21 mars 2020

enfant de Musoshi 3 mariage, maris japonais et leur épouses congolaises


【ムソシの子供たち 3】コンゴでの結婚とは

日鉱のムソシ鉱山には多くが単身赴任者だった。本社員の中には奥さまを同行してコンゴに来ているが少数だった。日鉱は本社員には立派な宿舎を現地に建設している。
単身赴任者、独身者はどうしたか。週末、彼らは近くの村や、現地コンゴ人宿舎街にできたキャバレーや飲み屋で遊んだ。
ムソシの子のひとりキミコさん
6人のこの母親
写真は末っ子バンジャマン君
コンゴ人女性と結婚した日本人も多い。ここで結婚するには、先ず女性の親に贈り物をすればよい。ドットdotという。現金(数10ドルから数100ドル)、ヤギ、酒類、反物などがドットになる。いわば結納である。
ナナさんと柴田君
ナナさんは今養鶏、以前は水商売もした
シバタ君は学校の先生、職業軍人だったこともある
日本での既婚者もドットを女性の両親に払って、結婚した人もいる。重婚だが、コンゴ側は気にしなかった。お金持ちのコンゴ人男性が複数の女性を妻にするのは、今でも権力の象徴である。コンゴ人妻の年齢を見て欲しい。大多数が145歳であった。日本でいえば、中学の女生徒だ。既婚の40代日本人のオジサンが中学生の少女を娶った例もある。20代の若い日本人でも、日本で中学生を相手にしますか。「現地妻」だからという思いが日本人にあったに違いない。
(左から)シバタ君、キミコさん、カルベ君、タナカ ヒデミツ君
カスンバレサでのミーティングで
 村役場に結婚を届け出たのはごく少数だ。当時ルブンバシにあった日本領事館に婚姻届を出した人は一人もいない。だから、日本の戸籍上の記載は全くない。まさか14歳の妻を入籍させるわけにも行かなかったろう。
在コンゴ民主共和国日本大使軽部氏
フランス語堪能でいらっしゃる
サイトウ君の手紙が読めない筈がない。
日本大使宛てにサイトウ君が出した手紙の返事は今日現在ない。

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