Le 9 février 2010, mardi
10時にルブンバシ大学ポリテク学部副学部長カニキArthur Kaniki Tshamala氏と面談した。大学間交流に関しては担当教授が別にいる。別途アポイントを取ることにした。
しかし、Kaniki教授はカタンガ州の鉱山関連公害の研究者である。
「公害研究についてフランスおよびベルギーの大学との協力関係が深い。言語の問題と歴史上の背景がある。その他言語の国の大学とかねてから交流したいと考えていた。カタンガでは鉱山開発を始めて100年がたつ。やっと公害問題について認識し始めたところである」。カニキ教授は、博士、修士ともにベルギーのリエージュ大学(Université de Liège)で取得している。しかも論文はカタンガの公害問題で、博士論文タイトルは「Caractérisation environnementale des rejets minéro-métallurgiques du Copperbelt congolais(コンゴ・ コッパーベルトに於ける鉱物・金属廃棄物の環境的特色)」。ここでCopperbelt congolaisというのはカタンガ州のことである。通常コッパーベルトというとZambia国コッパーベルト州を指すが、カタンガとザンビアの銅鉱床はつながっている。
「2002年7月11日法第007/2002号(鉱山法)及び2003年3月26日勅令第038/2003号(鉱業規則)に則って鉱山開発会社は政府に公害対策レポートを提出しなければならないが、正しいレポートがでているとは思えない。形式的であるし、賄賂をつかった虚偽報告が多いと推定される。そこにNGOがメスをいれ監視して欲しいが、専門的NGOはない。ごく局部的にはNGO活動がみられる」
カタンガには銅、コバルト、ウラン等々の鉱山があり、世界中から鉱山会社が集まっている。中には小規模な手工業的開発もある。公害問題にカタンガはもっとsensitiveになる必要があると思われる。
次は更に他の教授や大学当局にあたろう。
Le 10 février 2010, mercredi
大家である教会の本件賃貸責任者L’abbé Mlapoムラポ師に今朝直接水問題を始めてとして諸問題を訴えた。かなり厳しい調子でしかし多少は外交的に訴えた。彼が家に来て、といっても教会の事務所から20Mしか離れていないが、実地検分してくれた。問題解決に少しは前進したろうか。一応、「問題点がクリアになった、解決に努力する。しばしの辛抱だ」というが、既に彼のアシスタントからレポートが出ているはずなのに、今更しらばっくれてるわいな。「悪いのは俺(ムラポ師)じゃない」といいたいのか。
ルブンバシの助役maire adjointと金曜日10時半にアポイントがとれた。こういうアポイントでは背広を着る。コンゴの人たちは服装にうるさい。市長は病気療養中。おそらく南アで入院しているものと思われる。
水道問題が一部解決。台所には水がでるようになった。圧力の上がる夜半を待たなくても16時ごろから翌朝7時までは水がでそうだ。一日中水が出る為にはまだ時間がかかろう。バス・ルーム、トイレは配管が間違っているのではないか。明日検討することになった。しかし台所で水が出ればあとはなんとかなる。お風呂は先の話だ。今のところ鴎外式に身体を拭くだけ。シャワーからお湯が出たら嬉しいだろうなぁ。2006年、モエロ通りの家では停電が毎日あった。通電したことを報せるモニター電球が灯ったときの嬉しさを思い出す。
ブログ『アフリカの星』および『日本カタンガ協会』を更新した。ホームページもできればする。
Le 11 février 2010, jeudi
一日家の掃除。入り口のベランダだけでもつかれてしまう。
Le 12 février 2010, vendredi
キュング会長とともにルブンバシ市助役(副市長)カプト氏(Kaputo Cando Benjamin)と面談。市長病気入院中で市長代理を務める。助役といっても官吏上がりではないから副市長というのが妥当。カプト氏は現役の弁護士でもある。不幸なことに同氏の弟の葬儀があり、時間が殆どとれなかった。執務室は絨毯が敷き詰められており、事務机もそれなりのステータス。TVがつけっぱなし。僕らが部屋に入ってからも、ソファーも置いてあった。緊急の用事か、ひっきりなしに事務官が署名や意見を求めに入ってきた。手短に「日本カタンガ協会」の紹介をし、姉妹都市案件の推進を依頼。市長顧問が担当することとなった。彼は大いに乗り気。
Kaputo氏の事務室に通されるまえに寄った市長秘書官ムヤ氏(Muya)の部屋に魚市場の絵がかかっていた。署名を見るとMakikaとある。どんな画家だろう。市庁舎の入り口ホールには、僕が2006年に数枚買ったMbayaの絵が飾ってあった。市で買い上げたのか、Mbayaから寄贈されたのかはわからない。
市役所の駐車場でまたMuya氏に会った。そしたら「あの絵に興味があるのか、なら売ってもいいよ」ときた。大きすぎるからと断ったが、市役所の絵を何故売れるのだろう。市の財産だろう。画家から売ってくれと頼まれているとも考えられないことはないが、僕はむしろMuya氏の小遣いになるのだろうと推測する。
僕の車の燃費がまた悪くなっている。496km/54L。9.18km/Lとは。冷房を出来るだけ避けていたのに。来週はオイル交換。5000km。悪路の所為か、運転が拙いのか。
Le 13 février 2010, samedi
今日は台所とバス・ルームを集中的に掃除。台所の壁にこびりついた油を落とすのが一苦労。14ヶ月前にこのVillaの住人だった司教さんは女中を雇わず料理人だけを雇っていたそうだが、そのコックはこの台所で何を作っていたのだろう。汚れ放題じゃないか。料理人は調理場が命、清潔さを保ち調理器具はぴかぴかに磨くのが当たり前ではないか。どこで教育を受けたコックなのだろう。
庭師を雇うことにした。Andréさん。中年の男。Kyungu氏の親戚筋。Kipushi在住。月間80ドル。週給にして20ドルで毎土曜日支払い。当面は仕事量が多いので日曜日を除く毎日8時間労働。何しろ庭が広いから僕だけではとても無理。町で暇にしている若者たちを雇おうとも一時考えたが、素人で遊んでばかりいても困るので、プロに任せることにした。来週月曜日から仕事開始。草刈。追って植木、花壇などを設計、実施しよう。
ここのForrest工場で働いている日雇いが一日8時間労働で3000FC(300円)だそうだ。時間給ではない。日当だ。当初1時間1000フラン(100円)としようかと思ったけれど、相場と乖離しても具合が悪いので申し出の額とする。
部分停電。この家の配線はどうなっているのだろう。昨夜はどの部屋も照明がついたが、台所のコンロのコンセントだけが機能、他のコンセントは軒並みダウンしていた。今日の夕方は天井の照明がどこも点かず、台所の冷蔵庫脇のコンセントは機能したものの、昨日のコンセントは機能せず、しかしサロンもバス・ルームも僕の部屋のコンセントも機能した。ところが20時にばバス・ルームと僕の部屋の照明は点いたが相変わらず台所の照明は点かない。一体何系統になっているのだ。それとも天井のネズミの所為か。
Le 14 février 2010, dimanche
ルブンバシ大聖堂の帰りに、昨日スタンドを倒して壊してしまったので、開けていた小さな店で電球を買った。100Wしかない。
今日はバレンタイン・デー。駆け込みでプレゼントを買う人がいるのだろう一部の店が開いていた。
快晴でかなり暑い。僕の地元となったキプシKipushiのプールは子どもたちでいっぱいだった。ルブンバシから来ている家族連れも多くいるそうだ。
このプールもとなりのテニス・コートも、鉱山会社Gecaminesが全盛時代に出来た施設だ。70年代、80年代の話である。往時が偲ばれる。
モップで床を掃除。モップをつかったのは小学校以来か。小学校では教室やトイレの掃除は当番制で生徒が掃除をした。今でもそうしているのだろうか。小使いとか用務員なんていなかったような気がする。自分たちのことは自分たちでするという教育だったのだろう。
マドンナにプレーン・オムレツ(玉子焼き)を作った。ミルクから多少卒業させてやらないと。かりかりのビスケットもミルクに浸けないで食べることが出来るようになったのだから。
夕飯。ルブンバシからの帰り道の途中でアボカド2個買った。カタンガのアボカドは大きい。アントレで1個食べてしまった。中の種も大きい。しかし、美味い。僕の家の庭にもアボカドの木がある筈なんだがなぁ。
Le 15 février 2010, lundi
扇風機をJamboで買い込んだ。組み立て30分。なかなか良くできている。40ドル(3600円)。リモコンまでついている。2006年の滞在の時、僕は扇風機を買わなかった。同僚は買っていた。昨日暑かったので扇子で扇いでいたが疲れちゃうので扇風機を買うことにした。エアコンは高いし、この高原では今のところ必要がない。でも89月は暑いらしいから悲鳴を上げるかもしれない。それまで様子見。扇風機をつけて、チーズを齧りながら冷えたPrimusビールを傾ける。ちょいとした贅沢ではないか。
Primusビールって、キンシャサ資本でルブンバシでも一昨年あたりからカタンガでも生産されだしたビールだけれど、残念ながら地元のSimbaビールより美味いなぁ。Simbaは薄味すぎる。またTempoビールは濃すぎる。
庭師は確実に仕事をしてくれたようだ。家の敷地の門の前がさっぱりしてきた。Andréさん、がんばってくれ。
協会の銀行口座開設のためBiacに行った。担当は営業のRoddy Mlalelamaさん。整えた書類に更に加えて幾つか提出しなければならないが、今週中には口座番号がきまりそうである。
日本鉱業がカタンガで鉱山開発をしていたが、1983年に契約解除、1 000人以上いた日本人は全て帰国してしまった。日本鉱業が業務を開始したころ合弁会社Sodimizaに入社したSongasongaさんにお会いした。ルブンバシのSodimicoの責任者である。SodimizaのzaはZaïresのzaである。国名が本のCongoにもどったので会社名もSodimicoになっている。彼は青春時代を日本人上司と過ごしたことになる。かれにとって栄光の時代だったようだ。日本の手をはなれてからオーナーはカナダ、ポーランド、南アと移っているようだ。
MusoshiにあるSodimicoの鉱山見学を申し込んだ。日本人との間に生まれた子供たちが相当数いると聞いた。既に三十路を過ぎた子どもたちである。僕はここでモラルを語ろうとは思わない。コンゴの女性との間に子どもができていても不思議ではない。父親探しに協力するつもりはない。しかし、identityを求める子らの気持ちは分からる。どうしたらいいのであろう。答えはそう簡単には見つからない。
ネットで日本語サイトを調べてみると、Sodimiza/Sodimicoに関する記事は日本政府の資料の中と僕の「ルブンバシ・リサーチ2006」しかなかった。
カタンガ州政府に『カタンガは今』という広報誌がある。2008年から不定期ではあるが発行されている。知事モイーズの宣伝といえないこともないけれども、安物ではない相当金をかけた広報誌である。ここに次回「日本カタンガ協会」の紹介記事が載るよていである。
Soude caustique(苛性ソーダ)を買ってきたが、使い方がわからない。水の通りの悪い下水管(バスタブの排水)の塞がりを除くためだが、そのまま配水管に落とせばいいのだろうか。ソーダと水との反応は激しそうで躊躇される。
このブログには、ありとあらゆるテーマが書かれている。特にタイトルにあるように、アフリカに関しては大概のことを話題にしている。検索機能がついているので、精々利用していただきたい。 tanabe.yoshiharu@ gmail.com アット・マークの後ろをつめてください(迷惑メイル対策のため空白が挿入されています)。
16 février 2010
13 février 2010
マドンナ登場 Madonna diable mais très mignonne
10 février 2010
2月4日~2月8日まで du 4 fév au 8 fév 10
Le 4 février 2010, jeudi
夜中1時半に、数十箇所も蚊に刺された夢をみて目が覚めた。マドンナが暴れまわっていた。蚊帳に飛びつくは、僕の靴を齧るは、電気のコードを引っ張るは。サロンに寝かせているのに僕の部屋に入ってくる。完全に部屋のドアを閉めてしまうと泣き出す。
水がまだでないので、近くまで水を汲みにいった。鉱山会社従業員社宅のある地域には水が出る。バケツで5個、プラス60Lの水槽。シャワーは浴びられないが、これで炊事はできる。もともと料理に使う水はミネラル・ウォータ。缶切りもAgata店で一流品を買った。8500FC(850円)。精肉をKipushiで買おうとしたら冷凍しかない。牛も鶏も冷凍。これは意外だった。
デザートにアイスクリームが食べられるように冷凍ケースを買おう。ピクニックにも都合がいいかもしれない。
初めて夕飯を作ることができた。当然パスタ。アラビアータ風。チーズはPadanoが冷蔵庫に一週間前に入れておいたがカビが生えていなかった。
シスター・アスンタさんのところに去年休暇を利用して6月に来たときに預かってもらった衣類や本を受け取りにいった。バック・パッカー一個とスポーツ・バッグ一個分。
Le 5 février 2010, vendredi
部屋の掃除をした。また未完成。汚れなんてもんじゃない。天井も蜘蛛の巣だらけ。洋服箪笥の中にまで厚い埃が溜まっていた。
スイスでは引越しをするときに一ヶ月前から掃除に取り掛かった。入居のときの保証金を取り戻すためである。生半可な掃除では、とても保証金をとり返せない。ZurichからGenèveに引っ越したとき、Zurichの大家(不動産屋が代理)に保証金全額を取られてしまった経験から、その後は注意に注意を重ねた。スイス時代15年間で7回引っ越している。だからそのうち6回はほぼ全額返却してもらった。大家が返却しない場合、訴訟に持込んだこともある。勿論勝訴している。
Le 6 février 2010, samedi
水がないことを除いては普段の生活をとりもどした。
DVDの映画を50本持ってきた。アルジェリアには200本持っていき、サイトのアドミが大部分をコピーしてキャンプの住人に貸し出している。今日やっが映画「アラビアのロレンス」を見ることも出来た。厳選した50本のうちの一本だ。しかし、今回は苦労した。というのも映画を見るにあたってはいいスピーカーを使いたい、Boseをスーツケースにいれてきたが、100Vからスピーカー用の12Vに落とすトランスに220Vをとおしてしまい、トランスを壊してしまったようだ。不注意そのもの。煙もでなかったのに電気屋でテストしてもらったら、使い物にならないという。仕方ないから220Vから直接12Vに減圧するトランスを買った。スピーカーにつなぐジャックが合うかどうか心配だったけれど、4タイプのうち一つがぴったり一致した。さらにPCに内蔵されているDVDプレイヤーが完く動かず、外付けのプレーヤーを買った。LG製。付いてきたソフトでは持っているDVDを再生できず、もともとあったソフトWinDVDで再生が可能と分かった次第である。
こうしてやっと「アラビアのロレンス」を見ることができたのである。この映画は日本でロードショーで見たときから、僕に勇気をあたえてくれる壮大なドラマである。だからフランスやスイスの映画館で何回も見た。70mmの大画面。DVDで見るようになったのは2006年からである。主人公ロレンスはピーター・オトゥールのはまり役である。神懸りにはちがいない。シナリオも良くできている。実在のロレンスとはきっとかけ離れているのだろう。それでもかまわない。感動のシーンが盛りだくさん。そして沙漠。僕が経験した実際の沙漠は決して映画の中の沙漠ではない。Leenの描く砂漠は夢の中の沙漠である。それでもかまわない。そして音楽。心の底まで感動させてしまう広がりのある音楽。大作中の大作である。アルジェリアのアラブ人は嫌いになったが、映画に出てくるトルコに虐げられたアラブ人は単純明快でロレンスが独立させようとした気持ちも納得できる。
TVもない、まともなラジオもない、ステレオもない、唯一あるのがPCという生活ではDVDは貴重な娯楽である。もっともTVはあっても殆ど見ない。時間を過ごすにはTVは格好の手段だ。しかし、大宅壮一の「一億総白雉化」ではないが、余程番組を選ばないと馬鹿になる。TVは新旧の映画を見ること位しか使い道が僕にはない。ニュースはネットで得られる。ラジオはあってもいい。しかし、携帯電話に仕組まれているラジオ、災害時使用の懐中電灯と一緒のラジオを時々聞くけれど、興味をひく番組が見当たらない。
Le 7 février 2010, dimanche
引越しまでの日誌をブログにアップした。
昨日の夜23時になって水が出始めた。万歳! ところが水圧がない。15Lのバケツ5個と60Lと80Lの水槽に水を溜めた。これに2時間半もかかった。こんなこと毎日やってられないなぁ。
電気はKipushiでは問題がない。この間の停電は例外のようだ。これは大いに助かる。ルブンバシではどこかの地区がいつも停電している。空港近くの新しい変電所は長期間未完成。電線は地下だが、これが返ってメンテを難しくしている。
Le 8 février 2010, lundi
15時、ルブンバシ市環境部長イルンガJean-Pierre Ilunga とアポイント。
公害問題。同氏の曰く、
「市の公害問題は3つある。
