12 juillet 2018

6月3日~30日 不幸な独立 indépendance malheureuse


le dimanche 3 juin 2018
7時、快晴、2050%。

クリスチャンはサッカーの試合でルブンバシに出た。帰りのバス(ノア)がバイクタクシーと事故を起こし、バイクを運転していた少年と後ろに乗っていた客が事故死したそうだ。バイクの運転手は勿論ヘルメットをしていなかった。キガリのバイクタクシー運転手はみんなヘルメットをかぶっていたし、客用のヘルメットも義務だった。コンゴは無法地帯。クリスチャンは21時と遅く帰って来て、ショックが隠せず食事も喉を通らないらしく、そのまま横になってしまった。繊細なんだなぁ。ノアの運転手の直ぐ後ろの席だった。

le lundi 4 juin 2018
6時、快晴、2047.5。僕の誕生日。

夕方、キプシ行きのバス停は人混みだった。ハイ・エースが来ない。ノアは来てもすぐに満員になってしまう。それに荷物を持っている人が多い。僕もチコちゃんたちのビスケット。トイレの砂、食品などの袋を7個ももっていた。30kg以上あったろう。クリスチャンがルブンバシに来て荷物運びの手伝いをしてくれていたがバスがない。1時間も待っていた。仕方なくタクシーを奮発した。25ドル(4万フラン)。今日は誕生日だったか。ならこの贅沢、バスの33倍の料金、勘弁してもらおう。

le mardi 5 juin 2018
6時、快晴、1940。湿度の変化に驚く。

le mercredi 6 juin 2018
6時、快晴、1850%。体感温度は14か。

le jeudi 7 juin 2018
6時半、快晴、1847.5

マーゴちゃんの子どもたちの行き先は決まっている。1匹だけが乳離れをして普通の食事ができるようになった。あと2匹はまだ。54日生まれだから5週間経っている。
この間のチーコちゃんの行動が不思議だった。彼女の子ではないのに、マーゴちゃんと競争で子どもたちの世話をする。僕のベッドに子どもたちを運んで来て子どもたちを占有しようとすることもあった。チーコは出産経験がない。でも母親になりたいのであろうか。哀れと思うのは僕の勝手であろう。チーコは既に8歳。もう子どもには恵まれないかもしれない。しかし、ネコの親子関係は子どもが乳離れしたらほぼ解消だ。それぞれ独立する。

le vendredi 8 juin 2018
6時、快晴、1645%。寒い。

外出時には、セーターを着こみ、日本で冬期使用していたコートを着て、さらに襟巻をする。それでも寒い。手袋も持っている。

le samedi 9 juin 2018
6時半、快晴、1637.5

le dimanche 10 juin 2018
6時、快晴、17「、37.5%。

カスンバレサに行く。ワールドカップに間に合うようにCanal+との契約を結んだはずなのだが問題があるらしい。

19時、くたくたになって帰宅したら停電だった。20時に回復したが13時から停電していたらしい。今日は初めから日が良くなかった。
朝乗ったミニバス(ノア)がジェカミン南病院の前で追突事故を起こした。前の車、トヨタの四駆プラドが止まっているのは僕の目からみて明らかだったが、あれよという間に追突した。直ぐにバスを降りて通りがかりのバスに乗った。既にルブンバシの街に入っていたから時間を無駄にしなかった。野次馬がさっと寄ってきて大声でわめいていた。こんなのに関わっていては面倒。
カスンバレサ行きの乗り合いタクシーは超スピードで1時間15分でカスンバレサについてしまった。帰りは2時間以上かかっている。運転手に居眠り運転などするなよと注意。街道は5月初めに通った時よりも修理されていた。ルマタ村から先の凸凹道が80%ほど補修されていたのだ。

本日の出席者。キミコさん(1045分)、サイトウ君(1105分)、カルベ君(1215分)、シバタ君(13時)。カルベ君が久しぶりに出席。
5月の収支もまたとんとん。利益なし。いつものように場所が悪いとみんなが云う。事件は515日、店で働いていたポラン君(サツキさんの夫の連れ子)が、店のテーブルや椅子、さらにはその日までの売り上げ20万フラン(125ドル)を持って逃げてしまい行方不明となったことだ。警察への届けはまだ出していない。サイトウ君が処理すると決まった。

