このブログには、ありとあらゆるテーマが書かれている。特にタイトルにあるように、アフリカに関しては大概のことを話題にしている。検索機能がついているので、精々利用していただきたい。 tanabe.yoshiharu@ gmail.com アット・マークの後ろをつめてください(迷惑メイル対策のため空白が挿入されています)。
21 juillet 2011
7月20日シェラトンがキンシャサにやってくる Sheraton bientôt à Kinshasa
快晴。7時、19℃、47.5%。
純正品ガスケットを買うためにルブンバシに出た。Taxi-bus利用。8時ごろバスの溜り場に着いたら、客が山となっていた。勿論列なんか作ってやしない。待つこと30分、やっと席を確保してルブンバシにむかったのである。ところが、待っている間に席取りをアルバイトにしている若者たちがいることが分かった。席をとったら50円渡せばよい。何でも商売にしてしまうということだ。本物のタクシを利用しようかとおもったが、30ドルだというのでやめた。20ドルで行っても採算に合うと計算して交渉したがまけなかった。
途中でYvon君を待ち合わせ。ケニア地区に行った。残念ながら正規の部品は見つからなかった。ケニア地区のおじさんがそれはBoschにあるはずだというので、ルブンバシの工業地区にあるボッシュにもいったが、ボッシュはそもそも三菱のパーツなど売っていなかった。ガサネタである。Yvon君もお手上げだった。そこで僕は覚悟を決めた。ルブンバシでの調達を諦めることにした。
ザンビアのKitwe 市にある三菱の代理店に誰かに行ってもらうことにしたのだ。代理店であるSouthern Cross Motor社には昨日メイルを出して部品の有無を尋ねている。サザン・クロスとは南十字星の意。
シェラトン・ホテルがキンシャサに進出か。
先週13日、シェラトンのオーナー会社であるスターウッド社(米国)がキンシャサを訪れ環境・観光大臣と面談、進出の意図を伝えた。インド系建設会社が建設中の17階建てのタワーに入りたい意向。このニュースも明るいものだ。平和が確実なものになってきていることの裏付だからである。
Un hôtel Sheraton bientôt à Kinshasa
juillet 14, 2011(Radio Okapi)
Une délégation de responsables du groupe américain Starwood, propriétaire des hôtels Sheraton, a exprimé, mercredi 13 juillet, sa volonté d’investir à Kinshasa.
Elle rencontrait le ministre congolais de l’Environnement et du tourisme, José Endundo Bononge.
Le groupe américain projette d’implanter un hôtel dans la capitale congolaise.
Il compte l’installer dans l’immeuble de dix-sept étages que l’entreprise indienne, Modern construction, construit au centre ville.
19 juillet 2011
7月18、19日 les 18 et 19 juillet 2011 ガスケット joint de culasse
曇。7時、20℃、50%。
最近停電がないな、と思ったら早朝5時から停電。9時半回復。
ザンビアものんびりしている。三菱自動車の代理店がザンビアにはある。7月14日に、RDCコンゴから近いKitwe支店の電話番後を代理店の本店(ルサカ)に問い合わせたら、4日目の今日午後になってやっと返事がきた。遅れたことにたいして弁解もない。彼らはホーム・ページももっている。しかし支店の連絡先が書いていない。間の抜けたホーム・ページなのだ。一昨年12月にKitweの三菱自動車代理店でオイル・フィルタなどのパーツを買い込んだときの印象は、仕事が遅いとは思ったが部品は揃っているというものだった。
エンジンの組み立てを10時半から初めて18時にやっと終わった。途中、思案顔をしていた時があったが、なんとか組み立ては完了したようだ。しかし、スタートテストをしようとしたら、3日間放置していたバッテリーが上がっていてエンジンがかからない。修理工は今夜中にチャージするからとバッテリーをもってルブンバシに帰った。ルブンバシ到着は21時を過ぎるだろう。それからチャージができるのか・
Le mardi 19 juillet 2011
快晴。7時、19℃、50%。
修理工を待ちながら、ゴッフルを38枚焼いてしまった。
10時半に修理工Yvonに電話してみると、バッテリーをチャージ中だという。ばか者目。直ちにこちらに来るようにいった。こちらで別のバッテリーは用意できるし、チャージもできることがわかった。彼がやってきたのは、午後2時半であった。
その間、ラジエータに水をいれた。昨日いれている筈なのにいくらでもはいる。おかしい。また、オイル・レベルも調べた。レベルがよくわからない。水の雫がゲージにたくさんついている。これもおかしい。日本のIさんにさっそくメイルで連絡。エンジンをかける前に、エンジンを軽油で洗うこと、オイル・フィルタの掃除か取替え、その後新しいオイルをいれることとのアドヴァイスをいただいた。
最短時間でオイルを買ってきたというのに、事態はもっと悪い方向にむかっていた。先週金曜日に「オト・ルブンバシ」で買ったガスケット(紙のような材質、包装にTOKEIとある。おそらく台湾製)が、やはり合わなかった、水漏れする、純正品(金属製)を探そう、ケニア地区でならきっとみつかるというのである。ショック。既にシリンダ・ヘッドはとりはずしていた。
明朝、僕がルブンバシに行って一緒にケニア地区に行くことになった。部品がなければ愈愈ザンビアのKitweまで誰かに行ってもらわないといけない。僕が行くとなると、コンゴの出国ビザ、ザンビアの入国ビザが必要になってくる。余計な時間がかかる。こんなことなら日本のIさんにガスケットをDHLで送ってもらえば既に当地についていたかもしれない。
しかし、オイルに水が混入していたのは、本当に取り替えたガスケットの所為だったのだろうか、疑問は残る。
17 juillet 2011
7月17日 le dimanche 17 juillet 2011 カテンデ・ダム発電所計画 projet du barrage Katende
快晴。7時半、20℃、60%
裏庭を菜園にしているが、そこにシスタ・アスンタさんからいただいた野菜の種をまいた。なんの野菜か名前を忘れてしまったが、今、10センチくらいに育ってきている。なにやらもう食べられそうなので、畑から抜き取って煮てみた。ちょっと熱を通しただけで柔らかい。特に強い香りもないし、しゃきっとして美味しい。もっと大きく育ててから食べるのかもしれないが、もうどんどん食べてしまうことにした。
修理工はやはり来なかった。シリンダヘッドの磨きは業者のところで終わったらしいけれども、埃を取り除く作業を家でしているのだそうだ。取り付けは月曜日、明日となった。これも案の定。