1.下水
下水処理場はルブンバシに数ヶ所あったが、いずれも古く現在機能していない。雨水、家庭排水、工場排水が一緒にして川に流している。川の水は従って極めて汚い。
2.空気
排気ガス規制がない。乗用車、トラックともに古い車が多く排ガスは深刻だ。
3.騒音
騒音規制もない。夜間のクラクションは禁止いているが、その他祖運は市民の常識に任せている。
なんといっても、河川の汚染問題が一番大きな問題である。しかし、市当局は上記の公害を測定する機器も持っていない。買えない。何とかしたいが予算がない」
下水は確かに問題だ。下水道はベルギー時代のものだろう。その後はメンテがある程度までしか出来ていない。機能していない下水処理場にも下水管を通して汚水が一旦は集まる。下水処理場の周りは耐えられない悪臭が漂う。激しい雨が降ると道路が水浸しになるし、その水がなかなかはけない。郊外では垂れ流しの汚水の臭いもするようになる。
空気は緑が多い所為か(ルブンバシが杜の都だとは前に書いた)、街中の一角を除いては、排ガスで息苦しいというほどではない。ただ、走っている車(トラック、乗用車、小型バス)の90%以上が日本製の中古車である。それもかなり古いものが輸入されている。90年代いやそれ以前の車が走っている。日本からドバイなどに輸出、それが回りまわってここまで入ってきた。日本で公害規制がクリアされないような車ばかりである。日本車がこれだけ走っているというのに日本は、買うほうが悪いと腕組みをしていていいのだろうか。
騒音については、測定器があっても法整備ができていなければ宝の持ち腐れ。もっとも測ってみなければ、規制の基準も決められないかもしれない。
部長から、公害の専門家、大学教授、関連NPOを紹介してもらったので、さらに調査を続ける。
カタンガ州における活動について、州当局から許可を正式にもらった。2001年7月20日法第004/2001号による登録番号013/1021/2010である。これで銀行口座開設が可能。口座開設してから、本格的にNGO「日本カタンガ協会」の活動を開始できる。
水が22時半から出始めた。一昨日よりは水量が多いがまだまだ風呂の湯沸し器に溜まるほどの勢いはない。
夜中1時半に、数十箇所も蚊に刺された夢をみて目が覚めた。マドンナが暴れまわっていた。蚊帳に飛びつくは、僕の靴を齧るは、電気のコードを引っ張るは。サロンに寝かせているのに僕の部屋に入ってくる。完全に部屋のドアを閉めてしまうと泣き出す。
水がまだでないので、近くまで水を汲みにいった。鉱山会社従業員社宅のある地域には水が出る。バケツで5個、プラス60Lの水槽。シャワーは浴びられないが、これで炊事はできる。もともと料理に使う水はミネラル・ウォータ。缶切りもAgata店で一流品を買った。8500FC(850円)。精肉をKipushiで買おうとしたら冷凍しかない。牛も鶏も冷凍。これは意外だった。
デザートにアイスクリームが食べられるように冷凍ケースを買おう。ピクニックにも都合がいいかもしれない。
初めて夕飯を作ることができた。当然パスタ。アラビアータ風。チーズはPadanoが冷蔵庫に一週間前に入れておいたがカビが生えていなかった。
シスター・アスンタさんのところに去年休暇を利用して6月に来たときに預かってもらった衣類や本を受け取りにいった。バック・パッカー一個とスポーツ・バッグ一個分。
Le 5 février 2010, vendredi
部屋の掃除をした。また未完成。汚れなんてもんじゃない。天井も蜘蛛の巣だらけ。洋服箪笥の中にまで厚い埃が溜まっていた。
スイスでは引越しをするときに一ヶ月前から掃除に取り掛かった。入居のときの保証金を取り戻すためである。生半可な掃除では、とても保証金をとり返せない。ZurichからGenèveに引っ越したとき、Zurichの大家(不動産屋が代理)に保証金全額を取られてしまった経験から、その後は注意に注意を重ねた。スイス時代15年間で7回引っ越している。だからそのうち6回はほぼ全額返却してもらった。大家が返却しない場合、訴訟に持込んだこともある。勿論勝訴している。
Le 6 février 2010, samedi
水がないことを除いては普段の生活をとりもどした。
DVDの映画を50本持ってきた。アルジェリアには200本持っていき、サイトのアドミが大部分をコピーしてキャンプの住人に貸し出している。今日やっが映画「アラビアのロレンス」を見ることも出来た。厳選した50本のうちの一本だ。しかし、今回は苦労した。というのも映画を見るにあたってはいいスピーカーを使いたい、Boseをスーツケースにいれてきたが、100Vからスピーカー用の12Vに落とすトランスに220Vをとおしてしまい、トランスを壊してしまったようだ。不注意そのもの。煙もでなかったのに電気屋でテストしてもらったら、使い物にならないという。仕方ないから220Vから直接12Vに減圧するトランスを買った。スピーカーにつなぐジャックが合うかどうか心配だったけれど、4タイプのうち一つがぴったり一致した。さらにPCに内蔵されているDVDプレイヤーが完く動かず、外付けのプレーヤーを買った。LG製。付いてきたソフトでは持っているDVDを再生できず、もともとあったソフトWinDVDで再生が可能と分かった次第である。
こうしてやっと「アラビアのロレンス」を見ることができたのである。この映画は日本でロードショーで見たときから、僕に勇気をあたえてくれる壮大なドラマである。だからフランスやスイスの映画館で何回も見た。70mmの大画面。DVDで見るようになったのは2006年からである。主人公ロレンスはピーター・オトゥールのはまり役である。神懸りにはちがいない。シナリオも良くできている。実在のロレンスとはきっとかけ離れているのだろう。それでもかまわない。感動のシーンが盛りだくさん。そして沙漠。僕が経験した実際の沙漠は決して映画の中の沙漠ではない。Leenの描く砂漠は夢の中の沙漠である。それでもかまわない。そして音楽。心の底まで感動させてしまう広がりのある音楽。大作中の大作である。アルジェリアのアラブ人は嫌いになったが、映画に出てくるトルコに虐げられたアラブ人は単純明快でロレンスが独立させようとした気持ちも納得できる。
TVもない、まともなラジオもない、ステレオもない、唯一あるのがPCという生活ではDVDは貴重な娯楽である。もっともTVはあっても殆ど見ない。時間を過ごすにはTVは格好の手段だ。しかし、大宅壮一の「一億総白雉化」ではないが、余程番組を選ばないと馬鹿になる。TVは新旧の映画を見ること位しか使い道が僕にはない。ニュースはネットで得られる。ラジオはあってもいい。しかし、携帯電話に仕組まれているラジオ、災害時使用の懐中電灯と一緒のラジオを時々聞くけれど、興味をひく番組が見当たらない。
Le 7 février 2010, dimanche
引越しまでの日誌をブログにアップした。
昨日の夜23時になって水が出始めた。万歳! ところが水圧がない。15Lのバケツ5個と60Lと80Lの水槽に水を溜めた。これに2時間半もかかった。こんなこと毎日やってられないなぁ。
電気はKipushiでは問題がない。この間の停電は例外のようだ。これは大いに助かる。ルブンバシではどこかの地区がいつも停電している。空港近くの新しい変電所は長期間未完成。電線は地下だが、これが返ってメンテを難しくしている。
Le 8 février 2010, lundi
15時、ルブンバシ市環境部長イルンガJean-Pierre Ilunga とアポイント。
公害問題。同氏の曰く、
「市の公害問題は3つある。
1.下水
下水処理場はルブンバシに数ヶ所あったが、いずれも古く現在機能していない。雨水、家庭排水、工場排水が一緒にして川に流している。川の水は従って極めて汚い。
2.空気
排気ガス規制がない。乗用車、トラックともに古い車が多く排ガスは深刻だ。
3.騒音
騒音規制もない。夜間のクラクションは禁止いているが、その他祖運は市民の常識に任せている。
なんといっても、河川の汚染問題が一番大きな問題である。しかし、市当局は上記の公害を測定する機器も持っていない。買えない。何とかしたいが予算がない」
下水は確かに問題だ。下水道はベルギー時代のものだろう。その後はメンテがある程度までしか出来ていない。機能していない下水処理場にも下水管を通して汚水が一旦は集まる。下水処理場の周りは耐えられない悪臭が漂う。激しい雨が降ると道路が水浸しになるし、その水がなかなかはけない。郊外では垂れ流しの汚水の臭いもするようになる。
空気は緑が多い所為か(ルブンバシが杜の都だとは前に書いた)、街中の一角を除いては、排ガスで息苦しいというほどではない。ただ、走っている車(トラック、乗用車、小型バス)の90%以上が日本製の中古車である。それもかなり古いものが輸入されている。90年代いやそれ以前の車が走っている。日本からドバイなどに輸出、それが回りまわってここまで入ってきた。日本で公害規制がクリアされないような車ばかりである。日本車がこれだけ走っているというのに日本は、買うほうが悪いと腕組みをしていていいのだろうか。
騒音については、測定器があっても法整備ができていなければ宝の持ち腐れ。もっとも測ってみなければ、規制の基準も決められないかもしれない。
部長から、公害の専門家、大学教授、関連NPOを紹介してもらったので、さらに調査を続ける。
カタンガ州における活動について、州当局から許可を正式にもらった。2001年7月20日法第004/2001号による登録番号013/1021/2010である。これで銀行口座開設が可能。口座開設してから、本格的にNGO「日本カタンガ協会」の活動を開始できる。
水が22時半から出始めた。一昨日よりは水量が多いがまだまだ風呂の湯沸し器に溜まるほどの勢いはない。
07 février 2010
引越まで jusqu'au déménagement (5)
「引越しまで」の最終回
Le 30 janvier 2010, samedi
フランシスコ会が経営するルイシャLuisha(またはLwisha)の学校をシスター・アスンタさんと訪ねた。LuishaはLikashi街道を70kmほど行ったところを左に入る。Likashi街道は有料道路である。学校は森の中の環境に恵まれたところにある。広大な敷地に校舎と寄宿舎。小・中学校の寄宿生徒が800名。全員女子。外部からの通いの生徒が800名。総計1600名という大規模な施設。男子は小学校のみ通いなら入学できる。始まりは鉱山会社Gecaminesの社長をしていたというベルギー人夫妻が建てた学校。夫婦に子どもがなかったので学校を建てたらしい。当初は聖ウルスラ会が運営していた。
学校の敷地に入る手前に鉱山労働者たちの村があった。この辺りでもコバルトや銅が採れる。露天掘りである。ごみごみとした村。仮説の建物というより掘建て小屋。小さな店が街道筋に立ち並んでいる。商品は豊富にみえる。鉱山会社に勤めている者もいるが、大抵は勝手に鉱石を掘って業者に売る不法労働者だそうだ。茣蓙を敷いて選考している人も散見した。近くに鉱石がなくなったら、村ごと移動する。
学校の敷地内にも銅、コバルトが眠っているという。数年前、学校を取壊して鉱山開発をするという話が持ち上がり、フランシスコ会がルブンバシの街中でデモをしたそうだ。効果があって知事も出てきて取壊しは中止となった。カタンガ州いやコンゴには土を掘ると鉱石がでるという場所がいくらでもある。銅、コバルト、ダイヤモンド、金などなど。
時間があったので食事を学校でご馳走になってから、鉱山の跡地で水が出て、人口湖になったところを見学。水は飲料水としてポンプで貯水タンクまで汲み上げられる。何十人もの村人(子供たち)がポリタンクを持ってとりにきていた。凄まじい光景である。大人は鉱山で働き、子供たちが水汲みに借り出されているのだ。水道を引けばどんなに便利になるだろう。しかし、飲料水は貴重だ。この鉱山の跡地のようなところを中国が買ったそうだ。まだ開発できると見込んだのだろう。跡地の竪穴、横穴を見たが、狭く如何に鉱山労働が厳しいものかの一端を覗いた気がした。大人ではなく子供たちが地下にもぐって採掘していたのではないか。
フランシスコ会はこの村に小さな教会と無料診療所を建てた。
帰りにまた警察のバリケードでつかまった。速度制限50km/hのところを56kmで走ったというのだ。道路標識を見て速度を50以下に落とす途中だったのだが、許してくれない。目的は分かっている。賄賂sucréだ。アスンタさんを初め他に3人のシスターを乗せていた。彼女たちは「一切払うことはない、いろというなら一晩中でもいてやる。本庁のお偉いさんに連絡するわ」。ところが電話が通じない。電波がとどかないポケットに入っていた。二人のシスターが車から降りて電波のあるところまでヒッチで移動。その間に警官側が諦めて「もう免許証を返すから、とっとと行ってくれ」。ヒッチをしたシスターたちを拾いに行って、戻ったら警官たちの影も形もなかった。シスターたちは強い。制限速度オーバーが小さかったし、事実速度をぐんと下げたのだから強気に出たのかもしれないが助かった。ありがとうシスターさんたち!しかし警官たちのお陰で30分以上道草をくった。悪質な警官たちだ。ところが驚いたことに、ポリスの制止を聞かず振り切って逃げてしまう車が後を絶たないことを目撃した。「とまってられるか」というのだろう。危ない。しかし警官も心得ていて、さっと逃げる。なるほど。プレート・ナンバーを控えたり、写真をとったりなんかここの警官ができるわけがないのだから逃げるが勝なのだ。でも彼らの真似はこちらとしてはチョイトできないな。万が一警官を轢いてしまったらことだもの。
Le 31 janvier 2010, dimanche
再び動物園。今度はAlain君をつれて行った。いい散歩になる。今日はトラもライオンも一頭づつしか見られなかった。日差しが強かった所為で、部屋に閉じこもっていたのだろうか。しかし、2006年2月とは大きく改善されたのはさすがである。そう何度も思う。
Kipushiの水道工事は順調に推移しているというが、明日はどうなるのだろう。
Le 1er fevrier 2010, lundi
デッキ・チェアーをみつけた。空港へ行く道のMozarという店は210ドル。プラスチック製。理想的だが高すぎ。街中の中央郵便局裏の店は、スチール・パイプだが洒落ていて100ドル。アルジェリアではいくら金をはずんでもなかなか手に入らなかったsun bathing用のイス。それでもコンスタンティーヌでやっと見つけたのはとても重たいL字型鋼製だったが、直ぐに壊れてしまった。それに守衛が夜勝手に持ち出して寝ていた。アルジェリアは地中海を隔てて欧州の向かい側だというのにものがない。生活習慣がちがうとはいえ、商品にvarietyがない。国民所得の差を考えると購買力はコンゴよりずっとある筈だが。ルブンバシの方が探せばなんでもある。高級品から粗悪なものまで。
車の燃費が悪い。9.2km/Lとは! ポルシェ以上に燃料を食う。どうもエアコンを無闇と使っているかららしい。Dar es Salaamのコンゴ人友人Chansaさんは、エアコンをつけると燃費が悪くなると、暑い最中エアコンをつけずに走っていた。お陰で僕は汗をふきふき助手席に乗っていた。しかし、エアコンをONにして走るとのとOFFで走るのとでは大差がありそうだ。調べてみると確かにエアコンONには問題がある。ルブンバシは高原地帯で本当にエアコンがいるほど暑くなるのは89月くらいなのだ。気をつけなくっちゃ。
Le 2 février 2010, mardi
サレジア会の神父Jean-Paulの誕生会があってご馳走だった。神父さんたち、例の如くよく飲む。今日はvideoを持込んで踊りだした。女性もかなり来ていた。神父さんの一人がキャバレーまがいのベリーダンスを披露。さらに他の神父さんたちが踊り手の胸や耳に札を挟んだ。おいおい、やりすぎですぞ。
みつからないように段ボール箱に入れて、タオルをかけ「マドンナ」をサレジア会の宿舎の部屋に泊めた。夜中にくんくんと泣き出した。母恋し、兄弟姉妹恋しなのだろう。ミルクをがぶ飲みする。飲むと直ぐにおしっこ。うんこもしてくれた。やはりマドンナと一緒にサレジア会に長居はできない。マドンナ極めて健康そうだ。残っていた仔犬の中で一番太っていた。
Le 3 février 2010, mercredi
意を決してKipushiに引っ越した。町の水ポンプは2台とも代えたそうだが、まだ水が来ていない。しかし、問題は煮詰まってきているので、ここ数日の内には解決するだろうという僕の見通しである。なにしろ、「マドンナ」をかかえてサレジア会の宿舎にはいられない。
AKJ, Association1のドキュメントは今Division de la Justice(法務省出先機関)にある。Kyungu氏が内務副大臣と懇意とて、早急な登録手続きを期待しているが、今日になって180ドル必要だという。初めて聞くことだ。計画性がない。たまたま僕が持っていたからいいようなものの、なければまた手続きが遅れる。金曜日には仮登録ができると?眉唾だね。フランシスコ会のためにこうした手続きをしているAntoine氏とKyungu氏を会わせよう。Antoine氏は教会の車関連、通関、身分証、NGO(教会もNGOをいくつか設立している)等の手続きを一手に引き受けている。
トマトの缶詰を開けようとしたら缶切りが使えない。歯が曲がっている。中国製。みかけに騙された。明日ルブンバシの「Agate」でまともな缶切りを手に入れよう。久しぶりのパスタも明日以降だ。
19時10分から20時25分まで停電した。Kipushiは停電しないといったのは誰だった?
