13 février 2015

1月20日~1月31日 du 20 au 31 janvier 2015

Le mardi 20 janvier 2015
5時半、薄曇、24℃、70%。

5時半ネット不通。7時、同左。
13時、同上。今日のネット不通は全国的だそうだ。というのは、昨日のキンシャサのデモ鎮圧の模様をネットで発信させない、受取れないようにする為だという。真意はいつものようにわからない。でも、ありうる話である。
キンシャサのデモ
暴動ともいえよう
フランスの週刊誌『リベラシオン』から
Tadalafil 20mgをルブンバシの薬屋で求めた。商品名はX-1.韓国製。5mgが前立腺肥大用なのだが、この国では10mg20mgしかない。20mgはカプセルなので、1/4に割けて使用すればよさそうである。シスター・アスンタ佐野さんもそうすればいいとのこと。正確に1/4にする方法はないけrども、何とか2分して、それをさらに1/2することにする。
ユリーフ4mgと併用してもよさそう。何れにせよ、ユリーフはあと5日分しかない。

Le mercredi 21 janvier 2015
5時、曇り、24℃、72.5%。

インターネットは今朝も切られている。言論統制。携帯電話のSMSも受発信できない。
しかし、カタンガ州ではサテライトTVは止められていない。キンシャサではサテライトTV受信もできなくなったようだが、ここでは受信可能だ。TV5WorldAfrique24では月曜日のキンシャサの様子を伝えている。
この国ではいざというときインターネットもSMSも使えないのだ。これは困る。キプシの家からザンビア国境までは車で3分。でもそんな事態が起こるのは怖い。ま、キプシはこれまで略奪もなかったそうだし、いまのところ平穏であるが。

インターネットを規制すれば余計に噂が噂を呼ぶ。いつまで続ける積りなのか。

ドンボスコ病院で採血。31400フラン。検査項目5つのうちPSG検査が高くて18000フラン。

ドン・ボスコの帰り、バスの中で発車をまっていると、人がわっと逃げてきた。乗客が浮き足立ち「ウェンディ、ウェンディ(スワヒリ語で行け、行け)」と運転手に叫び始めた。不穏な空気。他の乗客待ちしていた車も一斉に逃げ出した。

Le jeudi  22 janvier 2015
5時、曇り、24℃、70%。夜中、しとど雨が降っていた。

ネット不通。3日目。今日までの統制のはずだが。3日といえば、月の10%である。この分を返金してくれるわけはない。少なくとも3日契約期間を延ばして欲しいが、この国のプロバイダーではそれもしないだろうなぁ。20ドルで1.5Gだ。欧州では20ユーロで15Gが普通だ。ここはDLスピードが遅いから1.5でも一月で使い切れないことがあるがともかく料金が高い。

薬はAvolveAvodartFinestride)もコンゴにあることもわかった。ルブンバシ柔道協会会長で医者でもあるフランクランさんが薬屋を回って調べてくれた。

血液検査の結果を聞きにドン・ボスコへ。雨は有難いことに止んでいる。
8時半に病院について支払いを済ませ待つこと40分。検査結果を聞くと、5項目のうち4項目正常。PSAは異常値を示していないがvalue>4で4より大きいが数値が漠然であるので、他のラボで検査してもらい数値を比較したいといわれた。ラボのあるCMCなる病院宛に検査依頼をドクター・アルンが発行した。
それを持って早速CMCに行った。高い。検査代金が66ドル。手持ち現金ぎりぎり。採血され結果は明日以降。来週初めに結果を貰いに行くが、ドン・ボスコで検査できないなら初めからCMCに行ってくれと云ってくれればいいのだ。
日本製ユリーフ4mgがなくなるが、代替品はこの国にない。そこで処方箋をドクターに頼んだが、彼はアイデアがない。僕がそれではTadalafil 5mgAvodart 0.5mg と書いてくれと所望。その通りになった。前立腺肥大に対応する薬は多くない。ここの薬局にあるのはさらに制限されることがわかっている。このドクター、何を考えているのか。
PSA数値が11以上であれば癌も疑うそうだが、癌だろうと良性だろうと僕はかまわない。カテーテルを先ず外したいのだが、いつ外せるともドクターは云わない。
20日近く飲んでいるユリーフの効果を見るために一旦カテーテルを外して、もし自分で排尿が出来なかったら、またカテーテルをいれればいいかと問うと「そうかもね」。カテーテルは薬屋で買うか病院が支給する。病院にないといけないから薬屋で買えるように処方箋にカテーテルと尿を溜める袋pocheを追加してもらった。

