22 novembre 2020

10月のアビジャン 2020年10月 au mois d'octobre à Abidjan

le jeudi 1er octobre 2020

7時、晴れ、29/21、湿度不明。

 

le vendredi 2 octobre 2020

6時半、晴れ、29/24、湿度不明。

 

le samedi 3 octobre 2020

6時半、曇り、29/24、湿度不明。

 

据え付けの衣類棚の衣類にカビが生えたので洗濯した。除湿する前に格納した衣類だ。湿度を60%以下にするにはどうしてもエアコンがいる。

 

dimanche 4 octobre 2020

7時、曇り、29/24、湿度不明。

 

アフリカの大部分の国のエアコンには暖房がない。だから正確にはクーラーと言うべきである。従いドライを選択しても、暖房除湿はない。

 

バチカンからの中継で法王の話が始まるのが、ここでは10時になる。アビジャンはGMTだ。日本との時差が9時間ある。

 

le lundi 5 octobre 2020

6時、晴れ、28/23

 

AEJ本部プラト地区に行き、Koneさんに会う。上司のバンバ氏にあわせてくれて、バンバ氏がクリスチャンの登録をその場でやり直した。これでやっとセットルできたことになる。効果はトレーニングプログラムなどに参加できること、ポスト募集が会った時に応募できることだ。

 

le mardi 6 octobre 2020

7時、曇り、29/24

 

CEPICIに行き、個人企業設立手続きを詳しくきいた。

父母名が登録に必要。このためには、戸籍抄本の翻訳を大使館に頼まねばならない。

事務所になる場所は今の住居でいいが、賃貸契約は住居契約ではなく事務所使用賃貸契約がいる。これは商工会議所のサイトからDLできる。大家さんのサインがいるので、彼女を説得しなければならない。

住所地の地図を手書きで描いて提出する要あり。

無犯罪証明書は、コートジボワール外務省が発行できるので、日本に頼む必要がない。

ま、ちょと時間がかかるが、一歩一歩準備しよう。

 

le mercredi 7 octobre 2020

7時、雨、28/24

 

le jeudi 8 octobre 2020

6時、曇り、29/24

 

大家さんが、今住んでいる住居を事務所として使用して良いと許可をくれたので、契約書Bail à usage professionnelを買ってきた。商工会議所はオリジナル3通を作れと要求しているので、3通買ったが、12500フラン(5ドル)もする。計7500フラン。

本当は買う必要がなく、商工会議所のサイトでPDFファイルを公開しているのでそれをDLすればいいと思うが、大家のおばさんがDLではダメだという。不合理だが、致し方ない。

 

le vendredi 9 octobre 2020

6時半、雨、28//24

 

アビジャン・モールで絵葉書を手にいれた。絵葉書を売っている店が少ない。原因は、1)インターネットの普及で絵葉書や手紙を送る人が少なくなった、2)郵便ポストが街角から消え、郵便局に行かないと手紙が出せなくなったことが揚げられよう。公共サーヴィスである郵便局の存在意味が、インターネット、民間宅配の発達で薄くなり、郵便局の民営化が可能になったに違いない。小泉はその波に乗ったから民営化ができたのだと思う。

 

le samedi 10 octobre 2020

7時、晴れ、29/24

 

アビジャンでは停電が珍しいと思ったら、結構停電する。短いが停電がある。或いはこの家の一角だけなのかも知れないが。

昼食の用意をしているところで停電した。食事はガスで作っていたので影響はないけれど。

13時から15時半まで停電した。ちょっと長かったなぁ。

 

小さなパイナップルが200フラン40円というのは安いかな。

 

郵便局に行ったら週末は閉まっていることが分かった。ココディ区でも郵便局が減り、一番近い郵便局がRTI(国営TV局)近くにあるにはあったが、家からは結構遠く、タクシーで片道1500フランもかかる。航空便(150円以下)を出すのにタクシーででかけて600円以上かけるのはバカらしい。

 

le dimanche 11 octobre 2020

6時半、雨、28/23

 

le lundi 12 octobre 2020

6時半、雨、29/24



le mardi 13 octobre 2020

6時、曇り、29/24

 

ココディの警察署でクリスチャンのための居住証明作成。サン・ジャンの警察よりちょっと多めに時間がかかった。

 

