしてジャーナリスト。名前はギと読むかギスとすべきか、コンスタンタンの生まれがオランダなので分からない。鴎外はギスと仮名をふっている。しかし、多分ギと読むべきだろう。
Wikipediaによるとボードレールが『悪の華』の中でコンスタンタンのことを絶賛しているのだそうだ。

鄭完白の篆書って今でも有名なようですね。洋の東西の教養で満ち満ちていた鴎外には参るなぁ。僕のfacebook友人でそんな方がいる、YさんとかTさんとか。

芸者=残忍な動物=Antroposと純一は解釈する。Antroposとはギリシャ・ラテン神話にでて来る神で、人間の命の糸を切る神、柔軟性がない神として知られるのだそうだ。しかし、
1910年当時の学生がアントロポスまで知っていたのだろうか。

普通、日本の小説を読む場合、分からない言葉が出て来ても飛ばして読む。いちいち難解な言葉を辞書事典で調べはしない。それは調べた方がいいに決まっているが、文脈で判断してしまう。教養小説とは通読してしまって次に移ることを拒むのかもしれない。それが作者の意図なのかなぁと思い始める。
インターネットの時代、僕たちはWikipediaを初め、即座に言葉(固有名詞、普通名詞など何でも)を調べることができる。しかし、広辞苑、百科事典など紙の媒体しかなかった時代、今から25年以前は図書館などに行って調べるしかなかったろう。しかも、フランス語の資料を見るには、図書館でも無理なことが多かったはずだ。

le lundi 13 mai 2019
6時半、晴れ、2260%。

『青年』(続き)
純一は、神田の本屋にフランス語の本を注文する。本屋は注文書を手紙や電報でフランスに発注するのだろう。今はアマゾンフランスに直接注文できるし、出版元に発注してもいい。
ところが、RDCコンゴからではそうはいかない。先ず、郵便制度が破壊されていて、国内でも手紙がだせない。住所番地も定かでなくなった。アマゾンフランスではRDCコンゴに空輸してくれない。DHLを使えばいいのかもしれないが、とてつもなく高くつく。多くのコンゴ人はクレジットカードを持っていないから決済もできない。時代は便利になったが地域格差が激しい。

「夷三郎めいた顔」とはどんな顔だろう。夷三郎は歌舞伎俳優だろうか。どうも夷三郎という名の俳優はいなそうだ。神社の夷さんだろうか。そんな気がする。

Atavismeは日本語で隔世遺伝とあった。ちょっと文脈にあわない。Atavismeの意味は「en biologie évolutive du développement réfère à la réapparition d'un caractère ancestral chez un individu qui normalement ne devrait pas le posséder. Ce trait peut soit avoir été perdu ou encore avoir été transformé au cours de l'évolution」とある。「Atavismeに陥る」とか「堕らない」とかとはどう解釈できるだろうか。Wikitionnaireを見ると「 Réapparition, chez le descendant, d’un ou plusieurs caractères qui avaient appartenu à un de ses ancêtres, sans se manifester dans les générations intermédiaires.」だから「先祖返り」とでもいったところかな。

「なぜ 人間 取る に従って 偽善 陥っ しまう でしょ う」 「そう さね。 偽善 という のは かも 知れ ない が、 硬く なる には 違い ない ね。 永遠 なる 生命 が無い と共に、 永遠 なる さも 無い ね。」
これは苦笑してしまう。ま、「死ぬまで弾力性を保持したいもの」である。

Haschischが出てきたのには驚いた。ハシシュなんてヒッピーあたり、1960年代の産物かと思っていた。
近代になってハシシュをフランスにもたらしたのは、エジプト遠征をしたナポレオンらしい。薬として19世紀には使われていたとWikipediaにある。デュマの『モンテクリスト伯爵』にも記述されているんだって。でも麻薬として一般化するのはやはり20世紀半ば以降だ。合法化されている国も現在では多くなった。
僕が初めてハシシュを吸ったのは、モロッコの祭(ハンディア)だった。案内してくれた少年は、母親が水の中を渡ってくる幻想をみた。僕は飲酒、喫煙の習慣があった所為か、全く特別の効果がなかった。
また、アルジェで、今は亡くなったU君が骨董屋で買った額縁に入った画の裏にべったりとペーストがあった。当時の仲間と夜な夜なみんなで吸った。この時も、雰囲気だけで、全く麻薬らしい効果はなかった。高揚感も何もなかった。つまらないねぇ。

innocenteのふりがなもアノサントでは困る。イノサントである。接頭語inは普通アンだけれど、ここはinnoだから。些末だが、発音の誤解が鴎外にあるのは、フランスではなくドイツに留学した鴎外だからだろうか。ともかくふりがなの誤りが結構ある。
Hans Chritian Andersenの『即興詩人』(デンマーク語からフランス語への翻訳はL’improvisateur)は鴎外がドイツ語から翻訳した。フランス語訳は1860年にパリで出版されているようだが、僕も鴎外訳は「原作以上」だろうと思う。フランスで『L’improviseur』が評判になったとは聞いていない。

