19 mars 2020

enfants de Musoshi 1 intro


日本の皆さま、
コンゴ民主共和国(DRC)ご存じですか。
アフリカ第2の面積がある国です。面積がトップなのはサハラ沙漠のあるアルジェリアです。DRCは地下資源に恵まれた国で、銅、コバルトを初め、金、ダイヤモンド、レアメタル、ウラン等々を産出します。
中部アフリカに位置する
コンゴ民主共和国
首都キンシャサが左上に
ルブンバシが右下のザンビア国境
日本からは1970年代頭に日本鉱業(現JX金属)が、DRCの南端の州、旧カタンガ州のムソシというところで銅鉱山を開発しました。
1983年に日本鉱業はここを閉山し撤退しましたが、一時600余名に昇る日本人従業員(日鉱の下請けや臨時雇いを含む)がムソシ鉱山で働いていました。

ムソシを中心として、日本人を父親としコンゴ人母親との間に50名以上の子供たちが生まれました。コンゴの慣習に従って結婚した方々の子供たちです。
閉山の結果、父親たちは日本に帰国しました。中には、帰国後もコンゴ人妻と連絡を取り合い、生活資金を送ったり、衣類や子供たちへの玩具を送った父親もいらっしゃいました。
年月が経ち、コンゴの郵便制度が破壊され、音信が不通になってしまいました。

子供たちは学校でムズング・ンブジ(白いヤギ)と呼ばれ、仲間はずれにされました。家が貧しく学校に行けなかった子供たちも多くいます。
中で恵まれた子供たちは、幸いにして母親たちよりも高い教育を受けることができ、大人となってから、コンゴ人社会から受けた偏見を日本人の子であるという誇りにかえて団結、「ムソシの子供たちの会」をつくりました。

当初は「日本人を父親とし、コンゴ人女性の母親から生まれ、コンゴに置き去りにされた子供たちの会」という名前の会でした。2014年に僕が名誉会長をしている「日本カタンガ協会」に組み入れる際に「ムソシの子供たちの会」に名称変更をしてもらったのです。
「ムソシの子どもたちの会」
サイトウ会長
「ムソシのこどもたちの会」の現会長はサイトウ君です。サイトウ君からキンシャサ(DRCの首都)にある日本大使館、その代表たる日本大使(現大使は軽部洋大使閣下)宛てに先週手紙が出されました。「日本国籍を下さい」という内容です。日本の国籍法によれば、両親の一方が日本国籍を有している場合、子は日本国籍が取得できるとなっています。
日本国籍は、子供たちにとって一つのアイデンティティの確保ということです。

日本国籍取得に関しては、フィリピンの旧軍属の子供たちが、戦後70年を経て日本国籍が認められたという例があります。日本語を全く解しない、日本語の読み書き会話が出来ない方でした。

実は、ムソシの子供たちによる国籍取得のお願いは、今回が初めてではありません。2007年、当時の会の会長ケイコさんが、キンシャサの日本大使館を訪問して要求書を提出しています(今回はお金がないので、物理的にキンシャサには行けずDHLの手紙にしました。キンシャサの大使館に行くには交通費だけでも500ドル以上かかります)。

日本大使館は、ケイコさんの事情を聞いて、日本の外務省本省に問い合わせをしました。外務省は日本鉱業に連絡しています。日本鉱業は「子供たちのことは聞いていない。そんな子供たちなどいない」と子供たちの存在そのものを否定しました。外務省は、それに基づき「民事案件であり、日本国家は関与しない、できない」と大使館を通じてケイコさんに回答しました。

さて、サイトウ君も今年50歳、一番若い会のメンバー、チーちゃんことモリタ・ケン君にしても37歳になります。日本人の父親たちも高齢者で亡くなっている方々も多いと思われます。もう後がないというのが正直なところ。新たに国籍取得願いがだされた理由の背景がここにあります。

子供たちもさることながら、孫たちが200名以上います。孫たちからも僕のところにお祖父ちゃんに会いたいと希望が寄せられています。母子家庭で育った子供たち、大方の貧しい家庭の孫たちは学校にもろくに行けずにいます。僕や、カトリック教会、フランシスコ女子修道院で一昨年まで35年間もDRCにいらっしゃったアスンタ佐野シスターが学費を応援しているのは数名の孫たちだけです。残念ながら、それぐらいしか出来ません。

日本大使から、今日(2020319日)までご返事をいただけていません。本当に善処していただけないものでしょうか。大使にお願いするとともに、皆さまに訴えたいと存じます。
大使宛ての手紙を下記に添付します。


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