31 mars 2020

【enfant de Musoshi 7】 ambassade du Japon en RDC


【ムソシの子供たち 7】日本大使館の対応
在コンゴ民主共和国日本大使はこの10年で北澤寛治氏、富永純正氏、牛尾滋氏、軽部洋氏と変わった。ケイコ元「ムソシの子供たちの会」会長が2007年キンシャサの日本大使館を訪れた時の大使は柳谷俊範大使だっと思われる。しかしケイコさんには会っていない。参事官の方が面接している。

北澤寛治大使は2008年の赴任であった。牛尾滋大使は2014年のご着任。現ポルトガル大使の牛尾氏だけが、「子供たち」にルブンバシで会っている。牛尾大使が外務省の「子供たちのことは民事である」という方針を変えたわけではない。しかしながら「子供たち」の窮状、事情を察せられたのだと思う。「なんとかしてあげたい」という温情である。
左からケイコさん、ハラダさん、牛尾大使、ヨシミ君、ヒデミツ君、ヨシミツ君
牛尾大使は本省でTICAD7を成功に導き、現在ポルトガル大使になられた
牛尾大使と野口参事官が、DRCのハンセン病患者施設を訪問のために来られた笹川陽平氏に「子供たち」の話をされた。笹川氏は財団が中に入ると時間がかかると、個人のポケットから1万ドルを寄付された。即断だった。ありがたいことである。

「子供たち」が話し合って、ご寄付を原資として食堂をルブンバシに開設することになった。食堂の利益から孫たちの学資を出そうと云うことだった。20158月開店。家賃が$500と高く、運営に難があった。201712月閉店。店をムソシ近くのカスンバレサ国境に移したが、それも同年7月に早くも閉店に追いやられた。運転資金に手をつけ、残ったのはテーブルや椅子、冷蔵庫、冷凍庫、食器、調理器具、TV等備品だけになってしまった。それでも、サイトウ君は、またルブンバシ大学があるカサパ地区で食堂をすべく走り回っている。

日本大使館で「子供たち」のことを考えてくれたのは牛尾大使の時代だけである。しかし、今回サイトウ君が出した手紙を大使館は無視しているわけではないようだ。Covid-19対策で大使館は大忙しに違いない。だから、無暗と返信の催促はしない。しかし、思いやりのある回答が寄せられることを期待している。

大使館は子供たちの存在を否定してはいない。「ムソシの子供たち」の存在そのものを否定しているのは旧日本鉱業、現JX金属である。そこで、大使館に続いて、サイトウ会長名で「子供たちの存在を認めて、父親探しに協力して欲しい」旨の手紙をJX金属社長宛てに手紙を出すことにした。次回は、ことの元凶、日本鉱業、現JX金属(JXTGホールディングス)について書く。

28 mars 2020

【enfants de Musoshi 6】牧師 pasteurs


【ムソシの子供たち 6】牧師 pasteur
ムソシの子供たちは、ムソシにいるだけでなく、RDCコンゴのルブンバシ、リカシ等カタンガ州だけでなく、キンシャサに居住しているものもいる。また隣国ザンビアのキトウェやンドラに転居したもの、米国に渡ったものもいる。
在米国のスズキ牧師(メソジスト)
メソジスト教会は英国教会からの伝統教会で
新興宗教ではない
米国に渡ったのはスズキ君である。メソジスト教会の牧師として派遣された。彼が最も戦闘的というか、僕たち日本人に反抗的である。父親に「捨てられたこと」を怨んでいるといえる。僕にも、「コンゴにいて子供たちのために何もできなかたではないか」と批判的だ。その通り、なにも出来なかった。子供たちのアイデンティティである国籍についても、父親探しについても、子供たちがまだ30代のときに職業訓練、再教育にも手をかせなかった。日本人の父親からみて孫の世代に入っていても、その孫たちの教育にも全く支援が届かない。

スズキ君以外にも牧師になった子たちがいる。ミチアキ君、ヨシミ君である。福音教会évengeristeだ。カトリックの神父になった子はいない。カトリック教会の神父になるには長い年月がかかる、高い教育が必要である。アフリカにはキリスト教系の新興宗教が山ほどある。バイブルをもとにしているが、聖書を本当に読んだことがあるのだろうかと疑うような牧師が軒並み。
ミチアキ牧師
最近よくFacebookに投稿している
羽振りがよくなっている
「食うために」牧師になる。一種の詐欺師まがいの牧師が多い。大声を張り上げて、単純な語句を繰り返す。説教に悪魔を登場させ信者を脅かす。モラルは古く、超保守的である。信仰心la foiから牧師になったとは見えない。「神」を連呼する。批判はタブーになる。そして予言者を自称する。
牧師でビジネスマンでもあるヨシミ君
去年40代後半で亡くなった
夫人は元ザンビア大統領の娘だった
「ムソシの子供たち」の中で異色
教祖はテント張りの教会から、近代建築の教会へ、さらには大聖堂を建設するものもでてくる。メディアを利用し、ラジオ局、TV局を開局して布教。これは集金機構となる。