純一と大村が別れ際に「Au revoir !」と言い合うのには微笑する。
僕が北仙台幼稚園に通っていたとき、どうもフランス語を習ったらしい。記憶に全くないのだが、内に来た父の知り合いの大学教授に、僕が「Au revoir !」と云ったらしい。えらくその教授が感激したそうだ。変なことを思い出すものだ。歳かな。

Lemuresをレムレスと仮名がふってある。それならラテン語だ。ローマ人が想像した「夜の精」spiriti della notteでいわば悪霊だ。フランス語はlémureになる。日本語は現代的にはふりがなとは違ってレムースというらしい。ま、ローマ時代の迷信風習まで僕は知らないよ。

Léthéの水」、ミネラル・ウォータかと思ったら、物事を忘れさせてしまう地獄のレテ川の水だそうだ。洒落た言い回しだ。嫌なことがあったら「ん、まぁ、レーテの水でも飲みたいね」などと云ってみたい。気障かな、それとも愚かかな、僕は。

箱根湯本に福住という宿が実在するかなぁと思ってネットで探したら、あったあった、実在の旅館の名前だった。1625年創業だって!値段もいい、1泊$200を下らない。
柏屋は探しても箱根にはなかった。廃業したのかもしれない。

『青年』の主人公純一の未来像を描いてみる。
純一は一高、東京大学の道を歩まない。フランス遊学がいい。先ず、パリ大ソルボンヌ。次にGrandes Écolesの一つENSが妥当だろう。フランスに6年。休暇を利用してイタリア、スペイン、ベルギーを回る。第一次大戦中はアルジェリア滞在。アルジェでスペイン系の女性と恋。結婚。スペインから米国に渡り、米国の大学で仏文学の講義を担当する教授職につく。ヘミングウェイと知り合い、小説を書き始める。ヘミングウェイとスペイン内戦に参加。戦死。
どうも月並みだなぁ。フランスで恋におちて、情死。これもつまらない。ま、ともかく、鴎外のように官吏にはならない。自由人で一生を終わる。美男なのだから俳優になるのはどうだろう。大学を中途退学して、Comédie Françaiseに入る。Racineの世界に入る。それも悪くない。

le mardi 14 mai 2019
6時半、快晴、2260

アビジャン主張の準備。チーコちゃん、マーゴちゃんの食事をルブンバシで買い置き用に求める。

『ヰタ・セクスアリス』を読了。面白い。
Neugierdeとは、やはり「好奇心」だった。翻訳を想像してみてからGeegleで確かめた。でも好奇心なら好奇心で、そのまま好奇心でいいのに、どうしてノイギールデにしたのだろう。この小説ではドイツ語、英語が引用の主で、フランス語は殆ど出てこない。フランス語、curiositéでもよかった。

『ヰタ・セクスアリス』は発禁になった。というよりも、『ヰタ・セクスアリス』を載せた雑誌『スバル』が発禁になった。発禁にするほどの内容ではない。エログロには縁遠い。

le mercredi 15 mai 2019
6時半、快晴、2247.5%。急激な乾燥。

スーパー「Psaro」でモンガンガなる石鹸を買った。聞いたことのない名前だったが、殺菌石鹸だそうだ。その石鹸をルブンバシの街中の路上で売っているのを発見した。スーパーの半額であった。「Psaro」で800フラン(60円)。安いなぁと思った。それが路上ではさらに半分の値段。大丈夫かな、この石鹸。ネットで調べたら、RDCコンゴ製だって!
まぁ、インターネットサイトがあるんだから信用できるかな。化粧品、パームオイル、マーガリンも作っている。どんなところで製造しているんだろう。国の検査機関なんてあって無きが如しだから。ちょっと怪しいぞ。
モンガンガで手を洗ったら、確かにジャベル(次亜塩素酸)の香りがする。手がかさかさしてきた。こりゃ、殺菌できるかもしれないけど手が荒れそうだね。

