時差ボケはかなり解消。
朝、宿舎の周りを散歩。宿舎の大体の位置をつかんだ。坂を下っていくと10分ほどで市場marchéに着く。高級品はないが物品はかなり豊富。敵対的な人はいなかった。挨拶すれば必ず笑顔で答えてくれた。オレンジよりもリンゴが多い気がする。バナナは輸入だろうがよく売っている。大粒のイチゴまであった。香辛料も豊か。
フランス語の新聞を探したが手に入らなかった。
政府系新聞『El Moudjahid』から良心的なジャーナリストが飛び出して90年代初めに作った『El Watan』(愛国者)がフランス語新聞で最も発行部数が多く10万部を越す。『El Moudjahid』紙は読者の大部分を失ったそうだ。
昼食後T君を誘って旧市街に。
歩いて行こうとしたが距離がありそうなので、土地の人に訊いてバスで行くことにした。鉄道の駅まで10DA(16円)。ところが、丁度イスラムの祈りの時間にさしかかってしまい、運転手が敬虔なイスラム教徒なのだろう、乗客を置いたままモスケに行ってしまった。直ぐ終わるだろうと待っていたが、待てど暮らせど帰ってこない。それでも辛抱強く30分待った。そこで諦めてtaxiを拾った。駅まで80DA(128円)。
切り立つ断崖絶壁に建つフランス時代の建物群は矢張り見事である。スイカSouikaやカスバと呼ばれるアラブ、オスマン・トルコ時代の古い街quartierも崖に迫っている。
フランスの作った市街の中心には必ず中央郵便局Grande Posteがある。Constantineも例外ではない。駅舎も古い建物なので見たいと思ってtaxiをそこまで走らせた。なるほど趣のある駅であったけれども殆ど人影をみなかった。列車の本数が一日数本しかない所為だろう。駅を後にしてGrande Poste目指して歩いた。駅は渓谷の右岸だから橋を渡らねばならない。橋の欄干が低く谷は80メートル以上の深さがあるから眩暈を起こさずには通れない人も多かろう。Grande Posteへの道を知っていたわけではない。けれど町並みから判断して見当はつく。坂を上っていくと果たして白亜のGrande Posteがあった。左隣は国立劇場Theatre Nationalである。右はというと裁判所Palais de Justice。Constantineの象徴ともいえる彼らの建物は汚れていなかった。よかった。薄汚れていたら寂しい限りだからだ。
Grande Poste広場には、噂のとおり、闇で外貨を買い取るディーラーたちがうろついていた。100米ドルが約7000DA。ほぼ銀行のレートである。持ち出しが禁止されているDAにしてこのレートは強気である。いずれにせよ、手持ちのドルを交換することは危険であるので体よく断った。
Grande Posteからエール・アルジェリー(アルジェリア航空)の建物までの大通りの突き当たりにホテル・シルタHotel Cirtaがある。アラブ建築を模して20世紀初めに建てられた。内部もエキゾチックである。Cirtaとはローマ時代のConstantineの名前だ。Constantineの人々はこのCirtaという名前にとても誇りを抱いている。
このホテルから渓谷に向かう道の左側がスイカである。中に入ってみた。迷路のように狭い道が交差している。しかし、アルジェのカスバと同じで坂道を上っていけばこの地域を抜け出せるから迷うことはない。モロッコのフェズとは違う。
スイカの中にハマンHammanがあったので中を覗いてみた。ハマンとはムーア人の共同蒸し風呂のことだ。15時ちょっと前でまだ男たちが入る午後の部が始まっていなかったが、親切な管理人さんが中を案内してくれた。パリのモスケMosquéeに付属していたハマンやアルジェのドイツ大使館前のハマンにはよく行ったが、ここはそれらよりもずっと伝統がある。いつか入浴してみたいものだ。
スイカに肉屋が多いのは何故だろう。羊の頭がでんと置いてある店もあった。
この地域の出窓が張り出した建築は絵になる。保存団体もあるが資金がないので苦労しているようだ。
スイカの入り口近くに映画館があった。映画館は斜陽である。いくつもあった映画館が閉鎖されて、今やこの映画館しかConstantineになくなったとパトロンらしき男が説明してくれた。上映されている映画は、名画から内容のなさそうな裸の踊り子の映画まで。Séanceは一日4回。それぞれ掛かっている作品が違う。映画館がなくなっていくのは時代の趨勢だが残念なことである。パリにはなお映画館がたくさんある。それは政府が文化に金を出しているからだ。Constantineでは、かなり貧しいと思われるような地域でも各戸がサテライトで送られてくるTV電波を捉えるパラボラアンテナを持っている。TVが安いそしておそらくは唯一の娯楽なのだ。最後に残ったこの映画館も何時か消える運命になりそうだ。
スイカを出て再びGrande Posteに戻り、Hotel Cirtaと同じ格のホテル・パノラミックに入ってコーヒーを注文した。ボーイがRavazzaにするかというのでオーダーすると一杯100DAであった。なるほど高い。僕たち以外客がいなかったのも頷ける。
T君がこのホテルに携帯電話を忘れてしまった。ホテルを出てから暫くたって気がついたので、もう無くなっているのではと心配したが携帯を見つけることができた。客がいなかったのが幸いしたのか、Constantineの人々が正直なのか。
治安は表面上悪くは無い。警官も人にたかるようなことはない。しかし、見られることに慣れないと怖気づいてしまうだろう。それはConstantineに限ったことではないが、外国人が少ない都市では、特にアジア人は目立つ。Chinoisといわれても東洋人と云われているに過ぎないのであるし、彼らにとって、僕たちを目撃することはその日の事件évènementなのである。手を振って挨拶する彼らに笑顔を振りまかなければならないのは疲れることだ。しかし、彼らに悪気は無い。挨拶を返せば、彼らは有頂天である。といって僕らも気を抜けば、アルジェで何回も被害にあったようにバッグを掠め盗られるかもしれない。掏り取るような技術はない。そのバランスが難しい。
スイカに限らず、金曜日は祭日だがところどころ店が開いている。宿舎に帰ってから近くのスーパーに行ったがそこも開いていた。ヨーロッパほど品物の種類が豊富ではないが、それでも必需品は輸入物を中心にしてなんでもある。品質も悪くなさそうだ。ヒゲ剃り用ムッス(EU製)、300DA(480円)を購入。また、開いていたキオスクで地元の新聞『El Acil』も手にいれた。
いずれ自分で撮影した我がコンスタンティーヌの画像をUPしよう。