「子供たち」の中からも「予言者」が出ている。「子供たち」の団結、福祉、教育に役立っているかというとそうではない。自分のようにすれば、自らの才覚で「金持ち」になれることを誇っているだけのようだ。「清貧な」予言者を馬鹿にする。現代の「予言者」はアッシジの聖フランチェスコのようではない。


26 mars 2020

【Enfants de Musoshi 5】 ケイコ フジモト Keiko Fujimoto


【ムソシの子供たち 5】ケイコ フジモト
ケイコさんは「子供たちの会」の元会長だ。結婚した夫が保険会社Sonasの部長をしている。今年から民間の保険会社が運営するようになったが、それまでは国営のSonasだけだった。保険をかけても、保険の意味がないような、支払いの悪い会社である。民間が市場に参入して多少かわるかもしれない。
そんな保険会社の部長だが羽振りがいい。高級住宅街に大きな家を構えている。
ケイコさんの夫は大学で教鞭もとっており、文字も書けなかったケイコさんを学校に通わせてくれた。ケイコさんも向学心が強く、30歳半ばを過ぎて大学を卒業した。6人の子供がいる。
ケイコ フジモトさん
「ムソシの子供たちの会」の元会長
日本髪を結っても似合いそう
「ムソシの子供たち」のうち女性は夫に恵まれている例もある。そうでない場合は悲惨である。キミコさん、ナナさん、サツキさん等は貧困のさなかにある。
恵まれたのはケイコさん、キョウコさん、サクラさんの3人だろう。キョウコさんの夫は前大統領の親戚らしく鉱山会社のオーナー、サクラさんの夫は税務署の高級官吏である。
恵まれた理由は、日本人のハーフは色白ということだ。コンゴ人は肌の色が白い相手を好む。だから、たまたま社会的地位が高い夫(ここでは金持ち)に遭遇した女性は「玉の輿」となる。
そうでないと、France24で発言しているナナさんのように買春せざるをえなかった女性もいる。彼女はいま4人の母親で養鶏をしている。初めの2人の子については誰が父親であるかも知らない。養鶏を初めてから、軍人の夫と巡り会えた。

男たちはそうはいかない。東洋系にたいする差別は大きい。殆どみんな失業している。失業保険、生活保護もない国で、「なんとか生活している se débrouiller」のである。
一人、ダイモン君だけが大企業に務めている。コンゴ最大の民間鉱山会社テンケフングルーメで働いている。前述キョウコさんと姉弟だからだ。

ケイコさんは、会長のとき、ルブンバシからキンシャサの日本大使館を訪問している。「子供たちの会」はこのとき初めて日本国籍を要求している。大使館は玄関払いなどせず、日本の外務省に問い合わせ、外務省は日本鉱業(現JX金属)に連絡している。日本鉱業は「子供たちの存在を知らない。日本鉱業がムソシ鉱山を運営していたとき、子供たちのことについてきいたことがない、日本人の子供などというのは言いがかりではないか、日本鉱業はタッチしていない、従業員と現地女性のと間に子供など出来ていない」と外務省に回答している。
この日鉱の態度は現在も変わっていない。全く「ムソシの子供たち」のことを無視するのである。彼らの存在そのものを否定するのだ。

外務省は、日鉱の否定的回答をえて、本件は民事であるので、国としては何もできないと在キンシャサ日本大使館に返答している。これが日本政府の公式見解で、今回のサイトウ君の手紙に正式な回答はまだ大使館からなされていないが、現在もそのままと思われる。

23 mars 2020

enfants de Musoshi 4, média

【ムソシの子供たち 4
ムソシの子供たちについてはフランスのニュース専門TVFrance24」がレポートしている。酷い出来。日本の医者たちによる嬰児殺しあったと、まことしやかに語られて、それを信じるコンゴ人が多く迷惑千万なのである。

日本人フリージャーナリストも数人コンゴに来た。
一方、テレビ東京「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~」が2015年晩秋に取材に来た。ムソシの子供たちのことを取材してもらったが、その部分は全面カットとなった。娯楽番組に相応しくないということだった。

NHK報道からも電話取材があったが、「事件性がない」とのことで本格取材にいたらなかった。TBSロンドンも取材が立ち消えになった。英国BBCはコンゴ人のいい加減な通信員のレポートを記事にした。

ただ一人、真剣に取材してくれたのが朝日新聞の南ア総局駐在三浦英之氏である。6回もルブンバシ、ムソシに足を運んで取材をされた。僕も取材に全面協力をした。いつか本になって「ムソシの子供たち」のことが、広く日本社会に知られることを僕は心から望んでいる。