Le vendredi 23 janvier 2015
6時、小雨、24℃、75%。

ネット、なお不通。4日目。
7時半、電話も通じない。8時、電話は通じるようになった。
ネットは全国的に通じないようだ。政府の規制。
メイル連絡がとれないと不安になる。完全に世界から隔絶された。
サテライトTVFrance24を見て、キンシャサでは当局の取締りで40名の犠牲者が出たというが、ネットが通じないから国連放送記事も見られない。

カテーテルは取り替えないが、尿を溜める袋を取り替えた。ダーバンからずっと使ってきて袋のどこかに穴があいたようで漏れるようになってきた。
ルブンバシのマーケットの中の薬屋で買った。この薬屋にAvodartがあったのである。ちょっと隠れた薬屋で「こんなところに」と思うよな薬屋だった。AvodartはイタリアのVerona製。Veronaとは懐かしい。野外オペラと『ロメオとジュリエット』のベランダで有名なところだ。車でベネチアに行くときによく立寄った町だ。解説書もイタリア語。期限が今年4月。ま、大丈夫だろう。
尿袋はダーバンのキング・ジョージ病院でもらったものと同じだった。中国製。その包装袋に「使い捨て」と書いてある。「使い捨て」の袋をこれまで3週間以上も使っていたとは。カテーテルを通して尿が逆流しないように簡単なバルブがついていることも発見した。それにしてもカテーテルを外したいなぁ。

RDCコンゴ上院は選挙法改正案に大幅修正を加えて通過させた。修正前は国勢調査(人口調査)が終わるまで大統領選挙をしないというものだった。実質現政権の延命策である。国勢調査と大統領選挙のリンクを取りやめて骨抜きにしたわけだ。しかし、まだ国会委員会審議と、下院の審議がある。それが明日、明後日に予定されている。下院ではもとの法案を通過させるかもしれない。そこで言論統制だ。インターネットもSMSも通じない。


Le samedi 24 janvier 2015
6時、小雨、24℃、70%。9時、晴れ。晴れると気分がいい。

ネット不通、5日目。オランジュ社はサービスをルブンバシでは再開したそうだが。

Le dimanche 25 janvier 2015
7時、曇り、24℃、70%。

ネット不通6日目。今朝期待したが駄目。最低。

Le lundi 26 janvier 2015
5時、曇り、24℃、70%。

ネット不通、7日目。ネット規制は終わったようなのだが、僕の契約が認識されていない節がある。いい加減にして欲しいが、これがコンゴだ。思い通りにはいかない。メイルがどれほど溜まっているだろう。

ミニバスの運転手アランが先週火曜日ルブンバシ警察につかまった。理由は特にない。例の「たかり」である。その処理をアランが手間取った。祝日をふくめて3日働いていない。前日にはキプシの警察で難癖をつけられている。
そこで一計を案じた。運転手を警察、軍関係から採用するという手だ。早速今朝元上カタンガ県(キプシに県庁がある)の警察のトップの息子が候補として家に来た。28歳、2児の父親。クリスチャンの通っているマベンド校出身。卒業しないで5年生で学校を終えている。
もう一人の候補も前後してきた。彼は軍事裁判所長の隣人だが家族同様という。警察関係に同じ「部族」出身者がいて問題があると彼らが解決してくれるのだそうだ。
こういう人選を実はしたくなかった。だれでもモチベイションがあって能力があれば採用したかったのである。いわば公募である。しかし、この国の現実は運転手に限らず、出身「部族」、親類縁者のコネが官僚でも民間でも教会でさえ幅をきかせている。残念なことだ。