7月11日、カビラ大統領が西カサイ州の州都カナンガで、インド輸出入銀行とファイナンス契約を結んだ。プロジェクトはカテンデ瀑布ダム発電所建設である。独立前の1956年から計画されていた発電所だ。総事業費2億6000万ドルのうち1億4200万ドルがファイナンスされる。しかし、ファイナンス条件は全くこれ以外不明。利率や期間がわからない。今年10月には工事を始め、4年間で工事完成という。葉電脳力は実に64MWというから巨大である。これは西カサイの州都カナンガ及び東カサイの州都ムブジマイの必要電力合計20MWを大幅に上回っている。
このファイナンス契約には疑問点が多い。プロジェクト自体本当に実現されるのだろうか、僕は疑問符をつけざるをえない。
Financement du barrage de Katende - Sous le regard bienveillant du chef de l'Etat Joseph Kabila à Kananga - Le projet de construction de la centrale hydroélectrique de Katende dans la province du Kasaï Occidental est en train de prendre corps. La grande étape vers la concrétisation a été franchie le lundi 11 juillet 2001 grâce à la signature des accords de financement de ce projet entre le gouvernement de la République et les partenaires indiens, représentés par Exim Bank. Coût total : 260 millions USD. Cette cérémonie, haute en couleurs, s'est déroulée sous le regard bienveillant du chef de l'Etat Joseph Kabila qui a procédé en personne au dévoilement de la stèle du projet construite en plein centre de la ville de Kananga. La joie était à son comble et l'effervescence au paroxysme en cette matinée de lundi 11 juillet à Kananga, chef-lieu du Kasaï Occidental. Because. Un grand événement y a été célébré, à savoir la signature des accords de financement du projet chute Katende entre le gouvernement et les partenaires, ci-devant représentés par Exim Bank. Témoin privilégié de l'événement, le chef de l'Etat Joseph Kabila qu'accompagnaient des membres du gouvernement, des députés et sénateurs du Kasaï Occidental ainsi que diverses personnalités dont les chefs des missions diplomatiques en RDC.
(『Afrique en ligne』から。以下記事を略す)
7月16日 le samedi 16 juillet 2011 トレーサビリティ traçabilité
快晴。7時、19℃、60%。
カタンガ州でもタンガニーカ湖周辺で、金、コルタン、カシテライト(錫石)など貴金属、レア・メタルを産するが、カタンガ州の北に隣接する南北キヴ州ではこれらの金属のトレーサビリティが確立していない。カタンガ州鉱業大臣が、このほど、アメリカおよび国連のミッションを連れてカレミエ(タンガニーカ湖畔の都市、カタンガ州)を視察案内した。
カタンガ州はモイーズ知事も貴重な輸出資源が、トレーサビリティがないと判断されると輸出できないため、カタンガ州の鉱物資源についてのトレーサビリティを制度化している。南北キヴ州の資源が、カタンガ州を経由してカタンガ州の資源として輸出されたり、カタンガ州の資源と混同されることを警戒している。
(画像はカタンガ州のKolweziの検問所でトラックの積荷を検査しているところ)
Minerais de sang: le Katanga tient au respect des principes de traçabilité
juillet 14, 2011(Radio Okapi)
«Les minerais du Katanga ne sont pas à confondre avec ceux du Nord et du Sud-Kivu», a déclaré, mercredi 13 juillet à Kalemie, la ministre provinciale des Mines du Katanga, Thérèse Lukenge. Elle conduit dans cette ville une délégation d’auditeurs américains et onusiens chargée d’enquêter sur la traçabilité des minerais produits dans le nord du Katanga.
«Les minerais de l’Est de la RDC, le Sud-Kivu et le Nord-Kivu, sont suspectés par la communauté internationale d’être teintés de sang. Par conséquent, ils ne peuvent être vendus sur le marché international. C’est la raison pour laquelle le gouvernement provincial du Katanga se bat pour que les minerais qui viennent de sa province ne puissent pas être confondus avec les [ceux] du Sud-Kivu et du Nord-Kivu.»
La ministre Lukenge séjourne à Kalemie, depuis mardi, avec ces auditeurs «pour qu’ils puissent vérifier sur terrain que les minerais qui sont exploités dans la province du Katanga sont bien contrôlés et qu’ils respectent les principes de la traçabilité.»
Les principaux minerais exploités dans le district de Tanganyika, particulièrement à Nyunzu, sont:
le coltan,
la cassitérite et
l’or.