保健省で重要会議、15時。何年振りかで背広を着た。この背広は2006年にルブンバシで作った。有り難いことに僕の体形は変わっていないので今でも着ることができた。ネクタイはせず、襟付きの白いシャツを着て、襟を外に出した。フランスの哲学者BHL(レヴィ)ばりとした。

 

le mercredi 14 octobre 2020

7時、曇り、29/24

 

クリスチャンが警備会社の仕事があるので応募したいというので、書類を揃えた。先ず、応募趣旨を手書きで出せ。A4に書いたらダメだと突き返された。罫線のあるPapier Minisを買って、それに書くのだと。Papier Minisなんて聞いたことがない。

コンゴで作った無犯罪証明書ではなく、コートジボワールで作成した無犯罪証明書、出生証明書、国籍証明書がいると。全てプラト区の裁判所で作ってくれると警備会社がのたまわった。嘘。裁判所では無犯罪証明書のみ可能。あとは当然ながらRDCコンゴの領事部門だろう。RDCとはもう関係を断ちたかったのに。

 

警備会社の名前はShadowだった。何が「影」なのかなぁ。トレーニング募集人員が適当に集まったら始めるが、経費は5000フラン。トレーニング参加費? そんなものがいるのかよ。「そら来た」と思ったよ。

 

その事務所が、なんと辺鄙なところにあるのだ。どんな訓練をするのかね。(22Nov20: 辺鄙と書いたが、一応ココディ区の新興住宅街だとあとでGoogle Mapで調べて分かった)。

 

Shadow警備会社のインターネットサイトで電話番号を調べて裏をとった。今朝の担当者のことを訊いた。確かにその会社の従業員だそうだ。ちょっと安心。しかし、サイトはシャビーだなぁ。中小企業に違いない。(22Nov20:この裏取りがあとで問題となった。電話に出たのが社長だったようで、担当のドナルドという人物が「俺を信用していない」と臍を曲げたのだ。クリスチャンがとりなして、何とか応募がうけつけれられた)。

 

ここのRDC大使館の住所がはっきりしない。Googleで調べて、2か所あるとは。多分、大使公邸と大使館が混同されているのだろう。(22Nov20:ビジネス街プラト区にあった大使館の家賃を大使館が払わず、追い出されていたことが後で分かった。情報が更新されず大使館が2か所にあるようになっていたのだ)。

 

le jeudi 15 octobre 2020

6時半、雨、29/25

 

かなり激しい雨。

 

クリスチャンについてRDCコンゴ大使館に行った。場所はGoogle Map情報が正しく、ココディ区バロンにあった。コンゴ民主共和国とコンゴ共和国を混同しているネットサイトも多い。そのためだろう、コンゴ大使館に電話して、DRC大使館の住所を訊いたら、すらすらと応えてくれた。

 

le vendredi 16 octobre 2020

6時半、曇り、29/24

 

RDC大使館でクリスチャンの国籍証明書を受け取った。

 

le samedi 17 octobre 2020

6時半、雨、28/24

 

10月の雨季。今のところ、雨は一日に2回か3回降る。昼間と夜中である。各回1時間位で長く続くことがない。だから傘を持っている人が少ない。雨は待っていれば上がるのである。

 

『三国志』(吉川英治)。劉備から始まる。


le dimanche 18 octobre 2020

7時半、雨、29/25

 

ショッピングセンターCap Nordで買い物。

 

le lundi 19 octobre 2020

5時半、曇り、29/25

 

クリスチャンがガードマン会社に不足していた書類をもってでかけたが、担当者不在で空振り。

 

昼、糯米で餅を作った。前回は白玉だったが、今回は平たく鏡餅のようにして焼いて、海苔で食した。お餅、久しぶり。何年ぶりか。

 

le mardi 20 octobre 2020

5時、曇り、28/24

 

クリスチャンは何とか警備会社でトレーニングを受けられそうだ。就職につながればいいが。

 

le mercredi 21 octobre 2020

6時半、曇り、29/25

 

ネットの住所を頼りにCite des Artsにあるという会社を尋ねた。誰も会社の名前も通りの名前も知らない。何時ものことなのだが、疲れる。電話番号が古いことが分かったが、そもそもCite des Artsの中にはなかった。美術学校の近くにはちがいなかったが看板も出ていない。分かるわけがない。やっと迎えに来て貰って行った事務所はワインバーの奥の部屋。

 

le jeudi 22 octobre 2020

6時半、晴れ、29/25

 

