24 juillet 2016

7月1日~13日 divers (3)

lLe vendredi 1er juillet 2016
5時、快晴、19℃、52.5%

日本は夏。連日猛暑かなぁ。こちらは寒い。南半球だから当たり前なのだが。

Le samedi 2 juillet 2016
5時、快晴、19℃、50%

ぎりぎりだが、貨物の通関が終わり、サイト(大学病院)に着いた。これで月曜日から仕事が始められる。


Des combats en RDC
Par Poly Muzalia, à Goma
2 juillet 2016
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Des soldats de la RDC
Des sources locales font état d’une dizaine de morts dans des combats survenus entre l’armée congolaise et des miliciens Maï-Maï, dans la zone de Lukweti, dans le territoire de Masisi.
Selon des membres de la société civile locale, ces affrontements ont fait six morts du côté de l’armée, dont un officier.
Les mêmes sources rapportent qu’il y a eu huit morts du côté des miliciens.
Un porte-parole de l’armée congolaise confirme qu’il y a eu un accrochage entre l’armée loyaliste et une coalition de rebelles, dans le territoire de Masisi.
Il n’a pas voulu donner de détails sur le bilan des combats.
Des dizaines de groupes armés
L’armée affirme avoir repoussé une attaque samedi matin, aux alentours du village d’Eringeti, dans la zone de Beni, dans l’est du pays.
Selon un porte-parole de l’armée, quatre miliciens ont été tués et sept autres capturés lors de cette attaque.
Dans l’est de la RDC pullulent des dizaines de groupes armés, qui se disputent le contrôle de cette zone riche en ressources naturelles.
L’armée a neutralisé certaines de ces milices, d’autres résistent encore.
C’est le cas des Maï-Maï, des FDLR et des ADF-Nalu, qui sont accusés d’avoir massacré à l’arme blanche plus de mille personnes, dans la zone de Beni

Le dimanche 3 juillet 2016
5時、快晴、19℃、50%

日本から4名の方がルブンバシ入りされた。

「乞食と坊主は」という。
セネガルの首都ダカールには3万人の子どもの物乞いがいるそうだ。
国連の帰還が計算したところによると、かれら子どもたちが受け取る金額合計は年間900万ドルに上ると書かれている。多額に上るが、これを一人あたり1日に受け取れる額になおすと1ドルにも満たない、85/6セントである。


Sénégal : les chiffres de la mendicité
Dimanche 3 juillet  BBC Afrique


Des enfants-mendiants, au Sénégal
Les personnes s'adonnant à la mendicité dans la capitale sénégalaise reçoivent de leurs bienfaiteurs 5,4 milliards de francs CFA par an, selon une estimation faite par l’Office des Nations unies contre la drogue et le crime (ONUDC).
"Il y a au moins 30 000 enfants qui mendient dans les rues de Dakar. On leur demande de ramener chacun un montant quotidien qui tourne autour de 500 francs CFA. Quand on multiplie cette somme au nombre de mendiants, ça donne 15 000 000 de francs CFA par jour, soit 5,475 milliards de francs CFA par an", a estimé Issa Saka.
Il est coordonnateur de projets pour l’ONUDC au bureau régional de cette agence à Dakar.
Selon le site Internet du quotidien gouvernemental Le Soleil, il a donné cette estimation lors d’un atelier du ministère sénégalais du Travail sur "la traite des personnes".
Issa Saka a tenu à préciser que cette estimation ne concerne que la capitale.
La mendicité est pratiquée dans les autres villes du pays, mais dans une moindre ampleur.
Cette activité est surtout exercée par des enfants, qui sont souvent envoyés mendier par des maîtres censés leur apprendre le Coran.
La mendicité est encore pratiquée au Sénégal, malgré son interdiction, depuis plusieurs années, par les autorités du pays.


