26 septembre 2013

9月26日 コート・ジボワールに和解の兆し Pas de CPI pour Simone Gbagbo?

Le jeudi 26 septembre 2013
6時、快晴、24℃、35%

起きて早々大掃除。兎に角砂埃が多いキプシである。

RDCコンゴのカビラ大統領が国連総会で演説、大湖地域(実はコンゴ東部)の平和はアジスアベバ合意の実現にあることを強調した。さらに国連憲章違反の国に対し制裁を要求(シリアではなくルワンダを指すと思われる)、また平和が来れば誰でも平等に罪を犯せば罰せられるようになる(現在は戦争犯罪であろうと強盗、強姦であろうと、加害者はまるで免罪、実は免罪ではなく放置されている)とあたかも他人事のように語った。自分の責任を少しも感じていないようだ。これは、しかし、一般化できるコンゴ人の、あるいは植民地化された国民に共通する言辞である。「植民地化したベルギーが悪い、独裁者のモブツが悪い」。ベルギーから独立して50年以上、モブツを追放して15年以上経つ。
彼らは感謝ということを知らない。借金を棒引きしてもらっても「当たり前」、無償援助をどこかの国から得ても「当たり前」。

RDCコンゴに駐留する国連平和維持軍Monuscoの戦闘部隊を構成するタンザニアの兵隊が、18日(水)南アにあるMonuscoの病院で亡くなった。828M23から受けた砲撃で怪我が原因である。死者が2名になった。
この犠牲について尚大きく国連のオカピ放送が報じている。しかし、犠牲者が10名になり、100名になれば、犠牲が日常化して、報道も軽くなってしまうだろう。イラクのテロ犠牲者などもはや半年、年単位で何百名になろうと誰も注目しなくなっている。恐ろしいことではないか。

916日(月)のブログでRDCコンゴ東部の武装集団が国民討議に参加を希望したことを伝えた。オカピ放送によると11集団の内7武装集団が政党をそれぞれ作り、政党として今週から討議に参加しているようである。日本の政党名は「ままごと」のようだが、こちらの政党名は矢鱈「民主主義démocratique」だとか「愛国patriote」だとか「全国民nationaleだとか、どこかで見たような、似たような名前が多い。必ずしも理想を掲げているようにも見えない。チェ・ゲバラはコンゴ(当時はまだザイールと呼ばれていなかった)に来て革命戦士たちとは名ばかりのコンゴ人に呆れてしまったが、当時のコンゴ人と現在とメンタリティーは全く変わっていないのであって、政党名を見ていいように誤解しても始まらないのである。その彼らが「討議concertation」に加わって何が変わるのだろうか。元武装集団だけに5つある部会の中で「平和部会」にでているのだそうだが、、、。

ハーグの国際刑事裁判所ICCで審理されている人道犯罪人の一人に元コート・ジボワール大統領のロラン・バグボがいる。ロラン・バグボの妻シモーヌもICCから身柄引渡しを請求されていた。
コート・ジボワール政府は、このほどシモーヌ・バグボをオランダに送らず、アビジャンの裁判所で審理することを最終決定した。この結論まで18ヶ月を要した。大統領選挙後のバグボ対ウアタラ陣営の武力抗争もやっと落着いてきて、国内の裁判所で事件として審理する用意ができてきたといえる。
野党であるバグボ派は政府の決定を一応歓迎している。こーと・ジボワールとしては、選挙後長引いている争いを、「平和裏に」解決するためには、徒に相手を煽るのではなく、和解の道を探っていかなければならない。その意味で、「虎の威を借りた」シモーヌの悪行を国外で裁いてもらうのではなく、自国で裁こうという姿勢は、今後の和解にポジティブに働きそうだ。いずれ数年後には再び両派は選挙で戦うことになるのだから。そうしないと何時までも民主主義が育たないと僕は思う。
元ファースト・レディーのシモーヌ・バグボ
若いときは教員組合の闘士・活動家だった
ファースト・レディーになってから
虎の威を借りてしまった
(コート・ジボワール)
Pas de CPI pour Simone Gbagbo?
Le 20 septembre, 2013

Les autorités ivoiriennes ont annoncé qu'elles refusaient de transférer Simone Gbagbo devant la Cour pénale internationale.
L'épouse de l'ex-président Laurent Gbagbo est poursuivie, à l'instar de son mari, pour crimes contre l'humanité après les violences post-électorales de 2010-2011.

La CPI avait délivré en 2012 un mandat d’arrêt contre Simone Gbagbo.
Selon le communiqué gouvernemental, le conseil des ministres, réuni de manière extraordinaire, "a décidé de présenter une requête en irrecevabilité et de sursoir à exécuter le mandat d'arrêt émis par la CPI le 29 février 2012" "sur la demande du transfèrement de madame Simone Gbagbo a la Haye".
Il aura fallu plus d'un an et demi aux autorités ivoiriennes pour prendre cette décision.
"Cette décision du conseil vise à faire juger Mme Gbagbo en Côte d'Ivoire par les juridictions ivoiriennes qui sont aujourd'hui réhabilitées et à même de lui faire un procès juste et équitable garantissant les droits de la défense", indique le texte, précisant que "le gouvernement déposera incessamment sa requête au greffe de la CPI".
Reste maintenant à attendre la réponse de la CPI.
Simone Gbagbo avait été arrêtée avec son mari en avril 2011, et avait été placée en détention à Odienné, dans le nord-ouest du pays.
Les autorités ivoiriennes ont livré fin 2011 Laurent Gbagbo à la CPI.

Abidjan semble toutefois encline à faire juger d'autres responsables des violences dans ses propres juridictions

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