16 juillet 2011
7月15日 le vendredi 15 juillet 2011 電力会社Snelのコンピュタ化 informatisation de la SNEL
晴。7時、18℃、60%。
毎度のことだが、7時に来るといったガレージの修理工が8時になっても来ていない。
電力料金を払いにSnel社のキプシに歩いてでかけた。歩いたのは車が修理中のため。Snelの支払いシステムがコンピュータ化されていた。ここ一年をみると、先ず、新しい責任者が配属になって、会計は会計係が現金を扱うようになった。受付で支払い受け付け帳簿に登録、来た順に請求書に番号がふられるようにもなった。それまでは古参係長が一人で現金を扱っていた。この古参が釣りを出さなかったりと会計が不透明だったのである。それがコンピュータの導入である。ということは、なにはともあれ、近代化されてきているということでだ。支払いが遅れると配電をストップする。キプシ国境の税関が支払い遅延をおこし、電気をカットされたそうである。Snelもまともな会社になりつつあるのかもしれない。
今日も7時に来ると言ったYvon君は11に来た。時間はルースである。もっともこちらは勿論7時に来るなどと思っていない。11時からシリンダ・ヘッドを外す作業に入って15時まで休みなしであった。エンジンがばらばらになった。あれで組み立てできるのかね。たいしたもんだ。僕には不可能。Yvon君の兄というのが全然Yvon君に似ていない。そのマンベイ君という兄貴が、手術室の医者よろしく、イボン君にスパナ8mm、12mmなどと手をだすと、イボン君がさっと手渡す。その手際は結構さまになっていた。ネズミがチューブ類にあけた穴の所為でエンジン冷却が十分にされていなかった。オイル交換をしなければ、この欠陥に気付くのがもっと遅かったろう。従って、先週土曜と今週火曜日のパイプ修理の如何を問わず、ガスケット交換をしなければならなかったようだ。僕が空冷でも車が動くと思ったのは無知の典型。
シリンダ・ヘッドはルブンバシの業者が磨くというので、Yvon君が担いで運んだ。ガスケットも部品センタで一致するかどうか確認のため手に持って、みんなでタクシ・バスに乗込んだ。「オト・ルブンバシ」でガスケットを注文。7ドル。見事、部品が同サイズだと確認。
今回の車のトラブル、故障について遠く日本のIさんから貴重なアドヴァイスをたくさんいただいた。どれだけ心強かったかしれない。おかげで、ここの修理工にごまかされず、適切な応対が出来たのだ。感謝してもあまりある。まことにありがたい。
7月14日 le jeudi 14 juillet 2011 パーツ・センタ「オト・ルブンバシ」centre des pièces de rechange «Auto Lubumbashi»
Le jeudi 14 juillet 2011
快晴。7時、18℃、55%。
11時、断水開始。19時に帰宅したときには、開けっ放しておいた水道の蛇口から勢いよく水が出ていた。幸いにして台所は水浸しになっていなかった。
修理工は、先ずキュング氏(「日本カタンガ協会」会長)紹介のひとがきた。これが意外といい加減。勤めている会社(自動車修理)を休んで、アルバイトしようというつもりで僕のところに来たようだ。しかし、工具も持たず診断といってもエンジンをかけてラジエタの蓋を開けただけで、「シリンダ・ヘッドをとりかえる要がある、費用はヘッドが800から1000ドル、それに労賃がかかる」と。また今日の診断費用は50ドルだという。彼にはキュング氏の奥さんの車の故障を直したときいたので来てもらったのだが、ひとの金をぶんだくるような輩は必要ない。20ドルを投げて、さっそく帰ってもらった。最低の男をキュングも紹介してくれたものだ。クレームすると、料金はネゴしてくれという、ここの人のいつもの手だ。紹介に責任をとらない。それは、スイスの日本人、アルジェリアのアルジェリア人も同じだったけれど。
12時になって、やっとYvon君があらわれた。キプシ行きのミニバスが混んでいてなかなか乗れなかったというのが遅れた理由。ま、そんなことは分かっている。もっとましな弁解はないものか。
彼の診断は、12日夜の運転、現在のエンジン音、ラジエタから噴出すお湯、水予備タンクへの熱湯の還流等々からみてシリンダ・ヘッド・ガスケットを交換し、シリンダ・ヘッドを磨けばよく、新車であるし、シリンダ・ヘッドまで取り替える必要はないだろうとのことだった。水を別途積んで走行テストを行い5キロぐらいで温度計が赤を示すことを確認、車を止めて水を追加、再走行。明日、シリンダ・ヘッドとガスケットを外す作業を彼の兄を連れてきて行うということになった。
部品専門店(ルブンバシの中心に店を構える店で2006年にはなかった店)「オト・ルブンバシ」に行ってガスケットが手に入るかどうかYvon君とチェックしに行くことにした。「オト・ルブンバシ」にない場合は、ケニア地区にいけば部品はきっとみつかるだろう。ルブンバシにも僕の車と同じタイプの三菱車が五万と走っている。
ルブンバシに16時半に到着。「オト・ルブンバシ」はまだ営業中。エンジン型4D56のガスケットがあることを確認してひと安心。とはいえ、明日確認のため取り外したガスケットをもってきてあわせてみることになった。
なお、この「オト・ルブンバシ」はホームページも持っているかとがあとでわかった。
(画像はルブンバシの中心、旧モブツ通りに面した「オト・ルブンバシ」社の店舗、レバノン系資本のようである)
キプシへの帰りのミニ・バスは運転手のとなりの助手席、ここに二人乗客がのるのだが、そこに納まった。特等席ということか50円割り増しを払った。ミニ・バスを降りてから家まで約20分歩かなければならない。往復で40分。近年、車に頼って歩いていないので疲れてしまった。パリや東京ではメトロなどの公共交通機関に乗るために結構歩く。コンゴでは全く歩かない。マドンナと散歩するかな。運動になる。
15 juillet 2011
7月13日 le mercredi 13 juillet 2011 カメレオン caméléon
快晴。7時、17℃、60%。
庭のジャスミンの木、まだ小さな25センチほどの木だが、それに小さなカメレオンが来た。どこから来てくれたのだろう。ジャスミンは緑だから、カメレオンも緑、ちょっとそれに灰色が入っている。
小さい子供のカメレオンだ。親は隣家との垣根によくいるそうである。マドンナが見付けて吠えないのは、やはりカメレオンの得意は変身に起因するのだろう。
車の修理は、メカのひとが誰も来れず、一日お預け。迅速な行動が誰もとれない。
18時、ネット不通。気まぐれな接続だ。それでも、去年よりはましになっている。18時25分、回復。
7月12日 le mardi 12 juillet 2011 僕の車が故障 penne de ma voiture Mitsubishi L200 Pick-up
快晴。7時、16℃、47.5%。
酷い目にあった。悪夢の一日だった。朝9時半、約束の時間に車を走らせて修理工のところに行ったが、修理工Yvonが不在。電話も一回しか通じなかった。そこで、買い物を先にすませてからYvon君のガレージに行ったが彼は出かけていて帰ってきていない。同僚の男が代わってネズミに食われたチューブを交換したが、一つ交換すると新たに次の箇所の穴が見つかる、一旦切り上げて、ケニア地区に部品を買いに行ったら、小さなネジが25ドルだという。とんでもない。買わずにガレージにもどる。そのうち、燃料制御モニターのモニタ・ランプが点灯した。ランプの意味をマニュアルで調べると、気味の悪いことがいろいろと書いてある。そこで修理工に点検をたのんだが、修理できない。16時になり諦めて、アラン君紹介の別のガレージに当たることにした。それも2軒目でガレージらしいところにぶつかった。