画像は第2話に登場したジュヴェ君と彼の母親アヤコさん


21 mars 2020

enfant de Musoshi 3 mariage, maris japonais et leur épouses congolaises


【ムソシの子供たち 3】コンゴでの結婚とは

日鉱のムソシ鉱山には多くが単身赴任者だった。本社員の中には奥さまを同行してコンゴに来ているが少数だった。日鉱は本社員には立派な宿舎を現地に建設している。
単身赴任者、独身者はどうしたか。週末、彼らは近くの村や、現地コンゴ人宿舎街にできたキャバレーや飲み屋で遊んだ。
ムソシの子のひとりキミコさん
6人のこの母親
写真は末っ子バンジャマン君
コンゴ人女性と結婚した日本人も多い。ここで結婚するには、先ず女性の親に贈り物をすればよい。ドットdotという。現金(数10ドルから数100ドル)、ヤギ、酒類、反物などがドットになる。いわば結納である。
ナナさんと柴田君
ナナさんは今養鶏、以前は水商売もした
シバタ君は学校の先生、職業軍人だったこともある
日本での既婚者もドットを女性の両親に払って、結婚した人もいる。重婚だが、コンゴ側は気にしなかった。お金持ちのコンゴ人男性が複数の女性を妻にするのは、今でも権力の象徴である。コンゴ人妻の年齢を見て欲しい。大多数が145歳であった。日本でいえば、中学の女生徒だ。既婚の40代日本人のオジサンが中学生の少女を娶った例もある。20代の若い日本人でも、日本で中学生を相手にしますか。「現地妻」だからという思いが日本人にあったに違いない。
(左から)シバタ君、キミコさん、カルベ君、タナカ ヒデミツ君
カスンバレサでのミーティングで
 村役場に結婚を届け出たのはごく少数だ。当時ルブンバシにあった日本領事館に婚姻届を出した人は一人もいない。だから、日本の戸籍上の記載は全くない。まさか14歳の妻を入籍させるわけにも行かなかったろう。
在コンゴ民主共和国日本大使軽部氏
フランス語堪能でいらっしゃる
サイトウ君の手紙が読めない筈がない。
日本大使宛てにサイトウ君が出した手紙の返事は今日現在ない。

20 mars 2020

enfants de Musoshi 2, Juvé - un des petits enfants de Musoshi

enfants de Musoshi 2
ジュベ君が僕のキプシの家にやってきた。
ジュヴェナルというのが正式の名前だ。母親アヤコさんがが「ムソシの子供たちの会」のメンバーである。祖父はフルカワさんといい、鹿児島出身とまではわかっている。
中高4年生(日本の高校1年生)の制服を着た
ジェヴェナル君
どこから見ても日本人、
学校では先生から「おい、ジャポネ」と呼ばれる
ュベ君には僕が学資支援を個人的にしている。授業料を払ったら、WhatsAppで領収書の写真を送ってもらう。別のことに使ってもらってはこまるからである。
クラスで成績が一番になったら自転車をご褒美に買ってあげるよと去年云ったら、ついに今年になって、2学期の成績で一番になった。おめでとう。
僕の家のゴヤーヴの木の前の
ジュベ君 17歳
ジュベ君の父親は警察官、母親アヤコさんはリカシ大学の入口で屋台の飲食店を営んでいる。公務員の給与は何時払われるかわからない。しかも驚くほど安い。それなのに上司にピンハネされる。ジュベ君には8人兄弟姉妹がいる。小学校は何とか終えたが、中学に行く学資をアヤコさんがだせなくなった。そこで僕が助け舟を出して4年になる。僅かな学費で月1800円ほどに過ぎない。

庭のバナナの前で
ちょっと気取ってみたジュベ君
ムソシの子供たちは今年50歳が最年長、若くても37歳になる。学校に行けなかったブルース君初め、彼らの世代は失業者でいっぱいだ。孫の世代には200以上と多い。「貧乏人の子沢山」とはよくいったものだ。産児制限をするのにだって、教育と金がいるのだ。

後がない。

19 mars 2020

enfants de Musoshi 1 intro


日本の皆さま、
コンゴ民主共和国(DRC)ご存じですか。
アフリカ第2の面積がある国です。面積がトップなのはサハラ沙漠のあるアルジェリアです。DRCは地下資源に恵まれた国で、銅、コバルトを初め、金、ダイヤモンド、レアメタル、ウラン等々を産出します。
中部アフリカに位置する
コンゴ民主共和国
首都キンシャサが左上に
ルブンバシが右下のザンビア国境
日本からは1970年代頭に日本鉱業(現JX金属)が、DRCの南端の州、旧カタンガ州のムソシというところで銅鉱山を開発しました。
1983年に日本鉱業はここを閉山し撤退しましたが、一時600余名に昇る日本人従業員(日鉱の下請けや臨時雇いを含む)がムソシ鉱山で働いていました。

ムソシを中心として、日本人を父親としコンゴ人母親との間に50名以上の子供たちが生まれました。コンゴの慣習に従って結婚した方々の子供たちです。
閉山の結果、父親たちは日本に帰国しました。中には、帰国後もコンゴ人妻と連絡を取り合い、生活資金を送ったり、衣類や子供たちへの玩具を送った父親もいらっしゃいました。
年月が経ち、コンゴの郵便制度が破壊され、音信が不通になってしまいました。

子供たちは学校でムズング・ンブジ(白いヤギ)と呼ばれ、仲間はずれにされました。家が貧しく学校に行けなかった子供たちも多くいます。
中で恵まれた子供たちは、幸いにして母親たちよりも高い教育を受けることができ、大人となってから、コンゴ人社会から受けた偏見を日本人の子であるという誇りにかえて団結、「ムソシの子供たちの会」をつくりました。