午後サイバーカフェでメイルをチェックした。サイバーカフェでは一応インターネットにアクセスできた。しかし、facebookは「禁止」だそうで、アクセス不可能。こういう選択的制限もできるのか。自分でできるわけがないから、この国はそんなソフトを海外から買ったわけだ。Vodacomのモデムでは相変わらずネットアクセスができない。いつまで当局はやるつもりなのだろう。

Le mardi 27 janvier 2015
6時、晴れ、24℃、70%・

ネット不通、8日目。

今日は国民祝日ではなさそうだが、学校や企業、役所などが更新をする日である。名目は「連帯の日」。キプシでもメイン・ストリートを幕を持って更新する。ルブンバシのドン・ボスコ病院でも職員たちが通りに出る。そこで今日の病院行きは中止して木曜日に出かけることにした。

僕はサテライトTVCanalsatしか契約していない。これではCanal+が見られない。Canal+には映画やサッカーの専門局がある。ときどき宣伝勧誘なのだろうCanal+の局を解放することがある。昨日まで3日間Canal+が見られた。最近の映画を放映している。

チリの映画『Gloria』が上映された。独立した中年58歳の女性の孤独を描いた映画だった。チリは南米の先進国だ。インディオや黒人はいないのだろうか。全く西欧社会である。チリ映画はおそらく始めてみたのだが、フランス映画をみているのと変わりない。同じ南米でもブラジルやベネスエラとかなり異なる。
アフリカ大陸でこうした社会があるのは南アなのだろうが、南アでは黒人社会を外せない。


同じチャンネルで米独合作映画『La voleuse de livres本泥棒』というのも見た。ナチ時代。ドイツの地方小都市の少女の物語だ。時代に翻弄されながら本を通じて世界に目を開いていく。


Le mercredi 28 janvier 2015
6時、晴れ、24℃、70%。

ネット不通、9日目。

昨夜今朝と微熱(37°)。風邪をひいたらしい。クリスチャンから伝染か。初め咳がでて、次に熱が出始めた。パラセタモルを飲んで安静にしよう。

両コンゴ(ブラザビルとキンシャサ)がCAN2015で上位8チームに入った。下馬評に入っていなかったのに。両コンゴ、アルジェリア、チュニジア、赤道ギニア、コート・ジボワール、ガーナ、ギニアだ。このうちガーナが英語圏、その他はフランス語圏の国々である。赤道ギニアはスペイン語圏だがフランコフォニーのメンバーでもある。

Le jeudi 29 janvier 2015
5時、曇り、23℃、72.5%。

ネット不通、10日目。
ルブンバシのシスター・アスンタ佐野さんの修道院ではネットが昨日から通じている。そこで、修道院でfacebookをトライしたが矢張り駄目だった。


Le vendredi 30 janvier 2015
5時、雨、22℃、72.5%。9時、ちょっと陽が覗いてきた。

ネット不通、11日目。

風邪の症状が続く。熱、咳。

時間にルーズなのはコンゴ人の特色である。約束の時間を守るという観念がない。フランス人は約束に遅れると「フランス時間」なので申し訳ないという。しかし、その遅れは精々10分である。コンゴ人は30分や1時間遅れても平気である。こちらは待っているのが馬鹿らしいから、次の予定を組んでしまう。

