08 juillet 2017

6月16日~30日 独立記念日 jour d'indépendance

Le vendredi 16 juin 2017
7時、晴れ、2057.5。多少雲あり。

起きた時には既に停電中。通りの向かいには電気が来ているというのに。
20時、やっと回復。長かった。

コンゴ河インガIIIダムといえば、本ブログでも何回も登場している夢のダムである。夢というのは、何時できるか分からないダムだからだ。1983年から俎上には載せられている。
13日(火)のキンシャサ発表では、プロジェクトに応札したスペイン系コンソーシアムと中国系コンソーシアムをコンゴ側が選択したものの、この両コンソーシアムに合同するように要請したという。
アフリカ大陸全体の電気需要まで担うことができる巨大なダム発電所計画だ。これからどうなるか全く見えない。ファイナンスは世銀をはじめ日本政府も約束している。
スペインも中国もお互い協力してプロジェクトにあたるのだろうか。

Mégabarrage d'Inga: la RDC veut une alliance sino-espagnole

Publié le mer, 14/06/2017 オカピ放送(RDCコンゴ国連放送)
Mégabarrage d'Inga projet Grand Inga Économie Actualité National
    
Kinshasa a annoncé mardi avoir demandé au consortium chinois et à son concurrent espagnol en lice pour le contrat de construction du mégabarrage hydroélectrique d'Inga III de se regrouper pour soumettre une offre unique.

Cette décision retarde ce projet pharaonique, en gestation depuis une trentaine d'année, alors que le gouvernement de la République démocratique du Congo avait annoncé précédemment son intention de désigner le "concessionnaire avant la fin de l'année 2016" pour un lancement des travaux en 2017.
Les deux groupements d'entreprises en compétition sont un consortium chinois emmené par Three Gorges Corporation (gestionnaire du gigantesque barrage des Trois-Gorges en Chine) et un autre autour du groupe de BTP espagnol ACS.

"Les deux groupements concernés ont [...] été invités, en considération de leurs dossiers de réponse, des enjeux du projet et des développements pertinents du marché et de la demande, à prendre toutes dispositions utiles afin de constituer un groupement unique devant présenter une offre optimisée", écrit l'Agence pour le développement et la promotion du projet Grand Inga (ADPI) dans un communiqué.

Le bref texte de cet organisme rattaché au cabinet du président Joseph Kabila ne donne aucune indication sur la date attendue de livraison des premiers mégawatts que pourrait produire ce barrage. En septembre 2016, le directeur de l'ADPI avait avancé l'échéance de 2021. Inga III doit venir compléter les deux centrales vieillissantes entrées en service entre 1972 et 1982 aux chutes d'Inga sur le fleuve Congo, à 260 km en aval de Kinshasa.

Le futur barrage doit produire 4.800 MW (l'équivalent d'environ trois réacteurs nucléaires EPR de troisième génération) dans un pays où moins de 10% des habitants ont accès à l'électricité. Si le projet se concrétise enfin, la population congolaise ne devrait cependant pas bénéficier beaucoup de la lumière produite par Inga III. L'Afrique du Sud a en effet signé une option préférentielle pour récupérer 2.500 MW et la majeure partie du reste de la production est censé aller vers les groupes miniers du Katanga (sud-est), handicapés dans leur activité par une pénurie chronique d'énergie.

A la mi-2016, la Banque mondiale avait brutalement suspendu sa participation au projet (sous forme d'un don de plusieurs dizaines de millions de dollars), reprochant aux autorités d'avoir donné "au projet une orientation stratégique différente" de ce qui avait été convenu initialement.