当初は「日本人を父親とし、コンゴ人女性の母親から生まれ、コンゴに置き去りにされた子供たちの会」という名前の会でした。2014年に僕が名誉会長をしている「日本カタンガ協会」に組み入れる際に「ムソシの子供たちの会」に名称変更をしてもらったのです。
「ムソシの子どもたちの会」
サイトウ会長
「ムソシのこどもたちの会」の現会長はサイトウ君です。サイトウ君からキンシャサ(DRCの首都)にある日本大使館、その代表たる日本大使(現大使は軽部洋大使閣下)宛てに先週手紙が出されました。「日本国籍を下さい」という内容です。日本の国籍法によれば、両親の一方が日本国籍を有している場合、子は日本国籍が取得できるとなっています。
日本国籍は、子供たちにとって一つのアイデンティティの確保ということです。

日本国籍取得に関しては、フィリピンの旧軍属の子供たちが、戦後70年を経て日本国籍が認められたという例があります。日本語を全く解しない、日本語の読み書き会話が出来ない方でした。

実は、ムソシの子供たちによる国籍取得のお願いは、今回が初めてではありません。2007年、当時の会の会長ケイコさんが、キンシャサの日本大使館を訪問して要求書を提出しています(今回はお金がないので、物理的にキンシャサには行けずDHLの手紙にしました。キンシャサの大使館に行くには交通費だけでも500ドル以上かかります)。

日本大使館は、ケイコさんの事情を聞いて、日本の外務省本省に問い合わせをしました。外務省は日本鉱業に連絡しています。日本鉱業は「子供たちのことは聞いていない。そんな子供たちなどいない」と子供たちの存在そのものを否定しました。外務省は、それに基づき「民事案件であり、日本国家は関与しない、できない」と大使館を通じてケイコさんに回答しました。

さて、サイトウ君も今年50歳、一番若い会のメンバー、チーちゃんことモリタ・ケン君にしても37歳になります。日本人の父親たちも高齢者で亡くなっている方々も多いと思われます。もう後がないというのが正直なところ。新たに国籍取得願いがだされた理由の背景がここにあります。

子供たちもさることながら、孫たちが200名以上います。孫たちからも僕のところにお祖父ちゃんに会いたいと希望が寄せられています。母子家庭で育った子供たち、大方の貧しい家庭の孫たちは学校にもろくに行けずにいます。僕や、カトリック教会、フランシスコ女子修道院で一昨年まで35年間もDRCにいらっしゃったアスンタ佐野シスターが学費を応援しているのは数名の孫たちだけです。残念ながら、それぐらいしか出来ません。

日本大使から、今日(2020319日)までご返事をいただけていません。本当に善処していただけないものでしょうか。大使にお願いするとともに、皆さまに訴えたいと存じます。
大使宛ての手紙を下記に添付します。


08 mars 2020

『グリーンブック』、2020年2月 『Green Book』, mois de février 2020


le samedi 1er février 2020

小林圭がミシュランの三ツ星を獲得して話題になっている。パリのレストランだ。レストランのサイトがフランス語、英語、日本語で書かれているが、日本語だけがちょっと違うのが気になった。特に食してみたいと思わない。僕にとって美食は、スイスはローザンヌ近くにあったジェラルディーヌでの経験が最高で、TroisgrosBocuseよりも優れているとおもうから、それで打ち止めなのである。それにガストロノミーに興味がなくなっている。お金もないしね。

薬は何に寄らず嫌いなのだが、妹さつきに指摘された肺気腫emphysèmeかも知れぬという脅かしに、Salbutamolの吸入薬をクリスチャンに買ってきてもらった。よく映画などでみる喘息症状のひとが使うスプレーである。Ventolineというグラクソ社のフランス会社製。ま、時々使ってみるか。

『人間椅子』(江戸川乱歩)。江戸川乱歩といえば、小学校の時に読んだ『怪人二十面相』しか知らなかった。大人向けの小説があるとは聞いていたが、読む機会がなかった。
『人間椅子』を面白く読んだ。椅子の中に人が入っているという発想が面白い。オチも悪くない。江戸川乱歩って、不思議なおじさんだなぁ。

Sisyphe』(シジフォス)の巻頭にギリシャの詩人Pindareピンダロスが引用されている。「O mon âme, n’aspire à la vie immortelle, mais épuise le champ du possible.我が魂よ、不死を目指すな、出来そうなことを尽くせ」、余り有名な引用句ではなく、カミュの引用で有名になったようだ。

le dimanche 2 février 2020
6時半、雨、2477.5

江戸川乱歩『黒蜥蜴』。タイトルがカッコいい。主人公の女盗賊黒蜥蜴がカッコいい。だけど、内容はバナル(平凡)。作品が出たのが1934年というから、自由に書けなかった時代なのだろう。「美術館」の場面も迫力がない。トカゲはハエや蚊を食べてくれそうだから、気味の悪い動物ではない。アフリカには極彩色トカゲがいっぱいいる。僕は可愛いと思うようになった。