水曜日にミニバスの運転手をとりかえた。テディー。これがまた酷かった。亡くなった父親が上カタンガ県警本部長の息子という触れ込みで、キプシ郵便局長(局員はいない)アルベールさんの紹介だった。クリスチャンが通っているカトリック系マペンド校を5年まで終えたということだった。初日はまぁまぁ。ところが2日目20時半に車を返しに来たときの走行距離が101kmと以上に少ない。詰問すると、説明するから待ってくれと云ったまま、外に出て帰って来ない。車の鍵を持っていってしまった。
しかも今日になっても仕事に来ない。電話も通じなくなった。一日行方不明。紹介者アルベールさんを呼び出して19時半にテディーの家におしかけた。本人は不在。母親と称するひとと子供たちが家(小屋)にいた。貧しい。これからがまたコンゴらしい混沌。母親は警察本部長の何人目かの妻らしい。テディーは本当に結婚しているのかどうか。彼はアル中らしい。とんでもない奴にひっかったものだ。
これまでの運転手、ジャン、ジャンノ、アランは最初の10日間だけまともだった。それからあとは滅茶苦茶。

Le samedi 31 janvier 2015
6時、曇り、22℃、75%。9時から晴れ。

ネット不通、12日目。Vodacomにクレームすれば、「あたしの所為じゃない」というだけだろう。それ以上の返事はないだろう。予定も未定。

やっとミニバス車のキーを受取った。既に10時、Time is moneyなどというのはこの国で存在しない。新しい運転手アレックス(Alexandre)は36歳。少しは責任感があるかなぁ。5人の子持ちだぜ。しっかり仕事してくれ。アレクサンダーという名前負けするなよ。
アレックスは上カタンガ州軍事裁判所長官の推薦。したがって、長官はキプシ、ルブンバシの警察には顔が利く。彼を紹介してくれたのはフランクランさん。柔道家つながりである。警察問題がなく、車の故障がなければ、ミニバス運営は楽になる。
Alexがスタートしようとしたが、ガス欠。テディー運転手が僕がいれたガソリンを使い切りやがった。さっそく金を渡して燃料を買いにアレックスをだした。

僕の健康の方はというと、相変わらずカテーテルをいれているけれど、これは月曜日に外す。ここのパシフィック・センターという病院で看護士に外してもらう。そのくらいは出来るだろう。月曜日にするのは、もし自分で排尿ができなければ、もう一度カテーテルをいれなければならない。週末にさしかかっては病院が対処できない可能性もあるからだ。
薬の方は、ユリーフが今朝でなくなった。13日夜から朝夕飲み続けた薬だ。前立腺に直接作用しないが排尿を楽にしてくれるはずだ。ユリーフは切れたが、代わりにタダラフィルTadalafil5mg10日前から平行して飲んでいる。タダラフィルも前立腺に直接作用しない。
風邪はまだ治らない。昨夜は熱が38度まで達したので氷枕をした。

インゲン豆haricotを煮込む。中に重曹をいれたら、1時間でとても柔らかくなった。鞘インゲンが色落ちしないように重曹をしれていた。生インゲンを2時間煮詰めても硬かったというのに。これからは豆類を煮るときも重曹をいれよう。



11 février 2015

1月1日~1月3日 du 1er janvier 2015 au 3 janvier 2015

元旦から3日までのブログを載せる。
これで既述4日から19日までの記事と繋がる。

Le jeudi 1er janvier 2015
16時半、ハラレに4時間遅れで到着。雨。

元旦だし、きっと昨夜はお祭り騒ぎで疲れているだろうと思い、ハウスさんには連絡しなかった。

ハラレのバスターミナルでルサカ行きを探す。Zupco社しか見つからなかった。このバスはルサカで見たときにオンボロだったので止めて隣に30分遅く出発するキング・ライオン社の新しそうなバスにしたのだ。しかし、チョイスがない。Zupco社の18時半発というバスを予約した。
このバスは最低だった。長距離バスにはむかないどころか古くて、最後部の座席だったが苦痛そのものだった。薄くて硬いシートはリクライニングではなく固定、トイレは勿論なし。荷物を載せる網棚もない。隙間風。吹き込む雨。
夜中に国境に着いて、ただただ車内で待たされた。国境が6時に開くのを待っていたのだ。
画像でみると普通のバス(Zupco社)だが実際はオンボロ
右手はヨハネスバーグに行く他社のバス
(ハラレのバスターミナル)
Le vendredi 2 janvier 2015
9時半、ルサカに到着。キトウェにPower Tool社バスで10時半に出発。キトウェ着は1650分。パオラ邸に5時に入った。生きた心地。