Le lundi 4 juillet 2016
5時、快晴、18℃、47.5%。寒い。


Le mardi 5 juillet 2016
5時、快晴、18℃、50%

アルジェリア独立記念日。
今日はラマダン明けでもあるのかぁ。

Le mercredi 6 juillet 2016
5時、快晴、17℃、47.5%

RDCコンゴが世界最先端の技術を採用して有権者登録をするという。これで不正投票が避けられるなら「良し(bon)」とするが、問題はいろいろある。
オランダの会社から導入するこのシステムの購入費用はどこから来たのだろうか。機器代金もあり、決して安いとは思えない。
有権者カード取得に、選挙民は一体いくら払わねばならないのだろう。有権者カードと同様の偽造防止を施した運転免許証は120ドルもする。だから、運転免許証を持たずに運転するコンゴ人が大半となっている。お金がなければ投票できないというのは頷けない。
また4500万人の選挙人全員に新しいカードが今年11月末までに普及することは考えられない。大統領選挙を延期する「正当な」理由として、この有権者カードのシステム導入が使われるのではないかと懸念される。
民主的な選挙が「生体認証biométrie」で保証されるわけではない。

¸(引用開始)
「コンゴ民主共和国、ジェムアルトのモバイル生体認証登録ソリューションを採用し、公正な選挙を支援
2016-07-04 14:00:05
プレスリリース発表元企業:Gemalto NV

AMSTERDAM, Jul 4, 2016 - ( JCN Newswire ) - デジタルセキュリティの世界的なリーダーであるジェムアルト(ユーロネクスト NL0000400653 GTO)は、コンゴ民主共和国の独立全国選挙管理委員会(CENI)に対して有権者の生体認証登録モバイルキット22,000台を供給する案件を国際入札で獲得し、同国の有権者登録簿の包括的な更新をサポートします。ジェムアルトの完全にポータブルなCoesysモバイル登録ステーションにより、登録センター18,000ヶ所で市民のデジタル写真、指紋、署名の記録を迅速に取得でき、来る総選挙に向けて、パーソナライズされた有権者カードを即時発行できるようになります。ジェムアルトはまた、CENI向けにトレーナー養成を行い、過去最大規模となるこの有権者登録プロジェクトに包括的なメンテナンスとサポートを提供します。

ジェムアルトのCoesysモバイル登録ステーションは、堅牢でスーツケース式になっており、実質的に国内どこでも利用できることを特長としています。CENIでは総選挙に先立ち、国家有権者登録簿に新しい有権者を追加したり、既存の記録を削除・更新したりするため、Coesysモバイル登録ステーションを用いて、有権者の個人情報や生体認証データを効率的かつ高精度で確実に取得できるようにします。とりわけ、確かな生体認証データは重複データの特定、削除に役立ちます。CENIは登録プロセス全体の管理・運用と有権者登録簿の統合を担当しています。

CENIでプレジデントを務めるCorneille Nangaaは、次のように述べています。「当委員会では、この野心的なプログラムで最大4,500万人にのぼる有権者の登録を見込んでおり、本プログラムを円滑に進めるために、信頼できるパートナーを必要としていました。ジェムアルトは、アフリカおよびその他の地域で有権者登録、および登録アプリケーションにおいて豊富な経験を有しており、同社には最適な技術を提供いただき、当委員会の要件に迅速に対応していただきました。」

ジェムアルトの政府プログラム担当執行バイス・プレジデントを務める Frederic Trojaniは、次のように述べています。「当社のセキュアなモバイル登録ソリューションにより、CENIは確かな生体認証データに基づく高信頼かつ高評価の有権者登録簿を構築でき、また、全国に有権者登録所を設置するために必要なあらゆる柔軟性がCENIに提供されます。そして何よりも、本ソリューションはコンゴ民主共和国に対して、自由かつ公正で透明な選挙の実現に向け、信頼できる基盤を提供します。」」(引用終)

Le jeudi 7 juillet 2016
5時、快晴、17℃、47.5%

Le vendredi 8 juillet 2016
5時、快晴、18℃、50%

Le samedi 9 juillet 2016
5時、快晴、17℃、45%

Le dimanche 10 juillet 2016
5時、曇り、17℃、50%。珍しい曇り。8時、快晴。

ジョン・ヌンビ将軍(ジョゼフ・カビラ現大統領の父親の側近)の農園に行く予定。そこで会えればクリスチャンに会いたいが。クリスチャンは同将軍のルブンバシのアトリエで2週間実習を終え、今、彼の農園で農業機械のメカの実習を受けているはず。実習を追えたら、試用契約となるかもしれないチャンスなのだ。