先ず、水冷系統を修理することになった。オーナーはエリック氏、修理工はパトリック。20時まで悪戦苦闘してくれた。
しかし、一応の修理が終わってキプシへの帰り道、メータの温度がミンブル村を過ぎたところで赤を示すまで上昇。エンジンが危なそうだ。エンジンが冷えるのを待って少し前進する。するとまた暫くするとメータが赤のポジションまで行く。そこでエンジンを切り、エンジンが冷えるのを待つ。この繰り返しで、なんとか22時過ぎに家に帰ることができた。しかし、エンジンに負担がかかっているのは確かだ。エンジンを止めると、何か沸騰しているような音がする。またスタータをかけるときにはブルルン、ガラガラという音がする。いやだなぁ。普通のの故障ではなく、エンジンを取り替えるような重大事になったらどうしよう。
7月11日 le lundi 11 juillet 2011 マニエマ州鉱山 exloitation minière artisanale du Maniema
Le lundi 11 juillet 2011
曇。7時、17℃、55%。微風。晴れ間はあるものの雲が多く寒い。
車がネズミの被害にあったことは書いた。以前使っていた鼠捕りを物置から取り出してきて,餌をつけてネズミの通り道らしきところに置いた。ネズミの方が上手だった。餌は食べられてしまい、一匹もとらえることができなかったのである。
以下の記事にみえるマニエマとはマニエマ州である。RDCコンゴの東端の南北キヴ州の西隣の州である。ここにもレアメタルの鉱山がある。多くが大会社による開発ではなく、盗掘にしろ正規の採掘にせよ個人の手掘りである。彼らがオバマ法の影響で、掘った鉱石を売れなくなったというのである。しかし、これはRDCコンゴの法律で定められているように、国の検査機関CEECが各地
にあるわけで、ここで検査され輸出許可をもらえばいいのである。密輸が出来なくなったことで生活が立ち行かないというのは本末転倒であろう。
Maniema: les opérateurs miniers se disent victimes de la loi Obama.
Le président de la corporation des miniers à la Fédération des entreprises du Congo (Fec)/section Katanga, Eric Monga, est intervenu dans l’émission Panorama économique diffusé le samedi 9 juillet sur Radio Okapi. Il a évoqué notamment les craintes des opérateurs miniers du Maniema face à la loi Obama et les retombées de la visite du président sud-coréen à Kinshasa.
Les opérateurs miniers du Maniema se plaignent d’être frappés par la loi américaine Dodd Franc, dite loi Obama. Une disposition de cette loi veut que tous les minerais qui proviennent de la RDC et des ses voisins soient certifiés pour éviter le commerce des minerais de sang. Aucun site minier du Maniema n’est sous contrôle d’un quelconque groupe armé, ont allégué les opérateurs miniers locaux.
Les ex-agents de l’entreprise minière Sengamines continuent d’exiger de cette entreprise la paie de leurs arriérés de salaires et des leurs décomptes finals.
A l’occasion de la visite à Kinshasa du président sud-coréen, Lee Myung-Bak, jeudi 7 juillet, quatre accords de coopération technique et économique ont été signés entre la RDC et la Corée du Sud.
7月10日 le dimanche 10 juillet 2011 モトロラのコルタン買付け achat du coltan par Motorola
快晴、7時、16℃、55%。かなり強い東風。砂埃が舞う。
コンデMaryse Condéの『La vie scélérate』を先月中旬に読み終えて、その後CCFでちょっと懐かしくなってスタンダルStendhalの作品を二つ続けて借りた。『Le Rouge et le Noir(赤と黒)』と『La Chartreuse de Parme(パルムの僧院)』である。
ここ1年間アフリカの文学を読んできて、次に進む前にフランス文学の古典を読み返すことにした。『赤と黒』は学生時代に日本語で読んだ。何十年も前のことだ。全章を読むのではなく、『赤と黒』はAnne-Marie Meiningerによる「あとがきpostface」を、また初めて読む『パルム』も第3章のワテルローの戦いのところだけを拾い読みした。
Anne-Marie Meiningerはスタンダルと同時代のバルザックが専門の批評家のようである。『赤と黒』の成立の経緯を面白く読ませてもらった。「パルム」というのは、日本の仏文学者が訳したイタリアの地名だが、日本では地名を含む国の発音とするのを基本にしている。たとえばイタリアのローマは「ローマ」であって「ローム」ではない。同様に「パルム」は「パルマ」となるのが普通であろう。生ハムで有名なところだ。また日本人のサッカー選手がいたチームもパルマにある。ワテルローの戦いはナポレオン最後の戦い。小説の主人公ファブリスFabrice(20歳)がみた戦場が描かれている。スタンダルの描写は視点を様々にかえつつ戦争の現実を伝える。
スタンダルは19世紀前半の作家。日本で言うと江戸時代、しかし現代のフランス語と違和感が全くない。すでにフランス語はモリエール以来「人工語」として確立されている。
オバマ法と呼ばれる法律で、原産地の不明瞭な鉱物(レアメタル、貴金属など)の貿易が制限されていることは既に書いた。密輸が戦争の資金源であることが多いからである。RDCコンゴから出るコルタンについて米国モトロラ社が、生産者を特定、グループ化して、指定鉱山、指定業者からしか購入しないことを決定した。
Motorola Solutions annonce un projet pour exporter du tantale de RDC
Jeudi, 07 Juillet 2011
NEW YORK, 7 juillet 2011 (AFP) - Le groupe américain Motorola Solutions, équipementier télécoms et fabricant d'appareils professionnels, a annoncé jeudi un projet permettant d'exporter du métal tantale de République démocratique du Congo (RDC) en s'assurant qu'il ne soit pas lié à des conflits sur place.
