の同名の小説。映画は1951年制作。John Huston監督。主人公は往年の
名優Humphrey bogartとKatharine Hepburnである。
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「アフリカの女王」は郵便船の名前である。舞台は1914年のドイツ領
東アフリカ。小説は1935年に書かれたが、映画化されたのは1951年である
ことをremindedしていただきたい。
この冒険映画はとても面白かった。僕はDVDで最近見た。
ドイツ領東アフリカGerman East Africa(l'Afrique de l'est allemande)
は現在のルワンダ、ブルンディ、タンザニアである。しかし、映画では中央
アフリカと科白にに出てくるから、東海岸からは遠いルワンダが設定された
舞台であろう。川と湖と千の丘の国である。
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この映画の出来たころ、アフリカに独立国は数少なかった。エジプト(1922年
英国から独立して王国へ)、エチオピア(植民地化されなかった)、リベリア
(1847年独立、但し米国がアフリカに作った特殊な国)等である。その状況
は1914年においても同様である。ドイツがタンザニア、中部アフリカを支配
していたため、英国にとっては東アフリカ制覇が完成していなかった。映画
ではドイツが必要以上に悪辣な国として描かれている。小説が書かれた
時代は、英国が落ちぶれて美国が派遣を握ろうとしていた時代で、
Foresterは英国の優位を書きたかったにちがいない。第二次大戦では、
彼は美国に渡り連合国を支援する宣伝文章を書いた。また映画が制作
された年はまだ大戦から僅か8年後である。ドイツは西側の同盟国では
なかった。英国は、ともかくドイツを追い出すことで、内陸部をベルギー
に譲ったものの、エジプトから南アまでアフリカの東海岸を植民地支配
することができたのである。
映画にアフリカ人は殆ど登場しない。それが独立前のアフリカの姿を
如実に物語っているといえよう。
映画は冒険物語で、中に恋愛がからむ。それはそれでいい。小説は英国軍
の活躍にも焦点があるようで、1927年に書かれたAndré Gideの『Voyage
au Congo』の社会性、正義に対する道徳とは比することが出来ない。
英国人作家で珍しく植民地支配を批判したEdward Morgan Forsterが
『A passage to India /Route des Indes』を著したのが1924年で
あったことを想起するとC.S.Foresterは、この映画にアイデアを提供
しただけで、Hustonの映画ほど興味ある作家では全くない。
BogartもHepburnも、この映画撮影のためにアフリカに行っていない
ようだけれども、アフリカの自然は現地で撮影されたらしい。
とても懐かしく、一刻も早くアフリカに行きたくなる。しかし、
情勢としてはどうもサハラ以南には行けそうにもない。それでもいい。
アフリカ大陸に戻りたいものである。
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