Canal+の契約は予定通り済ませ、パラボラアンテナを設置、モデムもリモコンも店にあったが番組が見られない。1か月の契約が切れたその後が払えないという。明日ルブンバシのCanal+で、World Cupが見られるように僕から契約更新をすることとした。

新しく店に入ったのはルッセル君。キミコさんの親戚だそうだ。彼は店に寝泊まりしている。11000フラン(60円)。これでは食事もろくにとれない。このままいけばポラン君のように悪いことを考えかねないとサイトウ君、キミコさんが云う。だから何がしか渡せというので20ドル出した。半月の店の売り上げは、店賃、電気代を出したのでない。これじゃ、経営ではない。

やっと真剣に、前の店の敷金を取り戻すことをサイトウ君が考えだした。最大2200ドル返還されるはずだ。それでもっと良い場所に移れるかもしれない。子どもたちの前会長ケイコさんとサイトウくんと僕と火曜日にルブンバシで集まり、オーナーであるダヴィッドさんと交渉する。問題はダヴィッドさんが逃げていることだ。なかなかつかまらない。

傍からみれば、お前たち何をしているのだと云われかねない。しかし、ここではこのリズムでしかことが動かない。

15時半、明日からアンゴラ国境に10日ほど行ってしまうというアスンタ佐野シスターに今日のカスンバレサのことを報告した。シスターは先週8日(金)ゴマから帰ってきたばかり。ゴマにはフランシスコ会の孤児院がある。僕が1月訪問した施設だ。借家。90名だった子どもたちの数はその後も増え続けている。特に乳児たち。
日本大使館に援助を求めたが、ゴマは危険地帯だから援助は出来ないと断られたそうだ。危険地帯だからこそ、親を失った子どもたちが出る。それなのに、なんという大使館の反応か。子どもの手術のためにキンシャサに行ったときに佐野シスターが大使館に連絡した。軽部大使に電話して大使館に行ったらF氏が面談した。F氏はとても良い方で親身にシスターの訴えを聞いてくれている。しかし大使が出てこなかった。事情はあるだろう。それでも大使が会ってしかるべきシスターだ。佐野シスターはコンゴ35年のベテランでコンゴを知り尽くした方なのだ。僕は彼女を野口英世アフリカ賞に推薦する準備をしようとしている。前任のU大使だったら真摯にゴマの孤児院設立を考えてくれたはずだ。

le lundi 11 juin 2018
6時、快晴、1737.5

マーゴちゃんの子どもたちを今朝養子に出した。急にこどもたちがいなくなってマーゴもチーコも寂しいかもしれないが、何時まで家において置くわけにはいかない。

le mardi 12 juin 2018
6時、快晴、1850

le mercredi 13 juin 2018
6時、快晴、1855

le jeudi 14 juin 2018
6時、快晴、1855

le vendredi 15 juin 2018
6時、快晴、1855%。

スペインとポルトガルのサッカー試合。レベルが高いなぁ。クリスティアーノがゴールする度にうちのクリスチャンが大騒ぎ。スペインのディエゴ・コスタもクリスティアーノもブラジル出身なんだ。ま、引き分けでよかった。

le samedi 16 juin 2018
6時半、快晴、1955%。

le dimanche 17 juin 2018
6時半、快晴、2055%。

『メリーポピンズ』の主題歌は覚えていたが、ストーリーはすっかり忘れている。この映画が出来た裏話『デズニーの約束』(Dans l’ombre de Mary)をCanal+で見た。デスニー役をトム・ハンクス。まるで気がつかなかった。