"Avec le projet 'Solutions pour l'espoir' (solutions for hope), Motorola Solutions et un grand fournisseur de condensateur au tantale ont travaillé avec un groupe défini de fournisseurs pour créer une chaîne d'approvisionnement fermée où tous les éléments - mine, exportateur, processeur, fabricant de composant et utilisateur - sont identifiés en avance. Le tantale commencera à circuler dans ce système d'ici à la fin juillet", a précisé le groupe de Schaumburg (Illinois, nord des Etats-Unis) dans un communiqué.
Le tantale est un métal inaltérable, très résistant à la corrosion à chaud et à froid et aux agents chimiques, prisé du secteur de la haute technologie. Il est tiré du minerai coltan, "qui est très abondant en RDC", a souligné Motorola Solutions.
Mais parce que "actuellement il n'y a pas de système reconnu pour vérifier que les sources de minerais en RDC ne sont pas liées à des conflits, les efforts faits pour sécuriser les chaînes d'approvisionnement ont débouché sur un embargo de fait sur les minerais de la région", alors même que l'existence "de dizaines de milliers de gens en RDC dépend de l'extraction minière artisanale, dont beaucoup vivent dans des régions où il n'y pas de conflits".
Motorola Solutions assure que son projet de sécurisation de la chaîne d'approvisionnement en RDC est conforme avec d'autres projets développés dans le cadre de la Conférence internationale sur la région des Grands Lacs (CIRGL).
"Motorola Solutions et ses partenaires travailleront avec les parties prenantes pour évaluer ce projet pilote afin d'en tirer des leçons qui puissent être intégrées à d'autres initiatives", et bénéficient à d'autres entreprises voulant utiliser les minerais de RDC de façon "responsable", a conclu Motorola Solutions.
11 juillet 2011
7月9日 le samedi 9 juillet 2011 エラ・ボラ航空機墜落 accident d'avion Hera Bora à Kisangani
シック・クアトロという髭剃り剃刀を下ろした。3月にルブンバシにみえたTさんが日本のIさんから託さ
Hewa Bora航空会社のHewaとはAir、BoraはBetterを意味する。RDCコンゴで一番大きな航空会社である。といっても運行している飛行機は事故を起こしたB727を含めて7機にすぎない。国際線では隣国コンゴ共和国の首都ブラザヴィルと南アのヨハネスブルグのサーヴィスをしている。前身はザイール時代の航空会社からはじまっているので94年からということになるが、Hewa Boraとなったのは2001年のことである。事故が起きたキサンガニはオリエンタル州の州都。RDCコンゴ第3の都市。コンゴ河の流域、キンシャサから北東に1200km行ったところになる。キサンガニは金の集積地でもある。またオリエンタル州はカタンガ州よりも大きく、面積としては日本の1,5倍以上。飛行機はキサンガニのあと、最終目的地ゴマ市(北キヴ州の州都)に向かう予定であったから、乗客にはキサンガニで降りる乗客とゴマまでの客とでほぼ満員であった。以下の記事にはないが、現在まで74名が亡くなり、50数名が入院中。犠牲者にはキサンガニの司教さんはじめ宗教関係者、またサッカー連携関係者が多い。死者の数は当初50名以下だったが、その後増え続けた。原因は、事故機は空港から800メートル離れた場所で着陸しており、消防車が1台しかアクセスできず、墜落後の火災消火ができなかったこと、病院に運ばれた怪我人たちも、停電に遭遇し十分な治療が得られなかった等があげられる。お粗末というより、真に不幸な事態である。
10 juillet 2011
7月8日 le vendredi 8 juillet 2011 李明博韓国大統領来る visite du président coréen Lee Myung-bak
快晴。7時、18℃、50%。
9時25分、停電。参った。丁度ゴッフルの生地を作っていたところだった。はやく点いてもらわないとなぁ。10時20分回復。
韓国の李明博大統領がRDCコンゴ訪問した。カビラ大統領が去年韓国に行っているから、カビラの招待を真面目に受けたということである。韓国のコンゴに対する投資が本気であることを示している。投資は主として農業、運輸、エネルギー部門を対象としている。原油開発もコンゴの炭化水素会社Cphydroと行われる。インフラ投資では、30年来の懸案であるバナナ港(バ・コンゴ州)整備に関心を寄せている。
日本はといえば、閣僚どころか議員だって最近コンゴに来たことがない。コンゴにとって日本は幻の国である。
RDC- Corée du Sud: tête-à-tête Kabila – Myung-bak à Kinshasa
Le président sud-coréen, Lee Myung-Bak a été reçu, ce jeudi 7 juillet après-midi à Kinshasa, par son homologue congolais Joseph Kabila. Sa visite dans la capitale congolaise vise notamment la signature de plusieurs accords commerciaux entre la RDC et la Corée du Sud.
La délégation sud-coréenne, qui est arrivée ce même jeudi à Kinshasa, devrait participer au forum d’affaires RDC-Corée du Sud.
Ce forum, devant mettre autour d’une table les chefs d’entreprises et investisseurs sud-coréens avec les membres de la Fédération des entreprises du Congo (Fec), devrait déboucher sur la signature des accords d’investissement dans les domaines de:
l’agriculture, transport et l’énergie.
Un accord d’étude conjointe devrait être également signé entre la Congolaise des hydrocarbures (Cohydro) et la Korean national oil corporation pour l’exploitation du pétrole congolais.
Séoul voudrait investir également dans la construction des infrastructures, dont un port en eaux profondes à Banana dans le Bas-Congo, en échange du gaz et du pétrole congolais.