174分、ネットが切られた。12日の朝まで持つかと思ったらダメだった。明日、Orangeで最低限必要バイトを買わないといけない。メイルが見られない。こういうところだけはOrangeもしっかりしている。12日に帰国便に載るので、1カ月契約をしても無駄になる。
しかし、ボーナス分4Gは使いきっていない。もしかしたら夜中、明日朝7時まで、ネットが使えるかもしれない。

Le lundi 11 juillet 2016
5時、快晴、16℃、45%。いよいよ16℃。外は10℃いかかもしれない。

ネット契約のボーナスとは本体が消費されたらボーナスもなくなるということらしい。これまた最低のサービスだ。ボーナスの意味がない。インチキだなぁ。

Le mardi 12 juillet 2016
5時、快晴、16℃、50%

SAAで一時帰国。
羽田着は明日の1945分。

アフリカに対する西欧人の偏見は今にはいまったことではないが、アフリカ人側の反応もステレオタイプといえる。
英国の女優さんという若い彼女の書いた本を批判したザンビア人の焦点もあっていない。
彼女がモンスーンと表現したのは要は雨季にちがいない。これはモンスーン(仏:Mousson)よいって大きなあやまりではなさそうだ。
フツ人、ツチ人の戦闘は、ンゴマ氏がいうようにルワンダだけの話ではない。DRCコンゴで、コンゴ人にとっては迷惑なことに、彼らの戦闘はRDCコンゴ南北キヴ州で実際に今日でもある。また、マイマイ(武装強盗集団)は、ザンビアと国境を接するカタンガ州東南部で2005年頃まで暴れまわっていた。マイマイは今でもいる。ザンビアまで飛び火しないとしても、タンガニーカ湖南端で脅威をかんじたことは十分考えられる。
またタンガニーカ湖にはワニが棲息しており、湖畔の都市カレミ―でワニがビーチにあがってきて大騒ぎになったこともある。ヘビはそこいらじゅうにいる。ライオンまではしらないが、サバンナでは普通にいた動物である。野生動物がいる地域を「ジャングル」と限定するのはおかしい。
「白人に救われるべき哀れなアフリカ」像は、アフリカの被援助体質を示すイメージでもあり、アフリカ諸国がそのイメージを逆に利用している面もある。
英国人ルイーズ・リントンさんを批判したザンビア人は首都ルサカにいて、彼女がいた北東部のことを知らないのではないかとさえ思える。
批判のための批判を書かねばならない米メディア『クオーツ』に踊らされた記事だと思う。

「白人に救われるべき哀れなアフリカ」観にうんざり? 英女優の回想録に現地民猛反発
更新日:2016711

 アフリカのザンビアで暮らした経験を記したイギリス人女優の本が、ひどい誤解と偏見に満ちていると話題になっている。暗く汚れたアフリカの苦境を救うのは白人だという時代遅れの上から目線に、アフリカのネット民や識者が、怒りを露わにしている。

◆事実誤認満載。アフリカは危険の宝庫?
 渦中の人となっているのは、イギリス人女優のルイーズ・リントン氏だ。彼女は「世界で最も貧しい人々を助ける」べく、高校卒業後の1999年、18歳でアフリカのザンビアに渡り、ボランティア活動をした経験を綴った回想録、『In Congos Shadow: One girls perilous journey to the heart of Africa(コンゴの影で: ある少女のアフリカ奥地への危険な旅)』を出版。その宣伝のためと見られる記事を英テレグラフ紙に寄せたのが、騒動の発端となった。

