これで既述4日から19日までの記事と繋がる。
Le jeudi 1er
janvier 2015
16時半、ハラレに4時間遅れで到着。雨。
元旦だし、きっと昨夜はお祭り騒ぎで疲れているだろうと思い、ハウスさんには連絡しなかった。
ハラレのバスターミナルでルサカ行きを探す。Zupco社しか見つからなかった。このバスはルサカで見たときにオンボロだったので止めて隣に30分遅く出発するキング・ライオン社の新しそうなバスにしたのだ。しかし、チョイスがない。Zupco社の18時半発というバスを予約した。
このバスは最低だった。長距離バスにはむかないどころか古くて、最後部の座席だったが苦痛そのものだった。薄くて硬いシートはリクライニングではなく固定、トイレは勿論なし。荷物を載せる網棚もない。隙間風。吹き込む雨。
夜中に国境に着いて、ただただ車内で待たされた。国境が6時に開くのを待っていたのだ。
Le vendredi 2 janvier 2015
9時半、ルサカに到着。キトウェにPower Tool社バスで10時半に出発。キトウェ着は16時50分。パオラ邸に5時に入った。生きた心地。
パオラ邸にはマドンナの子、エリーちゃんがいる。エリーは成長し益々逞しくなっていた。去年8月マラウィーから帰国したとき以来の再会である。
パオラさんの話では、キトウェにロシア人の優秀な外科医がいるそうだ。私立病院を経営している。彼女の母親が以前手術を受けているという。ドクター・ラッセル。プログレス・メディカル・センター。
前立腺の手術をするならドクター・ラッセルにしてもらおうか。キトウェなら僕の家から近い。
夜はパオラさんの手料理でイタリアの味を楽しんだ。
Le samedi 3 janvier
2015
11時半、カスンバレサ国境到着。16時、帰宅。ダーバンからジョバーグに一泊しただけで一気に帰ったことになる。大部疲れた。
国境でトラブルなしにコンゴに帰国できるかと思ったら、やはりコンゴである。今回はクリスチャンのパスポートに難癖がつけられた。旅券の最後のページに僕が手書きで現住所を書いていた。これが違法だというのだ。出入国管理官が罰金を払えという。ルブンバシまでのタクシー代しか金はないと返答すると、「いくらある、タクシー代は二人で14000フランだから持ち金の残りを置いていけ」。僕は国境でザンビアのクワチャから18000フランを買っていた。残り4000フラン(400円)そ差し出すとそれでOK。彼らはポケットの中までは探らない。実際には二人で10000フランのタクシーをみつけたので、キプシの家まで無事に帰れた。国境で一銭も払わずに入国するのは難しい。
家においてあった薬、ユリーフ4mgを飲み始めた。朝夕に1錠づつだそうだ。ネットの記事では1年以上飲み続けている例がある。前立腺肥大による排尿困難を助けるため尿道を広げる効果があるという。
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