パオラ邸にはマドンナの子、エリーちゃんがいる。エリーは成長し益々逞しくなっていた。去年8月マラウィーから帰国したとき以来の再会である。

パオラさんの話では、キトウェにロシア人の優秀な外科医がいるそうだ。私立病院を経営している。彼女の母親が以前手術を受けているという。ドクター・ラッセル。プログレス・メディカル・センター。
前立腺の手術をするならドクター・ラッセルにしてもらおうか。キトウェなら僕の家から近い。

夜はパオラさんの手料理でイタリアの味を楽しんだ。

Le samedi 3 janvier 2015

11時半、カスンバレサ国境到着。16時、帰宅。ダーバンからジョバーグに一泊しただけで一気に帰ったことになる。大部疲れた。
国境でトラブルなしにコンゴに帰国できるかと思ったら、やはりコンゴである。今回はクリスチャンのパスポートに難癖がつけられた。旅券の最後のページに僕が手書きで現住所を書いていた。これが違法だというのだ。出入国管理官が罰金を払えという。ルブンバシまでのタクシー代しか金はないと返答すると、「いくらある、タクシー代は二人で14000フランだから持ち金の残りを置いていけ」。僕は国境でザンビアのクワチャから18000フランを買っていた。残り4000フラン(400円)そ差し出すとそれでOK。彼らはポケットの中までは探らない。実際には二人で10000フランのタクシーをみつけたので、キプシの家まで無事に帰れた。国境で一銭も払わずに入国するのは難しい。


家においてあった薬、ユリーフ4mgを飲み始めた。朝夕に1錠づつだそうだ。ネットの記事では1年以上飲み続けている例がある。前立腺肥大による排尿困難を助けるため尿道を広げる効果があるという。

10 février 2015

2014年12月20日~31日 du 20 décembre au 31 décembre 2014

以下で2014年を完結する。

Le samedi 20 décembre 2014
5時、晴れ。

6時、キプシ出発。
9時、カスンバレサ国境。
11時、ザンビア入国。
14時、キトウェ。
14時半、Euroafrica bus出発。
21時、ルサカ到着。

Le dimanche 21 décembre 2014
6時、起床。
9時半、Bus Lion King 30分遅れ、10時、燃料補給。
13時、ザンビア=ジンバブウェ国境。
15時、通関終了。
20時半、ハラレ到着。
21時半、ハウス邸到着。
23時、就寝。

Le lundi 22 décembre 2014
7時、曇り。
7時、起床
8時、ハウス氏とショッピング・モール。中古携帯3台購入。

午後、街中にタクシーで。10ドル。
ハラレ市中にて
Le mardi 23 décembre 2014
7時、晴れたり曇ったり。時々雨。

昨日クリス用に買ったiPhoneの充電が不具合。交換か返金か。

市中の美術館と博物館を見学。

20時のGreyhoundに乗るために17時にハウス邸を出た。
サンドイッチとリンゴをもたせてくれた。恐縮。

Le mercredi 24 décembre 2014
5時、ジンバブウェと南アの国境に到着。

バスが南アに入ってから故障。代わりのバスが来るまで4時間待ち。幸い英国風の瀟洒なホテルの前で故障したので、ホテルで広大な庭園を眺めながらコーヒーをゆっくりとのんだ。周りは渓谷。都合のいいところで故障したものだ。
来たバスはグレイハウンドではなくリンポポ・コーチという地方の会社のもの。ポロクワネPolokwaneでグレイハウンドのバスに乗り換えてジョバーグに出発。
Avoca Vale Country House
この前でバスが都合よく故障した
2145分。宿に到着。プレトリアに着いた頃宿に電話して予約を確認した。Joburgの住宅街にある宿で去年12月にも泊まったところ。Brown Sugar「バックパッカー」ホステルとなっているが、シャワー付ツインベッドの部屋もある。ホテルというよりも住宅である。オーナーさんの自宅だったのだと思う。