蚊が思ったほどいない。勿論電気蚊取り、スプレー、蚊帳は併用している。
Le 30 janvier 2010, samedi
フランシスコ会が経営するルイシャLuisha(またはLwisha)の学校をシスター・アスンタさんと訪ねた。LuishaはLikashi街道を70kmほど行ったところを左に入る。Likashi街道は有料道路である。学校は森の中の環境に恵まれたところにある。広大な敷地に校舎と寄宿舎。小・中学校の寄宿生徒が800名。全員女子。外部からの通いの生徒が800名。総計1600名という大規模な施設。男子は小学校のみ通いなら入学できる。始まりは鉱山会社Gecaminesの社長をしていたというベルギー人夫妻が建てた学校。夫婦に子どもがなかったので学校を建てたらしい。当初は聖ウルスラ会が運営していた。
学校の敷地に入る手前に鉱山労働者たちの村があった。この辺りでもコバルトや銅が採れる。露天掘りである。ごみごみとした村。仮説の建物というより掘建て小屋。小さな店が街道筋に立ち並んでいる。商品は豊富にみえる。鉱山会社に勤めている者もいるが、大抵は勝手に鉱石を掘って業者に売る不法労働者だそうだ。茣蓙を敷いて選考している人も散見した。近くに鉱石がなくなったら、村ごと移動する。
学校の敷地内にも銅、コバルトが眠っているという。数年前、学校を取壊して鉱山開発をするという話が持ち上がり、フランシスコ会がルブンバシの街中でデモをしたそうだ。効果があって知事も出てきて取壊しは中止となった。カタンガ州いやコンゴには土を掘ると鉱石がでるという場所がいくらでもある。銅、コバルト、ダイヤモンド、金などなど。
時間があったので食事を学校でご馳走になってから、鉱山の跡地で水が出て、人口湖になったところを見学。水は飲料水としてポンプで貯水タンクまで汲み上げられる。何十人もの村人(子供たち)がポリタンクを持ってとりにきていた。凄まじい光景である。大人は鉱山で働き、子供たちが水汲みに借り出されているのだ。水道を引けばどんなに便利になるだろう。しかし、飲料水は貴重だ。この鉱山の跡地のようなところを中国が買ったそうだ。まだ開発できると見込んだのだろう。跡地の竪穴、横穴を見たが、狭く如何に鉱山労働が厳しいものかの一端を覗いた気がした。大人ではなく子供たちが地下にもぐって採掘していたのではないか。
フランシスコ会はこの村に小さな教会と無料診療所を建てた。
帰りにまた警察のバリケードでつかまった。速度制限50km/hのところを56kmで走ったというのだ。道路標識を見て速度を50以下に落とす途中だったのだが、許してくれない。目的は分かっている。賄賂sucréだ。アスンタさんを初め他に3人のシスターを乗せていた。彼女たちは「一切払うことはない、いろというなら一晩中でもいてやる。本庁のお偉いさんに連絡するわ」。ところが電話が通じない。電波がとどかないポケットに入っていた。二人のシスターが車から降りて電波のあるところまでヒッチで移動。その間に警官側が諦めて「もう免許証を返すから、とっとと行ってくれ」。ヒッチをしたシスターたちを拾いに行って、戻ったら警官たちの影も形もなかった。シスターたちは強い。制限速度オーバーが小さかったし、事実速度をぐんと下げたのだから強気に出たのかもしれないが助かった。ありがとうシスターさんたち!しかし警官たちのお陰で30分以上道草をくった。悪質な警官たちだ。ところが驚いたことに、ポリスの制止を聞かず振り切って逃げてしまう車が後を絶たないことを目撃した。「とまってられるか」というのだろう。危ない。しかし警官も心得ていて、さっと逃げる。なるほど。プレート・ナンバーを控えたり、写真をとったりなんかここの警官ができるわけがないのだから逃げるが勝なのだ。でも彼らの真似はこちらとしてはチョイトできないな。万が一警官を轢いてしまったらことだもの。
Le 31 janvier 2010, dimanche
再び動物園。今度はAlain君をつれて行った。いい散歩になる。今日はトラもライオンも一頭づつしか見られなかった。日差しが強かった所為で、部屋に閉じこもっていたのだろうか。しかし、2006年2月とは大きく改善されたのはさすがである。そう何度も思う。
Kipushiの水道工事は順調に推移しているというが、明日はどうなるのだろう。
Le 1er fevrier 2010, lundi
デッキ・チェアーをみつけた。空港へ行く道のMozarという店は210ドル。プラスチック製。理想的だが高すぎ。街中の中央郵便局裏の店は、スチール・パイプだが洒落ていて100ドル。アルジェリアではいくら金をはずんでもなかなか手に入らなかったsun bathing用のイス。それでもコンスタンティーヌでやっと見つけたのはとても重たいL字型鋼製だったが、直ぐに壊れてしまった。それに守衛が夜勝手に持ち出して寝ていた。アルジェリアは地中海を隔てて欧州の向かい側だというのにものがない。生活習慣がちがうとはいえ、商品にvarietyがない。国民所得の差を考えると購買力はコンゴよりずっとある筈だが。ルブンバシの方が探せばなんでもある。高級品から粗悪なものまで。
車の燃費が悪い。9.2km/Lとは! ポルシェ以上に燃料を食う。どうもエアコンを無闇と使っているかららしい。Dar es Salaamのコンゴ人友人Chansaさんは、エアコンをつけると燃費が悪くなると、暑い最中エアコンをつけずに走っていた。お陰で僕は汗をふきふき助手席に乗っていた。しかし、エアコンをONにして走るとのとOFFで走るのとでは大差がありそうだ。調べてみると確かにエアコンONには問題がある。ルブンバシは高原地帯で本当にエアコンがいるほど暑くなるのは89月くらいなのだ。気をつけなくっちゃ。
Le 2 février 2010, mardi
サレジア会の神父Jean-Paulの誕生会があってご馳走だった。神父さんたち、例の如くよく飲む。今日はvideoを持込んで踊りだした。女性もかなり来ていた。神父さんの一人がキャバレーまがいのベリーダンスを披露。さらに他の神父さんたちが踊り手の胸や耳に札を挟んだ。おいおい、やりすぎですぞ。
みつからないように段ボール箱に入れて、タオルをかけ「マドンナ」をサレジア会の宿舎の部屋に泊めた。夜中にくんくんと泣き出した。母恋し、兄弟姉妹恋しなのだろう。ミルクをがぶ飲みする。飲むと直ぐにおしっこ。うんこもしてくれた。やはりマドンナと一緒にサレジア会に長居はできない。マドンナ極めて健康そうだ。残っていた仔犬の中で一番太っていた。
Le 3 février 2010, mercredi
意を決してKipushiに引っ越した。町の水ポンプは2台とも代えたそうだが、まだ水が来ていない。しかし、問題は煮詰まってきているので、ここ数日の内には解決するだろうという僕の見通しである。なにしろ、「マドンナ」をかかえてサレジア会の宿舎にはいられない。
AKJ, Association1のドキュメントは今Division de la Justice(法務省出先機関)にある。Kyungu氏が内務副大臣と懇意とて、早急な登録手続きを期待しているが、今日になって180ドル必要だという。初めて聞くことだ。計画性がない。たまたま僕が持っていたからいいようなものの、なければまた手続きが遅れる。金曜日には仮登録ができると?眉唾だね。フランシスコ会のためにこうした手続きをしているAntoine氏とKyungu氏を会わせよう。Antoine氏は教会の車関連、通関、身分証、NGO(教会もNGOをいくつか設立している)等の手続きを一手に引き受けている。
トマトの缶詰を開けようとしたら缶切りが使えない。歯が曲がっている。中国製。みかけに騙された。明日ルブンバシの「Agate」でまともな缶切りを手に入れよう。久しぶりのパスタも明日以降だ。
19時10分から20時25分まで停電した。Kipushiは停電しないといったのは誰だった?
蚊が思ったほどいない。勿論電気蚊取り、スプレー、蚊帳は併用している。
引越まで jusqu'au déménagement (4)
なかなか引っ越せない。この項、29日まで。
Le 22 janvier 2010, vendredi
Kyungu氏宅で。奥様の知り合いにカーテンの仕立てを頼む。協会の登録進展は如何。Kyungu氏は怪我で去年2月から入院している姪の保険求償問題で忙しい。保険屋は払いが悪い。これは何処でも一緒か。
車の燃料を満タンに。82ドル。ここサレジア会Don Boscoスタンドの為替レートが1ドル=910になった。コンゴ・フランの僅かだが下落が続く。消費物資の殆どを輸入している国ではインフレに直接結びつく。警官を含めた官吏の給与は簡単に上がらない、物価スライドなんかしないから、またcorruptionに繋がる。悪循環。
19時半、Justin氏から電気はきているし、明日にも水がでるので入居可能だと電話があった。こちらから問い合わせたのではなく、彼から電話連絡してきたのは初めてである。明日確かめてみよう。
今日の食事は昼夜といただけなかった。トリップ(内臓)と干し魚の煮込み。
Le 23 janvier 2010, samedi
ルブンバシにもう一つ大きなスーパーがあることが分かった。Liberty「Ma Maison」。キンシャサからの進出。置いてある商品の質はここが一番高そうだ。インド系。
結局今日も騙された。Kipushiの家の水がでない。僕のところだけでなく町全体が断水。新しいポンプを設置するのが遅れているということだ。見通しは全くない。遠からずというのみ。これで町当局も平気なのかな。どっしりと構えるはいいとしても、引っ越さないかぎり、毎日50ドルかかっていく。賃貸契約をしたのだから、この遅れは大家に請求してもよさそうだが、相手は教会。家賃も安いことだし、とても契約を盾にサレジア会の宿舎の代金を出せとは交渉できない。精々契約発行日を入居日としてくれというだけか。
更に、わんちゃんのことでも騙された。わんちゃんを横取りされてしまったのだ。手付金を払っておけばよかったかもしれない。それにしても詰めが甘いというべきか、相手がいい加減であることを前提にことを進めないといけないのか。
Le 24 janveir 2010, dimanche
相変わらず水が出ない。町中が断水なのだから仕方ないといえばそれまでだ。それに日曜だし、既に工事を開始しているにしても今日進むわけがない。工事主体が中国人じゃないんだから。
Alain君が夕飯をおごる、しかもギリシャ人会のレストランというから、80ドルや100ドルも負担させては悪いので、夕飯はサレジア会でとらないと皆が心配するからと、湖の畔の「リビエラ」でトニックをおごってもらった。ここは僕の好きな場所のひとつである。夕日も奇麗だ。水鳥が今日はいなかったが、ゆったりと水が流れていて趣がある。遠藤周作の『深い河』を思い出す。小説の内容ではなく、イメージだけの話である。
Le 25 janvier 2010, lundi
わんちゃんは初めに見た犬にしよう。純血のRottweilerだそうだ。スイス・ジュネーヴでは危険種として飼うことを禁止されているというのは気になるが、フランスでは人気度4位とある。ネットでみると確かに番犬だが、家庭内でも飼えると書いてあった。要は育て方なのだ。それによって獰猛にも大人しくもなるようだ。しっかり教育しなければいけないな。わんちゃんに舐められないように。主人maîtreは僕なのだとわからせることだ。我侭に育ったら手がつけられない。
カーテンが出来上がった。
水は相変わらず出ない。しかしポンプの工事は開始したというから、おっつけ出るようになるだろう。じっくり構えよう。
わんちゃんはRottweiler(日本ではロットワイラーという)。黒に茶色の斑点のある可愛い仔犬を選んだ。純血。メス。100ドル。名前を考えなくちゃ。Pompeiaというのはどうだろうか。シーザーの妻の名前である。Rottweilerはローマ時代にその起源があるという犬である。でも言いにくいな。ポンペイに通じるから、ベスビオ火山みたいに爆発されても困る。Romana(ローマ人)。Pizzaの店みたいだ。Regina(女王様)。僕が支配されてもいけない。Ragazza(少女)。Madonna。引き取りは2月2日と決まった。それまでにKipushiに入居出来ない場合はAlain君の家に寄留してもらう。
もう一匹わんちゃんがいてもいいなと思う。Boxerがいないだろうか。
サレジア会の宿舎の夕飯が昼と同じで、口に合わなかったので(好き嫌いが激しいというだけのことだが)、近くのママ・イェモ通りにある中華店に行った。麻婆豆腐。これがとてつもなく塩辛かった。辛いのは当たり前だが塩辛かったのである。塩の文句をいったら、素直に支払いを請求しなかった。スープと水の代金だけ払った。8ドル。若い責任者は河北出身だそうである。去年6月に行った時よりも店が奇麗になっていた。以前は場末の食堂という感じだった。
Le 26 janvier 2010, mardi
快晴。清々しい。
車をゴルフで久しぶりに洗った。洗っても直ぐ泥でよごれるからなぁ。
『日本カタンガ協会』のホーム・ページを更新した。これに4時間もかかってしまった。定款の画像をいれたこと、定款本文をWordでのせたことが主な変更点。
ブログ『アフリカの星』も更新した。引越しまで更新を待とうとおもったが、引越しがなかなか出来ないので溜まった日誌を21日分まで掲載した。
わんちゃんの名前は「マドンナ」になりそうだ。歌手のマドンナ、漱石の『ぼっちゃん』に出てくるマドンナ、イタリア語で会話に良く出てくる「何てこっちゃ」といういみの「マードンナ」、いろいろ掛けて『マドンナ』。
Le 27 janvier 2010, mercredi
水は一旦出たが、テストだったのか直ぐに止まったそうだ。
家の不具合リストを作成、アベ・ムラポに提出。一部は僕の負担だが、時間をかけて直してくれるだろう。
カーテンをかけてみると、横の長さに余裕がなかった。窓よりも余程長めにすべきだった。後で店の売り子に聞くと、窓の幅の2倍必要だそうだ。
Le 28 janvier 2010, jeudi
Kipushi進展なし。
Le 29 janvier 2010, vendredi
サレジア会ではなく、街のランドリーに出したカーテン、シャツ等を受け取った。上出来。よく乾いている。生乾きだと雑菌が繁殖するのか悪臭がする。カーテン3枚とTシャツ5枚で28 000FC(2 800円)は勿論この国では高い。しかし女中や洗濯女に任せたら、色変わりするだろうし匂いも気にしないから、中途半端な洗濯で終わってしまう。自分で洗うか洗濯に出すかだ。ここでは狭くて小まめに洗う以外洗濯が出来ない。
東京理科大学の加納教授とSkype。環境科学の先生。カタンガの公害問題について話す。ここのNGOの調査もし、公害の現場にいってみないといけない。ルブンバシ大学の先生にもあたる。大学間の交流が可能とおもう。
加納先生のサイト:
http://www.ed.yama.tus.ac.jp/mkano/html/english.html
シスター・アスンタさんの仲間の修道女がマラリア。キニーネを一週間飲むのだそうだ。慣れている。キニーネを飲んでいると食欲がなくなる。副作用だ。しかし飲まなければ回復しない。無理して食事をしないと体力がつかない。いつか僕もマラリアに犯されるのだろう。ギニアの斉藤さん(金鉱山のオーナー)は何回もマラリアを克服している。高熱を下げてしまえば死に至る病ではない。しかし、ほっておけば確実に死ぬ。
教会紹介のAntoine氏が本省の内務大臣に会えそうだというので、朝7時からHôtel Lubumbashiロビーで待った。大臣の宿舎になって、このホテルに警察、憲兵がたくさんいた。去年6月僕が泊まったところだ。ルブンバシでは最高級だったKarabiaホテルが改装中で、植民地時代には一流だったと思われるParkホテルよりもずっと新しく設備がいいのがHotel Lubumbashiだ。インド系。サーヴィスはあまりよくない。従業員の訓練ができていないからだ。結局は大臣のスケジュールが固まらず会えなかった。参事官のIsidore Kadimbe氏が接見。大臣のスケジュールを調整してくれることになったが、果たしてどうなるか。
Le 22 janvier 2010, vendredi
Kyungu氏宅で。奥様の知り合いにカーテンの仕立てを頼む。協会の登録進展は如何。Kyungu氏は怪我で去年2月から入院している姪の保険求償問題で忙しい。保険屋は払いが悪い。これは何処でも一緒か。
車の燃料を満タンに。82ドル。ここサレジア会Don Boscoスタンドの為替レートが1ドル=910になった。コンゴ・フランの僅かだが下落が続く。消費物資の殆どを輸入している国ではインフレに直接結びつく。警官を含めた官吏の給与は簡単に上がらない、物価スライドなんかしないから、またcorruptionに繋がる。悪循環。
19時半、Justin氏から電気はきているし、明日にも水がでるので入居可能だと電話があった。こちらから問い合わせたのではなく、彼から電話連絡してきたのは初めてである。明日確かめてみよう。
今日の食事は昼夜といただけなかった。トリップ(内臓)と干し魚の煮込み。
Le 23 janvier 2010, samedi