Sisyphe』はPascal Piaにささげられている。Pascal Pia1938年アルジェで非共産党系新聞『アルジェ・レプブリカン』を創刊する。この新聞にカミュが就職した。最初はパトロンと従業員との関係だった。二人の間で交わされた書簡集(1939-1947)が刊行されている。10年先輩になるピアとカミュの友情が生まれた。一緒にパリ解放後、有名な『Combatコンバ』紙を立ち上げたが、1947年、二人の友情関係は決定的に終焉する。政治的、哲学的立場の相違が出て来たところからの別離になったようだ。

le lundi 3 février 2020
6時、曇り、2475%。

1850分、停電。また始まった。

ブラウザーに僕の好きなChromeをつかっているが、アビジャン出張以来、ポップアップで広告がでるようになった。これを出なくさせるためには、Chromeの設定を元にもどさなくてはいけないらしい。手順に従ってréinitialiserをした。果たして頼みもしない広告がでなくなるだろうか。

le mardi 4 février 2020
6時、小雨、2475

Chromeで余計な広告が出なくなった。

ふと思い出した。『L’Étranger』でムルソーが「太陽の所為」でアラブ人に4発も余計に弾丸をぶち込んだ海岸を、アルジェから東に行ったロッシュ・ノワール(黒岩海岸)だとばかり思っていた。今はブーメルデスと呼ばれる町である。実際の海岸はアルジェにずっと近いところにあるようだ。何故Roche Noireだと思ったのだろう。やや荒れたロシュ・ノワールの海岸には何回も行っている。そして、ムルソーの決定的場面はこの海岸に違いないと勝手に思い込でいたのだ。

le mercredi 5 février 2020
7時、小雨、2472.5%。

Canal+で『20 minutes」というトルコ制作になるシリーズものの第2回をみた。普通に暮らしている家庭で、母親が警察に殺人容疑で逮捕され、裁判で有罪20年の懲役刑を言い渡される。勿論冤罪事件のドラマ。
僕はトルコに偏見を持っている。シナリオが弱いのか、証拠ともいえない証拠で、裁判もおざなりに進んで有罪判決になっている。映画『アラビアのロレンス』を見て以来、トルコは恐ろしい国だと思っている。
現在のトルコの体制は民主主義というには程遠い。当然ながらトルコ人でも良民がいるにちがいないから、偏見に基づく判断はいけない。しかし、拭い切れない偏見なのである。
59話もあるシリーズものだから、今後の展開は全く分からない。しかし、母親の裁判があまりにいい加減、弁護士もやる気がない。ドラマを追う気が失せる。

le jeudi 6 février 2020
6時半、曇り、2470%。

電力会社Snelで先月分請求料金を支払った。50570フラン。

チコのトイレ用の砂がルブンバシのどのスーパーでも売り切れ。仕方がないので、庭師に川砂を買ってきてもらった。

le vendredi février 2020
6時、小雨、2470

チコちゃんに狂犬病の予防注射を獣医を呼んでしてもらった。これでチコをアビジャンに連れていける。$20

一昨日、寝室のライトが切れた。電球ではなく、どこかでショートしたらしい。電気やのペリカンさんを呼んで修理してもらった。天井裏に登ったりと2時間も修理に要した。10ドル。

昨夜の雨で、隣家との壁の一部が崩れた。雨季なので直ぐに修理出来ない。する気もない。ほっておけ。ヤギがやニワトリが入ってくるが、知ったことか。

le samedi 8 février 2020
6時、曇り、2472.5%。


Green BookPeter Farrelly監督。2018年。黒人ピアニストDon Shirleyと彼のイタリア人運転手の物語。1962年とあって、黒人差別が激しい頃。
Green Bookとは黒人用のガイドブックで、黒人が泊まれるホテル、レストランが案内されていた。グリーンは緑ではなく、このガイドブックを作った人の名前。1964年まで発行されていた。
南アのアパルトヘイトも酷かったが、アメリカの人種差別も徹底していた。
余中からこの日は映画をみたのだが、後日(23日)全編を通してみることができた。本当にシナリオがいい。感動できるように、終わりまで飽きさせないように出来ている。

le dimanche 9 février 2020
6時半、うす曇り、2472.5%。

Le Pianiste』(邦題『戦場のピアニスト』)。Canal+。ロマン・ポランスキー監督。2002年。実在したポーランドのピアニスト、シュピルマンの物語。シュピルマンは2000年に88歳で亡くなっている。ナチの犠牲者だったのに長寿を全うできた。運命。
長男のスピルマン氏は日本近代史専攻の歴史学者。へ~、面白い因縁だ。

le lundi 10 février 2020
6時、晴れ、2570%。

伊藤真波さん、バイオリニスト。偉いねぇ。水泳の選手でもある。不屈というか、精神力だろう。世の中には偉い人がいっぱいいる。下らないのも多いけど。笹川氏のメイルで知った。

