le vendredi 1er septembre 2017
14日まで海に行く。インド洋だから、ルブンバシからバスで2日かかる。
コンゴにも海がある。コンゴ河の河口だ。大西洋である。だが、ルブンバシから陸路ではいけない。それに何日かかるか計算もできない。
タンザニアのザンジバルで10日間海を堪能した。このことは別途ブログで「ザンジバル紀行 2017」として書く予定である。
le jeudi 14 septembre 2017
14日15時半に帰宅できた。
チーコちゃん、マーゴちゃん、ブラッキー君が元気に迎えてくれた。一安心である。
le vendredi 15 septembre 2017
6時、快晴、24℃、40%。
昼間の暑さにあたったのか微熱がでた。パナドールを飲み早々に就寝。
le samedi 16 septembre 2007
6時、快晴、22℃、35%。
昼間はない熱が夜に入ってでてきた。
近所の産婦人科医院の院長が三菱四駆L200を買ってくれた。やっと売れた。7500ドル。2009年12月ドバイで買ってダルエスサラムまで船で送り、ダルエスサラムからルブンバシまで僕が運転した車だ。25000ドルかかった。通関費用が6000ドルと高かった。これは騙されたのだ。通常2000ドルと数年後に聞いた。5万キロ程度走っている。
所有車両は残りハイエースのみとなった。
le dimanche 17 septembre 2017
6時、快晴、23℃、35%。
熱は引いているが喉が痛い。
今日はカスンバレサに「子供たち」に会いに行く。カスンバレサ街道は事故が多い。タクシー運転手にはゆっくりと行け(ポレポレ)と云わなければ。
ナナさんのところで養鶏は順調といえよう。彼女の家までカスンバレサからバイクの後ろに乗って30分以上かかる。ムソシ鉱山の櫓がすぐ近くに見える。
6週間が97羽、2週間が98羽。6週間たったニワトリは早く売らねばならない。カルベ君が動いていない。子供たちの連携が悪い。シバタ君、カルベ君、サイトウ君が一丸となってくれなければ。
ナナさんには二人の娘がいる。父親がそれぞれ違う。未婚の母親だ。上がローズさん17歳。身障。下がヴィクサちゃんで、彼女は頭が良く、飛び級で、9歳なのに既に小学5年生。
キミコさんが先週男の子を出産したそうだ。6人の母親になった。
サツキさんの夫はザンビアで刑務所入りしていた(税関トラブル)が、解放されてコンゴに戻った。しかし、生活は苦しいらしく、15歳を頭に6人いる子供たちの一人として就学させられない。
亡くなったクラヌキ君には18歳になる子David君がいる。デヴィッド君はカスンバレサの牧師さんのところに起居しているようだ。前回牧師さんの家に尋ねた時はザンビアに行っていていなかった。僕が家を訪ねたと後できいて、日本人が来た、殺されるかもしれないと逃げ回ったそうだ。とんでもない反応だが、日本人による嬰児殺しの噂はまだ生きている。
カルベ君にも5人の子がある。年初5人目が生まれた。カルベ君は看護士である。最近診療所に就職したと聞いたので、その診療所に会いに行った。診療所とはいっても「掘っ立て小屋」のようなところだった。入院患者は尋ねた時に一人しかいなかった。これでは安定した就職先ともいえない。カルベ君の子どもの一人の学費をシスター・アスンタ佐野さんが支払っている。
ルブンバシからカスンバレサに移転した「ムソシの子どもたち」が経営すべきレストランはまだテラス、室内の床、トイレ、台所が完成していなかった。2か月の遅れ。
le lundi 18 septembre 2017
6時、快晴、24℃、35%。
8月分電力料金をSnelで払った。28000フラン(19ドル)。
le mardi 19 septembre 2017
6時、快晴、23℃、40%。