La Corée du Sud développe déjà un programme agricole à Kwenge dans le Bandundu pour un montant de 9 millions de dollars américains ainsi que d’autres projets sur la production et les techniques agricoles.
La visite du président Lee Myung-Bak est consécutive à celle effectuée en mars et novembre 2010 par les autorités congolaises en Corée du Sud.
7月7日 le jeudi 7 juillet 2011 ブラジルPetrobrasと提携 partenariat avec Petrobras (Brésil)
快晴。7時、18℃、45%。
寒い。7、8月は寒い。街でデ・ロンギのオイル・ヒータを売っていたが、確かに必要でないこともない。家には暖炉もある。Gecaminesの幹部宿舎だったこの家、昔は暖炉にくべる薪を会社が支給したそうである。貧乏人の僕は、チーコちゃん(猫)を湯たんぽ代わりに毛布をかぶって寝る。
11時、断水。回復は19時半。
16時、停電。16時20分に回復したと思ったら16時50分に再び停電。5分後に回復。
原油探索、試掘、開発で、RDCコンゴがブラジルの会社を選んだ。なかなか面白い選択である。これまで、大西洋のコンゴ河河口のバナナ港沖合いの原油開発、アルベール湖(コンゴの東端、ウガンダとの国境)の石油開発とも西欧と組んでいる。これにブラジルを巻き込んだ。原油もメジャーが全てを握っていた利権の時代は終わった。世界15位というブラジルのPetrobrasがRDCコンゴの炭化水素会社Cohydroと提携することとなった。
欧米ではなく新興ブラジルを選んだのは賢明である。中国や韓国から資金を呼び込んでいるのも欧米一辺倒の支配から抜け出そうとする意思の表れ。本来なら日本もよきパートナーとなれるのだが、Sodemiza(現在のSodemico)のトラウマか、RDCコンゴが戦闘地域と間違って認定されているからか、残念な成行きである。
La RDC recourt au Brésil pour renforcer la capacité de la Cohydro
Le ministre congolais des Hydrocarbures, Célestin Mbuyu Kabango, s’est engagé à redorer l’image de la Société congolaise des hydrocarbures (Cohydro). Pour ce faire, il a séjourné au Brésil, du 18 au 28 juin 2011, avec une délégation des responsables de la Cohydro, pour négocier un appui tant technique que financier, en faveur de la Société pétrolière congolaise, avec les autorités politiques et les responsables de la compagnie pétrolière nationale brésilienne (Petrobras).
En visite auprès de son homologue brésilien, à Brasilia, siège des institutions politiques du Brésil, Célestin Mbuyu a expliqué que le souhait du gouvernement congolais est de voir la Cohydro assurer une bonne distribution des produits pétroliers sur toute l’étendue de la RDC comme le fait la Société Petrobras au Brésil.
Grâce à cette visite au Brésil, une perspective heureuse d’une coopération RDC–Brésil en matière des hydrocarbures pointe à l’horizon. Les accords d’intentions d’exploitation et d’exploration des ressources pétrolières et gazeuses ont été signés entre les responsables de Cohydro (RDC) et ceux de la Société Petrobras (Brésil), en présence du Ministre congolais des Hydrocarbures et la chargée des affaires de la RDC au Brésil.
(以下略、前文はブログ『日本カタンガ協会』に掲載)
07 juillet 2011
7月6日(2)le 6 juillet 2011 bis チーコちゃん、マーゴちゃんそしてマドンナ Tchico, Mago et Madonna
7月6日 le mercredi 6 juillet 2011
快晴。7時、19℃、47,5%。
自動車のパイプを破損したのは、虫ではなく、ネズミのようだ。小さなネズミで、家にいたネズミは何匹か退治した。考えてみれば、ハチくらいで穴をあけるのは難しいかもしれない。パーニャとイボン君はいっていたが、それはスワヒリでネズミのことのようだ。イボン君咄嗟にsouris(スリ)というフランス語がでてこなかったのだ。
チーコちゃんとマーゴちゃんがいやに最近仲がいい。まえはお互い戦っていたのに。じゃれていただけなのかもしれないが。チーコは7月で15ヶ月、マーゴは8ヶ月になる。マドンナは18ヶ月だ。
マーゴちゃんが窓ガラスを壊して網戸で遊んでいた。ガラスは初めから割れてはいたが穴はあいていなかった。ガラスの破片でよく怪我をしなかったものだ。次の土曜日にガラスをとりかえよう。穴はセロテープを貼って臨時に塞いでおく。
7月4、5日「日本人を父親とし、コンゴに捨てられた子供たちの協会」 Association des Enfants des Pères Japonais Abandonnés au Congo