 テレグラフ紙の記事の中でリントン氏は当時を振り返り、笑顔で飛行機に乗りザンビアのタンガニーカ湖に近い村に到着したものの、「すぐにアフリカには隠れた危険がはびこっていると知った…モンスーン・シーズンが終わると、隣国コンゴのフツ族とツチ族の衝突が激しさを増し、ザンビアにも飛び火し、湖の周りにも悪影響が広がった。何千人もの人々が住む場所を失い、レイプや殺人などの残忍な話を聞いた」と述べている。

 この記述に対し、ガーディアン紙に寄稿したザンビア人の詩人でライターのリディア・ンゴマ氏は、ザンビアは内戦が起きたアンゴラやコンゴに近いものの、コンゴの反乱軍が国境を越えてザンビアを攻撃したという例は思い浮かばず、むしろザンビアはアフリカで最も平和な国の一つであり、戦争を逃れてきた周辺国の難民の受け入れ先とさえなっていたと述べる。また、「フツ族とツチ族の衝突」があったのはコンゴではなくルワンダであり、モンスーン・シーズンも、ザンビアにはないと述べ、内容の不正確さを指摘している。

◆判で押したような先入観。アフリカ人もあきれ顔
 リントン氏は記事の中で、自らを現地の戦争に巻き込まれた「長く天使のように細い髪を持つ、痩せた白人の外国人」と表現し、滞在中かわいがっていた「すきっ歯でHIVに感染した」ジンバという名の少女の最大の喜びは、「私の膝に座りコカコーラを瓶から飲むことだった」などとも述べている。他にも「マラリアにかかった」、「至近距離でゾウ、ライオン、ワニ、ヘビに遭遇」などの記述もあり、リントン氏の著書は不正確さと人種差別的表現に満ちた妄想、横柄な「ジャングル物語」だと、ザンビア人のみならずアフリカ中の読者から大批判を受けているとウェブ誌『クオーツ』は述べている。

 ソーシャルメディアには、「アフリカにはインターネットがないと思われているのかな?どうせやつらが俺らについて書いたことなんか絶対読まれない『ジャングル』だからね」、「今ザンビア旅行中だけど、途中で反乱軍の銃撃に合わないか不安」、「白人の特権は事実かどうか確かめられない経験で本が出せるってことね」など、痛烈なコメントが寄せられている(クオーツ)。

◆「白人救済者」の物語は今も健在。真実は自分の目で
 ワシントン・ポスト紙の編集者、カレン・アッティア氏は、これまでにも白人、または外国人の中心登場人物からみたアフリカを描いた作品はたくさんあったと指摘し、リントン氏のものも、その流れを汲むと説明する。アフリカの中には急速に経済成長を遂げる国もあり、アフリカ人や海外に住む同胞は、彼ら自身の物語を完璧に語り、社会を変革していくことができるのに、世の中にはいまだに「アフリカの白人救済者」ストーリーが根強く残っているのが現実だとしている。アフリカの物語からアフリカ人の声と経験を抹消し、メディアにおいてアフリカ人を善意の西洋人のための小道具とすることは、アフリカに対する怠惰な思考、著述、政策立案の温床を作ることになると同氏は主張し、それが人間性を奪う行為であり、人種差別であり、ただただつまらないことだと嘆いている。

 騒動に驚いたリントン氏はバズフィードに、ザンビアの人々に対する謝罪の気持ちを述べているが、ンゴマ氏はそもそもテレグラフ紙が事実確認をせず、こんなひどい回想録からの抜粋を実話として紹介してしまったという事実は変わらないと述べる。この本を買わないようガーディアン紙の読者に訴えるンゴマ氏は、興味がある場所に関するよい著作がない場合は、アフリカだろうがアジアだろうが、実際に行って真実を知るべきだとアドバイスしている。

(山川真智子)」

Le jeudi 13 juillet 2016
7時、曇り、猛暑ではない。ユーカリが丘

羽田到着、2015分。30分遅れ。スーツケース未着。香港で積み込みフェイル。接続時間が短すぎるのか。去年3月、成田着でも失敗している。
ユーカリが丘へは、津田沼までバス。その後京成に乗り換え。意外とバスが早い。23時、ユーカリが丘の妹の家に着いた。

