le samedi 1er janvier 2022
7時半、晴れ、32/25℃。元旦。le nouvel an。
あけましておめでとうございます。
とはいえ、何で目出度いのだろう。
餅がないので、糯米粉から餅に似たものを作った。焼いて海苔で食べた。また雑煮も作ってみた。クリスチャンの評判は悪かったが、僕は結構美味く出来たと思う。
中国食品店に膨らむ餅がなく、膨らまない餅しかなかったので。
le dimanche 2 janvier 2022
7時半、晴れ、32/25℃。
コートジボワールの去年2021年経済成長率は6.5%だそうだ。20年は2%だったので、Covid-19以前に戻れたということか。
le lundi 3 janvier 2022
6時半、曇り、32/25℃。
午後2時、床屋に行こうと思ったら雨が降って来た。雨が止んでからにしよう。
le mardi 4 janvier 2022
6時、曇り、31/25℃。
『サイコだけど大丈夫』、韓国TVドラマ。現代劇。日本語吹き替えがあった。やはり楽ちんだ。このドラマのタイトル、ダサい。少し工夫が足りない。
ちょっとばかり手のかかる病気の兄を持つスヒョン君演じる精神病棟の保護司と童話作家の恋愛がストーリー。
Youtubeで仙台を見た。僕が仙台に住んでいたのは1968年3月に大学を卒業するまでである。半世紀以上が経っているには違いない。しかし、その変わりようは極めて大きい。日の出会館も仙台ホテルもなくなった。市立病院は引っ越した。市電はとっくに35年前に廃止されていた。青葉山に工学部などは移転していたけれども、農学部、理学部まで移転していなかった。川内の米軍キャンプ跡はすっかり消えていた。
今東京から仙台まで新幹線で1時間半から2時間しかかからない。このことは仙台が東京文化経済圏に入ってしまったことを意味する。仙台の景観が東京のそれと変わらなくなってしまった。
パリに今行けば、最初に住んだSquare Port-Royalも大学都市Cité Universaireも直ぐに見つけられるし、周辺を散歩しても道に迷わない。確かに通りに面した1階の商店は同じではないかもしれないが、建物や街の様子は変わらない。19世紀に進められたオスマニザシオンHaussmannisationからパリは150年以上変わっていない。
コートジボワールは1960年に独立している。独立後アビジャンのプラトPlateau地区に摩天楼が林立した。その他の区、マルコリー区やヨプゴン区、さらにココディ区等々でも都市部が広がっている。人口増加と経済成長の影響が著しい。
le mercredi 5 janvier 2022
6時、曇り、32/26℃。
le jeudi 6 janvier 2022
6時、曇り、32/26℃。
YoutubeでMichael Sandel教授がNHKの招きで来日、東北大学で講演した記録を見た。Sandel氏は非常にゆっくりとした話し方で、英語圏以外での講演にもなれている様子だった。2013年3月の講演。東北大震災からわずか2年後、放射性土砂の保管場所をめぐる会場内での討論をまとめていた。それ以外にも対立する意見を提示し、会場から意見を求めていた。
しかしながら、Sandel氏には、いやこうした討論には、NHKがやることだし、または日本のことだし、初めから結論があったのではないかと思う。異なった意見のどちらかを採用するというのではなくて、異なった意見があるけれど、紳士的に、民主的にお互いを尊敬しながら前進していこうというもだ。
サンデル教授をありがたがるのは、西欧コンプレックス、ハーバードコンプレックスのなせる業にちがいない。要はつまらないのである。
le vendredi 7 janvier 2022
6時、晴れ、32/26℃。
le samedi 8 janvier 2022
7時、曇り、32/26℃。
le dimanche 9 janvier 2022
7時、晴れ、32/25℃。
le lundi 10 janvier 2022
6時、晴れ、32/26℃。
『ブラック・リスト』米国ドラマ。シナリオがいつものことだが米国は素晴らしい。日本語吹き替えなのはありがたい。
le mardi 11 janvier 2022
6時、晴れ、32/26℃。
正午、悪寒。Covid19 オミクロンが流行っている折に、発熱は嫌だなぁ、と思う。
