11 juin 2010

6月10日 le jeudi 10 juin 2010  コンゴの歴史(2)他 histoire du Congo (2), etc

Le 10 juin 2010, jeudi
快晴。

Twitterのチェック。鳩山さんの「つぶやき」。なるほど、辞任の挨拶などが入っていた。Monuscoの新任代表がRoger Meece(米外交官、アフリカのエキスパート)であることも知らせてきた。しかし、携帯電話むkだなぁ、Twitterというのは。こまめに「ブログ更新したよ」などと書くのだろう。英語やフランス語で書いたほうが影響がありそうだ。

名刺が溜まってきたので名刺ホルダーを買って整理し始めた。

Alain君が中国物産店でボールペンを買う。安くて品質のいいペンがあるのだという。ついでに僕は米と干しブドウ入りクラッカーを買った。米は今夜試してみる。$3/kgはジャンボ・マートより安い。計り売りである。ここの中国人はなかなか愛想がいい。

ヤマハ発動機の代理店については既に書いた。日本のヤマハから人が来る。電話をいただいた。とても嬉しい。ルブンバシまできてくれるのだ。足をのばしていただける。コンゴ市場は、キンシャサとルブンバシとでは恐らくまるで違うはずである。ここには、世界の大企業が進出している。需要の対象となる商品が異なってくる。輸入経路もちがう。キンシャサではコンゴ川を河口から遡ったマタディ港から入る。ここは南アかタンザニアから入る。

日本の友人O君が笑い話を送ってくれた。昨日の僕の記事を読んでのことではないとおもうが辛辣である。
quote
ある国の話。
外国より元首が訪れ、お国の最先端科学の施設を見学することになり、脳科学研究所にお連れした。
『この脳は元大使の脳です。こちらがノーベル賞を受賞した科学者の脳。これは、タクシー運転手の脳です』
元首が訊いた。
『値段は?』
『大使のは800ドル、科学者のは100ドル、タクシーの運転手のは200ドル』
『どうして大使のは高いのか?』
『ハイ、それはあまり使ってませんので・・・』
unquote

コンゴの歴史(2)
2)コンゴ王国
AC2000年からDC500年にかけて先住民ピグミーを追いやったバンツーの大移動があったこと、彼らが鉄器の製造、農業をもたらしたことを述べた。日本の鉄器時代は定説では弥生早期AC400年から始まったとされる。バンツーは、さらに通信手段としてのタムタムtam-tam(太鼓)、道の造成、竹の葉から繊維を取り出して衣服を製造した。

a)コンゴ王国 Royaume de Kongo (現在のCongoと区別するためKongoと表記される)
おおよそ4世紀に起源をもち、15世紀後半にポルトガル人が来たころには、現在のコンゴ(ブラザヴィル)南部、コンゴ(キンシャサ)南西部とアンゴラ北部にかけて、総面積30万km2を超える大コンゴ王国が形成されていた。1482年ポルトガル人ディエゴ・カンDiego Cam(僕がポルトガル表記をもっていないので、フランス語表記とする)が来て初めて西欧に存在が知られた。
首都はムバンザ・コンゴMbanza-Kongoである。現在はアンゴラ国ザイール州にある人口2万5000人の小都市になっている。アンゴラがポルトガル領だったころはサン・サルバドールSao Salvadorと呼ばれた。1975年アンゴラ独立後元の名前に戻っている。場所は、大河コンゴの支流ムポゾ川(河口はRDCバ・コンゴ州マタディ市,、キンシャサの西)の源流である。1665年ポルトガルとの戦争で破壊しつくされた(この戦争については後述する)。しかし、1709年に再びコンゴ王国の首都として修復された。
さて、伝統的にKongoないしアフリカの多くは母系であるから、神話的に伝えられるこの国Kongoは女性Nzingaから始まる。彼女には二人の男の子と一人の娘がいたというところからKongoの歴史が説かれるのである。
(続く)

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