チコちゃんのトイレの砂がスーパーPsaroに入荷した。1袋だけ買った。

1445分、雷雨。凄い勢いで雨が降っている。雷も近くで落ちた。電気が切れないで欲しい。

le mardi 11 février 2020
6時半、晴れ、2470%。

隣家に店を開いているエスドラス君の床屋に行って短髪にした。

le mercredi 12 février 2020
6時、曇り、2470%。

髪を軽く染めて、洗髪。

18時半、雷雨。

le jeudi 13 février 2020
6時半、雨、2470

le vendredi 14 février 2020
6時半、雨、2472.5

雨が降り止まない。寒いし外に出られない。昨日は10時半過ぎに晴れ間があったのに今日はダメ。クリスチャンのスーツケースを買う予定がずれる。

1350分、停電。しきりに雨が降っている。最低の気分。
1815分、電気回復。Felix Auger-Aliassime君の試合後半から見ることができた。Bedene選手をタイブレークjeu décisifで下して勝利。準決勝demi-finalに進む。

le samedi 15 février 2020
6時、曇り、2375%。

ジャンボ・マートでクリスチャン用のスーツケースを購入。布製。12万フラン(70ドル)。みてくれはいいが、プラスチックやメタルのスーツケースが110ドルもする。全て中国製。中国製だって、もっと丈夫そうなものがあるはずだがなぁ。コンゴでは、安物で品質の悪い中国製を「選んで」輸入している。

le dimanche 16 février 2020
6時半、曇り、2475%。

2週間で切れるサテライトTVのボーナスがまだ続いている。おかしいねぇ。と思ったら14時からボーナスがなくなった。

le lundi 17 février 2020
7時、曇り、2472.5%。

le mardi 18 février 2020
6時、晴れ、2475%。

TV5Mondeで珍しくJean Zieglerが出演していた。最初誰だか分からなかった。Zieglerの本『Une Suisse au dessus de tout soupçon』を読んだのは、今から40年近く前のことだ。スイス人がスイスを徹底的に批判する書である。スイスにとって、言論の自由の見本のような本で、スイスの銀行システム、スイスが寄って立つ「銀行秘密」を攻撃していた。
Zieglerも今年86歳になる。老人だが、論調は昔と全然変わっていなかった。国連のレポーターになって、人権委員会に所属しているらしい。口角泡をとばして、EUの移民政策をなじっていた。ギリシャのレスボス島に難民キャンプがあることを知った。非人道的なキャンプで、欧州が難民をここでストップさせ、欧州各地に拡散させないようにしているのだという。Zieglerの見て来たレスボス島、その通りだと思う。しかしレスボス島だけでない。難民キャンプはケニアにもあるし、RDCコンゴ、タンザニア、リビア、イタリア、フランス、トルコ等々にもある。合法、非合法で国境を越えてきた難民が収容されている。
Zieglerは、じゃ、どうしたらいいというのか。それがわからない。

実をいうと、国連、国境なき医師団など大小の国際NGOは難民問題を解決できないでいるが、それで「飯を食っている」のである。難民キャンプに収容されているのは、多くは市井の人である。なけなしの財布をはたいて逃げてきた人たちで、金持ちは、とっくに先進国に逃げて、望郷の念はあるにせよ、優雅な生活を送っているのだ。戦争が始まる前に資産を海外に移し、どこかの国籍を「買って」、経済活動も継続している。
Zieglerにも提案する解決策はない。

本当は解決策はある。しかし、実現不可能である。即ち地球上に戦争がなくなり、貧困がなくなることだ。或いは、人類最後の核戦争をして、ヒトが絶滅すればよいのだ。ヒトが絶滅しても、何時か新たな生命が地球に生まれるだろう。その生命が進化をとげたとき、化石になった我々の歴史を知って、戦争のない、貧困のない世界を実現すればよい。ただ、僕はきっと新たなる生命も、それを実現できないだろうと思う。やっぱり戦争するのだ。

le mercredi 19 février 2020
7時、曇り、2475%。

Mauvaises herbes』(Kheiron監督、フランス、2017年)。カトリーヌ・ドヌーヴが出演していた。題名は「雑草」だが、出演している少年たちのことを云っているのだ。ストーリーは思春期の元ストリートチルドレンの教育を引き受けたチンピラ詐欺師の話。大きな感動はない。それにしてもドヌーヴさん、としとりました。76歳かぁ。

le jeudi 20 février 2020
6時、快晴、2472.5%。

久しぶりの快晴。水圧がなく、洗濯は難しい。屋内では断水。

le vendredi 21 février 2020
6時、曇り、2470%。

6時起きたときには既にネット不通。8時半、回復。けれど、不安定。

L’honneur du dragon』(タイ、2005年)。単純な勧善懲悪の物語だが、ゾウが重要なアクターになっている。タイのゾウは完全に家畜化されていて絶滅の危機はないのだろうか。ネットをみるとやはり牙をもとめて密猟があるらしい。
僕はタイでゾウに乗ったことがある。傍から見るのと違って、ゾウさんには硬い毛が生えていて、ちくちくと痛いので直ぐに背中から下してもらった。ゾウさんとの接触はこのときだけだ。

le samedi 22 février 2020
6時半、快晴、2570%。カタンガ晴れ。

le dimanche 23 février 2020
6時半、うす曇り、2670%。

Sisyphe』(続き)。本書は自殺論から入る。
「自殺は不条理風の解決である。」とカミュはいう。人生は生きる価値がないから自殺するわけで、生きているのは習慣だとも。「不条理風」という訳語は「不条理的」でもいい。「不条理」とは「理にかなわない」だけでなく、僕が繰り返すように「馬鹿らしい、阿保らしい」の意味である。