ルブンバシにもう一つ大きなスーパーがあることが分かった。Liberty「Ma Maison」。キンシャサからの進出。置いてある商品の質はここが一番高そうだ。インド系。
結局今日も騙された。Kipushiの家の水がでない。僕のところだけでなく町全体が断水。新しいポンプを設置するのが遅れているということだ。見通しは全くない。遠からずというのみ。これで町当局も平気なのかな。どっしりと構えるはいいとしても、引っ越さないかぎり、毎日50ドルかかっていく。賃貸契約をしたのだから、この遅れは大家に請求してもよさそうだが、相手は教会。家賃も安いことだし、とても契約を盾にサレジア会の宿舎の代金を出せとは交渉できない。精々契約発行日を入居日としてくれというだけか。
更に、わんちゃんのことでも騙された。わんちゃんを横取りされてしまったのだ。手付金を払っておけばよかったかもしれない。それにしても詰めが甘いというべきか、相手がいい加減であることを前提にことを進めないといけないのか。
Le 24 janveir 2010, dimanche
相変わらず水が出ない。町中が断水なのだから仕方ないといえばそれまでだ。それに日曜だし、既に工事を開始しているにしても今日進むわけがない。工事主体が中国人じゃないんだから。
Alain君が夕飯をおごる、しかもギリシャ人会のレストランというから、80ドルや100ドルも負担させては悪いので、夕飯はサレジア会でとらないと皆が心配するからと、湖の畔の「リビエラ」でトニックをおごってもらった。ここは僕の好きな場所のひとつである。夕日も奇麗だ。水鳥が今日はいなかったが、ゆったりと水が流れていて趣がある。遠藤周作の『深い河』を思い出す。小説の内容ではなく、イメージだけの話である。
Le 25 janvier 2010, lundi
わんちゃんは初めに見た犬にしよう。純血のRottweilerだそうだ。スイス・ジュネーヴでは危険種として飼うことを禁止されているというのは気になるが、フランスでは人気度4位とある。ネットでみると確かに番犬だが、家庭内でも飼えると書いてあった。要は育て方なのだ。それによって獰猛にも大人しくもなるようだ。しっかり教育しなければいけないな。わんちゃんに舐められないように。主人maîtreは僕なのだとわからせることだ。我侭に育ったら手がつけられない。
カーテンが出来上がった。
水は相変わらず出ない。しかしポンプの工事は開始したというから、おっつけ出るようになるだろう。じっくり構えよう。
わんちゃんはRottweiler(日本ではロットワイラーという)。黒に茶色の斑点のある可愛い仔犬を選んだ。純血。メス。100ドル。名前を考えなくちゃ。Pompeiaというのはどうだろうか。シーザーの妻の名前である。Rottweilerはローマ時代にその起源があるという犬である。でも言いにくいな。ポンペイに通じるから、ベスビオ火山みたいに爆発されても困る。Romana(ローマ人)。Pizzaの店みたいだ。Regina(女王様)。僕が支配されてもいけない。Ragazza(少女)。Madonna。引き取りは2月2日と決まった。それまでにKipushiに入居出来ない場合はAlain君の家に寄留してもらう。
もう一匹わんちゃんがいてもいいなと思う。Boxerがいないだろうか。
サレジア会の宿舎の夕飯が昼と同じで、口に合わなかったので(好き嫌いが激しいというだけのことだが)、近くのママ・イェモ通りにある中華店に行った。麻婆豆腐。これがとてつもなく塩辛かった。辛いのは当たり前だが塩辛かったのである。塩の文句をいったら、素直に支払いを請求しなかった。スープと水の代金だけ払った。8ドル。若い責任者は河北出身だそうである。去年6月に行った時よりも店が奇麗になっていた。以前は場末の食堂という感じだった。
Le 26 janvier 2010, mardi
快晴。清々しい。
車をゴルフで久しぶりに洗った。洗っても直ぐ泥でよごれるからなぁ。
『日本カタンガ協会』のホーム・ページを更新した。これに4時間もかかってしまった。定款の画像をいれたこと、定款本文をWordでのせたことが主な変更点。
ブログ『アフリカの星』も更新した。引越しまで更新を待とうとおもったが、引越しがなかなか出来ないので溜まった日誌を21日分まで掲載した。
わんちゃんの名前は「マドンナ」になりそうだ。歌手のマドンナ、漱石の『ぼっちゃん』に出てくるマドンナ、イタリア語で会話に良く出てくる「何てこっちゃ」といういみの「マードンナ」、いろいろ掛けて『マドンナ』。
Le 27 janvier 2010, mercredi
水は一旦出たが、テストだったのか直ぐに止まったそうだ。
家の不具合リストを作成、アベ・ムラポに提出。一部は僕の負担だが、時間をかけて直してくれるだろう。
カーテンをかけてみると、横の長さに余裕がなかった。窓よりも余程長めにすべきだった。後で店の売り子に聞くと、窓の幅の2倍必要だそうだ。
Le 28 janvier 2010, jeudi
Kipushi進展なし。
Le 29 janvier 2010, vendredi
サレジア会ではなく、街のランドリーに出したカーテン、シャツ等を受け取った。上出来。よく乾いている。生乾きだと雑菌が繁殖するのか悪臭がする。カーテン3枚とTシャツ5枚で28 000FC(2 800円)は勿論この国では高い。しかし女中や洗濯女に任せたら、色変わりするだろうし匂いも気にしないから、中途半端な洗濯で終わってしまう。自分で洗うか洗濯に出すかだ。ここでは狭くて小まめに洗う以外洗濯が出来ない。
東京理科大学の加納教授とSkype。環境科学の先生。カタンガの公害問題について話す。ここのNGOの調査もし、公害の現場にいってみないといけない。ルブンバシ大学の先生にもあたる。大学間の交流が可能とおもう。
加納先生のサイト:
http://www.ed.yama.tus.ac.jp/mkano/html/english.html
シスター・アスンタさんの仲間の修道女がマラリア。キニーネを一週間飲むのだそうだ。慣れている。キニーネを飲んでいると食欲がなくなる。副作用だ。しかし飲まなければ回復しない。無理して食事をしないと体力がつかない。いつか僕もマラリアに犯されるのだろう。ギニアの斉藤さん(金鉱山のオーナー)は何回もマラリアを克服している。高熱を下げてしまえば死に至る病ではない。しかし、ほっておけば確実に死ぬ。
教会紹介のAntoine氏が本省の内務大臣に会えそうだというので、朝7時からHôtel Lubumbashiロビーで待った。大臣の宿舎になって、このホテルに警察、憲兵がたくさんいた。去年6月僕が泊まったところだ。ルブンバシでは最高級だったKarabiaホテルが改装中で、植民地時代には一流だったと思われるParkホテルよりもずっと新しく設備がいいのがHotel Lubumbashiだ。インド系。サーヴィスはあまりよくない。従業員の訓練ができていないからだ。結局は大臣のスケジュールが固まらず会えなかった。参事官のIsidore Kadimbe氏が接見。大臣のスケジュールを調整してくれることになったが、果たしてどうなるか。
26 janvier 2010
引越まで jusqu'au déménagement (3)
Le 15 janvier 2010, vendredi
Cartierの革カバンを失くした。失くしたことに気付いたのは「Super Luxe」という店の前で車を駐車してからだ。気付く前に行った店は「Jambo」と「Megastore」だけ。「Jambo」に二回目に缶切りを探しに行ったときに、ついでにコップも買おうとしたが、機械が値段を読み取れず長いこと待たされたため、コップを買わずに出た。そのときにいらいらしていたので忘れて来てしまったのだと思う。それとも車の中に置いておいてやられたのか。そういえば、「Super Luxe」でドアをロックする時に右手のドアが半ドアだったためにロック出来なかった。いずれにせよカバンは見付からなかった。不幸中の幸いは、カバンの中にクレジット・カードも現金もいれていなかったことだ。とくに現金はATMで引き出してから一旦カバンに入れたが、一回目にJamboで支払ったときに、ポケットに移していた。またカードは前日はカバンに入れていたが、カバンをひったくりにあったりしたら危ない、身に着けておいた方が安全だと思って今日はジーンズのポケットに入れていた。旅券はDGMがキンシャサに送っているので所持していない。中に家の契約書コピー、仮滞在許可書、スイスの運転免許証など書類だけ。これらは再発行が可能なペーパーだ。Alain君がくれた2010年のダイアリーもあった。しかし、うっかりしていた。もう見付かることはないだろう。カバンはスイス時代からだから30年持っていたもの。残念だが、いたし方ないかもしれない。天の警告だ。そう思ってこれから気をつけることだ。
台所用品、食品、掃除道具、湯沸しポット等々をそろえた。
組み立て式の勉強机を買い、組み立てをする職人を伴ってKipushiの家へいった。サレジア会のアトリエで買ったベットの組み立てもする条件で30ドルを承知した。払いすぎだろうな。だって、一月の 給与が100ドルの世界なんだから。しかもこの職人、名前はBienvenuといったが、組み立てに3時間半もかかったのである。
マットレスはQuin Matという高級家具店にあった。206ドル。ヨーロッパ人がよく利用する店だそうである。
冷蔵庫にビール、コーラ、トニックをいれた。
家に電気は通じていたが水道はまだ。家のドア、窓、バスタブ、トイレ等のチェックをして修理を要請した。
Le 16 janvier 2010, samedi
暗殺された大統領LD Kabilaの記念日、国民休日。今の大統領の父親である。休日のため買い物が出来ずにKipushiへ。水道屋(鉛管工)に来てもらい給水工事依頼。見積もりを作成し、大家代表Mlapo神父のところに行く。今日を含め、月曜日も休日なので、火曜日から工事を開始することになった。さて、これで来週中に入居できるのか。
床屋、Coiffeur Rafael。ママ・イェモ(独裁者モブツの母の名)通りにあり宿舎に近かった。21時まで営業。2006年に行ったところより床屋らしかった。高級店か。5500FC(550円)はここでは高い方。しかし洗髪の設備はない。インド系の客も来ていた。もっと高くて15ドルもするところがあるのだという。Patrick君の紹介。スポーツ刈をしたモデル(韓国俳優Won Bin)の写真を携帯にいれておいて、こんな風に刈ってくれと頼んだ。理容師は「わかった、わかった、まかせてくれ」と全てバリカンで刈ってくれた。つまり鋏をつかわなかった。Dar es Salaamほど虎刈りではない。なかなかの出来。
Le 17 janvier 2010, dimanche
Kipushiの家は庭が広いから犬を飼おう。番犬にもなる大型犬がいい。と思ってAlain君に相談したら、丁度獣医さんが彼の犬に予防注射をしにくるから聞いてみるとのこと。そうしたら、夕方、早速犬を一緒に見に行った。1軒目の犬は獰猛そのもので、その仔犬たちは可愛いけれど、親犬を見ると尻込みする。警備会社が買うという犬は、余りにも攻撃的すぎる。2軒目はドーベルマン。この種はよく知らない。シェパード、グレート・デン、ボクサーの仔犬はいないかな。
ドーベルマンをネットで調べてみると、番犬にもよく、また通常の家庭での愛玩にもいいとある。ドイツ起源の犬である。しかし、今日見たドーベルマン、母犬も父犬もみたが、どちらも純粋種とは思えない。第一ドーベルマン自身純血ではない。
名前は「タロー」だろうな。昔、アルジェリア大使館からもらった雑種中の雑種の雑犬と同じ名前にしよう。タローの運命は酷かった。僕が82年にアルジェリアを去ってから、近所の悪ガキに噛み付いて当局から処分されてしまったときく。兄弟犬は、三菱商事の駐在員にもらわれ日本まで連れて行ってもらったというのに。
ルブンバシ動物園。2006年の記事を読んで欲しい。今日行ったら同じ動物園が様変わりであった。あのみすぼらしい動物園が生まれ変わっていた。モイーズ知事もがんばったが、在ルブンバシの企業、それも大企業ばかりではなく中小も協力して素晴らしい動物園になっていた。入場料は外国人が3000FC(300円)、ローカルの大人が1500、子どもは500だから妥当といえよう。かなりの人出である。中国人の姿もみえた。これでは先週行ったMuyamba Parkが流行るわけがない。動物の種類はまだまだ少ないが、それでもライオンやトラが追加された。それぞれの住処が大きく動物たちものびのびとしている。ベルギー時代の彫刻も磨かれ、噴水も機能していた。さらに密猟されたチンパンジーが広い山に保護されていた。象やキリン、カバはいなかった。しかし、カタンガ州では絶滅したと考えられていた象がこの州内の自然国立公園で2008年に生存が確認されたそうだ。カタンガ州、確実に正常化の道を歩んでいる。
Le 18 janvier 2010, lundi
ルムンバが暗殺された日で今日も休日。コンゴ民主共和国の初代首相ルムンバがここルブンバシで暗殺されてから49年たっている。ルムンバの理想は高かったが、行政的実績は、在任時間が短かったこともあり、殆どない。格調高いナショナリズムを高揚する演説だけだ。だから英雄になったのかもしれない。
台所用の机と棚を郊外で買った。Alain君にネゴしてもらったが値をなかなか下げない。机などは粗大ゴミで捨てられたような使い古しの机だというのに20ドル、棚は新しいようだが出来の悪い粗末なベニヤ板張り棚で25ドル。ニスも塗っていない。しかし、日本のサイトでみたら、学習机が50 000円以上している。知らなかった。パソコン机で安いものが10 000円。シングル・ベッド(マットレス別売り)も30 000円で低い価格の方。左様ですか。日本も家具は安くないんだ。先祖代々使えるような家具でなくてもね。僕は畳に布団が大嫌いだ。いや寝るのに妨げにはならないけれど、布団を押入れに入れるのが面倒。横着か。それに床(畳)に直に寝るのが慣れない。ついでに日本の家賃を調べてみた。高い、高い。でも国民の購買力がコンゴとは違う。世界のトップ・クラスと世界のラスト・クラスを比較しても意味がないか。Patrick君の収入は200ドル程度だったろう。1DK+サロンの家賃が80ドル。先ず妥当か。Alain君は家族と広い家に同居。
ルブンバシの家賃が高いのは外人用の物件の場合だ。外国の鉱山会社、国連、巨大NPOが家賃を吊り上げる。一部の金持ち以外、かなりみすぼらしいところに住んでいる。最近はレンガ造りになったものの、壁が塗っていないし、屋根はトタン板。大きなVillaに住んでいても、室内に金をかけているとはいえないところが多い。田舎に行くとパヨット(藁葺き屋根、土壁)の家もまだまだみかける。それはそれで貧しいのではなく、気候に適した建物と僕は考えている。レンガ作りがいいわけではない。
わんちゃんは楽しみだなぁ。高校生のころペペルモコ(コリー)がいた。アルジェ時代には「タロー」がいた。タローのイメージがあるから、名前は「チコ」にしようかな。チコはサハラ沙漠で買ったキツネの名前だった。チコはパルマ島のプールに飛び込んで水死してしまった。
Le 19 janvier 2010, mardi
晴れ。
電球。欧州では普通の電球が禁止になり、省エネ電球しか売っていない。ここもそれに習ったのかPhilipsか中国製の怪しい省エネ電球しかない。Kipushiの家には蛍光灯が付いていた。これは家を借りるときに珍しい。通常電球や蛍光灯は入居時に付いていない。切れている蛍光灯、電球があったので購入し付け替えた。わんちゃんの茶碗を含めてまたJamboで買い物。Jamboで買う理由は、いちいち値段のネゴをしなくてもいいからだ。昼過ぎにKipushiに向かうことにする。中国製の脚立(4段)が110ドル。これは買っていない。誰かに借りるかな。しょっちゅういるものではないし。
家に来るはずの鉛管工plombierが来ない。16時まで待ってこないので、鍵をJustinさん(教会の事務をしている人)に預けてルブンバシにもどった。僕の部屋と台所は家具が揃ってきて、生活の匂いがしてきた。あとは机にスタンドをのせ、ベット・メイキングをすればいい。水だけが問題。水と風呂のお湯が出さえすれば住める。ルブンバシにも勿論キプシにも風呂屋がない。森鴎外はドイツから帰ってきてからというものシャワーも風呂も浴びず、身体は水を絞ったタオルで拭くだけにしたと聞いているが、僕はそうはいかない。熱い風呂は苦手だけれども、たとえ風呂がなくても、シャワーは欲しい。
Le 20 janvier 2010, mercredi
朝また警察にとめられた。今度はルブンバシの街中。うるさいなぁ。駐車許可証についてまた問題になった。Tchimengaに連絡すると、従業員がでてきてTchimengaは南アに出張中とのこと。参ったな。Alainが交渉して、10 000FCを警官に渡しその場は見逃してもらった。Alainの知り合いの市役所の責任者のところで駐車許可証をとることになった。30 000FC。Tchimengaもいい加減だから、やはり払わざるをえない。警官のチェック項目にのっているのだから、いちいち指摘されても面倒だ。