南スーダンで内戦が再発。日本から自衛隊が派遣されている国だ。JICAからも協力隊がでている。そのため、この内政、日本でも大きく報道されたようだ。RDCコンゴは南スーダンと国境を接している。難民もRDCコンゴ北東部に入ってきている。しかし。南スーダンの内戦は「またか」との印象しかRDCには与えないだろう。日本政府はチャーター機で日本人たちをナイロビに移動させた。中国も軍を派遣しているが、2人の犠牲者を出している。

日本政府はさらにジブチに自衛隊機を飛ばしている。
無政府状態の南スーダン。政府側も反政府側も、どちらに正当性があるともいえない。日本はどちらも応援できない。国連軍(Minuss)も手の出しようがない。
最大の犠牲者は市民だが、その市民も、援助物資、食料品などの略奪に走る。

南スーダンの内戦は解決の方法がない。RDCコンゴの東部の戦闘とは性格が異なりそうだ。
南スーダンの内戦当事者
大統領と副大統領
Soudan du Sud : les leçons cruelles de la bataille de Juba
Par Jean-Philippe Rémy (Johannesburg, correspondant régional)

LE MONDE Le 12.07.2016 à 11h36 • Mis à jour le 14.07.2016 à 10h41

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image: http://s2.lemde.fr/image/2016/07/12/768x0/4968288_3_df22_le-vice-president-riek-machar-et-le-president_a4d7b07619b3ffad308ac1d2ad895d0d.jpg
Le vice-président Riek Machar et le président sud-soudanais Salva Kiir au palais présidentiel, le 8 juillet 2016.
Après plusieurs jours de combats dans la capitale sud-soudanaise, débutés la veille du cinquième anniversaire de la création de ce petit Etat d’Afrique centrale, une trêve a été décidée par le président sud-soudanais Salva Kiir et son vice-président et rival politique, Riek Machar.

Le cessez-le-feu devait entrer en vigueur lundi 11 juillet à 20 heures (heure locale). Mardi matin, la trêve semblait avoir tenu.

Les affrontements, qui ont fait plusieurs centaines de morts, menacent de faire retomber le pays dans la guerre civile. Le point sur la situation à Juba.

Y a-t-il un vainqueur ?

Pas de façon nette. Les forces de l’Armée de libération des peuples du Soudan (SPLA) avaient l’avantage à Juba avant la crise des derniers jours, avec plus de matériel, plus d’hommes en ville (3 420 autorisés par les arrangements sécuritaires de l’accord de paix, mais sans doute plus), sans parler des troupes cantonnées en grand nombre autour de la ville, à 25 km, qui ont pu entrer rapidement dans la capitale.

Les combats ont opposé cette armée à d’anciens rebelles, un peu moins de 1 500 regroupés dans les quartiers de Jebel et de Gudele, juste à côté. C’est là qu’a eu lieu le plus gros des combats, sans qu’il soit possible de démêler si les ex-rebelles ont « tenu » leur zone ou ont été mis en difficulté.

Mais, de façon surprenante, des affrontements ont eu lieu ailleurs : ce qu’indique la présence de groupes de la SPLA qui auraient fait défection. On parle de plusieurs généraux, en particulier, et cela montre que chaque camp est traversé de profondes divisions.

Lire aussi : Soudan du Sud : qui se bat contre qui et pourquoi ?

Chaque camp a enregistré des pertes, au total plusieurs centaines d’hommes, dont des gardes du corps de Riek Machar, tués devant la présidence, quand tout a éclaté, vendredi soir. Au final, aucun camp n’a écrasé l’autre, malgré les pertes cumulées et même si la SPLA/IO de Riek Machar sort diminuée militairement de l’affrontement. Les anciens rebelles ne semblent pas être parvenus à faire venir des renforts conséquents de l’extérieur de Juba et leurs pertes ont un impact plus grave que celles de leurs adversaires.

Où étaient les casques bleus durant les combats ?

La situation a été d’une grande cruauté pour la réputation opérationnelle de la Mission de l’ONU au Soudan du Sud (Minuss) à Juba. Dès l’éclatement des violences, vendredi soir, les casques bleus ont été coincés dans leurs deux casernes dans la capitale. Lun près de Jebel, l’autre près de l’aéroport, à Tomping. Ils ont été la cible de tirs divers, y compris, parfois, de mortier et de lance-roquettes.