18時、帰宅後、体温を量ると37.5℃。早速パラセタモルを1000mg飲む。マラリアにせよ、風邪にせよ、熱は大敵だから、ともかく熱を下げるのが先決と思う。
24時にもパラセタモル、1000mg。
le mercredi 12 janvier 2022
6時、曇り、32/26℃。
朝方熱あり。37℃を多少上回る。これはCovid19を疑ったほうがいいかな。パラセタモルで熱を下げていて、37℃以下にならないどころか、夜に21時には38℃を越えた。身体が大いに怠い。
le jeudi 13 janvier 2022
6時、曇り、32/26℃。
平熱。
午前中、PCR検査場に行くも、多数がいつものように無秩序に検査場前で待っている。おそれをなして、引き揚げた。パスツール研究所でテストしてくれるようY氏が手配してくれた。
le vendredi 14 janvier 2022
6時、晴れ、32/25℃。
一日、平熱。
9時半、パスツール研究所でPCR検査。1時間の待ちだった。結果は今夜。時間は不明。
21時過ぎネットで結果を知るためにアクセスするも、「ネガティヴ」とは書いていないが、「係員が追ってあなたに連絡する」との文言のみ。これが「ポジ」の意味だとは。
le samedi 15 janvier 2022
6時、晴れ、32/25℃。
一日、平熱。36.2~36.4℃。
午後、A氏がアユイAhui教授に連絡してくれて、教授の診断で現在の投薬で問題ないが、さらにSymbicort 400を朝夕吸入せよと。Symbicort 400はAtroventと同じ喘息Asthmeの薬。彼の指示に従い、月曜日に薬局に行こう。
Covid19に対する処方はなし。治療薬がないのであろう。自然治癒しかないらしい。とすると年齢により治癒力が衰えるのだ。なるほど。
治療薬は効果がやや疑問視されるけど、Lagevrio(Molnupiravir)という感冒GrippeやC型肝炎治療薬として開発された薬が効くらしい。インフルエンザだって特効薬はないのだから
le dimanche 16 janvier 2022
6時半、曇り、32/25℃。
7時、平熱、36.2℃。
鼻をかんだ時、血がティッシュについた。
13時、入浴、食事後、36.8℃。
17時、保健所~連絡ありCovid19陽性なので明日月曜日17日トレッシュビル大学病院伝染病科に朝8時出頭せよ、とやっといってきた。のんびりしている。
le lundi 17 janvier 2022
5時半、晴れ、32/26℃。
8時、トレッシュビル大学病院の伝染病科、サポートサービスに行く。初めて入るトレシュビルの大学病院で該当科を探し回ったが、何とかたどりついた。受け付けで体温、血圧を量ってから、待合室へ。順番は10番目だったが、10時10分まで待たされた。若いドクターがが面接してくれて、処方箋などをもらって10時半に開放された。次回は来週24日(月)8時半にコービッドテスト。陰性が出ないと職場復帰不可。面倒だなぁ。
10時半には受け付けに100人以上が並んでいたから8時に出頭したのは正解だった。
薬はアモキシシリンという抗生物質を1日3回、抗凝固剤を夜1回、VitaminC1000mgを毎日飲むことになった。この抗生物質がCovid19に効くとはネットの何処にも書いていない。
19時、微熱。36.8℃。
le mardi 18 janvier 2022
6時、晴れ、32/26℃。
14時、微熱、36.8℃。予防的にパラセタモル1000mg。
Covid19簡易テストをした。2本線がでて、陽性が確認された。残念。
le mercredi 19 janvier 2022
6時、晴れ、32/25℃。
7時、平熱、36.2℃。
大学病院でくれた抗生物質Amoxicillineを 500mgx2x3で一日あたり3000mgを飲んでいるのだが、身体が怠いのはこの抗生物質のせいではないだろうか。熱はないが、怠い。
僕は元来抗生物質が嫌いで余り飲まないから、たまに飲むと効き目が高い。しかし耐性菌といういうのは、僕によるのではなく、ビールス側の問題だ。
夜20時、36.8℃。
le jeudi 20 janvier 2022
6時、晴れ、32/25℃。
「これぞ、コロナだ!」という症状がない。風邪と変わりない。2回ワクチンを接種しているからだろうか。コロナは辛そうだから症状がないのはTant mieux !
