11 août 2006

ノー・モア・ウォー Plus jamais la guerre



8月9日から10日にかけてのNHKラジオ深夜便(01h00)で
『いま戦争を考える~平和な明日を築くために』
という番組があった。そこで、ルアンダRwanda出身の
カベンガMarie Louise Kabemgaさんが「もう誰にも戦争
体験なんてさせない」と題して45分ほど僕たちに語りかけた。

カベンガさんのプロファイルは次のとおりである。
1965年: ルワンダに生まれ。
1993年: 青年海外協力隊カウンターパートナー(現地協力者)
として福島県文化学園にて洋裁の研修を受ける。帰国後すぐに
内戦が勃発、必死の逃亡を経て隣国旧ザイール(現RDC、コンゴ
民主共和国)のゴマ市へ。難民キャンプで偶然出会ったAmdaの
日本人医師の通訳になる。
1994年: 研修生時代の友人らの尽力で家族そろって再来日。
1995年: 桜の聖母短期大学家政科に聴講生として学ぶ。
2000年: 「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、
キガリに学校を建設。
2001年: 同会がNPO法人格を取得  同会副理事長に就任
福島県福島市在住、夫と4人の子供の6人家族。自宅で英語や
フランス語を教えながら、命の尊さ、教育の大切さを訴える
講演活動で全国を駆け回る。

僕の『コンゴ日誌』で、1994年のルワンダ内戦(大量虐殺)を
扱った映画『Hôtel Rwanda』(2004年、Terry George監督、
Don Cheadle主演)について書いた。ルブンバシの街中の
スタンドでVCDを買った。海賊版édition pirateである。
日本の配給会社は目がない。英国、南ア、イタリアの合作とは
いえハリウッド映画である。主題は重いがハッピーエンドで
ある。商業映画として充分商売になることは自明であったのに
配給会社の偏見は責められてよい。SNS Mixiから有志により
「日本公開を応援する会」ができて2006年1月東京渋谷から
全国で上映され始めた。


ルワンダ内戦を映画では民族間の戦争として描いた。フツ族Hutu
とツチ族Tutsiである。暗殺された大統領Juvénal Habyarimana
側がHutuで、反対派がTutiと色分けされていた。紛争は両民族間の
怨念の爆発だというわけだ。しかし、この二つの民族は独立前の
宗主国であったドイツやベルギーの統治のために作り出された
民族である。

Kabemgaさんは、フツ族にもツチ族にも一言も触れなかった。
意図的に彼らの名前を出さなかったことは明白である。何故ならば
民族というよりも部族間の前近代的な争いとしてルワンダ内戦を
解釈する西欧メディア(それを無反省にコピーする日本)に対して
抵抗しなければならないと考えたからであろう。

しかし、ルワンダ内戦を僕たちに理解させるためには、実は
内戦だけでなく隣国の干渉、また国際社会の無関心が紛争を
助長させたことも言わなければならなかった。そうしないこと
によってKabemgaさんは、「無害な」平和主義者になって
しまった。

難民を受け入れない日本への批判も弱い。コンゴはゴマ市の
難民キャンプから日本に留学生として脱出させてもらった
立場上、なかなか日本批判は難しい。それは分かる。

従って、Kabemgaさんの戦争体験を聞いて、その奥の奥を
忖度しなければならないのは、僕たちである。Kabemgaさん
の本当の気持ちを推し量ることが出来なければ戦争と平和と
を考えたことにならない。

残念ながら、ルワンダ内戦、いや中央アフリカ紛争は、近い
将来、キガリ(Rwanda)で、ブジュンブラ(Burundi)で、
カンパラ(Ouganda)で、ゴマやブカブ(RDC)で再燃する。
そのとき僕たちは何ができるだろうか。

écrit et posté le 14 août 2006

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