アスンタさんにsucré(小額の賄賂)について愚痴をこぼした。
シスターのところで無料医院dispensaireの計画がある。土地は既にGolf地区(高級住宅地区、どんどん郊外に延びている)に確保した。病院建設が出来ない。資金がないからだそうだ。クリスチャンの曽野綾子が会長をしている日本財団にも頼んだが、金額が大きく採用になっていないという。そこで、建設業者に発注するのではなく、自分たちで建築する計画に切り替えて建設費を大きく抑えた案を作成した。それでも資材費が教会からもどこからもまだ出てこない。果たして「日本カタンガ協会」として何かできるだろうか。ひとつのプロジェクトとしてとりあげることはできないか、Kyungu氏に相談してみよう。
Kipushiの家では鉛管工が新たな水道管配管工事を終えていた。壊れたトイレの貯水槽の工事も始めてくれた。ところが、Kipushi全体が停電だという。停電がない町だと言っていたくせに。Likashiからの配電が止まったらしい。最低だ。明日に期待するしかない。いつも明日、明日だ。
インタネット接続をmobile modemで解決することにした。VodaphoneではUSBモデムを値下げして65ドルになっている。先月は75ドルだった。さらに使い放題が月60ドル。これがつかえれば、速度は遅くても経済的。PCが1台か2台しかないのに企業向けのシステムはいらない。使い放題が60とは知らなかった。危なく800ドル近くするシステムを買う決心をするところだった。このUSBモデムを買ってきて早速テストした(18時)。その時には上手くいかずがっかりしたが、プログラム(Mobile Partner)を再インストールしてトライしたらあっさりとネットに繋がったのだ(21時)。スピードは遅いけれどメイルには支障がない。Skypeの音声通話の方は難しいかもしれない。
Le 21 janvier 2010, jeudi
既に木曜日。
鉛管工は15時半になってやってきた。水が出ない。配管工事は昨日終わっている。バス・ルームに洗面台を設置。鏡がない。計算するのを忘れたという。
庭のゴミを拾った。大きなゴミ袋がいっぱいになった。手でゴミを拾い集めたが、その手を洗えない。
Corruption Perceptions Index(腐敗認識指数)というのをドイツのNGOであるTransparency Internationalが毎年発表するようになって15年がたつ。批判、批評はかなりある。しかし、国家の大まかなクリーン度の評価である。腐敗(収賄)の定義を「公務員が職務職権を利用して私腹を肥やす」としている。コンゴ民主共和国の実績は2009年のランクでいくと180カ国国中162位でアンゴラ、コンゴ共和国(首都Brazzaville)、ギネ・ビサウ、キリギスタン、ヴェネスエラと肩を並べている。他国はいざ知らず、昨年12月22日にルブンバシについてからというもののRDCongoの実態はこの日誌に見る通りである。腐敗から脱出しようという試みもこの国にないわけではない。国家に入るべき収入として関税や諸手数料があるわけだが、それらを銀行振り込みにさせて、直接公務員が現金を受け取れないようにするという建前がある。ところが、あくまで「建前」で実態が伴わない。だから腐敗指数で不名誉なランク付けを一貫していただいている。上は大統領、大臣から、下は警官までということである。この腐敗を解決しなければ、どんなに資源が豊富でも先進国から相手にされない。
最もクリーンな国々はニュージーランド、北欧、スイス。日本は17位。ドイツ14位、米国19位、ベルギー21位、フランス24位。アルジェリア111位。最悪はアフガニスタン、ソマリアとなっている。しかしこれら最低の国とRDCongoの差は殆どない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Corruption_Perceptions_Index
Cartierの革カバンを失くした。失くしたことに気付いたのは「Super Luxe」という店の前で車を駐車してからだ。気付く前に行った店は「Jambo」と「Megastore」だけ。「Jambo」に二回目に缶切りを探しに行ったときに、ついでにコップも買おうとしたが、機械が値段を読み取れず長いこと待たされたため、コップを買わずに出た。そのときにいらいらしていたので忘れて来てしまったのだと思う。それとも車の中に置いておいてやられたのか。そういえば、「Super Luxe」でドアをロックする時に右手のドアが半ドアだったためにロック出来なかった。いずれにせよカバンは見付からなかった。不幸中の幸いは、カバンの中にクレジット・カードも現金もいれていなかったことだ。とくに現金はATMで引き出してから一旦カバンに入れたが、一回目にJamboで支払ったときに、ポケットに移していた。またカードは前日はカバンに入れていたが、カバンをひったくりにあったりしたら危ない、身に着けておいた方が安全だと思って今日はジーンズのポケットに入れていた。旅券はDGMがキンシャサに送っているので所持していない。中に家の契約書コピー、仮滞在許可書、スイスの運転免許証など書類だけ。これらは再発行が可能なペーパーだ。Alain君がくれた2010年のダイアリーもあった。しかし、うっかりしていた。もう見付かることはないだろう。カバンはスイス時代からだから30年持っていたもの。残念だが、いたし方ないかもしれない。天の警告だ。そう思ってこれから気をつけることだ。
台所用品、食品、掃除道具、湯沸しポット等々をそろえた。
組み立て式の勉強机を買い、組み立てをする職人を伴ってKipushiの家へいった。サレジア会のアトリエで買ったベットの組み立てもする条件で30ドルを承知した。払いすぎだろうな。だって、一月の 給与が100ドルの世界なんだから。しかもこの職人、名前はBienvenuといったが、組み立てに3時間半もかかったのである。
マットレスはQuin Matという高級家具店にあった。206ドル。ヨーロッパ人がよく利用する店だそうである。
冷蔵庫にビール、コーラ、トニックをいれた。
家に電気は通じていたが水道はまだ。家のドア、窓、バスタブ、トイレ等のチェックをして修理を要請した。
Le 16 janvier 2010, samedi
暗殺された大統領LD Kabilaの記念日、国民休日。今の大統領の父親である。休日のため買い物が出来ずにKipushiへ。水道屋(鉛管工)に来てもらい給水工事依頼。見積もりを作成し、大家代表Mlapo神父のところに行く。今日を含め、月曜日も休日なので、火曜日から工事を開始することになった。さて、これで来週中に入居できるのか。
床屋、Coiffeur Rafael。ママ・イェモ(独裁者モブツの母の名)通りにあり宿舎に近かった。21時まで営業。2006年に行ったところより床屋らしかった。高級店か。5500FC(550円)はここでは高い方。しかし洗髪の設備はない。インド系の客も来ていた。もっと高くて15ドルもするところがあるのだという。Patrick君の紹介。スポーツ刈をしたモデル(韓国俳優Won Bin)の写真を携帯にいれておいて、こんな風に刈ってくれと頼んだ。理容師は「わかった、わかった、まかせてくれ」と全てバリカンで刈ってくれた。つまり鋏をつかわなかった。Dar es Salaamほど虎刈りではない。なかなかの出来。
Le 17 janvier 2010, dimanche
Kipushiの家は庭が広いから犬を飼おう。番犬にもなる大型犬がいい。と思ってAlain君に相談したら、丁度獣医さんが彼の犬に予防注射をしにくるから聞いてみるとのこと。そうしたら、夕方、早速犬を一緒に見に行った。1軒目の犬は獰猛そのもので、その仔犬たちは可愛いけれど、親犬を見ると尻込みする。警備会社が買うという犬は、余りにも攻撃的すぎる。2軒目はドーベルマン。この種はよく知らない。シェパード、グレート・デン、ボクサーの仔犬はいないかな。
ドーベルマンをネットで調べてみると、番犬にもよく、また通常の家庭での愛玩にもいいとある。ドイツ起源の犬である。しかし、今日見たドーベルマン、母犬も父犬もみたが、どちらも純粋種とは思えない。第一ドーベルマン自身純血ではない。
名前は「タロー」だろうな。昔、アルジェリア大使館からもらった雑種中の雑種の雑犬と同じ名前にしよう。タローの運命は酷かった。僕が82年にアルジェリアを去ってから、近所の悪ガキに噛み付いて当局から処分されてしまったときく。兄弟犬は、三菱商事の駐在員にもらわれ日本まで連れて行ってもらったというのに。
ルブンバシ動物園。2006年の記事を読んで欲しい。今日行ったら同じ動物園が様変わりであった。あのみすぼらしい動物園が生まれ変わっていた。モイーズ知事もがんばったが、在ルブンバシの企業、それも大企業ばかりではなく中小も協力して素晴らしい動物園になっていた。入場料は外国人が3000FC(300円)、ローカルの大人が1500、子どもは500だから妥当といえよう。かなりの人出である。中国人の姿もみえた。これでは先週行ったMuyamba Parkが流行るわけがない。動物の種類はまだまだ少ないが、それでもライオンやトラが追加された。それぞれの住処が大きく動物たちものびのびとしている。ベルギー時代の彫刻も磨かれ、噴水も機能していた。さらに密猟されたチンパンジーが広い山に保護されていた。象やキリン、カバはいなかった。しかし、カタンガ州では絶滅したと考えられていた象がこの州内の自然国立公園で2008年に生存が確認されたそうだ。カタンガ州、確実に正常化の道を歩んでいる。
Le 18 janvier 2010, lundi
ルムンバが暗殺された日で今日も休日。コンゴ民主共和国の初代首相ルムンバがここルブンバシで暗殺されてから49年たっている。ルムンバの理想は高かったが、行政的実績は、在任時間が短かったこともあり、殆どない。格調高いナショナリズムを高揚する演説だけだ。だから英雄になったのかもしれない。
台所用の机と棚を郊外で買った。Alain君にネゴしてもらったが値をなかなか下げない。机などは粗大ゴミで捨てられたような使い古しの机だというのに20ドル、棚は新しいようだが出来の悪い粗末なベニヤ板張り棚で25ドル。ニスも塗っていない。しかし、日本のサイトでみたら、学習机が50 000円以上している。知らなかった。パソコン机で安いものが10 000円。シングル・ベッド(マットレス別売り)も30 000円で低い価格の方。左様ですか。日本も家具は安くないんだ。先祖代々使えるような家具でなくてもね。僕は畳に布団が大嫌いだ。いや寝るのに妨げにはならないけれど、布団を押入れに入れるのが面倒。横着か。それに床(畳)に直に寝るのが慣れない。ついでに日本の家賃を調べてみた。高い、高い。でも国民の購買力がコンゴとは違う。世界のトップ・クラスと世界のラスト・クラスを比較しても意味がないか。Patrick君の収入は200ドル程度だったろう。1DK+サロンの家賃が80ドル。先ず妥当か。Alain君は家族と広い家に同居。
ルブンバシの家賃が高いのは外人用の物件の場合だ。外国の鉱山会社、国連、巨大NPOが家賃を吊り上げる。一部の金持ち以外、かなりみすぼらしいところに住んでいる。最近はレンガ造りになったものの、壁が塗っていないし、屋根はトタン板。大きなVillaに住んでいても、室内に金をかけているとはいえないところが多い。田舎に行くとパヨット(藁葺き屋根、土壁)の家もまだまだみかける。それはそれで貧しいのではなく、気候に適した建物と僕は考えている。レンガ作りがいいわけではない。
わんちゃんは楽しみだなぁ。高校生のころペペルモコ(コリー)がいた。アルジェ時代には「タロー」がいた。タローのイメージがあるから、名前は「チコ」にしようかな。チコはサハラ沙漠で買ったキツネの名前だった。チコはパルマ島のプールに飛び込んで水死してしまった。
Le 19 janvier 2010, mardi
晴れ。
電球。欧州では普通の電球が禁止になり、省エネ電球しか売っていない。ここもそれに習ったのかPhilipsか中国製の怪しい省エネ電球しかない。Kipushiの家には蛍光灯が付いていた。これは家を借りるときに珍しい。通常電球や蛍光灯は入居時に付いていない。切れている蛍光灯、電球があったので購入し付け替えた。わんちゃんの茶碗を含めてまたJamboで買い物。Jamboで買う理由は、いちいち値段のネゴをしなくてもいいからだ。昼過ぎにKipushiに向かうことにする。中国製の脚立(4段)が110ドル。これは買っていない。誰かに借りるかな。しょっちゅういるものではないし。
家に来るはずの鉛管工plombierが来ない。16時まで待ってこないので、鍵をJustinさん(教会の事務をしている人)に預けてルブンバシにもどった。僕の部屋と台所は家具が揃ってきて、生活の匂いがしてきた。あとは机にスタンドをのせ、ベット・メイキングをすればいい。水だけが問題。水と風呂のお湯が出さえすれば住める。ルブンバシにも勿論キプシにも風呂屋がない。森鴎外はドイツから帰ってきてからというものシャワーも風呂も浴びず、身体は水を絞ったタオルで拭くだけにしたと聞いているが、僕はそうはいかない。熱い風呂は苦手だけれども、たとえ風呂がなくても、シャワーは欲しい。
Le 20 janvier 2010, mercredi
朝また警察にとめられた。今度はルブンバシの街中。うるさいなぁ。駐車許可証についてまた問題になった。Tchimengaに連絡すると、従業員がでてきてTchimengaは南アに出張中とのこと。参ったな。Alainが交渉して、10 000FCを警官に渡しその場は見逃してもらった。Alainの知り合いの市役所の責任者のところで駐車許可証をとることになった。30 000FC。Tchimengaもいい加減だから、やはり払わざるをえない。警官のチェック項目にのっているのだから、いちいち指摘されても面倒だ。
アスンタさんにsucré(小額の賄賂)について愚痴をこぼした。
シスターのところで無料医院dispensaireの計画がある。土地は既にGolf地区(高級住宅地区、どんどん郊外に延びている)に確保した。病院建設が出来ない。資金がないからだそうだ。クリスチャンの曽野綾子が会長をしている日本財団にも頼んだが、金額が大きく採用になっていないという。そこで、建設業者に発注するのではなく、自分たちで建築する計画に切り替えて建設費を大きく抑えた案を作成した。それでも資材費が教会からもどこからもまだ出てこない。果たして「日本カタンガ協会」として何かできるだろうか。ひとつのプロジェクトとしてとりあげることはできないか、Kyungu氏に相談してみよう。
Kipushiの家では鉛管工が新たな水道管配管工事を終えていた。壊れたトイレの貯水槽の工事も始めてくれた。ところが、Kipushi全体が停電だという。停電がない町だと言っていたくせに。Likashiからの配電が止まったらしい。最低だ。明日に期待するしかない。いつも明日、明日だ。
インタネット接続をmobile modemで解決することにした。VodaphoneではUSBモデムを値下げして65ドルになっている。先月は75ドルだった。さらに使い放題が月60ドル。これがつかえれば、速度は遅くても経済的。PCが1台か2台しかないのに企業向けのシステムはいらない。使い放題が60とは知らなかった。危なく800ドル近くするシステムを買う決心をするところだった。このUSBモデムを買ってきて早速テストした(18時)。その時には上手くいかずがっかりしたが、プログラム(Mobile Partner)を再インストールしてトライしたらあっさりとネットに繋がったのだ(21時)。スピードは遅いけれどメイルには支障がない。Skypeの音声通話の方は難しいかもしれない。
Le 21 janvier 2010, jeudi
既に木曜日。
鉛管工は15時半になってやってきた。水が出ない。配管工事は昨日終わっている。バス・ルームに洗面台を設置。鏡がない。計算するのを忘れたという。
庭のゴミを拾った。大きなゴミ袋がいっぱいになった。手でゴミを拾い集めたが、その手を洗えない。
Corruption Perceptions Index(腐敗認識指数)というのをドイツのNGOであるTransparency Internationalが毎年発表するようになって15年がたつ。批判、批評はかなりある。しかし、国家の大まかなクリーン度の評価である。腐敗(収賄)の定義を「公務員が職務職権を利用して私腹を肥やす」としている。コンゴ民主共和国の実績は2009年のランクでいくと180カ国国中162位でアンゴラ、コンゴ共和国(首都Brazzaville)、ギネ・ビサウ、キリギスタン、ヴェネスエラと肩を並べている。他国はいざ知らず、昨年12月22日にルブンバシについてからというもののRDCongoの実態はこの日誌に見る通りである。腐敗から脱出しようという試みもこの国にないわけではない。国家に入るべき収入として関税や諸手数料があるわけだが、それらを銀行振り込みにさせて、直接公務員が現金を受け取れないようにするという建前がある。ところが、あくまで「建前」で実態が伴わない。だから腐敗指数で不名誉なランク付けを一貫していただいている。上は大統領、大臣から、下は警官までということである。この腐敗を解決しなければ、どんなに資源が豊富でも先進国から相手にされない。