平熱、36.2℃。
14時、簡易PCR検査をす。結果、1本線のみ。陰性。やれやれ。でもよかった。
le vendredi 21 janvier 2022
6時、晴れ、32/25℃。
終日、平熱。
7時、新型コロナ簡易テストをした。陰性を確認。
le samedi 22 janvier 2022
6時半、晴れ、32/25℃。
平熱。
le dimanche 23 janvier 2022
7時、晴れ、32/25℃。
平熱、36.1℃。
八千草薫が昨年10月に亡くなっていた。小学校のときファンだった。チャンバラ映画でお姫様役をもっぱらしていたように思う。享年88。ま、いいお歳ですよ。今更嘆くほどの早死にではないのだから、涙をみせることもない。
15時、Covid19陰性を確認。もう陽転することもないだろう。
le lundi 24 janvier 2022
5時半、曇り、32/25℃。
8時、PCR検査会場。住んでいるココディ区のサン・ジャンのセンターに着いた。受け付け番号は、海外渡航組と国内組とに別々に渡される。書いておけばいいのに、いちいちガードマンが説明している。
9時15分、テント検査場に入る。ここでまた待つ。登録事務があり、PCRテストが終わったのは10時15分。
しかも今回は、検査番号が重複した、僕の隣の青年と僕の番号が同じだったのだ。酷い間違い。登録をやり直し番号が新たにふられた。こんな初歩的間違いをするとは大丈夫かよ。
ま、混乱の中で待つよりも、大分整理がついてきた。しかし、時間がかかっている。事務処理が遅いのだ。
結果は今夜か。もういい加減にして欲しい。
21自32分。保健省からSMSで検査結果陰性であるとのメッセージ。
インターネットサイトでも22時に陰性を確認した。
市販の簡易テスト(トルコ製、説明書きはドイツ語)で陰性になっていたが公に陰性というわけだ。この市販のテストを保健省が認めてしまえばいいのだ。
le mardi 25 janvier 2022
5時半、曇り、33/24℃。
『新聞記者』、TVドラマ。望月何某の原案。ま、新聞記者を持ち上げている。正義の味方のジャーナリスト像は鼻持ちならない。
le mercredi 26 janvier 2022
5時半、晴れ、32/25℃。
le jeudi 27 janvier 2022
5時半、晴れ、32/25℃。
le vendredi 28 janvier 2022
5時半、晴れ、32/25℃。
le samedi 29 janvier 2022
4時45分、曇り、32/25℃。
セシルギャラリーのが学芸員ダビッド君がオーガナイズしてくれたツア出発がサンジャンから6時半だというので4時に目覚ましをかけておいた。ところがアラームがならなかったようだ。朝の気配を感じて、時計を見た時は4時44分だった。
慌てて朝食を用意して6時に来るように云っておいた運転手のくるまでサンジャン教会にむかった。交通量がなく6時10分にはサンジャンに着いていた。
集合場所は教会前というのに前に誰もいない。そこにいたバスはジャックビルビーチに行くバスだった。ダビッド君に電話すると今向かっている車の中だという。
結局6時半に教会前に来ていたのは僕しかいず、他の数名はマルティール通り側にいたようだ。バスはマルティール通りに駐車していたのだ。僕もそちらに移動せざるを得なかった。
そしてバスが出発したのはなんと8時であった。1時間半遅れだ。
ラムトLamtoの地球物理研究所に着いたのは11時になっていた。ここは、近隣で地下核実験が行われたときの探知をしているのだそうだ。フランスとアメリカに報告している。この意味では軍事施設といえる。他の観測は地震。しかし、コートジボワールではマグニチュード3.6が過去最大の地震である。
Lamtoはアビジャンから178km。運転手が場所を知らず、高速をでてから右に行ったり左に折れたりと苦労をしていた。地震研究所といえばいいのに地球物理研とは大きく構えたものだ。他にここには環境研ある。歩かなければいかないので、僕は環境研には行かなかった。
ここLamtoの気候は既にアビジャンのような熱帯雨林ではない。サバンナ気候に入ってきている。
やっと15時にラムトを出て、ターボダムBarrage de Taaboへ。16時になってダム近くで遅い昼食となった。魚やトリのフライ、揚げバナナ、ライス、フレンチフライ等々。ハエがいっぱいたかっている。みなさん気にしない。飲み物は持ち込みだったが、とても良く冷えていて助かった。
ダムには発電所があり、電力会社のひとが説明をしてくれた。アビジャンのアボボ区まで高圧で電気を送っているそうだ。
22時、出発地点まで戻れた。アビジャン近くで高速で渋滞。それに我々のバスは古く馬力がないので、高速では他のバス全てに追い越されていた。
le dimanche 30 janvier 2022
7時、晴れ、32/25℃。
le lundi 31 janvier 2022
5時45分、薄曇り、33/23℃。
今日が1月の晦日だった。一日間違えていた。