Depuis lors, l'incertitude politique provoquée par le maintien au pouvoir de M. Kabila au-delà de son mandat (échu en décembre) combinée à l'absence de perspective d'élection à court terme pèse lourdement sur le climat des affaires.
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Le samedi 17 juin 2017
5時半、快晴、2055

5時半起きしたが、6時半になっても停電なし。

Petit pays』ページ28
baba cool」(ババ クール)、ヒッピーと同義語だそうだ。
1960年代、70年代に「流行」したヒッピーとは何だったのだろうか。エコロジストのハシリなのか、自由人たちだったのか。スペインのイビサやカナリアでそれらしき人々に会ったことがある。アフリカの大湖地帯にも来ていたのだ。
中国古典文化圏の日本では晴耕雨読の自由人が昔からいた。

Le dimanche 18 juin 2017
6時、快晴、20℃、60%。

お風呂のヒーターが作動しない。お湯が使えない。電気屋ペリカンさんの電話が通じない。
ペリカンさんは午前中教会に行っていたそうで、昼近くに家にきてくれた。故障はヒーターではなく、ヒーターへのケーブルが外れていただけだった。

アフリカ大陸のコットンといえば、エジプトが先ず念頭に浮かぶ。しかし、大陸の綿花はマリ、ブルキナ、コート・ジボワール、ベナンをはじめとしサハラ以南の諸国も盛んである。気候の所為もあって落ち込んでいたコットン生産が2017年は記録的に伸びているという。鉱物資源のあまりない国、例えばベナンでは朗報である。

ここカタンガ州も綿花に適した気候地帯に入るようで、ムソシ鉱山で残された日本人ハーフの事業の一つとして、国境カスンバレサで提供された土地で綿花を栽培してはどうかという話が昨日あった。シスター7・アスンタさんがあるNPOと協力して綿花栽培ができないかと検討してくれている。

Le lundi 19 juin 2017
545分、快晴、2050

Le mardi 20 juin 20017
5時半、快晴、2055

山岳ゴリラの生息地として知られるヴィルンガVirunga国立公園(RDCコンゴ、北キヴ州)の南にカフジ・ビエガKahuzi-Biega国立公園がある。南キヴ州の州都ブカブの西に位置する。こちらは低地ゴリラの生息地だ。
Petit pays』を読みながら位置関係を誤解していた。ブジュンブラ(ブルンディ首都)はタンガニーカ湖の北端にある。コンゴ側のブカブ市はブジュンブラから140km北に行ったところでキヴ湖に面している。ブジュンブラの西ではなかった。ブカブから北キヴのゴマへはさらに220kmのエドワール湖まで北上する。
RDCコンゴ東部も2000年代初頭よりは平和になって、ゴリラ観測の観光客も増えてきているそうだ。国立公園では野生ゴリラを馴らして観光客が来ても逃げないようにしている。そうしなければ、観光客の前にゴリラたちは現れない。なるほど。ザンビアやタンザニアの国立公園でライオンやキリン、シマウマなどを見たが逃げずにゆうゆうとしていた。野生とはいえ「馴らされている」だけだったのか。RDCコンゴのカフジ・ビエガのゴリラ ツアーが400ドル、ウガンダでは600ドル、ルワンダの自然公園は1500ドルだそうだ。高いなぁ。世界にはお金持ちいるものだ。

コンゴの野生ゴリラ、観光客誘致に心の準備は?
Chimanuka in Kazhuzi-Biega National Park.
By Michael M. Phillips 
『ニューズウィーク』2017 6 20

「【カフジ・ビエガ国立公園(コンゴ民主共和国)】体重約230キロのゴリラ「ムプングエ」を人種差別主義者だと非難するのはフェアではないだろう。

 しかし、ムプングエは最初に白人を見たとき、森に逃げ込み、ストレスからくる発作的な下痢に見舞われてた。ゴリラを人間に慣らす責任者、ロバート・マリンビ氏はムプングエを安心させるためにマニラ封筒で作った白人風のマスクを着け、深いやぶの中に入って行かなければならなかった。

 マリンビ氏のアシスタントを務めるサンドロ・マスンブコ氏は「そのアイデアが浮かんだときには冗談のように思えた」と笑いながら話す。「でも、結果は上々だった」

 マリンビ氏は、カフジ・ビエガ国立公園のゴリラたちを観光客に慣らすことを任されている。国立公園当局者は野生のゴリラを観察できるトレッキングツアーで裕福な欧米人観光客を呼び寄せたいと考えている。ゴリラたちにこれを受け入れさせるのがマリンビ氏の役目だ。

 カフジ・ビエガ国立公園があるコンゴ民主共和国の東部は、1990年代半ばにルワンダ虐殺が国境を越えて広がって以来、断続的な戦争や移動しながら活動する民兵組織などに悩まされてきた。