『ヰタ・セクスアリス』(続き)
Moebius」(メビウス)一派とあるが、これは「メビウスの輪rubin de Moebius)とは関係なさそうだ。Paul Julius Moebiusという神経学者がいる。こちらの方だろう。「輪」の方がAugust Ferdiand Moebius。どちらも19世紀のドイツ人。でもみんなが知っているのは数学者のメビウスだ。

「ロドス島の巨像」Colosse de Rhodesは古代世界七大奇跡なのだそうだ。

と、こんなことを追っても面白くない。

le jeudi 16 mai 2019
6時半、快晴、2152.5。寒い。

でも、ちょっと『ヰタ・セクスアリス』の続き。
Fart(英語)/Furz(ドイツ語)は下卑ていて、この言葉は使うものではないと教師に云われたとある。「おなら」って下品かなぁ。『ライ麦畑で捕まえて』という英語の本の中でも「おなら」がでてきて、みんなが笑う場面があったと思う。
同義語に「屁」がある。この言葉につける動詞が「ひる」で「屁を放る」というのだという言葉を覚えたのは大学生になってからだった。「尾籠」という言葉を教わったKさんからだ。Kさんは関西出身で何の故か憧れて遠く仙台の大学に来た人物である。
この歳になると羞恥心がなくなる。全くなくなるわけではないが、人前で屁をひっても「Ah, bon ! Pardon」。この程度で終わってしまう。赤面もしない。デリケートさがなくなる
のだ。

主人公金井湛(しずか)は盛んに自分を醜男子だというのであるが、そんなに醜いなら、寄宿舎で先輩に襲われるのを怖れて短刀を懐に忍ばせることもないし、同性に誘われることもなかったろう。金井が鴎外とすると、昔の写真は良く修正してあるようだから、実際のところはわからないが、鴎外の多分中学生(旧制)あたりの写真では、のちの八の字髭の軍医の写真などとは違って、結構可愛い坊やに写っている。ドイツに留学していた当時でも、普通かそれ以上の容姿だったのではないか。それでなきゃ、ドイツ女性に持てないし、追いかけられやしなかったろう。湛は鴎外ではないのだから、醜男に仕立てられても仕方ない。

le vendredi 17 mai 2019
6時半、快晴、2260

8時、家を出発。
9時、ルブンバシのフランシスコ会女子修道院着。アスンタ佐野シスターから頼まれたものを受け取ってから、ママイェモ=モエロ通りの交差点でカスンバレサ行きの乗合タクシーに乗った。

このタクシーはいわゆる白タクだった。割と新しい車だった。勿論トヨタ。ところがカスンバレサ街道の料金所のところで左後輪をパンク。スペアタイヤを持っていなかった。誰かに携帯で連絡、5分で助けが来ると運転手が云った。だが僕も他の乗客もそんな言葉を信じない。

そこで、オトストップAuto-stop(ヒッチハイク)。トヨタの小型車が止まってくれてカスンバレサまでみんなを送ってくれた。カスンバレサの国境で、運転していた男に料金を払おうとしたらお金を受け取らない。全くの「親切」で、困っているだろうと助けたのだから、お金が目的ではないという。こんなコンゴ人に初めて会った。お礼を言って別れたが、信じられない出来事だ。

12時半、国境を通過。スーツケースを運んでもらった少年に、「いくら?」と問うと、$30だという。「馬鹿なことはいうな」。やがて、2万フラン、1万フラン(750円)と下げて来た。「じゃ、思い切って5000フラン払ってやるよ」。僕は数千フランのつもりでいたので「思い切って」なのである。結局、5000フランを握らせて帰した。「コンゴに帰国するとき、また僕を使ってちょうだいね」だとさ。

コンゴ側で路上両替屋のおにいちゃんにレートをきいたら、1ドル11クワッチャ。国境を越えて、これも多分コンゴ人の路上両替屋に同じことを訊いたら12.5クワッチャだった。10ドルだけクワッチャにした。125クワッチャ。

カスンバレサからチンゴラまで降り乗合タクシー。30クワッチャ(3ドル以下)だ。チンゴラでバスに乗る。20クワッチャ+スーツケース収納料金10クワッチャをとられた。昨年に比べて10%くらいのインフレである。しかし、その分ドルレートでクワッチャが10%以上落ちている。

