Algérie過去と現在 (le 10 avril 2007)
25年ぶりにアルジェリアに行くことになった。僕の古巣である。
僕が初めてこの国に入ったのは1972年12月であり、翌年7月から1982年3月まで9年間過ごした。時はBoumediene大統領の時代である。72年の訪問は短く、首都Algerにも数日しか滞在していない。AlgerからTunisまで列車で旅をした。
今回Constantineに行くことになり、改めてその後のAlgérieをネットで調べた。また最近当地に滞在した方々の話も聞いた。
社会主義体制からなかなか抜け出られない、効率の悪い官僚の体質は殆ど変わっていない様子である。
しかしpénurieはかなり改善されているらしい。食料品、それが玉子であったり、馬鈴薯であったりしたものだが、これは流石改善されているときく。なにしろ日本から撤退したスーパーマーケットCarrefourがConstantineにもSétifにもあるというのだから驚きである。値段はしらない。しかし、スーパーというからには食料品もまともなものがあるに違いない。茹でると溶けてしまうスパゲッティが姿を消しBarillaがあるとすれば改善である。
人口は僕がいたとき1800万、現在3300万。90年代のテロはかなり影を潜めたらしい。それでも県を越えて移動するときは、警察のエスコートが必要であるとか、住居や事務所にgardiensがいるとか、以前は考えられなかった治安の問題が今も残る。
Constantineは通過したことしかなかった都会である。今は亡きK君がフランスで買ってきたAustin miniのmoteurに穴が開いてしまったのはConstantineの直前であった。ローマ時代からの古い町であることは知っていたが、近くのJemila遺跡は見学したものの、Constantineの町は観光していない。ビジネスもなかった。
イスラム化はarabisationよりも気にかかる。90年代のテロには理由があった。民主主義が踏みにじられたのだから。この国の若者たちは独立来政治化politisés していた。それは教育の所為であるが、islamisésとなると理性的ではない。社会主義、marxismeに凝り固まった連中よりも宗教に偏頗した連中の方が始末が悪い。laicité(政教分離)の原則をとりもどし、生活水準を向上させることが一刻も早く望まれる。
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