07 août 2006

大統領選挙 Election pésidentielle

NHKでも報道していたので、ご存知の方も多いと思うが、RDC(コンゴ民主
共和国)大統領選挙が 7月30日(日)実施された。
当初大統領候補は70名を超えたが、最終的には40名。それにしても候補
者数が多い。 全国的ネットワークをもつ政党が少ない所為だが、我も我もと
名乗りを上げた。供託金が高い (5万ドル)と不評を買ったけれど、
もし供託金制度を採用しなかったら、何千人が 立候補したか知れない。
被選挙権は33歳である。33歳と決まったのは、現在の暫定政権 大統領
ジョゼフ・カビラが、法律が出来たとき丁度33歳だったという恣意的な
事情がありそうだ。

複数の候補者が立候補する民主的な大統領選挙は、1965年以来のことで
ある。このときの 選挙で当選したのが例のモブツ。彼はその後30年余、
独裁者として君臨した。

日曜日の選挙は、大きな事件もなく無事終了したようである。もっとも
投票所にして40ヶ所程度が 焼かれたり、破壊されたりした事件が発生
している。国連やUE(EU)、そして米国、アフリカ連合等の 監視の
もとでどうにか実施できた選挙といってもいい。南アも監視団を送った
し、先般「世界幸福度ランキング」で名誉ある(!)最下位となった
隣国ブルンディBurundiも、去年自国で使用した 投票所施設を寄付する
など協力した。

選挙結果を纏めるのは一大作業である。とても即日開票し翌日には大勢が
わかるといった代物ではない。 8月20日ごろになってやっと結果がでる
そうだ。 しかし、ほぼ結果は見えている。すなわち上記のJoseph Kabila
が当選するのは間違いがない。 彼が過半数を取れず決選投票になることは
ありうる。 最も有力な対立候補であるチセケディEtienne Tshisekediが
6月初め立候補を断念したから、 ジョゼフ・カビラにとっては圧倒的に有利な
選挙戦であった。チセケディは1932年生まれと高齢だが、伝説的反骨精神
の持ち主でモブツ独裁時代に殆んどたった一人でモブツに反抗した人物である。

ジョゼフ・カビラは、父カビラ(ロラン=デジィレ・カビラLaurent Désiré
Kabilaが2001年1月16日 暗殺されてから指名されて暫定政権のトップに
立った。しかし、よくある独裁者の世襲とはいえない。 むしろ挙国一致政権
の性格上、反対派を副大統領として政権に組み込まざるをえず、どれほど
実権があるのか不明なところがある。なかなかの美男子で、失礼ながら
獰猛な顔つきの父とは似ていない。


多民族、多言語国家RDCを統一していくことは容易なことではない。国民
国家état-nationが、1960年の 独立と同時に成立していたとは、たとえ
翌年暗殺されてしまったルムンバPatrice Emilie Lumumba がカタンガ
州の分離独立に反対して拡張高く独立国家コンゴを宣言したとしても考え
られない。 独裁者モブツの手の中ですこしづつ国民国家を意識し始めたに
違いないのである。

これから起こるかも知れないチセケディの反乱、また副大統領であった
ベンバの私兵の反乱、 それらがあらたな全国をばらばらにする内戦を
生み出さないとも限らない。選挙後の国内和平は、 選挙よりも重要な
今後の鍵だ。

コンゴが、原油があることで不幸になった国々の轍を踏んではいけ
ない。あまりにも豊かな地下資源が 不幸の種になってはいけない。

選挙後の情勢に注目したい。

ルブンバシ滞在日誌は、別途僕のHPにpdfファイルとして載せた。
ここではその補足、また関心のあるアフリカ諸国についてブログとして書いて
行くこととしたい。

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