29 août 2012

8月26日 歓迎されなくなってきたクーデタ coups d'état pas vraiment bienvenus


Le dimanche 26 août 2012
快晴。7時、22℃、40%

8時、停電開始。14時半、回復。

ネットが昨日から通じない。どうも申し込んだ月間契約を認識していないのだと思われる。今回は完全に前の月間契約が切れる数時間前に支払いをした。これが正しく認識できていないに違いない。やはり駄目会社Vodacomなのだ。多分今日一日ネットが通じないだろう。明日クレームに行くしかない。

マドンナは完治した。よかったね、心配いただいた方々に感謝申し上げます。

中南米には20世紀後半まで軍事クーデタCoup d’étatを繰りか閲していた国が多かった。最近の中南米はベネスエラにしても民主的に選挙で左翼の大統領が選ばれている。一方、アフリカはどうかというと、近年クーデタを起こしても政権が長続きしない、またはクーデタに失敗する例が続いている。
その例として先ずマリ国がある。今年322日サノゴAmadou Sanogoがバマコでクーデタを起こした。トレ大統領を殺して政権を握ろうとしたのがサノゴ大尉だった。しかし、西アフリカ経済共同体(Cedeap)の圧力に直ぐに屈して、過渡期の暫定政権として国会議長のトラオレDioncounda Traoreに政権の座をあっさりと渡した。この騒ぎで、マリ国としては北部がイスラム勢力にのっとられているのに、具体的な解決策を見出せないという最悪の事態を招いただけに終わっている。
次にギネ・ビサウGuinée-Bissauである。この国はクーデタが続いている。以前はベナンBéninが連続するクーデタでは有名だったが、いまやギネ・ビサウがとって代わっている。直近のクーデタは419日であった。しかし、1998年から続いているクーデタや内戦から安定政権は出てきそうにもない。
マダガスカルでは2002年首都アンタナナリボ市長であったラバロマナナがクーデタを起こしてラチラカ大統領を追い出して自ら大統領となった。2009年には同じようにアンタナナリボ市長ラジョエリナがクーデタで大統領ラバロマナナを追放して大統領職についた。群は今でもラバロマナナ派とラジョエリナ派と分かれて睨み合っている。ラジョエリナのクーデタも完全には成功していない。
シエラ・レオーネでは1997525日にクーデタでコロマ大尉が政権を奪取したが、西アフリカ経済開発共同体が中立軍を組織してコロマ大尉を追い出して亡命中のカバ大統領の返り咲きを助けた(19983月)。
ギニアのMoussa Dadis Camara大尉の
クーデタも1年しかもたなかった。
ギニア(首都コナクリー)のクーデタ(200812月、カマラ大尉)もクーデタの名目(麻薬密輸撲滅)は別として国民的支持を取り付けることができず、後の民主主義的選挙にとって代わられた。
こうした例が、それぞれの国の事情があるにせよ、コート・ジボワールでも、ナイジェリア、ベナン、カメルーン、コンゴ(首都 ブラザビル)でも見られる。
結局、クーデタは起こしてみたものの、将来の見通しがなく、隣国を含めた国際情勢もクーデタによる政権奪取を許さない情勢になってきているということではないか。勿論、かといって、既に政権にある独裁者、非人道的政権運営者たちを引き摺り下ろすような力に、「アラブの春」とはちがって、まだそうした力になっていないということだ。
しかしながら、アフリカの全体的民主化は、そう遠くないのではなかろうかと期待される。

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