快晴。7時、18℃、47,5%。
7時、ネット不通。7時35分、回復。
19時05分、停電。10分で回復。
Le mardi 5 juillet 2011
快晴。7時、19℃、47,5%。
乾季に入り天気予報も簡単だが、以前日本の気象庁のHPにルブンバシの天気予報が載っていないことに抗議したことがある。ルブンバシの情報がとれないから予報は出せないと云っていた。僕も空港で気象を観測しているものの、それ以外ルブンバシのどこで気象観測をしているのか知らなかったので引き下がった。ところが、今日、BBCルブンバシを聞いていたら、天気予報を放送したのである。BBCのHPをチェックすると、ちゃんと1週間分の予報が載っていた。気圧や風向まである。どこからデータを手に入れるのだろう。BBCはRDCコンゴではキンシャサ、ルブンバシ、キサンガニの3都市でFM放送を流している。
19時35分、停電。19時55分、回復。しかし、毎回人騒がせな停電である。
車が3万キロを超えたので、オイル交換をした。今回はイボン君(何回もパンク修理をしてもらっている)のところでオイルを交換した。オイルは前回同様ELFのSEA15-40である。高い。7200フラン(720円)/L。安いオイルもある。他のスタンドでアラブ首長国製のオイルが5L缶で16500フラン(1650円)だから、その値差は相当なものである。しかし、オイルはまともな製品を入れておいた方がいいと思う。
「日本人を父親とし、コンゴに捨てられた子供たちの協会」の会長ケイコさんと面談した。今年から積極的に運動しようと決意していたのに話が全然進展しないことにかなりイライラを募らせている様子だった。北澤寛治日本大使は、今年になって担当官を決めて、本人は本件にタッチしない姿勢をみせてきた。その担当官が5月に突如ジェネーヴに任地が変わった。突如を思ったのはこちらの勝手で、日本大使は担当官の任期が切れるのを知っていて担当させたのだから性質(たち)が悪い。新たにこられた方が引継ぎされ、前任者よりも一所懸命対応していただいているが、ケイコさんからみれば、フランス語を解さない担当官だから歯がゆいのだろう。
また在ルブンバシのメディアは余程のことでもない限り、金を払わないとニュースとして取り上げないこともわかった。
次の手は、1)ババ州議会議長に、ニュース専門TV局フランス24が去年3月報道した内容(日本人が計画的に帰国前に幼児を殺害したというもの)の真実を探る議会内委員会の設置の要請、2)モイーズ知事を無能だと発言してスキャンダルを起こしている元人権問題担当大臣ムヤンボ氏に日本大使館や日本政府と子供たちの認知や補償問題を取り上げてもらうこと、3)キンシャサの日本大使館にデモをかけ、ハンガーストライキやシットインなどの実力行使をすること。この3点になった。大統領選挙が今年11月末にあるため、人気取りのために政治家連中が注目する可能性はあるが、3)のデモをしないことにはメディアの注目度は低いだろうと思われる。
しかし、ケイコさんはかなり必死の決意のようだ。家財道具を売り払っても、歩いてでもキンシャサに行って大使館に訴えるのだと息巻いていた。彼女が本気になって子供たちの協会メンバー47名が立ち上がれば、ポジティヴな答えが出てくるかもしれない。
7月3日 dimanche 3 juillet 2011 AUアフリカ連合会議 réunion de l'UA à Malabo
快晴。7時、18℃、50%。、(12時半、室内)23℃、35% (直射日光)56℃、25%。56度というのは推定値。目盛りが550℃までしかない、可能性としてh56℃以上あるかもしれない。(日陰)29℃、25%。
直射日光に当たっていても、耐えられないほど暑くはない。
庭のジャスミン10株のうち3株に花が咲きそうだ。残りの7株は成長が遅い。庭がジャスミンの香りでいっぱいになるにはまだまだ月日がかかりそうだ。
8時、停電。8時10分、回復。短かかった。マドンナの食事を用意している最中だった。
AU(アフリカ連合)の総会が赤道ギニア国の首都マラボで開催された。ここで、AUのメンバ-各国は、リビアのカダフィ指導者に対して国際刑事裁判所から出されいる逮捕状に従わないようにすることが申し合わされた。
会議が開催されている赤道ギニア国は、スペイン領だった。アフリカで唯一スペイン語が国語の国である。スペインはモロッコの地中海側にセウタなど領土をもっているが、独立国としてスペイン語が国語なのは赤道ギニアだけである。ガボンとカメルンに囲まれたギニア湾に面した国である。フランスとスペインの妥協でできた小さな人口60万ほどの国。首都マラボはアフリカ大陸側ではなく、カメルンの沖合いの島にある。原油と天然ガスがでるようになったから国の収入は膨大となったが、国民は貧しいまま取り残されている。人口が少ないし、国土も3万km2にも満たない国なのだから、ガヴァナンスによってはボツワナのような豊かな国になれる可能性がある。
日本大使館はない。また赤道ギニアの大使館も日本にない。しかし、赤道ギニアの大統領の来日や日本の外務副大臣の赤道ギニア訪問などがある。
(画像は赤道ギニアの位置を示す地図と首都マラボ)
L'Union africaine entend ignorer le mandat contre Kadhafi
Associated Press
Malabo, Guinée équatoriale
L'Union Africaine (UA) a demandé à ses membres de ne pas tenir compte du mandat d'arrêt international émis contre le leader libyen Mouammar Kadhafi, a confirmé un porte-parole du Bureau du commissaire de l'UA samedi.
Cette déclaration porte une sérieuse atteinte à la capacité de la Cour pénale internationale (CPI) de traduire Kadhafi en justice.
Dans la décision acceptée par les 53 membres de l'UA, il est indiqué que le mandat contre Kadhafi «complique sérieusement» les efforts de l'organisation pour trouver une solution à la crise en Libye.
