05 avril 2020

【les enfants de Musoshi 8】


【ムソシの子供たち 8】日本鉱業(現JX金属)
日本の皆さま、
日本鉱業をご存じですか。
現在JX金属という名前になっています。大企業ですがあまり馴染みがないかもしれません。持株会社はJXTGホールディングスという名前で、傘下にガソリンスタンドのENEOSがあります。NISSEKI(日石)というブランドもあります。

JX金属は日本一の非鉄金属企業です。持株会社JXTGの社長は日石出身。JX金属は日本鉱業のプロパー。そのJX金属社長にサイトウ君が手紙を出しました。
1970年から1983年にかけてムソシ鉱山を実質経営していたのが日鉱であり、「子供たち」の父親は子会社を含む日鉱グループの従業員なり、下請けなり、または臨時に雇われた日本人です。
サイトウ君の手紙、JX金属の
村山誠一社長あて

サイトウ君は「ムソシの子供たちの会」のメンバー
50人が日鉱グループ従業員の子たちであることを認めること、父親探しに協力することをJX金属社長村山誠一氏に訴えています。
 
日鉱にとって、ムソシ鉱山は最大のプロジェクトでした。だから600名を越える日本人を当時のザイール、現コンゴ民主共和国に投入したのです。女性は日鉱が建てたムソシ病院に勤務した看護士や本社からきた幹部の奥さんたちしかいなかった。完全な男性社会でした。そこでコンゴ人女性たちと交流があっても不思議ではないでしょう。

多くの日本人がコンゴ女性とカップルになりました。コンゴ式の結婚をして、子供たちが生まれたのです。「これがワシの子じゃ」と会社に自慢に来た父親もあったといいます。

日本鉱業はこの事実を認めません。2007年、外務省からの問い合わせに対して「従業員とコンゴ女性の間に子はいない」としました。元従業員にも緘口令をしいたもようです。

1983年の鉱山閉鎖まで、帰国した日本人と現地妻との間の通信の仲介を日鉱がしていたことが分かっています。便宜を与えていたのですね。子どもたちのことを思いやった父親たちは手紙や現金、衣服、おもちゃ等を日本から送っていました。

(JX金属は当時の資料から父親を特定できるはずです。またOBの方々に訊くこともできます。JX金属が協力してくれれば、子供たちが日本人であることも証明され、大使館も日本国籍認定に苦労はないでしょう。子供たちの多くは、先ず「父親に会いたい」、一体誰の子なのか知りたいという思いです。)

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