Le jeudi 25 décembre 2014
7時、快晴。18時半、雷雨。

クリスマスでどこの店も開いていない。中華街ならと思ってでかけた。やはり中国人はクリスマスとは関係がないようだ。多くの店が開店していた。

22時半、ダーバン行きの夜行バスに乗る。

Le vendredi 26 décembre 2014
6時、快晴。

早朝6時ダーバンのバスターミナルに到着。タクシーで宿へ。宿はハラレのハウス邸がある地区ほど高級ではないが、静かな住宅地区グレンモア。神戸の御影のように坂が多い。宿は音楽家がオーナーで芸術家が長期滞在しているようなところ。

正午ちかくから曇り。夜は小雨。

昼は「ダルマ」。どんぶりものと手巻き寿司。ダーバンにはここしか日本料理屋がないようだ。閑散。夜、日本企業などが利用するのだろう。
日本料理屋「ダルマ」の入っているホテル
「ダルマ」は画像左端の1階
ダーバン市内のビーチ
インド人が目立つ
夜はタイ料理。天ぷら、牛フィレてりやき。でも最適の出来。


Le samedi 27 décembre 2014
7時、小雨。

この天気ではビーチに行ってもしよがない。市内観光にする。
観光バスに乗った。この二階建てバスが乗客の重みで傾く。一旦全員降ろされて、乗客数を調整してから再出発。英語のアナウンスしかなく、しかも貧弱な内容。ケープタウンとは雲泥の差だ。ダーバンは南ア第一の港湾都市だが、観光には力をいれていないと思われた。
ダーバン市内観光バス
最低だ
Le dimanche 28 décembre 2014
7時、晴れ。
ダーバン。

天気予報では曇りのち雨となってたので、ビーチは諦めていた。ところが晴れたのだ。早速タクシーを呼んでDaurbanの北の郊外の海岸Umhlangaに行った。リゾート地。ヨーロッパの雰囲気。波は荒かった。
Umhlanga海岸、インド洋
ダーバン郊外、白亜のホテル群
波が荒く僕はちょっと水に使った程度
夜、クリスのためにダンシング・クラブ。フロリダ通りにクラブが集中している。クリスチャンは多少恥ずかしそうにそれでも夜中1時までピストで踊っていた。白人の多いクラブだった。


Le lundi 29 décembre 2014
7時、曇り。
ダーバン。

朝4時から排尿困難。それは何時ものことだったが、今日は全く尿が出ていない。下腹が膨れてきた。16時半、覚悟して病院へタクシーでむかった。

旧キング・ジョージ病院。今は名前が変わっている。
カテーテルで排尿。す~とした。驚異。
21時半、宿に帰る。入院せずに済んでよかった。
キング・ジョージ病院
救急棟エントランス
画像はネットから
自分で撮影する余裕などなかった
Le mardi 30 décembre 2014
6時半、晴れたり曇ったり。

午前11時のバスでヨハネスバーグにシフト。グレイハウンド。20時到着は30分遅れ。

カルーテルの袋に尿が600ccほど溜まっていた。夜中にトイレに行くこともなく便利だ。しかし、これを生涯つけるのは面倒だろうなぁ。数日間と医者がいっていたので、キトウェでクリニックに行ってとってもらうか、診てもらおうか。

Le mercredi 31 décembre 2014
7時、曇り。

午前、イーストゲート・ショッピングモールで買い物。ルブンバシにはないものを調達。
携帯時代に南アもなっていて公衆電話が少ない。探してコインで宿に電話。宿の車が出払っていた。駐車場でタクシーをひろって乗った。


20時、ハラレに夜行バスで向かう。予約したグレイハウンド。