30 novembre 2016

11月30日 二つのコンゴ deux Congo

Le mercredi 30 novembre 2016
6時、雨、24℃、70%。

今日を木曜日と早合点して出かけようとするところ、「パパ、水曜日だよ」。

9時、薄日がさしてきた。

コンゴ共和国とコンゴ民主共和国と二つのコンゴがあることをどれだけのひとがご存知だろう。日本だけの話ではない。欧米でもよく混同される。国民の呼称はどちらもコンゴ人congolaisである。
コンゴという名前はコンゴ王国Royaume du Kongoから発する。13世紀には成立したと云われる。この王国の領土は現在のコンゴ民主共和国、コンゴ共和国、アンゴラ共和国、ガボン共和国それぞれのの一部に跨る30万㎢であった。
コンゴ共和国の首都はブラザビルBrazzaville、コンゴ民主共和国のそれはキンシャサだ。キンシャサの方が有名だろうが、ブラザビルはコンゴ河を隔てた対面にある。キンシャサからブラザビルを遠望することができる。
コンゴ民主共和国を僕はRDCコンゴと書いている。RDCとはRepublique Democratique du Congoの略である。英語ならDRC
結局は近代国民国家ができるときに、欧州列国によってアフリカが分割され、フランスがブラザビル側を植民地化、ベルギーがキンシャサ側を「ぶんどった」ということである。
欧州に分割されていなければ、言語地図によって、あるいは民族地図によってバンツーの大コンゴができたか、多数の小国が生まれていたであろうと思う。
カタンガ州はスワヒリ語圏だが、キンシャサで話されているリンガラ語はコンゴ・ブラザビル、アンゴラや中央アフリカ共和国の一部でも話されているのである。

こうした背景を持つ二つのコンゴだが、英国のサッカー連盟のミスで、生まれも育ちもロンドンなのに、両親がRDCコンゴ出身でコンゴ人になりたくてコンゴ・ナショナル・チームの一員としてプレーすることを選択したサッカー選手ベニク・アフォーベBenik Afobe君(23歳)が先のギニアとの試合に出られなかったという話である。
「初歩的過ぎる(ミス)」と記事では非難しているようだが、僕は無理もないと思う。普通の英国人が二つのコンゴがあることを知る由もないのではないか。

ベニク君に一言するなら、英国のナショナル・チームが選んでくれるなら彼を育ててくれた英国のためにプレーするのが順当ではないかと思う。家ではリンガラ語を話し、フォフォを主食にしていたかもしれないが、RDCコンゴまた両親が育ったであろうザイールを彼は全く知らないし、現在のコンゴも知らないのである。
ベニク・アフォーベ選手
(引用開始)
「初歩的過ぎる…元アーセナルFW「コンゴ違い」でW杯予選に出られず!
2016/11/24 11:00 Football Web Magasin Qoly
Written by 編集部K

22日、『Mirror』は「ボーンマスに所属しているFWベニク・アフォービは、イングランドサッカー協会(FA)のミスでワールドカップ予選に出られなかった」と報じた。

かつてアーセナルのユースで育成され、トップチームにも昇格したアフォービ。様々なクラブへのレンタルを経て退団し、昨季半ばからはボーンマスでプレーしている。

彼はイングランドの各年代で選抜されてきた経験を持っているが、先日以前から誘いを受けていたコンゴ民主共和国の代表に入ることを決断した。

両親の出身地へと国籍を切り替えることになった彼はFAにそれを申請し、手続きを行っていた。

ところが、彼がワールドカップ予選にデビューすることはなかった。その理由は、なんとFAの書類送信ミスであったという。

FAの職員は、アフォービが呼ばれたコンゴ民主共和国ではなく、コンゴ共和国に書類を送信していたとのこと。

このエラーを修正するために10日間を要し、FIFAがそれを解決した際には、もうワールドカップ予選ギニア戦が終わっていたとのことだ。

残念ながらアフォービは合流しながら出場できなかったが、コンゴ民主共和国は2-1と勝利を収め、グループ首位を守ることに成功。アフォービも環境に慣れるという価値があったと語った。

ベニク・アフォービ

「僕はチームや状況に慣れなければならなかったから、旅をする価値はあったし、試合にも勝った。プレーできないことに失望はしたが、重要なのは怪我なしでクラブに戻ることだよ。

いつだって代表チームよりもクラブチームの方が優先されるものだ。僕はボーンマスでできるだけプレーできるようにしておきたい」

(引用終了)

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