最もクリーンな国々はニュージーランド、北欧、スイス。日本は17位。ドイツ14位、米国19位、ベルギー21位、フランス24位。アルジェリア111位。最悪はアフガニスタン、ソマリアとなっている。しかしこれら最低の国とRDCongoの差は殆どない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Corruption_Perceptions_Index
引越まで jusqu'au déménagement (2)
Le 8 janvier 2009, vendredi
公証人notaireのところにNPOの定款を提出。
銀行ATMで700ドルを引き出した。初め一度に1 000ドルを下ろそうとしたら駄目で、100ドルづつ下ろすことにしたが、400ならと試してみたら可能だった。今日は新札ではなかった。
交通局で「駐車許可書」は幾らと訊くと、30 000FCだという。その場で支払いせず、先ずはTchimengaと街中で会った。彼は「払うな、俺が処理するまで待て」という。昨日の警察官への恫喝の効果をみているので、「分かった、問題があったらまた電話するぞ」といって別れた。
車の中に敷くタピtapisを、旧モブツ通りの新しいオートパーツショップで購入(25ドル)。泥道を走るので、乗り降りの際に車の中が汚れる。
Kyugu氏と宿で打ち合わせ。ともかく僕の滞在許可と協会の銀行口座開設と免税措置を急がねばならない。遅々としている。
Le 9 janvier 2010, samedi
Kipushi。支払いが滞っていたというVillaの借主は昨日あっさりと払ったという。従いこの家は借りられない。外観は一番よかった。もう一軒、2月に空くという家にPatrick君が目をつけていた。これが有望かもしれない。庭が広く、こじんまりとした家屋も悪くない。設備はどうなのか月曜日にみるが、手直しをするだけの価値がありそうだ。家賃をどんどん値上げして200から250になりそうだが、それなら条件をつけないといけないだろう。605番地。これ以外の物件は3月ということになり、ちょっと時間がかかりすぎる。
ルブンバシにもどり、Jambo Martで買い物。このスーパーはインド人系。ギリシャ人系Sparoやベルギー人系Megastoreにとって手ごわい競争相手か。商品が豊富。さらに南ア系でアフリカ各地に店を出しているShopriteが、土地を既に確保して進出を窺っている。ルブンバシの周りには、マーケットがたくさんあるが、いずれ淘汰されていくのだろう。遠い将来には欧州系の大資本が来るに違いない。グローバリスムmondialisationの波はもうそこまで来ている。
ルブンバシの並木は素晴らしい。ベルギー時代に植えられたのだろうが大きな木に育った。コンゴの「杜の都」である。ルブンバシは自ら「Capital de Cuivre(銅の都)といっているが、「杜の都」といっても相応しい。日本で「杜の都」といえば、仙台だけれども、仙台以上に木々が多いのである。
Le 10 janvier 2010, dimanche
ルブンバシの近くに自然動物園ができたとKyungu氏からきいていたので出かけてみることにした。ルブンバシから北へ15km、Likashi街道をいったところにその動物園があった。入場料は外国人が15、ローカルが10、駐車料金5ドル、計30ドル。高い。Muyambo Parkという。Muyamboはオーナーの名前、元社会事業省の大臣だそうだ。オーナーにちらっと挨拶する機会があったが、大臣だっただけで100 haの土地を購入して、動物園を開園できるとは。いわくこの国で大臣の椅子にすわると儲かるのだそうである。日本では大臣も給与取り。ま、役得はあるだろうがそう儲かる商売とは思えない。園内には人口湖もあった。キリン、シマウマ、孔雀、らくだ、サル等が園内に放し飼いにされている。
Patrick君が駱駝に気に入られて追いかけられた。彼の背中に鼻を押し付けて親愛の情を示す。Patrick君が逃げ回ると、僕の方に向かってきた。僕も逃げる。ところが滑って転んで、あやうく駱駝の脚に蹴られそうになった。園の人が駱駝を宥めてことなきを得た。
当初曇り空でキリンの姿が見えなかったが、晴れ間がでてきてシマウマの一群のなかに4頭のキリンがいた。近づいても逃げない。でも、駱駝のように気に入られては敵わないので、5Mほど距離をおいた。写真をとったが、写真で見る限り、公園内ではなくアフリカの大草原にいるキリンのようにみえるだろう。
檻のなかにいたのはニシキヘビとハイエナだけ。あとは放し飼い。ライオンもお目見えするのだそうだ。勿論ライオンは檻にいれられる。
人口湖を舟でまわった。ペダル式。一人3 000FC(300円)。こぎ手は二人。一人は髭の生えた女性。30メートルも掘った人口湖で、海水と同じ濃度にして海の魚が飼われているのだそうだ。釣りも可。釣った魚は、目方に応じて料金を支払って持ち帰ることができる。
ここの女性は毛深い。アフリカの女性が全て毛深いわけではないけれど、本当に毛深い女性の場合、胸毛まである。南アフリカの短距離女性選手の性が問題になったことがあった。彼女の声は声変わりした男性の声だった。しかし、僕は女性に違いないと思う。そうでないと既に女性選手の仲間たちからクレームがでていたろう。
動物公園を出てから、湖に行こうということになった。Patrick君が近くに湖があるというからそうしたのだが、いけどもいけども行き当たらない。それもそのはず、ルブンバシから210kmのKasengaという町があるが、湖はその先だとういうことが途中の村人に聞いてわかった。173km行った村Kasomenoで引き返した。悪路になって来ていてKasengaまで行き着いてもルブンバシに今日中に帰れないと判断したからだ。13時に出発してからもう16時。この街道は中国人がまだ工事中。日曜日にも拘わらず工事を進めていた。中国の会社はCREC。
Le 11 janvier 2010, lundi
朝起きられない。眠気ではない。腰が痛いのだ。昨日悪路を3時間走った所為だろうか、それとも駱駝に追いかけられて転んだ所為だろうか。ぎっくり腰状態。車の運転もPatrick君に代わってもらった。
夕方アスンタさんのところで膏薬と痛み止めをもらった。ありがたい。腰を暖めてから貼るのだそうだ。シスター・アスンタは看護士資格ももっている。
DGMでレジデント申請書をみてもらいその場で修正するものは修正して提出。Yellow Cardのコピーもいるという。受領書recepéを発行してもらうのに更に30ドルとられた。レジデント・カードは653ドルもする。持ち合わせがないので明日銀行で引き出してから支払うことにした。ONG「日本カタンガ協会」の公証人判つきの定款も必要。
Kipushiで例の605番地の家の大家と面談。借家人がごねて出て行かないのが問題だという。家賃も200から250に値上げ。依然として鍵がないので内部を見られない。
一方亡くなった司祭が住んでいたというVillaを訪ねた。幹線道路に面しているが、教会が貸しているという薬屋の裏。広い庭。菜園まである。庭は1 500M2はあろう。家の日当たりは悪いが、庭が広いので太陽は庭で十分浴びられる。明日教区長との会合があるので、貸してもいいといわれたら内部も見せてくれると。前に軍の将校が貸してくれと来たが、断ったのだそうだ。教会が平和主義で軍人嫌いというわけではなく、軍人は払いが悪いかららしい。Assuntaさんにもサポートの電話をしてもらうことにした。Patrick君も気に入った物件のようだ。
車を洗った。5 000FC(500円)。ジェットがこわれていて全て手で洗っていた。1時間もかけて丁寧に洗ってくれた。これで料金を負けろとは云えないよ。サレジア会Imaraの宿舎にもどったところで雷雨。
Patrick君もサレジア会の食堂で一緒に食事。誰も部外者が食事をしていることに文句を言わなかった。それどころか歓迎してくれた。いいことだ。そう、Patrick君も同じ神の子なんだから。といって、ここは慈善bénévoleのレストランではない。僕が連れてきた友人として歓迎してくれたのだろうと思う。
Le 12 janvier 2010, mardi
銀行で600ドルをおろしてからDGMに行ったら、レジデントカードは653いや700ドルだがその他書類作成があるから総計1 200ドルだという。口論しても仕様がないから再び銀行に行き、更に600ドルをおろしてDGMに支払った。領収書なし。これで、用紙代だ、なんだかんだでDGMに払った金が1 300ドル。どうなっているんだ。キュング氏に連絡しても何ら打つ手なし。こっちは企業が後ろについているわけじゃないんだ。でかいONGが後ろ盾でもないんだ。金をぶんどるのは止めて欲しい。悲鳴をあげるぜ。さらに担当のNyemboが「俺の分も考えてくれよな」などという台詞を口走っていたんだから嫌になる。
パスポートを預けた。これは居住許可証とは別に滞在Visaの延長のためだという。要は移民局(内務省)と外務省の両方が金をとるということだ。代わりに写真つきの滞在証明書が発行された。正式滞在許可証が2週間でできるというが、書類もパスポートも首都キンシャサに送られる。不安だね。
アスンタさんの紹介で交通省の人が家を2軒見せてくれた。1軒目はGuset House付属のStudio。暗く不潔な結構式場が隣で五月蝿そう。部屋も一つだけ。それでもいいけど部屋も汚い。大家は汚いと思っていないようだ。30ドル/日で貸している部屋だという。月極めなら450ドルにすると。冗談でしょ。一昨日来いってんだ。2軒目は、Golfの外れ、新築。寝室3部屋。ほぼ家具付。保証金なし。悪くはないが、600ドル/月で12ヶ月前払い。高い。一遍に7200ドルは払えない。アクセスも悪路で芳しくない。更に住宅街の外れで安全sécurité面でも問題がありそう。止めておこう。
Kipushiの神父Mlapoから賃貸承諾の電話が18時半にあった。明日9時から10時の間に来て欲しいと。そのとき家賃について話そうと言葉を濁した。なるだけ安く決めたい。女中を雇うと100ドル。それだけ奇麗に家をつかうと約束しよう。男所帯では汚される、荒れると思うかもしれない。本当に女中は雇ったほうがいい。掃除は下手だし、料理は知らないだろうけれど、多少面倒さが省ける。家に女がいるのもいいことだ。しかし通いにする。夜の面倒までみてくれとはいわない。欧州人家庭で働いたことがある女性がいい。
Le 13 janvier 2009, mercredi
Kipushiの家は180ドル/月。週末には引越しできることになった。明日木曜日6か月分を支払う。保証金なし。部屋をみたが、司祭の残した本がたくさんまだあった。台所にシャンパン、赤ワイン、リキュールなど酒類がおいてあった。司祭さん、結構呑み助だったのかな。司祭が亡くなってから13ヶ月誰も住んでいない。埃だらけだが、本や書類は直ぐにも片付けてくれるという。水道と電気についてルブンバシよりも問題がないという。日本では電気・水道があるのは当たり前だろうが、これは重要なポイント。2006年の『ルブンバシ日誌』を読んでいただけるとよく分かると思う。電気・水道が安定供給されるのは、Kipushiにもある鉱山会社Gécaminesとその大部分を買収したForest社(カタンガ最大の建設会社だが多角化している)のお陰である。ルブンバシでもGécaminesの工場の従業員社宅がある地域は停電がない。Gécaminesはコンゴ最大手の鉱山会社(今、ちょっと斜陽)。
ペンキを塗り替えたり、カーテンをかえたりと、僕の住処らしくなるのは大分先の話だ。しかし、それだけの労力と投資をするだけの価値のある家とみえた。一戸建ての家に住むのは、中学一年のときまでの仙台は北山以来だ。
ルブンバシで冷蔵庫をみて歩いた。Jambo Martが一番安そうである。タイ製のSharpの冷蔵庫があった。家具はサレジア会の職業訓練学校で作って売っているというから、ベット、机などはそこで手に入れたい。Cite des Jeunesにあるそうだ。2006年に郊外の木工工場で作らせたベットは直ぐに壊れてしまった。このサレジア会の宿舎の家具は大部分そこで作られたときく。飾り気はないが、頑丈に出来ている。
床屋にいかないといけない。Dar es Salaamで整髪したのは11月の15日頃だったろうか。殆ど坊主頭にしてくれたには違いないが、2ヶ月は長い。Patrick君の行きつけの床屋か,
2006年に行った店か、その店の見当は難しいが、ともかく髪を切ろう。家を移ってからはバリカンをアスンタさんに預けてあるので、家で床屋をしよう。
明日、家の契約を記念にどこか外で食事をしよう。この宿舎の食事も悪くはないけど、variationがない。殆どいつも同じ。ワインも飲みたいなぁ。
Le 14 janvier 2010, jeudi
冷蔵庫をJamboで買い、荷台に乗せて走った。しっかりと留めてくれたので悪路でも荷崩れしなかったのは幸い。冷蔵庫はタイ製Sharp、190L。365ドル。
家賃支払い。ちゃんと領収書がでてきたのは流石教会できちんとしている。本や書類は運び出してくれたが、掃除がされていなかった。掃除は大家である教会がしてくれと頼んだ。電気・水道がまだきていない。
Cité des Jeunes(青少年センター)の家具を見にいった。Cité はサレジア会の経営で、若者たちの手に職をつけるための訓練所と学校がある。家具職人、溶接工、靴職人などの養成だ。学校は男子生徒のみ。広大な敷地に広い運動場が2箇所ある。
シングル・ベッド150ドル、サロン・テーブル200ドル、勉強机385ドル。机は椅子も付いていないのにこの値段。しっかりした作りだが高過ぎ。ベッドは安物を買うと痛い目にあうので、150ドルもしかたない。サロン・テーブルは街中でガラスの洒落たものを買いたいが、高いから諦めよう。スイス時代は最高級家具を一生ものだとして買ったけど、今度はそうはいかない。家具に保険までかけたなぁ。バブルの頃である。いや、過去は問うまい。
シーツ、枕、タオルもJambo Mart。いいお得意さんになった。毛布は化繊のものしかなかった。これはいけない。コットンか純毛がいいけど売っていない。アクリルの毛布は蕁麻疹がでる。贅沢かなぁ。
夜はGolf地区のレストラン「Piccolo」へ。初めて入った店だが悪くない。Piccolo(イタリア語で「小さい」)というからこぢんまりとした店かとおもったら、案に相違して広い敷地にテーブルの数も沢山ある一流のイタリア・レストランであった。メニューもイタリア本国並み。ワインをいれて120ドル。高いには違いないが、まぁ、そんなところだろう。しかし、一体誰がこんなところを利用するのだろう。客は極めて少なかった。パトロンも挨拶にでてきたが、普通のひとは来られないレストランに違いない。
公証人notaireのところにNPOの定款を提出。
銀行ATMで700ドルを引き出した。初め一度に1 000ドルを下ろそうとしたら駄目で、100ドルづつ下ろすことにしたが、400ならと試してみたら可能だった。今日は新札ではなかった。
交通局で「駐車許可書」は幾らと訊くと、30 000FCだという。その場で支払いせず、先ずはTchimengaと街中で会った。彼は「払うな、俺が処理するまで待て」という。昨日の警察官への恫喝の効果をみているので、「分かった、問題があったらまた電話するぞ」といって別れた。
車の中に敷くタピtapisを、旧モブツ通りの新しいオートパーツショップで購入(25ドル)。泥道を走るので、乗り降りの際に車の中が汚れる。
Kyugu氏と宿で打ち合わせ。ともかく僕の滞在許可と協会の銀行口座開設と免税措置を急がねばならない。遅々としている。
Le 9 janvier 2010, samedi
Kipushi。支払いが滞っていたというVillaの借主は昨日あっさりと払ったという。従いこの家は借りられない。外観は一番よかった。もう一軒、2月に空くという家にPatrick君が目をつけていた。これが有望かもしれない。庭が広く、こじんまりとした家屋も悪くない。設備はどうなのか月曜日にみるが、手直しをするだけの価値がありそうだ。家賃をどんどん値上げして200から250になりそうだが、それなら条件をつけないといけないだろう。605番地。これ以外の物件は3月ということになり、ちょっと時間がかかりすぎる。
ルブンバシにもどり、Jambo Martで買い物。このスーパーはインド人系。ギリシャ人系Sparoやベルギー人系Megastoreにとって手ごわい競争相手か。商品が豊富。さらに南ア系でアフリカ各地に店を出しているShopriteが、土地を既に確保して進出を窺っている。ルブンバシの周りには、マーケットがたくさんあるが、いずれ淘汰されていくのだろう。遠い将来には欧州系の大資本が来るに違いない。グローバリスムmondialisationの波はもうそこまで来ている。
