14 décembre 2012

12月11日 カンパラ会議 negociation à Kampala


Le mardi 11 décembre 2012
曇り。6時、24℃、65%
雨季になり周りは緑いっぱい。蛙が鳴き、鈴虫やコオロギがなく。

ファルファルレFarfalleというパスタがある。ファルファルレはイタリア語で蝶々を意味する。文字通り蝶の形をしたパスタだ。このパスタに虫が湧いた。もったいないから虫を取り除いて食べようかと思って太陽にパスタを晒しながら虫がついていない蝶を箸で選んだが、パスタの中にも入り込んでいるのがわかった。外からパスタを齧る虫もいるだろうが、パスタの中で成長してパスタを破って出てきている感じである。アルティショやハム、シャケなどをいれて生クリームで和えると美味しいのだがなぁ。このパスタは諦めよう。

カンパラで行われたキンシャサとM23の話し合いは早くも暗礁に乗り上げたようだ。昨日月曜日キンシャサはM23を非難することに終始してネゴの姿勢がなかった。M23M231120日のゴマ市占拠以前、つまりゴマ市から20kmまで後退することなく、ゴマ市から数キロのところをキャンプ地としている。いつでもまたゴマ市占領ができる態勢だ。このカンパラの会議にはキンシャサが相当譲歩しない限りネゴは成立しない。キンシャサは北キヴ州をM23に実効支配されていることをよくわかっていない。力でその逆境を翻せる実力がキンシャサにはないのに威勢をはっている。キンシャサは他力本願で、国連軍やアフリカ連合軍がRDCコンゴを助けてくれると期待している。しかし、ルワンダやウガンダがM23の支援をやめない限り、連合軍など作れない。キンシャサの抗議を受け入れてウガンダが閉鎖していた北キヴとウガンダの国境を月曜日に再開してしまった。これはM23を大いに財政的に助けることになる。即ち、M23が国境を支配しているわけだから、通過する物資に対する関税収入がM23を潤すのである。カンパラはこんなことをしながらM23とキンシャサのネゴの場を提供している。一方、カビラはダルエスサラムに飛び、SADC会議で南アやタンザニアが早く中立軍を組織してRDCコンゴ東部に送るように懇請している。つまりは、中立軍にM23を掃討してもらいたいというのだ。
こうした双方の外交行動と思惑でカンパラ会談が成功するわけがない。
M23はしかし、火曜日カンパラ会議に再び臨むことにしたという。
国連は軍事力をゴマ市で強化したというし、政府軍も今度は簡単には逃げ出さないかもしれない(僕は逃げ出すと思うが)ので、本格的戦闘が始まるということも考えられる。そう考えるキヴ州の村民や都市の住民が難民となって移動する。とりあえず隣国ルワンダに、南キヴ州やマニエマ州に逃げ出すのである。しかし、難民とは故郷を捨てた可哀想な人々であろうか。そうは単純ではない。難民は逃げる途中の村々を襲い暴徒と化するのである。それが難民とは報道されないから、難民の実態を世界は知らない。難民は食べるために、生きるために暴力的集団行動をとることもある。難民を迎えて助けてくれる部落や村もある。しかし、そういう村をも襲う難民もあるということだ。即ち、無政府状態、無秩序が支配する。それがRDCコンゴ内戦である。
カンパラは赤道直下の大都市である。
人口170万。丘また丘。ビクトリア湖に程近い。
1100mの高地なので極度に暑くはない。
雷雨が多いので有名。
IMF総裁Dominique Strauss-KahnDSK)がNYのソフィテルで強姦に及んだという事件が起きたとき、アメリカのCIAなどの仕組んだDSK追落しではないかと思った。しかし、刑事事件としては不起訴となったが、民事で1210日「犠牲者」ディアロNafissatou Dialloさんと示談が成立した。あくまで法廷で争うものと思いきや示談である。すっきりしないDSK事件である。相手はギニア人のアメリカ移民。コナクリーでは彼女が英雄になった。しかし、真相はこれで闇から闇に葬られたのではないか。得をしたのは双方の弁護士たちだけだ。アメリカで起きた事件らしい結末である。
この事件が起こらず、DSKが順調に今年フランス大統領に選出されていたなら、フランスでは私事として事件にもならなかったかもしれない。フランスでは政治家の「バンドから下のこと」は問題にしない伝統である。

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