生きる理由は同時に死ぬ理由にもなる。ここで、生きるが死ぬかの思考には、La Palisseとドン・キホーテ的思考しかないだろうとカミュは推量する。自明の理と情熱、明白と感情、明確と叙情と言いかえられる。La Palisseは「パリスの真実」から来ている言葉らしい。その故実を初めて知ったがCamusには常識だったのだろう。あるいはインテリのフランス人にはそうなのだろう。

「生きることは、当然ながら易いことではない」。ま、易いこともあるんじゃないかと僕は思うがなぁ。

カミュは名誉ある自殺の例に中国革命の際の政治的自殺を例としてあげる。1905年に日本の東京で自殺した中国人革命家陳天華のことなのだろうか。これは勿論共産革命ではなく、辛亥革命、清王朝に対する革命だ。カミュがシジフォスを著わしたとき、まだ毛沢東の共産革命は成就していない。

Felix Auger-AlliassimeFAA)君、マルセイユ大会も決勝まで進んだが、今回はチチパス君にあっさり負けた。ATP決勝に残ったのが5回目だった。まだ大会優勝がない。ま、19歳だ。まだまだチャンスはあろうが、大選手はその年までに優勝経験を持っている。FAA君にカリスマ的大選手になるほどのタレントはないかもしれない。でも父親がトーゴ人、トーゴというのは大統領が世襲になった独裁国だ。そこに清涼な風をもたらす英雄FAAが出てきてほしい。

le lundi 24 février 2020
6時半、うす曇り、2670%。

le mardi 25 février 2020
6時半、うす曇り、2470%。

今日もいらいらさせられた。
アビジャン行きの航空券予約をネットでしたが、先ず、どうも怪しい代理店Tripmonsterなるところで予約をいれたら、カードで支払いのところでネットがダウン。恐ろしいタイミングであった。ネットで代理店の評判を調べたら、最悪。詐欺師だ、ドロボウだとある。上手くいっている例もあるが、騙された人のコメントもあった。ネットが回復してから数度支払いをトライしているので複数回支払ってしまった可能性があった。
口座のあるコンゴの銀行Rawbankに連絡、支払いがされないように連絡した。キプシRawbankの支店長、ルブンバシRawbankの知り合い、キンシャサRawbankCall Centerに連絡。ところが連絡途中でこんどは僕のスマホのプリペイドが切れてしまい、電話会社Airtelに急遽でかけて、通話ユニットを10ドル分購入。Rawbankの説明では、口座から引き落とされた形跡はないと。これでちょっと安心。Tripmonsterが支払い請求をしてくることもあるらしいので、絶対支払いに応じない二と念を押した。何しろ「モンスター」という名前がいけない。
再び航空券予約を開始。ドル表示にしたときと、ユーロ表示したときとでは、代理店がことなって表示された。ドルでは相変わらずTripmonsterが最安値だ。ユーロだとGotogateという代理店が表示される。しかもユーロの方が安い。Gotogateは去年使ったことのある代理店である。そこでGotogateで発券申し込みをすることにした。これは無事に成功。航空券の予約ができた。
Tripmonsterの支払いトライでは、東京にある口座をつかったカード決済も一度だけトライしている。東京のVisaカードはオリコ。そこでオリコの支払いもチェックしたが、今のところ異常はなさそうだ。

航空券の手続きが終わったので、今度は宿舎を決めねばならない。これもネット。Airbnbを利用する。適当なアパートを見つけて、予約を入れようとしたら、Airbnbが僕に身分証明書の写真を送れという。今までこんな請求がなかった。旅券に使った写真を送ったらダメだという。何がダメなのか分からない。写真は個人情報だ。Airbnbからは何故写真が必要になったかのか、長々ともっともらしい説明がきた。そんなもの信用できるか。クレームのメイルを何度か送って今日はおしまい。宿舎の予約が結局できなかった。

le mercredi 26 février 2020
6時半、晴れ、2472.5%。

朝一番宿舎の予約をすべく、今度は旅券をスキャンした。スキャンの結果をPDFにしたのではAirbnbは受け取れない。JpegにしてAirbnbに送りつけた。それはいいが、本人の写真かどうか、PCオンラインで別に撮った写真と比較するのだという。ところが、その写真が旅券の写真と似ていない、ないしぼやけているとのことで、やり直しを迫られた。何度も取り直したが上手くいかない。参った。Airbinbの相談窓口でやりとり、スマホで取り直し。しかし、それも良い出来ではなかったらしい。Samusungスマホの写真の解像度が悪いのか、Huaweiスマホにかえて、かつフランスからAirbinb担当が夜21時に電話してきてなんとか身分証明の写真問題をクリア、やっと宿泊先予約が有効となった。やれやれ。