簡易洗濯機を買った。中国Geepas社製。ドバイで50ドルで売っていることをネットで調べたが、ここでは95ドル(5ドル引いてくれて)。インド人の店だ。日本ではもっと複雑な洗濯機を200ドルで売っている。
洗濯が「重労働」になってきたために購入した。能力3.5㎏で十分である。洗濯だけで脱水はできない。それでも老体には助かる。これでシーツを頻繁にかえることができそうだ。洗剤は多分業務用で米国製をスーパー「マ・メゾン」で売っていた。
家に運んで早速使ってみた。シャツの襟の汚れがちゃんと落ちた。嬉しくなってしまった。
Geepasは中国の会社ではなかった。ドバイに本社を置く。インド系と思われるが、中東及びアフリカに強く家電で伸びている。製造は中国とインドかと思う。
le mercredi 20 septembre 2017
6時、快晴、24℃、40%。
9月の日誌を誤って消してしまった。復元方法を検索して一安心。冷っとした。
le jeudi 21 septembre 2017
6時、快晴、24℃、45%。
朝は24℃と涼しいが、毛布がいらなくなった。
明日が停電予定日だが昨日今日と5時45分から30分停電した。
6時半、断水。何れ水は出るだろう。7時15分、出始めた。
『Christine Noble』(Stephen Bradley、2014年)。
ベトナムのストリートチルドレンの「生きる権利」を支援するノーブルさん(アイルランドの女性)を描いた映画。彼女のような不屈の精神と行動力が僕にはないなぁ。尊敬してしまう。
le vendredi 22 septembre 2017
4時50分、快晴、24℃、40%。
停電予定日なので早起きした。そうしないとお湯が沸かせない。コーヒーが飲めない。停電を待つ。
8時になっても停電がない。
9月は日本の夏至から冬至の中間だから、陽が東の空の北から南にかなり移動した場所から上り始める。6時前に空全体が明るくなる。地球の傾きの所為で赤道直下に近いカタンガでも微妙な変化があるのだ。ジャカランダの花が散りはじめ若葉で満ちる。
ルブンバシの中国人の食品店で豆腐を金曜日になると買うようになった。1丁が日本の豆腐の4個分はある。それを2丁買う。
「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と云ったという林子平は貧しく、豆腐やおからばかり食べていたと、おから料理をする度に母がよく云っていた。
中国豆腐は4日ほど僕のアントレになる。
『Bessie』(Dee Rees監督、2015年)。米国のジャズ、ブルースの黒人女性歌手ベシー・スミスの物語。監督も黒人女性だ。
映画に登場するのは黒人が中心で、白人は殆ど出てこない。現在米国の黒人は15%程度の人口しか占めていない。
アメリカの黒人はアフリカ人ではない。アフリカから先祖が強制的に移民させられた歴史はあるがアフリカ人とアメリカ黒人を同一視するのは大変な誤解である。
映画をみてもわかるが、アメリカ黒人はアメリカ人以外の何者でもない。
オバマ大統領が選ばれたとき、アフリカ人は米国の対アフリカ政策が変化すると期待した。これも誤解である。オバマはアメリカの利益を代表する大統領であってアフリカを代表していてたわけではない。
アフリカ大陸にリベリアを建国したアメリカ黒人にも誤解があったとしかいいようがない。
アメリカに移住させられたアフリカ人は現在英語しか話せない。ヨルバ語もウォロフ語も、その他アフリカの言語を話せない。
ベシーの歌はprofondément américaine。
le samedi 23 septembre 2017
6時、快晴、24℃、30%。
6時10分、停電。えっ、停電日は昨日じゃなかったのかい。
不可解なのはこの国の常。
電力会社Snelのアドラールさんに電話したら、計画停電(彼は「délestage供給制限」という言葉を使った)は10日ごとになったと。となれば、次の停電は10月3日となる。さて?