クリスチャンはトレーニングの初日。

 

le vendredi 23 octobre 2020

6時、曇り、29/25

 

アビジャンは北半球、北緯5°。赤道は大西洋ギニア湾の沖、アフリカ大陸ではガボン、DRC、ビクトリア湖、ケニアを通る。緯度111kmだそうだから、アビジャンから赤道までは550km以上あることになる。北回帰線(23°)までが熱帯の定義らしいから、コートジボワールは完全にすっぽり熱帯の国。

 

ルブンバシは南緯12で熱帯になるが、高度が1000m以上あり、朝は涼しいというより寒いことが多かった。湿度が低いので体感温度は一層低い。

 

le samedi 24 octobre 2020

5時、曇り、29/26

 

le dimanche 25 octobre 2020

7時、曇り、29/26

 

昨日から今朝にかけてヨーロッパが冬時間になった。アビジャンとパリはこれで1時間差に。パリの8時はアビジャンの7時。日本との時差は当然変わらず9時間。

 

le lundi 26 octobre 2020

5時半、晴れ、30/25

 

10時半、街中は通常と変わりなく、大学前も静か。近くのRiviera3で催涙弾との話もあったが。大統領選挙前のちょっとした混乱。

 

le mardi 27 octobre 2020

6時、曇り、29/24

 

9時半、ごく通常の街の様子。

 

le mercredi 28 octobre 2020

6時、曇り、29/25

 

ネズミが出るので先週糊と毒薬を購入、昨夜早く厚紙に糊を敷いて浴室の床に置いた。22時ころ、ネズミが足を取られて足掻いていた。可愛いネズミ。だが、RatSourisではない。

 

le jeudi 29 octobre 2020

5時半、曇り、29/25

 

大学病院までタクシー。異常なし。

 

le vendredi 30 octobre 2020

6時、曇り、30/26

 

居住地リビエラから大学病院まで、Taxiを利用。街中に異常はなかった。病院の帰りにショッピングセンターCap Nordに立寄る。ATMに人が並んでいた。現金を出さずに、買い物はクレジットカードですました。

 

le samedi 31 octobre 2020

6時、曇り、30/26

 

大統領選挙投票日。家の周りは静かだ。

 

 選挙戦の最中に数十名が特に地方で犠牲者になっている。ところが、犠牲者が出ても全国的な騒動にならない。

 

日本では1968年頃の大学紛争、反体制運動で数名が犠牲者になっているが、学生だった犠牲者の名前が今に至っても忘れられず記憶されている。一方、1945年に負けた戦争の犠牲者は、何百万人にもなるのに、悲劇にはなっても、一人一人が回想されることがない。統計の数字のなかに埋もれてしまう。

 

吉川英治『三国志』を読み終えた。篇外余禄を含めて12巻ある。長い。中国の『三国志演義」をもとにした吉川の作品。吉川は大衆小説作家だというので、日本の「文壇」という下らない集団に馬鹿にされていたらしい。川端と吉川で何が違うと云うのだろう、「文壇」なんて未だにあるのかどうか知らないが下らない差別である。ともかく吉川『三国志』は面白かった。魏の曹操と蜀の諸葛孔明の活躍、関羽や張飛と劉備の義兄弟。戦時中に書かれた吉川『三国志』は、当時の日本軍、そして天皇を意識して書かれているように思う。ある意味天皇制の擁護、戦意高揚に加担していないとはいえない。しかし、痛快であり、中国(支那)の広大な国土と歴史が躍動している。

 

支那は蔑称であるというのは、中国及び愚かな日本共産党が主張しているが、「しな」が漢字変換されないのは日本マイクロソフトの「へつらい」であり、忖度である。ただ、右翼が好んで「支那」というので僕も余り「支那」と云い難いが「支那」の方が世界の中心だという中華思想よりも「秦」からきたであろうChineChinaと同じく地名国名として相応しいと思う。地理学者であった父は、よく「支那ソバ」と云っていた。兵役拒否をした父が右翼であったことはない。天皇は「てんてん」であった。

 

吉川『三国志』は中国の歴史として読むのではなく、物語、小説として読めばいいだろう。

 

といって、僕は孔子なんか大嫌いだし、孔明になりたくもなし、孔明が好きでもない。ただ、様々な孔明の作戦に感心するだけである。「泣いて馬謖を切る」なんてとんでもないと思う。