15 juin 2011

6月12日 le dimanche 12 juin 2011 東カサイ州ムブジマイ Mbuji-Mayi du Kasai Oriental

Le dimanche 12 juin 2011
快晴、7時、20℃、湿度40%。
朝方、湿度40%というのは初めて。昼間ならよくある湿度。

マドンナが昨夜奇声を上げて吠えていた。目には涙、口から涎をたらたら。腰が抜けたようで、呼んでも飛んでこない。狂犬病かと疑った。予防注射は去年しているが、抗体がちゃんとできていたかどうかわからない。
それが、今日はもう元気溌剌。食欲も旺盛。昨日の症状はなんだったのだろう。
月に向かって吠えていたのか。
父親が日本人であるコンゴの青年Yさんが自宅に尋ねてきた。Yさんは30代後半、ザンビアのンドラ(Ndola、カッパベルト州の州都)に在住。コンゴの国境の町カスンバレサから車で2時間のところだ。ザンビア国籍もとって、鉱山会社相手に商社を設立した。なかなかのビジネスマン。中国系鉱山会社と今回大きな商談のためにルブンバシに来た。
父親の社会保障の書類を保存していた。写真も数枚持っている。「日本人の父親を有しコンゴに置き去られた子供たちの協会」の活動をもっと活発にしたいと僕に会いにきたのだ。日本大使館の本件担当が5月に神澤さんから渡辺さんに代わった。神澤さんがコンゴを離れたからだ。大使館は日本の法務省とはなしてくれるということであるがポジティヴな結果は期待できない。大使館の担当は別として、日本大使館にデモをするなり、大使館前でハンガー・ストライキをするなり、また州議会で委員会をつくるなどしないと先に進まないと説明。さらに、子供の権利条約や日本の民法や刑法を適用して訴訟手続きをとるのも一法であろうと話した。「子供たちの協会」のケイコ会長も、大使館との話がすすまないので、そうしたらいいか逡巡しているようだ。Yさんはキンシャサの政府筋やカタンガ州にもパイプがあるようで、ビジネスの合間に積極的に人に会い事態の打開をはかりたいといっていた。Yさんならやれるかもしれない。

20時50分、停電。国連のMonusco(コンゴ安定化ミッション)で東カサイ州に来ている日本人女性のブログを読んでいた最中だった。23時45分、やっと回復。3時間の停電、
このブログとても面白い。国連のコンゴ安定化ミッションMonuscoの東カサイ州の事務所で今年から勤務し始めた若い女性のブログである。東カサイ州は僕のいるカタンガ州の北隣。

2009年9月までは英語。2010年9月からは日本語になっている。
国連の職員には寄生虫のような連中が多いけれど、彼女は一所懸命に自分のしたいことを模索している。ブジマイMbuji Mayi(州都)に赴任。

ブジマイというのは、ルブンバシに輪をかけて無秩序に肥大した都市であるが、都市の機能が追いつくどころか完全に麻痺している。1960年独立時に5万人の人口が現在なんと200万人を超えている。そこで毎日奮闘しているメグミさんの姿が勇ましい。カタンガ州に日本人は3人いる。東カサイ州に日本人は彼女一人だろう。応援したくなる。僕に何が出来るわけでもないけれど。去年同じ国連の職員Iさんがムブジ・マイにいたという記録はあるがブログを書いていないようだ。この東カサイの知事アルフォンスAlphonse Ngoy Kasanjiもカタンガ州のモイーズと同じくビジネスマンである。ダイヤモンド商人。2000年には265,85カラットというダイヤモンドをテンダーにかけている。

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