(以下略)。
7月1、2日 les 1er et 2 juillet 2011 バカンジャ・マゴネU17チーム équipe U17 de Bakanja-Magone
快晴。7時、気温19℃、湿度55%。
マリジャンさん(「日本カタンガ協会」会長夫人)が日本の友人から手紙が届いたと知らせてきた。手紙は2009年12月に出されたクリスマス・カードだった。
日本からの手紙はこうして時々到着する。何時到着するかは全く保証の限りではない。
今は、ここから手紙を出すとザンビア経由で日本に送られる。2週間から1ヶ月で着く。日本からの郵便物も同様である。キンシャサを経由すると今回の例のように18ヶ月以上かかる。
Le samedi 2 juillet 2011
快晴。7時、19℃、55%。
聖書のルカ伝第15章に「放蕩息子le fils prodique」の話が出てくる。もう死んでしまったと思った放蕩息子が家に帰ってくる。改心しているには違いないが、父親はこの穂等息子の帰還を大歓迎して、召使に一番いい服を持ってくるように命じる。靴や指輪も与え、子牛を屠(はふ)って宴会を開く。祭の最中に、真面目一徹の兄貴が畑仕事から帰ってきて父親を詰(なじ)る。「なんてこった!俺は親父さんの言うことを何時もきいて、一度も逆らったこともないし、糞真面目に働いているっちゅうのに、友達が来ても子山羊一匹もらったこともないぞ。ダメ餓鬼、不良な弟が帰ってきて、このざまだ」と
僕は、不幸な兄貴だな、といつも思う。仕事が辛いのだろう。好きな仕事でもないのかもしれない。宴の中に弟を発見して、駆け寄り抱きしめて、「よくぞ帰ってきた、死んだと思っていたんだ。よかった、よかった」というのは人が良すぎるのか。兄はこの弟に昔から嫉妬していたのだはないかと思う。また、「放蕩息子のその後」というのは語られないが気になるところである。
C君の様子を見にマゴネ・ハウスMaison Magone(サレジア会)に行った。もう逃げ出したかと心配だったが、顔色も良くなって元気そうだった。サッカークラブに入れてもらったのだそうだ。マゴネには、サッカー、バスケット、バレーそしてハンドボールのチームがある。
サッカー・パンツやシューズはあるかと訊くとないというので、ルブンバシのマルシェ(市場)に一緒に買いに行った。紺地に黄色のラインが脇にはいっているパンツと赤のパンツを選んだ。8000フラン(800円)。靴はアディダス。多分偽物だろうが、見た目はしっかりしていた。30ドル(2400円)。部屋の蚊帳は穴があいていたので、蚊帳も買った。250円。
C君の部屋が変わっていた。中庭の奥の部屋で、シャワーやトイレに近くなった。アラン神父さんたちと同じ部屋。
(画像はバカンジャ・マゴネU17、ネットから)
01 juillet 2011
6月30日 le jeudi 30 juin 2011 独立記念日 anniversaire de l'Indépendance
快晴。7時、19℃、47,5%。
RDCコンゴ独立記念日。今年はカビラ大統領がルブンバシに来て記念日の祭典を行う、先週来軍隊が市の中心部を警戒している。不穏な噂がないこともない。
今日はどこにもでかけないで、家にじっとしているに限る。
ゴッフルを作った。矢曜日、シスタ・アスンタさんのところで作っているのをみて粘度がわかったのである。材料(鶏卵、小麦粉、パター、ミルク、砂糖)は同じだったのだから、あとは粘度(材料の配合の問題だった。粘度がゆるいとゴッフルが硬くなる。配合はキジを練りながらでも調節できる。今日は大成功。コツが分かれば応用が利く。大きさを変えたり、バニラ等のエッセンスで香りをつけたり、色付けもできるのである。
ネット不調。ときたましか繋がらない。ブログ更新困難。22時過ぎ、やっとネットが多少安定してきたので急いでブログ更新作業にはいった。
日本のTさんから3月に頂いた蝿叩きで大きめな蝿を殺した。蝿は蚊に続いて第2の敵である。
下記に引用したような記事を掲載すると在キンシャサ北澤寛治日本大使などは喜ぶかもしれない。「ほら、ルブンバシは危険なんですよ。外務省の安全情報ページを変更しなくてよかった」と。こんな事件は首都キンシャサでは日常茶飯事であるし、日本のニューズを読んでいると、日本はもっと殺伐であるにも拘らずである。
日本大使館から僕らカタンガ在住者の安否を気遣う連絡はなかった。それほどに小さな事件なのだが、今年2月にルブンバシ空港で起きた茶番劇も、北澤大使は「空港占拠」といった事実に反して針小棒大に扱っているから、これからが心配である。
AFPなどの報じるところによると、ルブンバシの工業地区にあるVolcano Mining社の倉庫が武装した数人に襲われ、警察が2人を射殺した、というもの。これが今日カビラ大統領が来てパレードを行う独立記念式典と関係があるかどうかは不明。
RDC: attaque d'un dépôt de minerais à Lubumbashi, 2 assaillants tués
(AFP) – Il y a 1 jour
LUBUMBASHI — Un dépôt de minerais d'une société privée a été attaqué dans la nuit de mardi à mercredi dans le sud-est de la République démocratique du Congo "par un groupe de bandits armés" dont deux ont été tués par la police, a déclaré mercredi le gouvernement.
"Il y a eu tentative de vol à main armée par un groupe de bandits armés sur le dépôt de minerais de la société privée Volcano Mining", dans le quartier industriel de Lubumbashi, chef-lieu de la riche province minière du Katanga, a déclaré à l'AFP Lambert Mende, le porte-parole du gouvernement de la République démocratique du Congo (RDC).
"Deux assaillants ont été tués, deux autres arrêtés par la police. Ils sont entrés dans un grand camion et voulaient prendre probablement des minerais", a-t-il précisé.
Plutôt dans la matinée, une source militaire avait déclaré à l'AFP qu'"un dépôt d'armes de l'armée congolaise a été attaqué dans la nuit par un groupe d'hommes lourdement armés".
"C'est vrai qu'un dépôt de munitions se trouve dans le même quartier mais n'a pas été touché", a ajouté le ministre, assurant que le calme règnait dans la ville et que la police recherchait les assaillants.
Des tirs nourris ont été entendus pendant une heure entre les militaires et les assaillants, a-t-on appris mercredi de sources militaires.
Cette attaque est la deuxième en moins de six mois, après celle de février à l'aéroport de la ville où des assaillants avaient vidé un dépôt de munitions.
Lubumbashi abrite jeudi les festivités du cinquantinième anniversaire de l'accession de la RDC à l'indépendance. Le président congolais Joseph Kabila qui y séjourne déjà, doit prononcer un discours avant un défilé militaire et des forces vives de la nation.
Pour ces festivités, plus de 6.000 militaires de la garde républicaine y sont déployés.
Ancienne colonie belge, la RDC a accédé à l'indépendance le 30 juin 1960, avec comme premier président Joseph Kasa-Vubu renversé en 1965 par l'ex-dictateur Mobutu Sese-Seko, qui régna sans partage jusqu'au coup d'Etat de Laurent-Désiré Kabila en 1997.
Joseph Kabila été élu en 2006 à l'issue des premières élections démocratiques du pays, après avoir remplacé son père, assassiné en 2001.
Des élections présidentielle et législatives sont fixées au 28 novembre prochain et le président Kabila devra se représenter.