20時15分になっても電気がこなかったので、アドラールさんとマルタンさんに電話で催促したら、5分後に電気がきた。世話の焼けることだ。
le dimanche 24 septembre 2017
6時、快晴、24℃、40%。
『Un coeur à l’écoute』(Sweet Nothing in My Ear、Joseph Sargent監督、2008年)。聾唖者の世界を描いている。人口内耳の情報もあった。アメリカ映画らしくドラマチックな完成度の高いシナリオだ。こうした映画を日曜の昼間に放映できるフランスの民間TV局はまともだなぁ、と思う。この映画の場合はD8だった。映画専門チャンネルではない。TF1、
M6などと並んで総合TV局である。
le lundi 25 septembre 2017
5時50分、快晴、24℃、35%。
ミニバス(トヨタ ハイエース)もフランクランさん経由で売却した。2500ドルにしかならなかった。中から仲介した人物に150ドル、フランクランに修理費などで1000ドル支払った。さらにフランクランが借金を申し込み、1500ドルの証文を書いた。来年1月に返してくれるというがなぁ。
このバス運営でも苦労した。運転手たちは雲助以下で、全員泥棒だった。この雲助をWikipediaで調べたら、宿場の駕籠かきとあった。そこで思い出したのが「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」。母がよく云っていた。世の中は様々だ、ということだろう。
le mercredi 27 septembe 2017
6時、快晴、25℃、40%。
le jeudi 28 septembre 2017
6時、快晴、25℃、40%。
先週の木曜日から庭師ジョゼさんが休んでいる。母親が病気で見舞いに行ったためである。母親はカタンガ州の中央カミナ市近くの村にいる。400kmしかないが、村まで行くには2日かかる。バスを乗り継いで行くようだ。鉄道もあるが、列車では何日かかるか予測もできない現状だ。一昨日電話で帰るといってきたが今朝も働きに来ていない。
植木は雨季ではないので毎日伸びるということもない。雨季なら植木がぼうぼうだ。田舎の道は雨でぬかるんでバスが通れなくなる。
毎日フランスでは天気予報がドラマチックに報道される。各TV局の予報官は身振り手振りよろしく、口角泡を飛ばしてフランス各地の天気を語る。予報官は人気者vedettesになる。
RDCコンゴのカタンガ州ではどうなるか。
4月中に始まる乾季ともなれば、それから6か月間毎日快晴だからつまらない、「明日も快晴、明後日も快晴」、天気図の解説も必要ない。11月からの雨季では、毎日の予報が難しい。「明日は雷雨、豪雨となるでしょう」と予報官らしいことがいえるけれども、午前中なのか夜中なのか、予報するには苦労するにちがいない。現在4つに分かれた大カタンガ州だけで日本よりも広いのだ。そこにいくつ位気象台があるだろう。2010年、Googleでさえ大都会ルブンバシの天気を表示できなかった。僕は当時Googleに抗議したが、ルブンバシの気象情報を出すようになったのは最近である。雨季は梅雨ではない。毎日天気が変わるし、一日の変化も激しい。ルブンバシで雨が降っても、そこから南に30kmしかないここキプシは晴れていることも多い。
チーコちゃんたちのビスケットがどのスーパーでも払底して2か月以上売っていない。仕方ないので、メダカのような干した小魚をンジャンジャ地区で買ってきて、食事として与えた。食べない。軟らかく煮てもダメ。カタンガの家庭の主食トウモロコシの粉と混ぜても食欲をみせない。「君たち、カタンガ産まれだろう」と云っても無駄だった。
仔犬用のビスケットを出したら、多少食べてくれたが、余程空腹でないと食べない。そんなに贅沢に育てた記憶はないが、困ったものだ。
le jeudi 28 septembre 2017 bis
「ザンジバル紀行 2017」
時系列で書いても面白くないと思うのでテーマを選んで書く。
ザンジバルに行くには、飛行機という手段もある。ザンジバル(ウングジャ島)には国際空港があり、中東、アフリカから定期直行便が出ている。欧州からも季節により直接運行されている。
僕にとってのザンジバルは先ずアフリカ黒人奴隷貿易の拠点として認識されている。コンゴからも、特に現南北キヴ州やカタンガ州東部から多くの黒人がザンジバル経由アメリカ大陸などに送られた。
現在は観光島である。常夏の島だ。ケニアのモンバサと競争できるビーチがある。南半球だがルブンバシよりも赤道に近い。
ダルエスサラームから高速船で90分。最短ルブンバシから陸路では3日目に到着できる。今回はザンビアのキトウェまで金曜日の午後にルブンバシを出て夕方パオラさん邸で泊まり、翌日早朝のバス(Power Tools社)でタンザニア国境に夜中についた。タンザニア側の町トンドマでホテルに泊まり、翌日日曜日のバスで出発、ダルエスサラームに着いたのも夜中だった。
le vendredi 29 septembre 2017
5時半、快晴、25℃、40%。
チーコちゃんたちの朝食に、スーパー『マ・メゾン』で見つけたカジノ(フランスのスーパー)の缶詰を開けて出した。ソーモンだったが、みんな「ぺろり」と食べてくれた。猫ちゃん用のフードだが贅沢だなぁ、君たち。「今朝は美味しかったわ、もうないの」と僕にまとわりつく。
le samedi 30 septembre 2017
6時半、快晴、24℃、40%。
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