le lundi 18 juin 2018
6時、快晴、2055

多少寒さが和らいだ。

le mardi 19 juin 2018
6時、快晴、1955

le mercredi 20 juin 2018
6時、快晴、1855

le jeudi 21 juin 2018
6時半、快晴、1852.5。寒い。ここは南半球なので冬至。

le vendredi 22 juin 2018
6時、快晴、2052.5

le samedi 23 juin 2018
7時、快晴、2060

le dimanche 24 juin 2018
7時、うす曇り、2057.5

le lundi 25 juin 2018
6時、うす曇り、2055

le mardi 26 juin 2018
6時、快晴、2055

le mercredi 27 juin 2018
6時、晴れ、2057.5

le jeudi 28 juin 2018
6時、快晴、2055

le vendredi 29 juin 2018
6時、快晴、1855

le samedi 30 juin 2018
7時、快晴、1852.5%。RDCコンゴ独立記念日。

多くのアフリカ諸国が1960年代に独立している。ルムンバPatrice Emery Lumumbaは独立は与えられたものではない、勝ち取ったものだと云った。しかし、戦争で勝ち取ったといわれるアルジェリアにしても、フランスの都合で独立させたのではないか。60年代というのは西欧の国々でもインフラや工業の投資が盛んになった時代である。高速道路、TGV(新幹線)、空港整備、製鉄や造船など重工業、自動車産業等々が敗戦国戦勝国とも盛んになった時期で、植民地からの収奪も性格を変えていく。植民地への投資が本国の負担になってくる。独立させた方が経済的に有利だとフランスや英国が考えたのである。本国の都合で独立させたというのが歴史の真実ではないか。
エメリー・パトリス・ルムンバ
日本の植民地の場合とは事情が異なる。朝鮮や台湾(中国)は高い文化の国で、古くは日本の先生だった。日本の敗戦後自力で経済を立て直しさらに成長することができた。韓国や台湾は独裁を経て民主主義を徹底させている。

アフリカは独立後も本国との関係を断ち切れていない。フランスに反抗したギニア(首都コナクリー)は経済的に破綻した。東西冷戦を利用したかに見えたアルジェリアなど第三国非同盟諸国は当時のソ連に利用されただけだった。ソ連崩壊後、社会主義路線を維持できたアフリカの国はない。

アフリカ諸国は独立して何を得たのだろうか。経済的には独立以前よりも落ち込んでいる国が殆どだ。では一般国民は自由(言論、集会、結社、信教等々)を謳歌しているだろうか。それも疑問である。

悲観的見方だろうか。僕は植民地時代のアフリカに生きたことがない。70年代に独立したアンゴラやモザンビークに行ったことがない。他のアフリカ諸国よりも遅く独立したのは宗主国ポルトガルが、欧州の中で最も遅れて近代化した国だったからである。独立はカーネーション革命の子といえる。当時既に僕はアルジェリアにいたが、ポルトルの動きもアフリカの動きも知らなかった。

アルジェリアは1962年に独立した。アルジェリアはフランスの海外県でアルジェリア生まれのフランス人pieds noirsも沢山いた。アルベール・カミュをはじめ有名人も多い。僕がアルジェリアに住み始めたころの大統領はブームディエンヌで、社会主義、計画経済を進めていた。原油生産のお陰があって近代工業化に投資していたが、一般国民は極めて最低線をはいつくばっていた。失業率も高く、市場(いちば)には商品がなかった。初めて覚えたローカルの言葉は「マッカーシ」(何々が無い)だったのである。重工業化、軽工業化に結局失敗し、社会主義からイスラム国家に傾きテロを招いて、現在は方向性のない国になっている。

独立にいたった経緯は国によって事情が違う。しかし、独立によって国民が場合によって多くの血を流して得たものは幻想でしかない。

民主主義は効率的な政治システムではないだろう。しかし、それが2000年の経験の結果であり、アフリカ民主主義、コンゴ民主主義などはなく、ユニバーサルな価値だと思う。その民主主義に成功した国は、例えばボツワナであるが、ここはダイヤモンドのお陰だ。しかし、ダイヤモンドがあろうが、原油があろうが、民主主義に辿り着けない国が大多数の国といえる。その原因を、アメリカ帝国主義、宗主国、国際大企業の搾取に求める、要するに他人の
所為にするのがアフリカ人の常である。

独立とはなんであったのか。未だに僕には分からない主題である。