16 janvier 2015

ハラレ/ダーバン紀行2 ハラレ1 voyage pour Harare et Durban 2 Harare 1

ハラレ/ダーバン紀行2
ハラレ(ジンバブウェ)1

ルサカからハラレに行くバスは予約していなかった。いや、ネットで予約できなかったのだ。ハラレ行きのバスはルサカのバス・ターミナルの中ではなく、外側に駐車場があった。数社がバスをとめていたが、ライオン・キング社のバスが一番新しそうだった。

ハラレには行きたかった。泊まって街をじっくり見たかったのである。一昨年12月、確かにハラレを通った。しかし真夜中に通過しただけだったし、休憩のために立寄ったガソリンスタンドはみすぼらしかった。でも、ネットでハラレを訪れた人の記録をみると近代的な街のようだ。
何しろ独裁者ムガベの国の首都だ。ムガベの影があちこちにあるのか、市民はどう暮らしているのか知りたかった。

RDCコンゴのカタンガ州、その州都ルブンバシと首都キンシャサには1時間の時差がある。ルブンバシがGMT+2になっている。今回の旅行で通った国々、ザンビア、ジンバブウェ、南アは何れもGMT+2である。時差がない。しかし、南半球を南に下っていくから日没時間は延びていく。
南半球は今が夏である。しかし、12月は雨季という区分けがいいのか旅行中晴天に恵まれた日は少なかった。ハラレで傘を買った。大きな傘で重かったがよく役に立った。

ジンバブウェの通貨は米ドルになった。ATMから出てくる紙幣は米ドル札。これはRDCコンゴも同じなので驚かない。ジンバブウェ・ドルはハイパーインフレの所為である。インフレの原因はムガベの白人排斥政策にあった。ドルになってインフラは収まった。
店で買い物をして1ドル以下の釣銭の場合、ドルのコインはない。南アやボツワナのコインで代替されている。1米ドルがほぼ10ランド、10プラなので計算はしやすい。
ハウスさんからもらった1000万ドル紙幣
冗談ではない
もらったときは新札だったが
クリスチャンのポケットの中でしわしわになった
資質が悪くいくらでもコピーできそう
ハラレで泊まったのはハウス邸である。
僕は「Couchfurfing」のメンバーである。カウチサーフィングについては別途書く。ハウスさんがホストになってくれたのだ。
ルサカからのバスは3時間遅れてハラレに到着した。ジンバブエ国境でSIMを買い、街道途中でAirTime(通話クレジット)を買っていたのでハウスさんにバスの遅れを知らせていた。
ハラレのバス・ターミナルは立派な建物でルサカのように無秩序ではない。タクシーでハウス邸にむかった。住所はバレンタイン・パークBallentyne Park。ハラレの北東、ボロデイルBorrowdale地区である。パークの近くに来たが運転手が住所で家を探しあてられない。91時近くで通りを歩いている人はいない。そこここのガードマンに聞きあさっていた。電話でハウスさんに何回も連絡、運転手と話してもらったが、運転手はぐるぐると堂々巡りするばかり。あたりは高級住宅街で木々に覆われている。結局、警察署に行ったら警官が同行してくれた。やっとの思いで見つかったハウス邸は最初に道を尋ねた場所のすぐ近くだった。
ハウスさんの邸宅
(ハラレ)
招きいれられたハウス邸のサロンは僕の家(120m2)ほどもある広いサロンだった。大型犬が2匹、小型犬が1匹、猫が1匹いた。みな人懐っこい。

ハウスさんはラグビーの選手らしく大きな体格で100kg以上ありそうだ。スポーツ万能で、テニス、ゴルフ、釣り、自転車(マウンテン・バイク)、バーベルがあった。父親はオーストリア人、母親がオランダ人だという。白人だがジンバブウェ人である。生まれは南ア。ジンバブウェを愛している。この国が好きだから他国に移民する気は毛頭ないといっていた。仕事はプール設計と建設。会社の社長さんだ。39歳。

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