16 juin 2014

6月16日 マンデラの恋 dernier amour de Mandela

Le lundi 16 juin 2014
7時、快晴、20℃、55%

猫ちゃんは清潔好きである。いやどの動物も清潔好きなのだが、清潔にしていないのは飼い主の所為である。豚小屋は不潔の代名詞になっているが、豚とて清潔に飼えば体毛が白く光っている。
僕はチーコちゃんやマーゴちゃんを外に出さない。自由を奪っているようだが、そうではない。彼女たちは清潔そのものだ。コンゴ人がよくいう、「こんな清潔な猫をみたことがない」と。そりゃそうだろう、コンゴ人の家の猫たちは、太っている場合はブカリ(トウモロコシの粉を湯で溶いたコンゴ人の主食)の食べすぎ、しかしノミだらけ虱だらけなのだ。ネズミを捕るために飼われている。チーコやマーゴは僕のベッドに入ってきて一緒に寝る。僕は彼女らにネズミなんて触ってはいけないと養育している。そんな「役にも立たない猫は不要だ」とコンゴ人は思う。コンゴ人にとって猫はペットでも友だちでもない。
アラン君の家の犬が死んだ。9才だから高齢の部類だろう。肝炎だと獣医がいったそうだ。ここでは犬猫が死んだら溝(どぶ)に捨てられるだけだ。彼は荼毘にふした。僕は家の庭に墓を作れとアドバイズした。
アルジェのM社の寮で僕と同僚たちが飼っていた雑種犬「タロー」君は、僕がスイスに出た後。近所の人を噛んでしまい、保健所に訴えられて安楽死させられてしまったと聞いた。タローは何故人を噛んだのだろう。近所の子供たち(悪ガキ)が石をぶつけたからだ。タローの兄弟はM社のAさんの家庭で蝶よ花よと育てられ、A夫妻が帰国のときに一緒に飛行機で日本に飛び立った。
動物たちの運命もわからないものだ。
チーコ(虎)とマーゴ
先週10日(火)と翌日11日(水)、RDCコンゴ東部ルワンダ国境でコンゴ軍とルワンダ軍の小競り合いがあり、コンゴ軍の伍長および他4名が殺された。この原因となったのが、どうもコンゴ側がここ数ヶ月に亘り国境近くのルワンダの村の家畜を盗んでいたことらしい。コンゴ側にいわせれば、「家畜を盗んだぐらいで人を殺すのか、コンゴに侵入してきたのはお前たちだから防衛上発砲交戦したのだ」ということになるが分が悪い。
11日午前の交戦以来両軍とも落ち着いている。

給与の支払いが5年以上遅れていて、6ヶ月のストをしているコンゴ国鉄(SNCC)の労働組合と先週10日(火)会談したカタンガ州のモイース・チャプウェ知事は、労働者の窮状を察して、18万ドルに相当する1600袋(25kg袋)のトウモロコシを提供した。トウモロコシを挽いて粉にし、それを湯でといたブカリがカタンガの主食である。日本なら米を現物支給するのと同じ意味がある。組合はモイース知事に感謝するとともに、キンシャサの中央政府に給与支払いを一日も早くするように望んでいる。

米国の国会議員団がナイジェリアを訪問中である。団長シェイラ・ジャクソン・リー氏はナイジェリア政府にボコ・ハラムの犠牲者たちを救うべく15日(日)基金の創設を提案した。ボコ・ハラムに殺され一家の柱を失った家族たち救済せよというのだ。普通アフリカでは家族(大家族主義で叔父叔母)が例えば孤児の面倒を見る。生保など保険は大都会は別として浸透していない。、ボコ・ハラムは戦闘員を殺しているのではないから正に身寄りをなくした人々が多いことは容易に想定される。何かアメリカ人らしい提案とも思えるがナイジェリア政府も真剣にこの提案を考えるべきだろう。

