27 décembre 2009

vers Lubumbashi ルブンバシへ (4日目)

Le 20 décembre 2009, dimanche
悪路が続く。しかし、昼間みると夜とは違って穴の周りには白ペンキが塗ってあってかなり前から穴の位置がわかる。昨夜は雨と闇でわからなかった。2時間ほど走ると、そこからコンゴ国境まではもう穴はなく、素晴らしい舗装道路になった。今までの穴凹道が嘘のようである。快適なドライヴとなった。今日は運転手の最終日。朝から運転手に仕事をさせた。

景色はあいかわらず森と草原が果てしなく続く。耕作されている土地が少ない。農家の回りだけである。しかし、ところどころ、道端でトマトや馬鈴薯を売っている。よく売られているのは、しかし、炭である。俵につめて道の脇に置いている。誰にも盗られないのかなぁ。耕作された土地といえば、タンザニアの国境の町に入る手前10数キロにわたって水田があった。ここに日本の農業技術が生かされているとしたら喜ばしいことだ。ザンビアやコンゴにも水田に適した広大な土地がある。何時かカタンガでも水田風景をみることができるのだろうか。日本カタンガ協会としても日本に技術援助をお願いしなければ。

日曜日とあって正装して教会にいくのであろう老若男女が道路脇を歩いている。教会がどこにあるのか分からない。彼らはひたすら歩く。道路にほぼ平行して単線の鉄道が走っている。時々駅がある。駅舎はない。プラット・ホームもない。走っている列車の姿もない。 Zambiaの首都Lusakaと、銅採掘精錬でコンゴのカタンガと並び世界的に有名なCopperbelt州とに行く分岐点Kapili-Mposhiに昼12時過ぎには着いてしまった。
この分かれ道のところにガソリンスタンドがあり、Fast foodの店、自動車パーツの店、そして有料トイレとシャワーがある。ちょっと文明のあるところに来た気分。普段Fast Food嫌いの僕もハンバーガを頼んだ。不味い。だがこれがモダンなのだろう。
Copperbeltに北上する道はさらに良くタンザニアと比べても遜色ない。交通量も多くなった。14時過ぎにCopperblet州の行政の中心Ndola市に到着。市の入り口で沢山の貨車をみた。街中に入り喫茶店で休憩。Zambia Zain社の携帯Simカードを求め、ルブンバシの友人たちにSMS連絡。Tunduma以来の連絡である。一歩一歩カタンガが近づく。Ndolaから経済の中心地、ザンビア第二の都市Kitweまでは片側2車線だが高速道路!とはいえフェンスがないから人が通るし、時々横断する道路もある。しかし紛れもなく高速道路。中央分離帯は幅が広く植林されている。瞬く間にKitweに入ってしまった。
僕もネットで調べていたが、Pepi君の案内する2件目のホテルに決めて泊まることにした。Diamond Lodge。彼の知り合いのコンゴ人たちがたくさん泊まっていた。二人で120 000K(2 160円)。離れのTwin。プールもあったが、水が汚い。泳ぐ気がしない。蚊の発生源の一つだ。しかし、ここで2泊することにした。というのは、乗っている三菱のパーツを買うためである。その他日用品もコンゴより安く、いい品物がありそうだ。海外の鉱山会社の金が流れている。

夕方ホテルの周りを散歩。ピンクのEdinburghホテルが市の中心だろう。植民地時代風の建物。その入り口であのSimonに会った。2006年にルブンバシにいたときの事務所兼住居の大家である。嘘吐きで時間にルーズ、嫌な男だ。世の中は狭い。関わりあいたくない人物だ。このホテルの裏がマーケット。小さな店が林立する。臭く暗い。不潔。世代が少しあとなので実際に経験したことはないが日本の戦後の闇市を想像すればいい。セネガルのダカールやタンザニアのダルエスサラムのマーケットとかわりない。バンコクやサイゴンの市場も似たようなものだが多少上屋が近代化されている。これをアフリカのdynamismeとは僕は考えない。

夜はホテルで食事。またトリとフライドポテト。それしか出来ないという。OK。親切に部屋まで運んでくれた。からりと揚げられていて、アフリカで初めて上手いトリだった。Pepi君は先の汚いマーケットで、僕が貸した15 000K(270円)で豆などを買い込んで、ホテルで調理してもらっていた。その出来が悪いので不満そうだった。

夜半に大雨。雨粒が激しく屋根を叩いた。

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