ルブンバシの並木は素晴らしい。ベルギー時代に植えられたのだろうが大きな木に育った。コンゴの「杜の都」である。ルブンバシは自ら「Capital de Cuivre(銅の都)といっているが、「杜の都」といっても相応しい。日本で「杜の都」といえば、仙台だけれども、仙台以上に木々が多いのである。
Le 10 janvier 2010, dimanche
ルブンバシの近くに自然動物園ができたとKyungu氏からきいていたので出かけてみることにした。ルブンバシから北へ15km、Likashi街道をいったところにその動物園があった。入場料は外国人が15、ローカルが10、駐車料金5ドル、計30ドル。高い。Muyambo Parkという。Muyamboはオーナーの名前、元社会事業省の大臣だそうだ。オーナーにちらっと挨拶する機会があったが、大臣だっただけで100 haの土地を購入して、動物園を開園できるとは。いわくこの国で大臣の椅子にすわると儲かるのだそうである。日本では大臣も給与取り。ま、役得はあるだろうがそう儲かる商売とは思えない。園内には人口湖もあった。キリン、シマウマ、孔雀、らくだ、サル等が園内に放し飼いにされている。
Patrick君が駱駝に気に入られて追いかけられた。彼の背中に鼻を押し付けて親愛の情を示す。Patrick君が逃げ回ると、僕の方に向かってきた。僕も逃げる。ところが滑って転んで、あやうく駱駝の脚に蹴られそうになった。園の人が駱駝を宥めてことなきを得た。
当初曇り空でキリンの姿が見えなかったが、晴れ間がでてきてシマウマの一群のなかに4頭のキリンがいた。近づいても逃げない。でも、駱駝のように気に入られては敵わないので、5Mほど距離をおいた。写真をとったが、写真で見る限り、公園内ではなくアフリカの大草原にいるキリンのようにみえるだろう。
檻のなかにいたのはニシキヘビとハイエナだけ。あとは放し飼い。ライオンもお目見えするのだそうだ。勿論ライオンは檻にいれられる。
人口湖を舟でまわった。ペダル式。一人3 000FC(300円)。こぎ手は二人。一人は髭の生えた女性。30メートルも掘った人口湖で、海水と同じ濃度にして海の魚が飼われているのだそうだ。釣りも可。釣った魚は、目方に応じて料金を支払って持ち帰ることができる。
ここの女性は毛深い。アフリカの女性が全て毛深いわけではないけれど、本当に毛深い女性の場合、胸毛まである。南アフリカの短距離女性選手の性が問題になったことがあった。彼女の声は声変わりした男性の声だった。しかし、僕は女性に違いないと思う。そうでないと既に女性選手の仲間たちからクレームがでていたろう。
動物公園を出てから、湖に行こうということになった。Patrick君が近くに湖があるというからそうしたのだが、いけどもいけども行き当たらない。それもそのはず、ルブンバシから210kmのKasengaという町があるが、湖はその先だとういうことが途中の村人に聞いてわかった。173km行った村Kasomenoで引き返した。悪路になって来ていてKasengaまで行き着いてもルブンバシに今日中に帰れないと判断したからだ。13時に出発してからもう16時。この街道は中国人がまだ工事中。日曜日にも拘わらず工事を進めていた。中国の会社はCREC。
Le 11 janvier 2010, lundi
朝起きられない。眠気ではない。腰が痛いのだ。昨日悪路を3時間走った所為だろうか、それとも駱駝に追いかけられて転んだ所為だろうか。ぎっくり腰状態。車の運転もPatrick君に代わってもらった。
夕方アスンタさんのところで膏薬と痛み止めをもらった。ありがたい。腰を暖めてから貼るのだそうだ。シスター・アスンタは看護士資格ももっている。
DGMでレジデント申請書をみてもらいその場で修正するものは修正して提出。Yellow Cardのコピーもいるという。受領書recepéを発行してもらうのに更に30ドルとられた。レジデント・カードは653ドルもする。持ち合わせがないので明日銀行で引き出してから支払うことにした。ONG「日本カタンガ協会」の公証人判つきの定款も必要。
Kipushiで例の605番地の家の大家と面談。借家人がごねて出て行かないのが問題だという。家賃も200から250に値上げ。依然として鍵がないので内部を見られない。
一方亡くなった司祭が住んでいたというVillaを訪ねた。幹線道路に面しているが、教会が貸しているという薬屋の裏。広い庭。菜園まである。庭は1 500M2はあろう。家の日当たりは悪いが、庭が広いので太陽は庭で十分浴びられる。明日教区長との会合があるので、貸してもいいといわれたら内部も見せてくれると。前に軍の将校が貸してくれと来たが、断ったのだそうだ。教会が平和主義で軍人嫌いというわけではなく、軍人は払いが悪いかららしい。Assuntaさんにもサポートの電話をしてもらうことにした。Patrick君も気に入った物件のようだ。
車を洗った。5 000FC(500円)。ジェットがこわれていて全て手で洗っていた。1時間もかけて丁寧に洗ってくれた。これで料金を負けろとは云えないよ。サレジア会Imaraの宿舎にもどったところで雷雨。
Patrick君もサレジア会の食堂で一緒に食事。誰も部外者が食事をしていることに文句を言わなかった。それどころか歓迎してくれた。いいことだ。そう、Patrick君も同じ神の子なんだから。といって、ここは慈善bénévoleのレストランではない。僕が連れてきた友人として歓迎してくれたのだろうと思う。
Le 12 janvier 2010, mardi
銀行で600ドルをおろしてからDGMに行ったら、レジデントカードは653いや700ドルだがその他書類作成があるから総計1 200ドルだという。口論しても仕様がないから再び銀行に行き、更に600ドルをおろしてDGMに支払った。領収書なし。これで、用紙代だ、なんだかんだでDGMに払った金が1 300ドル。どうなっているんだ。キュング氏に連絡しても何ら打つ手なし。こっちは企業が後ろについているわけじゃないんだ。でかいONGが後ろ盾でもないんだ。金をぶんどるのは止めて欲しい。悲鳴をあげるぜ。さらに担当のNyemboが「俺の分も考えてくれよな」などという台詞を口走っていたんだから嫌になる。
パスポートを預けた。これは居住許可証とは別に滞在Visaの延長のためだという。要は移民局(内務省)と外務省の両方が金をとるということだ。代わりに写真つきの滞在証明書が発行された。正式滞在許可証が2週間でできるというが、書類もパスポートも首都キンシャサに送られる。不安だね。
アスンタさんの紹介で交通省の人が家を2軒見せてくれた。1軒目はGuset House付属のStudio。暗く不潔な結構式場が隣で五月蝿そう。部屋も一つだけ。それでもいいけど部屋も汚い。大家は汚いと思っていないようだ。30ドル/日で貸している部屋だという。月極めなら450ドルにすると。冗談でしょ。一昨日来いってんだ。2軒目は、Golfの外れ、新築。寝室3部屋。ほぼ家具付。保証金なし。悪くはないが、600ドル/月で12ヶ月前払い。高い。一遍に7200ドルは払えない。アクセスも悪路で芳しくない。更に住宅街の外れで安全sécurité面でも問題がありそう。止めておこう。
Kipushiの神父Mlapoから賃貸承諾の電話が18時半にあった。明日9時から10時の間に来て欲しいと。そのとき家賃について話そうと言葉を濁した。なるだけ安く決めたい。女中を雇うと100ドル。それだけ奇麗に家をつかうと約束しよう。男所帯では汚される、荒れると思うかもしれない。本当に女中は雇ったほうがいい。掃除は下手だし、料理は知らないだろうけれど、多少面倒さが省ける。家に女がいるのもいいことだ。しかし通いにする。夜の面倒までみてくれとはいわない。欧州人家庭で働いたことがある女性がいい。
Le 13 janvier 2009, mercredi
Kipushiの家は180ドル/月。週末には引越しできることになった。明日木曜日6か月分を支払う。保証金なし。部屋をみたが、司祭の残した本がたくさんまだあった。台所にシャンパン、赤ワイン、リキュールなど酒類がおいてあった。司祭さん、結構呑み助だったのかな。司祭が亡くなってから13ヶ月誰も住んでいない。埃だらけだが、本や書類は直ぐにも片付けてくれるという。水道と電気についてルブンバシよりも問題がないという。日本では電気・水道があるのは当たり前だろうが、これは重要なポイント。2006年の『ルブンバシ日誌』を読んでいただけるとよく分かると思う。電気・水道が安定供給されるのは、Kipushiにもある鉱山会社Gécaminesとその大部分を買収したForest社(カタンガ最大の建設会社だが多角化している)のお陰である。ルブンバシでもGécaminesの工場の従業員社宅がある地域は停電がない。Gécaminesはコンゴ最大手の鉱山会社(今、ちょっと斜陽)。
ペンキを塗り替えたり、カーテンをかえたりと、僕の住処らしくなるのは大分先の話だ。しかし、それだけの労力と投資をするだけの価値のある家とみえた。一戸建ての家に住むのは、中学一年のときまでの仙台は北山以来だ。
ルブンバシで冷蔵庫をみて歩いた。Jambo Martが一番安そうである。タイ製のSharpの冷蔵庫があった。家具はサレジア会の職業訓練学校で作って売っているというから、ベット、机などはそこで手に入れたい。Cite des Jeunesにあるそうだ。2006年に郊外の木工工場で作らせたベットは直ぐに壊れてしまった。このサレジア会の宿舎の家具は大部分そこで作られたときく。飾り気はないが、頑丈に出来ている。
床屋にいかないといけない。Dar es Salaamで整髪したのは11月の15日頃だったろうか。殆ど坊主頭にしてくれたには違いないが、2ヶ月は長い。Patrick君の行きつけの床屋か,
2006年に行った店か、その店の見当は難しいが、ともかく髪を切ろう。家を移ってからはバリカンをアスンタさんに預けてあるので、家で床屋をしよう。
明日、家の契約を記念にどこか外で食事をしよう。この宿舎の食事も悪くはないけど、variationがない。殆どいつも同じ。ワインも飲みたいなぁ。
Le 14 janvier 2010, jeudi
冷蔵庫をJamboで買い、荷台に乗せて走った。しっかりと留めてくれたので悪路でも荷崩れしなかったのは幸い。冷蔵庫はタイ製Sharp、190L。365ドル。
家賃支払い。ちゃんと領収書がでてきたのは流石教会できちんとしている。本や書類は運び出してくれたが、掃除がされていなかった。掃除は大家である教会がしてくれと頼んだ。電気・水道がまだきていない。
Cité des Jeunes(青少年センター)の家具を見にいった。Cité はサレジア会の経営で、若者たちの手に職をつけるための訓練所と学校がある。家具職人、溶接工、靴職人などの養成だ。学校は男子生徒のみ。広大な敷地に広い運動場が2箇所ある。
シングル・ベッド150ドル、サロン・テーブル200ドル、勉強机385ドル。机は椅子も付いていないのにこの値段。しっかりした作りだが高過ぎ。ベッドは安物を買うと痛い目にあうので、150ドルもしかたない。サロン・テーブルは街中でガラスの洒落たものを買いたいが、高いから諦めよう。スイス時代は最高級家具を一生ものだとして買ったけど、今度はそうはいかない。家具に保険までかけたなぁ。バブルの頃である。いや、過去は問うまい。
シーツ、枕、タオルもJambo Mart。いいお得意さんになった。毛布は化繊のものしかなかった。これはいけない。コットンか純毛がいいけど売っていない。アクリルの毛布は蕁麻疹がでる。贅沢かなぁ。
夜はGolf地区のレストラン「Piccolo」へ。初めて入った店だが悪くない。Piccolo(イタリア語で「小さい」)というからこぢんまりとした店かとおもったら、案に相違して広い敷地にテーブルの数も沢山ある一流のイタリア・レストランであった。メニューもイタリア本国並み。ワインをいれて120ドル。高いには違いないが、まぁ、そんなところだろう。しかし、一体誰がこんなところを利用するのだろう。客は極めて少なかった。パトロンも挨拶にでてきたが、普通のひとは来られないレストランに違いない。
引越まで jusqu'au déménagement (1)
頌春2010年
引越すまでの経緯を一挙に掲載予定でしたが、意外とのびのびになっているので、途中経過をお伝えします。
Le 1er janvier 2010, vendredi
7時15分に下におりて(僕の部屋は2階)、食堂にむかったがドアに鍵がかかっている。普通朝食は7時10分からなのだが、昨日大晦日Saint Sylvestreの夜、かなり酒が遅くにでたようだから、朝食が遅く始まるのかもしれない。
隣の教会Eglise Imaraで8時から新年のミサがあった。8時すぎにいってみるといつものように信者でいっぱい。Saint Paulよりも静かなミサ。しかしスワヒリ語中心。フランス語は次回のミサ、9時半からのようだ。
昼食に骨付きのヤギ肉。ポークかと思ったが骨が細い。よく焼けていたのでヤギ特有の臭(にお)いと味がしなかったのは幸い。鶏肉は2種、ポテト、ほうれん草などバランスよくできている。ま、ここの食事に飽きることもあろう。
昼間、車で土地勘を得るために街中(まちなか)をドライヴ。ゴルフ地区にトライ。行けるにはいけたが、数回道をきいた。後で地図で確認。
そう、3年前にはなかったルブンバシ市街地図ができていた。Alain君が僕にくれた。Forrest社などスポンサーをつけて市当局が2年前に作ったのだそうだ。
Le 2 janvier 2010, samedi
食堂に通じる廊下のドアが閉まっていたが、鍵がかけてあるわけではなく単にドアの具合が悪く取っ手を数回上下して引っ張れば開くことが分かった。
朝食はコンチネンタル。コーヒーがポットにいれてあった。薄いアメリカンだが、インスタントではない。よかった。パンは四角いブレッドではなく、petit pain。ジャム、ピーナツ・バタその他+サラミ。軽い朝食としては十分だ。
インタネットの部屋がまだあいていない。はやくネットに接続したい。
部屋にTVがないから、携帯電話に組み込まれているラジオを聞く。FM局が少なくとも20局以上とらえられた。国連の運営するOkapi放送、スポーツ、宗教団体の局、BBC英語放送もある。
ナンバプレートを今朝車につけよう。そうすれば警官、兵隊に気兼ねなく路上を運転できる。昨日は元旦で店が休みだった。泊まっているサレジア会のホテルの受付をしているHubert君が教会の運転手に電話かけてくれて、その運転手が道具箱をもって昼ごろ現れた。それからプレートをつけるのに2時間。工具の不具合があったり、なかなか手際よくとはいかなかったが、ともかく形がついた。車後部のナンバプレートが曲がっているのは愛嬌。手間賃をはらおうとしたら、いくらでもいいという。これが困る。5ドルにしておいた。
昨日はゴルフ地区で婦人警官が、いきなり「コーラ」という。免許証をみせろというわけでもない。分からない振りをして「中国語ができるか」ときいて、車の窓を閉めてしまった。「コーラ」といえば誰だって意図していることは分かる。500か1 000フラン、つまり50円か100円せしめたいだけなのだ。それなら「新年おめでとう!悪いけど、コーラ分のお小遣いくれない?」とでもいえばいいのに、ぶっきらぼうに「コーラ」というからこちらが憮然としてしまうのだ。前にいた車はなにがしか払っていたが、多分保険証がなかったのだろう。保険を払っていない車がたくさん走っている。そんな車と事故をおこしたら堪らない。保険を払わないのは、検問されるたびに100円払っていたほうが安いからだ。ここに年間400ドルも払えるひとはそういない。保険に加えて納税証明vignetteをフロント・ガラスに貼っておく。アスンタさんによれば、納税証明vignetteは一昨年導入されたばかりだけれど、古い車は2005年から遡って払えといわれていて現在教会が当局と交渉中だそうだ。納税が遡及するとは。
今日は朝から雨。スコールのような短時間の雨と違って、しとしとと降っている。珍しい。
アスンタさんに北原亜以子「おひで 慶次郎縁側日記」を借りた。これまで北原の作品を読んだことはない。名前も知らなかった。僕が活字に飢えていることは確かだ。日本語で持っている本は加藤周一「日本文学史(下)」だけだ。「おひで」は読みやすい。現代を江戸時代を借りて表現する。その手法は山本周五郎に似る。北原は直木賞をとった作家とカバーにか書いてある。山本は直木賞、いや一切の賞を拒否した。しかし、何故直木賞が大衆文学で、芥川賞が純文学と色分けするのだろうが、文学を純文学と大衆文学に分け上下関係に置くのは間違いである。
携帯電話(Zain社)が通じなくなった。かけもできなければ受けることもできない。SMSはかろうじて出せる。原因は、携帯電話契約をしていないことと分かった。SIMは何処でも手に入る。SIMを買ったときに契約の必要がない。無秩序だと思ったが、SIMを買ってからできるだけ速やかに契約をしろということらしい。Appel interdit(通話禁止)と画面に出てきて、誰にも電話できなくなって初めて気付いた。
Le 3 janvier 2010, dimanche