ネルソン・マンデラの私設秘書セルダ・ラ・グランジュZelda La Grangeさん(白人)が体験と思い出を綴った本『おはよう、マンデラさん』が19日(木)に刊行される。その中で、サンデー・タイムズによると、「後妻」として1998年に80才のマンデラと結婚した元モザンビークの大統領夫人(夫と死別)グラーサ・マチェルGraça Machelさんに対するマンデラの長女を初めとした家族による不当な扱いについて書いているようだ。
グラーサはネルソン・マンデラの最後の恋人だった。馴初(なれそ)めは1990年。世紀の恋といってもいい。「老いらくの恋」には違いないが、マンデラの精神の若さの証明で僕は微笑ましいと思う。しかし、マンデラの娘たちはマンデラをその名前を含めて財産を独り占めしたいのだろう。嫉妬である。
グラーサの経歴は凄い。モザンビークがポルトガルの植民地時代にリスボン大学で法律を収めている。エリートである。帰国後独立の闘士になっている。文字通り闘士で武器扱いの訓練を受けた。75年独立を勝ち得て、大統領となった夫サモラ・マチェルの下で文部大臣を14年間務めている。アパルトヘイト政策の南アが主導した内戦が勃発した激動のモザンビークだった。夫サモラは飛行機事故で86年飛行機事故で亡くなってしまう。その自己もグラーサは南アが暗躍して起こした事故だと信じている。大臣を辞めてから、人権、人道運動に入り今日に至っている。96年には国連事務総長候補を、国連を非難しながら辞退している。名誉欲、出世欲よりも信条を重んじる意思が強い女性なのだ。マンデラが恋したのも不思議はないではないか。1945年生まれ。
ネルソン・マンデラとグラーサ・マチェル
でれっとしているのではない二人の笑顔がいい
Confessions d’une ex-proche de Mandela 
Dernière mise à jour: 15 juin, 2014 - 15:50 GMT BBC Afrique

Dans "Good Morning, Mister Mandela", un livre devant paraître jeudi, Zelda La Grange, une assistante personnelle de Mandela, accuse le clan familial du leader sud-africain de manipulations durant ses derniers jours.
La Grange, femme de confiance de l’icône de la lutte antiapartheid, raconte sa relation de 19 années avec le premier président noir de l’Afrique du Sud.
Selon elle, la veuve de Mandela s'est même retrouvée obligée d'obtenir une accréditation pour assister, le 15 décembre dernier, aux obsèques de celui qui fut son époux.
Des bonnes feuilles du livre publiées dimanche par le Sunday Times montrent comment l'épouse de Mandela, Graça Machel, a été écartée par certains membres du clan familial.
En plus de son attitude envers Graça Machel, la famille du héros de la lutte anti-apartheid se chamaillait au sujet de ses obsèques, durant plusieurs années avant sa mort, rapporte l’AFP, sur la base des bonnes feuilles publiées par le Sunday Times.
"Je ne connais aucune personne vivante traitée avec une telle absence de respect que Mme Machel", écrit La Grange.
Makaziwe, la fille aînée de Nelson Mandela, a indiqué au Sunday Times que Zelda La Grange devrait prouver ses dires sur la famille, sinon elle serait "poursuivie en justice".
"Je me suis sentie coupable"
La Grange, 45 ans, explique que son "livre n'est pas un récit définitif" sur le héros de la lutte contre l’apartheid. "Je raconte juste mon expérience" avec lui, s’est-elle défendue.
Cette Africaner blanche, que "Madiba" considérait comme sa fille adoptive, a été unanimement saluée pour sa loyauté envers son patron.
Elle a raconté au Sunday Times comment elle a fait la connaissance de Nelson Mandela, qui est décédé le 5 décembre, à l’âge de 95 ans.
"J'ai dit: 'bonjour M. Mandela', avant d'éclater en larmes. Je me suis sentie coupable lorsque cet homme à la voix douce, aux yeux bons et doté d'un esprit généreux m'a parlé dans ma langue après que mon peuple l'avait emprisonné pendant toutes ces longues années", explique-t-elle.
En 1998, Mandela, âgé alors de 80 ans, avait épousé Graça Simbine, plus connue sous le nom de Graça Machel.

Ce mariage eut lieu plusieurs années la mort du premier époux de cette dernière, l’ancien président mozambicain, Samora Machel.

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