Deux casques bleus chinois ont été tués et de nombreux autres, blessés. La chef de la Minuss, Ellen Margrethe Loj, a publié un communiqué, lundi soir, demandant à toutes les parties de laisser passer des ambulances non armées pour acheminer ses casques bleus blessés du camp de Jebel à l’hôpital de Tomping. C’est dire l’urgence absolue de changer les règles de fonctionnement.

Evolution du mandat ? Renforts ? Le Conseil de sécurité des Nations unies a déclaré qu’il serait bon de voir des pays de la région envoyer des troupes dans ce cadre. Outre que cela renforce l’idée, en filigrane, que la solution au problème sud-soudanais ne pourrait être mise en œuvre que par des soldats de la région, il faut identifier à présent des objectifs.

Un « embargo sur les armes », réclamé par le secrétaire général des Nations unies, Ban Ki-moon, ne résoudra rien dans l’immédiat. Il faudrait obtenir que Juba soit démilitarisée, car, en l’état, de nouveaux affrontements sont inévitables. Qui sera capable d’imposer une telle mesure ? A la sortie des combats, ce sont les militaires sud-soudanais, et les plus durs, qui sont en position de force.

Le président Salva Kiir semble avoir été dépassé par les événements. Son rival, le vice-président Riek Machar, a échappé à la mort, mais ne semble pas en mesure de commander à tous ses militaires. Par ailleurs, on voit mal comment des ministres pourraient s’asseoir demain à la même table pour gérer les affaires courantes du Soudan du Sud comme si aucun n’avait ouvert le feu sous leurs fenêtres.

Le gouvernement transitoire d’union nationale, mis en place en avril, n’avait été jusqu’ici en mesure que de constater la ruine du Soudan du Sud qui a mené à cette guerre. Il est donc vidé de sa substance. Mais par quoi le remplacer ?

Les chefs militaires sont désormais en situation de puissance : le général Paul Malong, chef d’état-major de l’Armée de libération des peuples du Soudan (SPLA), qui prédisait depuis le retour des hommes de Riek Machar (SLPA/IO) à Juba que tout se terminerait mal – et dont certains pourraient avoir attisé le feu pour appuyer la démonstration – est l’homme du jour dans son camp.

Les combats ont-ils pris fin ?

Trop d’inconnues subsistent pour savoir si le cessez-le-feu va tenir. Trop de forces en présence parient sur la violence pour pousser leurs intérêts. Il va falloir beaucoup de pressions sur le Soudan du Sud, de tentatives de persuasion, pour que le moindre incident éclatant à nouveau entre soldats ne dégénère pas en guerre ouverte.

Tant qu’un camp est capable de sortir des tanks et des hélicoptères d’attaque, il restera un risque de règlement par le vide : tuer tous ses adversaires, et voir ensuite.

Soudan du Sud : au moins 36 000 déplacés depuis vendredi
Au moins 36 000 personnes ont été déplacées par les combats au Soudan du Sud depuis vendredi, a révélé mardi 12 juillet l’Organisation des Nations unies (ONU), après quatre jours d’affrontements meurtriers à Juba entre forces loyalistes et ex-rebelles. Les Nations unies ont précisé que ce chiffre risquait d’évoluer.
Ces personnes – en majorité des femmes et des enfants – ont fui les affrontements et se sont réfugiées dans les sites de protection des civils de la Mission des Nations Unies au Soudan du Sud (Minuss) et dans d’autres endroits de la capitale.

« Il est impératif que les civils soient autorisés à se déplacer librement pour se réfugier et que le personnel humanitaire soit protégé pour avoir un accès immédiat, sûr et sans entrave aux personnes » qui ont besoin d’aide, a expliqué le Bureau de coordination des affaires humanitaires de l’ONU (OCHA). Lequel souligne par ailleurs que « la situation humanitaire est grave et que les besoins sont immenses ».

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