ルブンバシは赤とんぼが飛び、鈴虫が鳴く季節である。日本の初秋のようだが、カタンガ州の雨季ということである。去年の師走から始まった今年の雨季は例年になく雨が多いという。今日は晴れ。日差しは流石に強い。しかし、ルブンバシは高原地帯にある。海抜1 500M2だ。こんな高原地帯がカタンガ州には4箇所ある。カタンガ州は日本より少し大きい。
昨日夕方家の候補を3軒回った。ルブンバシに不動産屋の看板を掲げた店はない。しかし仲介をする連中がたくさんいる。一癖も二癖もあるような連中である。どこの国でも不動産屋には気が障る。商売に倫理がなさすぎる。勝手に家賃の高くとれる物件を押し付けてくる。Patrick君のいっていたKipushiの家をみたいのだが、彼と連絡がうまくとれない。
Le 4 janvier 2010, lundi
祭日。独立運動の犠牲者martyrsを記念する日。
北原「おひで」を読み終えた。山本周五郎との違いは、北原の場合、森口慶次郎というある種スーパーマンのヒーローがいること。北原によれば主人公はスーパーマンではないというけれど、北原の理想の男であり、東映でいえば、母の世代が夢中になったいい男、大川橋蔵のような美男、剣術が強く、家柄も悪くなく、人情家で、勘がいい。しかし、問題の解決が超法規的であり、裁判沙汰を好まず、事件をうやむやにしてしまうのは如何であろう。いわゆる腹芸だ。伝説的大岡裁判とは根本的に違う。
昨日に引き続きアパート見にいった。湖の近くでアメリカのNGOやUNの職員が住んでいるところを見た。700ドル/月。ちょっと高いな。場所はいいところだけど、500ドルなら何とかなるかもしれないけれど。700は無理と思う。やはりKipushi に期待してしまうなぁ。明日Patrick君とKipushiに行く。そこでいい物件があれば、ルブンバシから30kmと多少遠いけど車の燃料を勘定しても割りに合う。
ネットが通じた。僕のプロヴァイダである東京のDTIに溜まっていた3 000通もあった迷惑メイルを吐き出した。接続はWifi。ところが、吐き出されたのは去年の年末までの分で、溜まりすぎたメイルのため受信箱がブロックされていて、新規のメイルは全く入っていなかった。これはDTIに連絡、Webメイルとしてサイトにアクセスし、受信箱を本当に全部空にしてしまい、やっと解決した。
Le 5 janvier 2010, mardi
ルブンバシに隣接するKipushi市でPatrick君と家探し。四五軒みて一日が暮れた。疲れた。案内してくれたのは携帯電話会社に勤めるEric君、そしてまたまた図図しい不動産屋。1軒目が一番よかったが既に貸されていた。しかし、家賃を既に未払いで保証金を食いつぶしているということで来月には空くかもしれない。今週の土曜日にもっとはっきりすると。
Zainとの契約を朝提出したが直ぐには回復しない。KipushiでVodacomと契約した。ついでに安い携帯を買った(25ドル)。Vodaphone。こちらにZainのSimを入れて、使い慣れたSamsunにVodacomを入れた。
Le 6 janvier 2010, mercredi
Zainは未だに通じない。致し方ない。SIMを買ったはいいが、携帯会社と契約していない連中が沢山いるからなぁ。
Kyungu氏と話をして、やっと明日入国管理局に明日朝行くことになった。
日本大使館に在留届をネットで今日出すことにする。アルジェリアでは在留届をしていない。Cojaal(2007年4月から2009年10月中旬まで僕が働いていたアルジェリアの高速道路建設コンソーシアム)が、または各キャンプが届出をしてくれていたかどうか疑わしい。新年会の招待状も大使館から一度ももらったことがない。70年代の下田大使のときは、ことある毎に大使館に呼んでくれた。スイスでも公邸に招かれた。カナリアの領事館も気をつかってくれていた。アルジェリアは全く音沙汰なし。キャンプに大使館員が時折来ていたようだが会ったこともない。
Le 7 janvier 2010, jeudi
入国管理局で居住許可申請の説明をきいた。1年も2年も同じ料金だという。2年を申請することにする。申請用紙が35ドル。申請番号取得がやはり35ドル。これはその場で払った。さらに許可が下りたら650ドルいる。引越した場合、引越し先の町村当局へは届出だけでいいそうだ。
Kyungu氏の奥さんはKikushi(ルブンバシから南西に30km、ザンビアとの国境)出身だそうだ。そこで、昨日家を探して欲しいと頼んだところ、早速今朝いい物件があると連絡があった。14時発で車をとばすことにする。
ところが行ってみると、既に一昨日見てしまった物件だった。しかも酷く荒れていて手入れをするのに時間も金もかかろうというところで、無駄骨を折らされた結果になった。
それどころか、Kipushi市の入り口の検問で、今度は「駐車許可証がない、罰金50 000フランを払え」と署に連れて行かれて調書に署名を迫られた。間一髪、僕が「そんな許可証の存在を知らなかった、それがないと路上を走れないなら、通関業者に請求するから領収書を出してくれ、その前に今通関業者の責任者に電話するのでちょっと待て」と、例のマフィア的親分Ben Tchimengaに連絡した。幸い一昨日通じなかったVodacomの携帯が通じた。Benが「何も払うな、署名もするな、俺が処理する」といい、結局警察の責任者と彼が直接話をつけた。Kyungu氏はKipushiの司令官に電話したというが、効果はBenの方がdirectで絶大だった。Benの押しの強さに警察の責任者は怒っていたが、何もなかったことにしようというのだから、嫌なBenだけれどこれからも付き合っておいた方がいいのだろうか。ちょいと無念だね。本を糾せば、この男のいい加減さで、書類が不備だったのに、その男に助けられたのだからなぁ。
今村昌平「楢山節考」を僕のPCの中にみつけて、夜、全篇をみた。以前見た筈だが、そのときは木下恵介と比較して面白くないと書いたと思う。今村の作品らしくはあり、今村リアリスムは確かにあった。でも木下に比べて哀歓が足りないのではないか。
引越すまでの経緯を一挙に掲載予定でしたが、意外とのびのびになっているので、途中経過をお伝えします。
Le 1er janvier 2010, vendredi
7時15分に下におりて(僕の部屋は2階)、食堂にむかったがドアに鍵がかかっている。普通朝食は7時10分からなのだが、昨日大晦日Saint Sylvestreの夜、かなり酒が遅くにでたようだから、朝食が遅く始まるのかもしれない。
隣の教会Eglise Imaraで8時から新年のミサがあった。8時すぎにいってみるといつものように信者でいっぱい。Saint Paulよりも静かなミサ。しかしスワヒリ語中心。フランス語は次回のミサ、9時半からのようだ。
昼食に骨付きのヤギ肉。ポークかと思ったが骨が細い。よく焼けていたのでヤギ特有の臭(にお)いと味がしなかったのは幸い。鶏肉は2種、ポテト、ほうれん草などバランスよくできている。ま、ここの食事に飽きることもあろう。
昼間、車で土地勘を得るために街中(まちなか)をドライヴ。ゴルフ地区にトライ。行けるにはいけたが、数回道をきいた。後で地図で確認。
そう、3年前にはなかったルブンバシ市街地図ができていた。Alain君が僕にくれた。Forrest社などスポンサーをつけて市当局が2年前に作ったのだそうだ。
Le 2 janvier 2010, samedi
食堂に通じる廊下のドアが閉まっていたが、鍵がかけてあるわけではなく単にドアの具合が悪く取っ手を数回上下して引っ張れば開くことが分かった。
朝食はコンチネンタル。コーヒーがポットにいれてあった。薄いアメリカンだが、インスタントではない。よかった。パンは四角いブレッドではなく、petit pain。ジャム、ピーナツ・バタその他+サラミ。軽い朝食としては十分だ。
インタネットの部屋がまだあいていない。はやくネットに接続したい。
部屋にTVがないから、携帯電話に組み込まれているラジオを聞く。FM局が少なくとも20局以上とらえられた。国連の運営するOkapi放送、スポーツ、宗教団体の局、BBC英語放送もある。
ナンバプレートを今朝車につけよう。そうすれば警官、兵隊に気兼ねなく路上を運転できる。昨日は元旦で店が休みだった。泊まっているサレジア会のホテルの受付をしているHubert君が教会の運転手に電話かけてくれて、その運転手が道具箱をもって昼ごろ現れた。それからプレートをつけるのに2時間。工具の不具合があったり、なかなか手際よくとはいかなかったが、ともかく形がついた。車後部のナンバプレートが曲がっているのは愛嬌。手間賃をはらおうとしたら、いくらでもいいという。これが困る。5ドルにしておいた。
昨日はゴルフ地区で婦人警官が、いきなり「コーラ」という。免許証をみせろというわけでもない。分からない振りをして「中国語ができるか」ときいて、車の窓を閉めてしまった。「コーラ」といえば誰だって意図していることは分かる。500か1 000フラン、つまり50円か100円せしめたいだけなのだ。それなら「新年おめでとう!悪いけど、コーラ分のお小遣いくれない?」とでもいえばいいのに、ぶっきらぼうに「コーラ」というからこちらが憮然としてしまうのだ。前にいた車はなにがしか払っていたが、多分保険証がなかったのだろう。保険を払っていない車がたくさん走っている。そんな車と事故をおこしたら堪らない。保険を払わないのは、検問されるたびに100円払っていたほうが安いからだ。ここに年間400ドルも払えるひとはそういない。保険に加えて納税証明vignetteをフロント・ガラスに貼っておく。アスンタさんによれば、納税証明vignetteは一昨年導入されたばかりだけれど、古い車は2005年から遡って払えといわれていて現在教会が当局と交渉中だそうだ。納税が遡及するとは。
今日は朝から雨。スコールのような短時間の雨と違って、しとしとと降っている。珍しい。
アスンタさんに北原亜以子「おひで 慶次郎縁側日記」を借りた。これまで北原の作品を読んだことはない。名前も知らなかった。僕が活字に飢えていることは確かだ。日本語で持っている本は加藤周一「日本文学史(下)」だけだ。「おひで」は読みやすい。現代を江戸時代を借りて表現する。その手法は山本周五郎に似る。北原は直木賞をとった作家とカバーにか書いてある。山本は直木賞、いや一切の賞を拒否した。しかし、何故直木賞が大衆文学で、芥川賞が純文学と色分けするのだろうが、文学を純文学と大衆文学に分け上下関係に置くのは間違いである。
携帯電話(Zain社)が通じなくなった。かけもできなければ受けることもできない。SMSはかろうじて出せる。原因は、携帯電話契約をしていないことと分かった。SIMは何処でも手に入る。SIMを買ったときに契約の必要がない。無秩序だと思ったが、SIMを買ってからできるだけ速やかに契約をしろということらしい。Appel interdit(通話禁止)と画面に出てきて、誰にも電話できなくなって初めて気付いた。
Le 3 janvier 2010, dimanche
ルブンバシは赤とんぼが飛び、鈴虫が鳴く季節である。日本の初秋のようだが、カタンガ州の雨季ということである。去年の師走から始まった今年の雨季は例年になく雨が多いという。今日は晴れ。日差しは流石に強い。しかし、ルブンバシは高原地帯にある。海抜1 500M2だ。こんな高原地帯がカタンガ州には4箇所ある。カタンガ州は日本より少し大きい。
昨日夕方家の候補を3軒回った。ルブンバシに不動産屋の看板を掲げた店はない。しかし仲介をする連中がたくさんいる。一癖も二癖もあるような連中である。どこの国でも不動産屋には気が障る。商売に倫理がなさすぎる。勝手に家賃の高くとれる物件を押し付けてくる。Patrick君のいっていたKipushiの家をみたいのだが、彼と連絡がうまくとれない。
Le 4 janvier 2010, lundi
祭日。独立運動の犠牲者martyrsを記念する日。
北原「おひで」を読み終えた。山本周五郎との違いは、北原の場合、森口慶次郎というある種スーパーマンのヒーローがいること。北原によれば主人公はスーパーマンではないというけれど、北原の理想の男であり、東映でいえば、母の世代が夢中になったいい男、大川橋蔵のような美男、剣術が強く、家柄も悪くなく、人情家で、勘がいい。しかし、問題の解決が超法規的であり、裁判沙汰を好まず、事件をうやむやにしてしまうのは如何であろう。いわゆる腹芸だ。伝説的大岡裁判とは根本的に違う。
昨日に引き続きアパート見にいった。湖の近くでアメリカのNGOやUNの職員が住んでいるところを見た。700ドル/月。ちょっと高いな。場所はいいところだけど、500ドルなら何とかなるかもしれないけれど。700は無理と思う。やはりKipushi に期待してしまうなぁ。明日Patrick君とKipushiに行く。そこでいい物件があれば、ルブンバシから30kmと多少遠いけど車の燃料を勘定しても割りに合う。
ネットが通じた。僕のプロヴァイダである東京のDTIに溜まっていた3 000通もあった迷惑メイルを吐き出した。接続はWifi。ところが、吐き出されたのは去年の年末までの分で、溜まりすぎたメイルのため受信箱がブロックされていて、新規のメイルは全く入っていなかった。これはDTIに連絡、Webメイルとしてサイトにアクセスし、受信箱を本当に全部空にしてしまい、やっと解決した。
Le 5 janvier 2010, mardi
ルブンバシに隣接するKipushi市でPatrick君と家探し。四五軒みて一日が暮れた。疲れた。案内してくれたのは携帯電話会社に勤めるEric君、そしてまたまた図図しい不動産屋。1軒目が一番よかったが既に貸されていた。しかし、家賃を既に未払いで保証金を食いつぶしているということで来月には空くかもしれない。今週の土曜日にもっとはっきりすると。
Zainとの契約を朝提出したが直ぐには回復しない。KipushiでVodacomと契約した。ついでに安い携帯を買った(25ドル)。Vodaphone。こちらにZainのSimを入れて、使い慣れたSamsunにVodacomを入れた。
Le 6 janvier 2010, mercredi
Zainは未だに通じない。致し方ない。SIMを買ったはいいが、携帯会社と契約していない連中が沢山いるからなぁ。
Kyungu氏と話をして、やっと明日入国管理局に明日朝行くことになった。
日本大使館に在留届をネットで今日出すことにする。アルジェリアでは在留届をしていない。Cojaal(2007年4月から2009年10月中旬まで僕が働いていたアルジェリアの高速道路建設コンソーシアム)が、または各キャンプが届出をしてくれていたかどうか疑わしい。新年会の招待状も大使館から一度ももらったことがない。70年代の下田大使のときは、ことある毎に大使館に呼んでくれた。スイスでも公邸に招かれた。カナリアの領事館も気をつかってくれていた。アルジェリアは全く音沙汰なし。キャンプに大使館員が時折来ていたようだが会ったこともない。
Le 7 janvier 2010, jeudi
入国管理局で居住許可申請の説明をきいた。1年も2年も同じ料金だという。2年を申請することにする。申請用紙が35ドル。申請番号取得がやはり35ドル。これはその場で払った。さらに許可が下りたら650ドルいる。引越した場合、引越し先の町村当局へは届出だけでいいそうだ。
Kyungu氏の奥さんはKikushi(ルブンバシから南西に30km、ザンビアとの国境)出身だそうだ。そこで、昨日家を探して欲しいと頼んだところ、早速今朝いい物件があると連絡があった。14時発で車をとばすことにする。
ところが行ってみると、既に一昨日見てしまった物件だった。しかも酷く荒れていて手入れをするのに時間も金もかかろうというところで、無駄骨を折らされた結果になった。
それどころか、Kipushi市の入り口の検問で、今度は「駐車許可証がない、罰金50 000フランを払え」と署に連れて行かれて調書に署名を迫られた。間一髪、僕が「そんな許可証の存在を知らなかった、それがないと路上を走れないなら、通関業者に請求するから領収書を出してくれ、その前に今通関業者の責任者に電話するのでちょっと待て」と、例のマフィア的親分Ben Tchimengaに連絡した。幸い一昨日通じなかったVodacomの携帯が通じた。Benが「何も払うな、署名もするな、俺が処理する」といい、結局警察の責任者と彼が直接話をつけた。Kyungu氏はKipushiの司令官に電話したというが、効果はBenの方がdirectで絶大だった。Benの押しの強さに警察の責任者は怒っていたが、何もなかったことにしようというのだから、嫌なBenだけれどこれからも付き合っておいた方がいいのだろうか。ちょいと無念だね。本を糾せば、この男のいい加減さで、書類が不備だったのに、その男に助けられたのだからなぁ。
今村昌平「楢山節考」を僕のPCの中にみつけて、夜、全篇をみた。以前見た筈だが、そのときは木下恵介と比較して面白くないと書いたと思う。今村の作品らしくはあり、今村リアリスムは確かにあった。でも木下に比べて哀歓が足りないのではないか。
13 janvier 2010
12 janvier 2010
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