こうしたPC作業、PCに余程慣れていないと出来ないだろう。

le jeudi 27 février 2020
6時半、小雨、2472.5

ここカタンガの雨季は、女心か男心、日本の秋の空である。
ころころと変わる。「あっ、晴天だ、洗濯しよう」と洗濯して衣類を庭に干すと、一転俄かに黒雲、雷まで鳴って豪雨。慌てて、洗濯物を家の中にとりこむ。暫くすると、かんかんと日が照りだす。また洗濯物を陽に干す。ここで昼寝なんどしたら、大雨が来る。

更にAirbinbの予約に問題があった。同行する息子クリスチャンの名前がAirbinbのドキュメントに明示されていなかった。明示させるためには、クリスチャンのメイルアドレスが必要になった。彼はメイルアドレスを持っていない。そこで、作成することにしたが、それがまた大変だった。ともかく、作成して彼の名前が明示されるようになった。
これでコートジボワールの入国ビザ申請ができる態勢が整った。

le vendredi 28 février 2020
6時、曇り、2472.5%。

ジョコビッチとモンフィスの試合をTV観戦。ジョコビッチはバルカン戦争のときまだ子どもだった。精神力も体力も第2セットが山だった。ジョコは何回もマッチポイントをとられながら、粘り強いというか、動揺を見せず、モンフィスの疲労を待った。

le samedi 29 février 2020
6時、曇り、2472.5%。

庭師クリスチャンに今月分を払い、来月は28日に引越しを告げた。次の店子は決まっていないので、失業になるわけだ。スーベニアをくれとのたまわった。

コートジボワール入国ビザが僕の分、クリスチャンの分ともOKになった。2月中に、航空券、宿舎手配、ビザともに完了できてよかった。

PCはマウスを使うとやっぱり便利だ。洋服タンスのなかにしまわれていたマウスを発見、つないでみると動いた。どうしてマウスを使わないようにしていたのかは忘れた。

来月28日(土)、ザンビアに出て、翌日Ndolaからコートジボワールのアビジャンに向かう。アビジャンでの新しい生活が始まる。

引越しといっても欧州とは違って国際道路のないコンゴとコートジボワールでは家財道具を送るわけにもいかない。ベッド、冷蔵庫、タンス等々をフランスシスコ女子修道会が買ってくれることになった。500ドル。

整理をしていてタンスの引き出しから、T君の手紙が出て来た。9枚にもなる手紙だ。手紙はフランスにいた僕に宛てたものだが、宛先不明でT君の手元に返ってきた。T君はその手紙をずっと持っていた。1972年の手紙。

T君は67歳の誕生日を迎えずにして他界した。手紙は彼の最愛の奥さんであるNさんから、T君の墓参りをした日に手渡された。T27歳の時の手紙だ。40年を経て僕は青年Tに会ったわけである。Tは僕たちの青春時代を語っている。熱い友情を切々と懐かしんでいる。

青春時代、僕たちの出会いは高校2年生の時だった。メイルの時代ではなく、手紙の時代だった。僕は毎日のように手紙をTに宛てて書いた。手紙は僕の青春の証(あかし)であった。初めて書いた手紙に僕はマルタン・デュガールの『チボー家の人々』の友情溢れる章を引いた。僕の友情のモデルだったのだ。

27歳のT君の手紙に、僕たちが初めて一緒に二人だけで行った宮城県の唐桑と岩手県の三陸海岸の漁村に行った旅のことが書いてあった。僕が20歳、T19歳の時の旅だ。伊藤整の詩を数篇引用しながら、伊豆とは違う冷たく寂しい東北の海。詩は北海道の海を詠ったものだが、Tの中では僕たちの見た、身体を沈めた海の感覚だった。

僕はTに「大人とは堕落」だと云ったいう。堕落とは情感の喪失である。青春の情感は「純粋」に象徴される。「純粋」が無くなれば、即ち堕落なのだ。僕が会社を辞めてしまってフランスに出たことを、Tは一六、七際の僕に立ち返ったと受け取った。堕落の拒否と受け取った。Tも東京を離れて福島で新しい生活を始めようとしていた。大都会の会社勤務ではなく、地方の現場勤務を希望した。福島の原発工事だった。

「純粋」に大きな価値を認めるのは、ごく日本的な価値観と今思う。僕が見出した「純粋」とは、ドスケベなT君のことだった。嘘偽りなくドスケベさを晒したTを「純粋」と表現したのだ。La puretéの本来的意味とは違ったろう。だが、当時の僕はそんなあからさまなTを「純粋」と云ったのである。

T君はその後も精一杯に生きた。40歳の時、司法書士の勉強をして国家試験に合格し、転職した。会社を経営し、成功して自社ビルを建てた。どうもしたたかな経営者だったようだ。会社を経営していた時のTを僕は知らない。「君には出来ないだろうな」と晩年になって僕に語ったことだけを覚えている。僕は確かに金儲けができない。デラシネdéracinéでバガボンvagabondである。