今日はキトウェのパオラさんの家に泊まる。いつも歓迎してくれる。娘のタミカちゃんは大学入学試験準備だという。僅か15才なのに、小学校入学が人より早く、また飛び級があって、今年もう高校卒業国家試験を受けてしまう。そのあとは大学の医学部に行きたいとの希望を彼女からきいた。お母さんのパオラさんもイタリアの大学の修士を出ている。タミカちゃん、イタリア語、英語が堪能。いまフランス語をお母さんについて学んでいる。僕ともフランス語で話そうと一所懸命だ。パオラさんは、夫とは英語、娘さんとはイタリア語と英語で話す。

タミカちゃん、血を見ても怖くない、平気なのだって。乳癌などの手術後を直す整形外科医になりたいっていう。「僕やお母さんの皺伸ばしもしてよ、僕は沢山あるから大変ねぇ」。

le samedi 18 mai 2019
キトウェ(ザンビア)

9時半、日本人を父親にもつピーター君が風邪気味とのことで他のタクシーでNdola飛行場へ。

Ndola空港は小さいが、効率がいい。

アジスアババで一泊。Debereホテル。Wifiは部屋では不可能、夕食は最低。バスで熱い湯が出たのが幸い。タオルはなし、勿論洗面セットなし、

le dimanche 19 mai 2019

7時にホテル出発、空港へ。10時半の飛行機が4時間以上の遅れだそうだ。Merde
ところが、遅延がキャンセルとなり、予定通り10時半発となった。しかし、実際は1時間遅れて出発。しかし、アビジャン到着は30分早くついてしまった。途中6000kmあるので、飛行機が速度を調節したのだろう。tant mieux

15時には、前回と同じRiviera II Cocodyの宿舎に入れた。
le lundi 20 mai 2019
Abidjan, 雷雨。

ルブンバシと2時間の時差がある。GMT+0

pantoufles(つっかけ)を買うこと。裸足で家の中を歩いていたら足が痛くなった。

歯痛のためパラセタモールを買ったら、インド製ではなく、セネガル製だった。

le mardi 21 mai 2019
アビジャン、6時、晴れ。

歯痛はどこへやら。

le mercredi 22 mai 2019
アビジャン、6時、晴れ。

le jeudi 23 mai 2019
アビジャン、5時半、晴れ。

昼過ぎ新しい宿舎に引っ越した。ワンルーム。ちょっとせせこましい。便利には出来ている。アビジャンモールというショッピングセンターに近い。でも広い方がいい。30日にはもとのデュプレックスに戻れる。それまでの辛抱と云えば辛抱なのだが。

le vendredi 24 mai 2019
アビジャン、6時、曇り。

le samedi 25 mai 2019
アビジャン、7時、曇り。

僕のお気に入りのアソヤムで舌平目ムニエル。高いがそれだけの価値がある。

le dimanche 26 mai 2019
アビジャン、6時半、曇り。

le lundi 27 mai 2019
アビジャン、6時、曇り。

ランチ。Port Royal。ラグーン沿いのレストランだが、大衆的なところだった。その割には魚(Carpe)が3500フラン(7ドル)とは高いじゃないか。対岸にプラトの高層ビルを眺める場所。クスクスのようなアチョケで食事。

昼間、豪雨があった。

le mardi 28 mai 2019
アビジャン、6時、晴れ。久しぶりに朝から晴れ。

ランチはジャルダン通りのPaul。エビサンドイッチ。美味かった。

le mercredi 29 mai 2019
アビジャン、6時、晴れ。

ランチは最低。トリとフライドポテト。痩せた焼きすぎのトリと乾いたフライ。nappeも汚いし、サービスも悪い。これが3000フラン(6ドル)とは。

le jeudi 30 mai 2019
アビジャン、7時、晴れ。Ascension(昇天祭)。

昇天とは何か。神のいる天国に昇ることだが、単純ではない。イエスは40日前に復活している。十字架に架けられて殺されてから3日後に復活した。その彼が天に召された。もう一度死んだわけなのか。しかしキリスト教ではイエスが再び死んだとはいわない。死に対するキリスト教の考え方が表されていると思う。

ランチはショッピングモールCap NordAbidjan Caféblanquette de veau。ヴォ(仔牛)とあったが、どうももう成牛と思われる。ま、acceptableな味といえる。

le vendredi 31 mai 2019
アビジャン、6時、曇り。

昨日はアビジャンで大雨が降り、3人が落命。今日も夕方から豪雨。さすが、熱帯の雨である。

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