 しかし、同国立公園は世界最大のゴリラを観光客が野生で見ることができる唯一の場所であり、当局者は比較的平和な期間が継続することで冒険好きな人々のバケツリスト(死ぬ前にやっておきたいこと)に入ることを望んでいる。ゴリラツーリズムには2つの役割があるという。国立公園と野生動物を保護する資金の獲得に加えて、近隣の住民にも収入がもたらされるのだ。そうした収入がないと、近隣の村人たちはゴリラを食用にしようと考えるかもしれない。

 1995年、コンゴには約17000頭のグラウアーゴリラが生息していた。そのうちの約77%が戦闘中に殺されてしまい、米国に本部を置く野生生物保護協会(WCS)によると、今やそのゴリラは近絶滅種に指定されている。ユネスコ世界遺産にも登録されている約6000平方キロのカフジ・ビエガ国立公園内で人の存在に慣れていたゴリラの群れは5つあったが、そうしたゴリラは戦争中にほぼ全て殺されてしまった。

 密猟者たちが近づいてもゴリラたちは警戒しなかったとマリンビ氏は言う。「彼らは密猟者たちのことを観光客だと思ってしまった。だから殺されたのだ」

 戦闘が沈静化したことで、公園当局は今こそカフジ・ビエガをゴリラツーリズムの穴場として売り込めると考えている。ウガンダのブウィンディ原生国立公園ではゴリラを見るための許可証が11人当たり600ドルとなっている。ルワンダは最近、ボルケーノ国立公園でゴリラを見る料金をそれまでの倍となる1500ドルに引き上げた。

 カフジ・ビエガの許可証料金は400ドルで、かなり割安となっている。

 同公園の責任者ジュベナル・マンガンガ氏は「他の公園のゴリラがわれわれのゴリラよりもすごいとは思えない」と話す。昨年の訪問者数は1124人で、その多くは政情不安や貧困を抱えるコンゴに滞在している援助活動従事者、国連平和維持部隊、その他の人々だった。コンゴ在住の外国人には許可証の料金に割引が適用される。

 公園当局者は、より多くの観光客を呼び寄せるのに十分な数のゴリラを人に慣れさせる一方で、人への慣れがもたらす危険にさらされるゴリラの頭数を必要最低限にとどめている。公園を守っているのは、自動小銃「AK47」で武装した約200人のレンジャーだ。

 人に慣れたゴリラの中でわずかに生き残ったうちの1頭が「チマヌカ」だ。今やシルバーバックに成熟したチマヌカと妻3頭、子供15頭は公園のスターとなっている。」

Le mercredi 21 juin 2017
6時、快晴、18℃、50%。

ルブンバシ路上の両替屋で1ドルがついに1500FCになった。昨年1月の900FCからコンゴフランの価値が1/3になってしまったということだ。物価は上げっている。しかし、ドル換算すると大幅に下がっているともいえる。例えば、キプシ=ルブンバシ30kmのバス代は1000フランだが、値上げっていない。しかし、ドルでは1ドル以上した乗車料金が66セントだ。フランでの値上げが追い付かず電気代が22ドルから20ドル等々。
家賃はだからドル建てフィックスされている。僕の庭師の給与もドル払いにしている。学校の授業料もドル。公務員給与も建前はドル。ただ、換算率が非現実的で相場とはかけ離れている。コンゴフランしか受け取っていない人々の生活は極めて苦しくなっていると推察できる。

du jeudi 22 juin au mardi 27 juin 2017
ザンビアのリビングストンに行っていた。
ビクトリア瀑布
橋を渡るとジンバブウェの瀑布になる

Le mercredi 28 juin 2017
6時半、快晴

12時、カスンバレサからルブンバシ経由キプシの家に帰った。
チーコちゃん、マーゴちゃん、ブラックー君皆元気にしていた。

コーヒーをいれた。ザンビアでは、コンゴ、タンザニア等隣国どこでもそうだがコーヒーと云えばネスレのインスタントかリコフィーしか飲めない。いずれもコーヒー生産国だが国民にコーヒーを飲む習慣がないのである。家に帰る挽いた豆がある。フィルターで漉してまともなコーヒーが飲める。

