17 janvier 2015

ハラレ/ダーバン紀行3 ハラレ(ジンバブウェ)2 voyage pour Harare/Durban 3, Harare-2

ハラレ/ダーバン紀行3
ハラレ(ジンバブウェ)2

ハウスさんはざっくばらんで、無類の親切なひとだ。英語は米語ではなく、英国英語でもなかった。分かりやすい英語、そういう英語を話してくれたのかもしれない。家に奥さんはいなかった。既婚か未婚か僕は知らない。僕はそういうプライベートなことは訊かないことにしている。僕は彼が事務所にしている部屋にベッドがあってそこに寝た。犬が来て僕のベッドで寝た。クリスチャンはサロンの隣の小さな部屋で同じく別の犬と一緒に寝ていた。
ハウス邸には居候が何人かいつもいる。友人たちとといえば友人たちなのだろう。ケープタウンから来たという女性もいた。朝食は遅くブランチだ。

ネット環境が素晴らしく、僕はリロングウェ(マラウィの首都)で8月に失くしたソフト、ベア・シェアBearShareDLした。

使用人は午前中だけ賄いのお姉さん、ほかに庭師がいただけのようだ。セキュリティー会社は見回るだけで、とくに人を入り口に配置していなかった。

街の中心にはタクシーでちかくの広いボロデル・ロードを直進して10分、12ドルが相場だった。ボロデル・ロードは郊外のムガベ大統領官邸に通じる道だから整備されているそうだが他の道も舗装されていて悪くはない。
ハラレの中心街
 スーパーとして食料品雑貨チェーン店スパーSparがあちこちにあった。ハウス邸から歩いて5分のところのガソリンスタンドのとなりにもあって、そこでタクシーを待っている間に傘を買った。タクシーは近くにたむろしていた若者たちの一人が携帯で呼んでくれた。若者はスパーに傘は置いていないよと云ったが僕は敢えて店に入って尋ねたらあったのだ。

1222日(月)昼にハウスさんと車でサム・レヴィーズ・ビレッジSam Levy’s Villageに買い物に行った。ショッピング・モールである。白人客が多い。モールがあ英国風の街並になっている。2012年に亡くなったジンバブウェの実業家レヴィ氏が1990年に建設したモールだとWikiで分かった。おそらくハラレだけでなくジンバブウェNo,1の規模であろう。
しかし、ある店でサッカー・シューズの値段を聞いたら350ドル。ちょっと高すぎではないか。輸入品なので高かったのdろうと思う、同モールの中のスパーで野菜や果物、牛肉なのの価格をみたら、ルブンバシよりずっと安かった。カフェでカプチーノやマキャートなどを飲んだが4人分で10ドルで釣りがきた。日本より安い。それでも地元の庶民には高いショッピング・モールだろうことは疑いない。
ハウスさんはケーブルを探していた。最初の電気屋では短いケーブルしかなかった。僕はその店でセコハンの携帯を2台買った。スマートフォンではなくconventionalな製品だ。クリスチャンにもiPhoneがあったので買ったが、充電が上手くいかないことがわかって翌日返品した。レシートには返品不可とあったが、問題なく返金してくれた。スマートフォンはダーバンのインド人街で買った。
20年以上前に出来たモールとは思えないほどメンテナンスができていた。
Sam Levy's Village
(ネットから採用した画像)
 同日午後、雨降る中を中心街に行った。ショッピング・センターも賑わっていた。欧州並。経済停滞とはいうもののクリスマス商戦で大勢の人が出ていた。
イーストゲート・センターEastgate Centre
ショッピング部門、事務所部門、駐車場がある
世界で初めての自然空調だそうだ
ジンバブウェ生まれのミック・ピアス設計
1996年開館
この写真撮影のときにガードマンともめたが
ルブンバシのようにたかられることはなかった

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