7時半、チリラボンブウェChililabombweのホテルを出発。カスンバレサ国境まで乗り合いバスで20分、20km。10クワッチャ(1ドル)。
チリラボンブウェで泊まったのは初めてだ。コンゴとの国境に至るザンビア側の最後の町である。これまでは、キトウェ(国境まで94km)で泊まっていた。数年来キトウェ=チンゴラ間の道路工事が完工していないため悪路が続いていて時間がかかるため、チンゴラChingola(国境から43.5km)の先のチリラボンブウェを宿泊地に選んでみた。ホテルはタクシーの運転手が推薦したところだが、レストランもバーもないゲストハウスであった。300クワッチャ(30ドル)。清潔でお湯も出たので良しとする。住宅街の一角だった。

ホテル到着が20時となり、近くの南ア系ショッピングセンターにあるファストフード店「ハングリー ライオン」でダブルバーガー(50クワッチャ)を注文した。KFCやマクドナルドを真似たところだが、サービスもバーガーも最低だなぁ。従業員教育とメニューの見直しをすべきだろう。

昨日27日(火)は朝9時のバスで首都ルサカを出発した。バスはザンビアでは最良のバス会社と思われ、以前にも何回も利用したインド系と思われるマザンドMazhandu社のバスにしたのだが、出発が珍しく40分遅れ、キトウェ到着も14時の筈が17時近くだっだ。バスも古くなって来ていてサービスも質が悪くなってきたようだ。

Le jeudi 29 juin 2017
6時、快晴、1855

Le vendredi 30 juin 2017
6時、快晴、1855

今日はRDCコンゴ独立記念日。1960年の630日に独立した。1885年のベルリン会議でコンゴはベルギー国王の私領とされた。75年後に独立したわけだ。独立から57年経った。
現在アフリカ大陸には54か国がある。最も新しく独立したのが南スーダンだ。もっとも南スーダンはスーダンから分離独立したので欧州宗主国から独立したのではない。

RDCコンゴは宗主国ベルギーに弓をひいて、銃を向けて独立したのではない。独立戦争というほどの武力闘争はなかった。革命の経験もない。現大統領の父親がキンシャサに入城してモブツ政権を倒したときも、革命というよりも、ジンバブウェ、ルワンダ、ウガンダ、アンゴラの軍の応援を得ていた。国歌では「立て、コンゴ人Debout Congolais」と高らかに歌うが、全国民が政府に向かって立ち上がったことはない。

アフリカの大部分の国は、北アフリカ諸国を含めて、独立以前よりも農業生産が落ちている。国民生活も爆発する人口増の前に、独立前よりも良くなったのかどうかあやしい。インフラも独立前の方がよかった。
これからアフリカは何処に行くのだろうか。海外からの援助がいらない、援助を期待しないアフリカに何時なれるのだろうか。

RDCコンゴでは独立記念日を各地でささやかに祝ったが、大統領演説はなかった。これで今年の半分が過ぎるけれども、今年中に約束の大統領選挙が行われる気配はない。

57 ans d’indépendance de la RDC : que reste-t-il à faire ?

Publié le jeu, 29/06/2017 国連オカピ放送
Parole aux auditeurs Émissions National
    
Défilé militaire des forces armées de la République Démocratique du Congo le 30/06/2014 sur le boulevard Triomphal devant le Palais du peuple à Kinshasa, lors de la célébration de 54em anniversaire  du Congo. Radio Okapi/Ph. John Bompengo
Défilé militaire des forces armées de la République Démocratique du Congo le 30/06/2014 sur le boulevard Triomphal devant le Palais du peuple à Kinshasa, lors de la célébration de 54em anniversaire du Congo. Radio Okapi/Ph. John Bompengo
30 Juin 1960-30 juin 2017, cela fait 57 ans jour pour jour depuis que la RDC a accédé à la souvernaité nationale. 57 ans après, le pays a connu et tenté de relever plusieurs défis sur la plan politique,social, économique et sécuritaire.


A cette occasion, quelle réflexion faites-vous sur les acquis à capitaliser et des défis qui restent encore à relever?

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